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翌日、電話で仕事を受けることを伝えると、常盤さんはとても喜んでいた。
そして翌日、駅前のファミレスで打ち合わせをする事になった。
そして、
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぃいいい!」
常盤さんは奇声をあげながら身をくねらせている。いい歳をしたおっさんが一体なにをやっているのか?
正直、軽く引いていた。
「にゅおおおぉぉぉぉおおっっ!」
常盤さんはそんな僕を気にすることなく、数枚の紙を見つめてははしゃいでいる。
その紙がなんなのかといえば、『パンドラの契約者』の主要なキャラのデザインだ。黒矢、葵ちゃん、紫歌ちゃん、その他数名。
昨日の電話で主要キャラのデザインを考えてきてくれないかと言われて書いてきたら予想以上のリアクションだった。
常盤さんは奇声をあげながら、電動歯ブラシの様に震えていた。
なんというか、一応ファミレスのなかだから抑えようとしているが抑えきれない感じだ。ここが外だったら走り出すかもしれない。
やがて常盤さんは大きく深呼吸して呼吸を整え始めた。そして、
「ブラボーーー! 最高だよ瀬戸さん! 貴方に出会えて良かった!」
僕の描いたキャラデザを大絶賛した。
「あ、ありがとうございます」
僕はやや控えめに対処した。いや、素直に賞賛を受けとりたいんだけどさ、そうするには常盤さんの奇行のインパクトが強くてさ。隣の隣の席のお母さん達がチラチラとこっちのほう見てるんたよ。
「いや、本当に瀬戸さんの描く女の子は可愛いね! 葵ちゃんも紫歌ちゃんも100点満点だよ! 黒矢、他の男キャラも問題なしだ。そして褐色悪魔のパンドラちゃんがここまでエロ可愛いくなるなんて、さすがエロ漫画家!マーベラス!」
「・・・・・はぁ」
いや、本当に微妙な気にさせてくれるなぁ常盤さんは。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「じゃあ、これは契約金だ」
常盤さんは無造作に茶封筒を僕に手渡した。
茶封筒は糊付けさえされてない。
チラリと中身を確認すると一万札が複数枚入っている。後で確認するけど20枚入っているのだろう。
そんな大金を無造作に渡してくるあたりブルジョワだと思う。
それから、いくつか話し合ったのだが最後にとんでもないことを言ってきた。
「そう言えば瀬戸さんは清掃のアルバイトをしているのだとか?」
「ええ、そうですけど」
「じゃあそれは今すぐ止めてくれ」
「ええっ⁉︎」
いきなり何を言っているんだと思ったのだが、常盤さんはあたり前のように告げた。
「いや、仕事しながら漫画描くとか無理だろう? 少なくとも私は無理だった。瀬戸さんもキツイと思うよ?」
「・・・それはそうですけど」
無茶苦茶言っているけど全く理解できないかといえばノーと言わざるをえない。実際、清掃の仕事をしながら成人向け漫画を描いていた時はきつかった。筆が進まなくて締め切りを超えたときもある。だから理屈はわかる。だけど・・・。
気乗りしない僕を見て常盤さんは続けた。
「いや、気乗りしない気持ちもわかるよ。清掃の仕事を辞めたら瀬戸さんの収入は僕が支払う原稿料だけという事になるだろう。しかも、何時まで続くのか、この先どうなるのか未定だ。なら、保険の意味でも清掃の仕事を続けたいという気持ちはわかる。私が貴方の立場だったら、はい、わかりました。とは簡単に言えないだろう」
常盤さんは僕の不安の理由を正確に把握していた。金銭的な事についてはこの人は凄く真っ当な感覚を持っているんだよなぁ。
「だがねぇ、私としてはやっぱりより良いものを仕上げてもらう為に、パンドラの契約者に集中してもらいたいし、できれば早く完成品を見てみたいんだ。掃除する時間があるなら漫画を描いてもらいたい」
それにさ、と常盤さんは続けた。
「瀬戸さんだって清掃の仕事が大好きで生き甲斐を感じている訳じゃないだろう? また収入の面から言ってもそこまで良い待遇でもないんじゃないかい? たぶん時給1000前後ってところじゃないかな? だったら10時間働くよりも漫画一枚描くほうがお得じゃないか?」
常盤さんの言うことはいちいちもっともだった。だからと言って即答できる事じゃない。少し考えさせらて下さいと言おうとしたが、常盤さんのほうが早かった。
「とはいえ瀬戸さんが迷う理由はわかるんだ。私だって株式投資で成功するまではサラリーマンやっていたしね。保険は必要だ。でも言い換えるなら金銭的な補償があれば清掃の仕事を辞めても問題ないという事だ。そこでだ、今ここで明言しておこう。もし、この話が途中で頓挫した場合、たとえば轟先生が漫画化の許可をくれなかったり、出版社が取り合ってくれなかった場合だが、その時は瀬戸さんが何らかの仕事に就くまでは私が瀬戸さんを支援しよう」
「は、はあ・・・」
それが本当ならありがたい話なのだが素直には喜べなかった。ここまで上手い話だと裏があるんじゃないかと疑いが先に立つし、まだ2回しか顔を合わせていない常盤さんを、はい。わかりましたと素直に信じることもできない。
そして、僕のそんな内心を常盤さんもわかっていた。
「信じられないという顔だね。正直なところ同感だ。私が瀬戸さんだったらこんな話は信じない。そこでこれだ」
常盤さんはまた鞄から茶封筒を取り出して僕に手渡した。
中をみるとキラキラと金色に輝く長方形の物体が入っていた。いや間違いなく金だろう。
戸惑う僕に常盤さんは説明を始めた。
「それは100万円相当の金塊だ。それを貴方に質代わりに預けておく。あげるわげじゃない。預けておくんだ。そして、僕が瀬戸さんを支援するという話が嘘だった場合、それを没収してくれ。約束を守った場合、もしくは漫画化が成功した場合は返してくれればいい。どうだい? これなら私の話を信じられるだろう?」
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打ち合わせが終わったあと僕は寄り道をせず足早にアパートに戻ってきた。なんせ、現金20万と百万相当の金塊を鞄に入れているのだ。途中、ひったくりにでも合わないかと心配しながら歩いてきた。何事もなく部屋にたどり着いた時はほっとした。
そしてテーブルに座り、紙幣を確認するときっちり20枚入っていた。
それはいい。問題はもう一つだ。僕は金塊を手に取った。意外に小さい。でも重みがある。
そんな金塊を手で摘みながら僕は唸った。これを常盤さんから受け取り、暫くは漫画に専念することを了承したのだ。
これを用意していたという事は最初から僕に清掃の仕事を辞めてもらうつもりだったのだろう。
文字通り金に物を言わせたやり方で不満を全く抱かないとは到底言えない。
だが、実際にこの金塊を受け取ることで安心して清掃の仕事を辞める決心がついた。非常識なやり方だが的は射ていた。
「非常識というより価値観の違いか・・・」
僕にとって100万円は大金だが常盤さんには趣味で使える範囲なのだろう。
そして、いかに資産家とはいえポンと100万を出すのはそれだけ期待されているという事だ。
その期待には応えたいと思う。
何より僕にだってプライドはある。
この金塊を常盤さんに返すときは失敗して就職を支援される時ではなく『パンドラの契約者』が漫画化した時なのだと決意した。
その決意を胸に最初の1ページに取り掛かった。




