夜ノ街
「なんでこんなに静かなんだ」
少年の傍らで不審そうな声がした。
「さぁ」
少年は肩にとまっている鴉をちらりと見やり肩をすくめて答える。
「ネロ、ちょっと飛んで見て来てよ」
少年が言うと肩の上にいる鴉はうんざりしたような顔をした。
「デュオ、俺は一日中飛んでもうくたくたなんだ」
「お願いネロ。お昼ごはん、いつもより豪華にするからさ」
デュオと呼ばれた少年がそう言うと、ネロはふんっと鼻を鳴らしてデュオの肩を蹴って空へ舞い上がった。ネロはぐんっと急上昇し、黒い小さな点にしか見えないほど高いところまで飛んでいってしまった。
「痛いなぁ、もう」
ネロがのっていた方の肩をそっと押さえる。飛び立つ際、ネロはデュオの肩に思い切り鉤爪を喰い込ませていったのだ。あとで薬と包帯を買っておこう。また無駄な出費が増えてしまったと苦いため息をつき、それから改めてデュオは今し方着いたばかりの街を眺めた。
街にある建物は全て切り出してきた御影石と大理石で出来ている。道には薄く切断した大理石を敷き並べていた。街は同心円状に広がっており、その中央に巨大な噴水があった。噴水の中心には少女の像が立っている。少女は顔を天に向け、救いを求めるように両手を空へのばしていた。その指先から澄んだ水がとめどなく流れ落ちている。
「おい、上から街全体を見てみたがひとっこ一人いないぞ」
頭上から声がしたかと思うと、急にずしりと肩が重くなった。
「どうなってんだこの街は。まだ日没までだいぶ時間があるっていうのに一人も姿がないなんてな」
「賊にでも襲われてみんな逃げちゃったとか」
デュオが考えながら言ってみると、ネロは馬鹿にしたように笑った。
「賊に襲われたんだったら、もっと荒らされてるだろ」
よく見てみろというようにネロは顔を街の方に向けた。
「荒らされては…いないみたいだね」
道にはゴミ一つ落ちてはいない。家々の脇には色とりどりな花が植えられた鉢が整然と並べられてあった。
「ここにずっといてもしょうがねぇから、とにかくいってみるぞ」
「あ、うん」
ネロに促され、デュオは周りに警戒しながら歩き出した。カツンカツンとブーツの靴底が石畳にあたる音だけが響き渡る。
「今夜は宿に泊まれるかな?」
「そんなもん適当にそこらの家を拝借すりゃいいだろ」
そう言ってネロは片方の翼を広げ、立ち並ぶ家を指し示した。
「あれとかどうだ。お、あれもなかなか大きくて良さそうだぞ」
「あのねぇ」
横目でネロを見ながらため息をつく。勝手に人様の家に上がり込んだら、それこそ僕達が賊になっちゃうじゃないか。
「おい」
ふいに警戒を含んだ声音でネロがささやいた。
「デュオ、前見てみろ」
「え」
慌てて前に顔を向ける。いつの間にか街の中央近くまで来ていたようで、少し先に少女の像が立つ噴水が見えた。
「なんだ。人いたじゃないか」
噴水の周りをぐるりと囲む大理石の淵に、こちらを見つめる一人の少女が座っていた。歩く速度を速めて少女に近づいた。少女は不思議そうな顔でこちらの動きを目で追う。
「こんにちは。君はこの街に住んでいる子かな?」
デュオの問いに少女はこくりと頷いた。それから、
「お兄さんは外から来た人?」
小首を傾げて今度は少女が問いかけてきた。
「そうだよ。今さっきこの街についたばかりで、全然この街のことを分からないんだよ。だから少し教えてくれるかな?」
目線を少女と同じ高さにして優しく尋ねると、少女は素直に小さく頷いてくれた。
「ありがとう。それじゃさっそくなんだけど、なんでこの街には人がいないのかな?少し歩いてみたんだけど、全然人の姿がなくてびっくりしちゃった」
「みんな家の中で寝てるんだよ」
なんでもないというように少女は答えた。
「寝てる?街の人みんながかい?」
「うん。みんな昼間に寝て、夜に起きるの。わたしはみんなと逆だけど…」
「そうなんだ」
ちらりとネロの方を見やる。ネロは肩をすくめるように、僅かに翼を動かした。
「君はどうしてみんなと逆の生活をしているの?」
顔を少女に戻し、再び少女に問いかける。
「わたしはお日様が平気だから。でもみんなはお日様に当たると死んじゃうの」
少女の言葉に眉間を寄せる。
「死んじゃうって…どうして?」
「わかんない。でもみんなそう言ってるの」
少し語尾を強めて言い切ると、少女は急に立ち上がった。
「わたし、もう帰る」
そう言って少女は背を向け、タッタッタと走っていってしまった。
「ネロどう思う?」
今まで少女が座っていた場所に腰をおろし、噴水の水をおいしそうに飲む鴉に顔を向ける。
「確かに生まれつき太陽の光がだめっていう人もいると聞いたことはあるけど、それはごく一部の人達でしょ?一部の地域に集中して太陽に弱い人が生まれるってあるのかな」
デュオが言うと、クチバシから水滴をしたたり落としネロはにやりと笑った。
「面白そうじゃねぇか。この街には何か秘密があるのかもしれねぇな」
「秘密って?」
「知るか。それはお前の頭で考えろ」
「なんだよ、わかったような口ぶりだったから何か知ってるのかと思った」
「ほんの数十分前にここに来た俺がなんで知ってんだよ。まぁ、なんとも嫌な気配はするがな」
ネロは鋭い目で街を一瞥するとこちらに怖い顔を見せた。
「油断すんじゃねぇぞ」
「わかってる」
顔を引き締め大きく頷く。
「でも、嫌な感じがするならこの街を離れればいいんじゃないの?」
デュオの言葉にネロは興醒めしたような表情を浮かべた。
「あのな、せっかく面白いことが味わえそうなのに、それをみすみす逃す手はないだろう」
「面白そうな事って…」
なんなんだよ、さっきは怖い顔でおどかしてきたくせに。まったく、こいつにはついていけないよ。はぁ、と苦いため息を吐きデュオは不気味なほど静かな街並みを眺めた。
陽が山に隠れ東の空から徐々に濃紺色に変わっていく頃、ようやく街に明かりが燈り活気づき始めた。店が扉を開け始め、家の中から女性や子供がぞくぞくと通りに出てくる。
「やっと街っぽくなってきたね」
ぶらぶらと表通りを歩きながらネロに声をかける。
「まさかこんなに人が住んでたなんて思わなかったよ」
昼間とは違い、夜の通りは人でごった返していた。気をつけないと肩が人にぶつかりそうになる。
「それで、宿は見つかったか?」
「ううん、まだ」
歩きながら宿の看板を探しているのだが、なかなか見つからない。
「裏道にでも入って探すか?」
ネロは店と店の間にある、幾分狭まった道に顔を向けて示す。
「え、裏道にある宿って怪しくないかな」
「いやいや、表から離れている場所にこそ良い宿があるんだよ。さ、行くぞ」
肩にとまっている鴉に偉そうに命令され、渋々そちらへ向かった。
裏道に入ると、表の喧騒がすっと引いていった。道を通る者はおらず、静まりかえっている。
「お、あそこに宿があるぞ」
ネロの言葉通り、少し行った所に宿の看板をかかげた建物があった。
「行ってみるぞ」
「あ、うん」
早足で宿にむかい、そっと木製の重厚な扉を押し開けた。
「いらっしゃい」
中に入ると恰幅の良い年配の女性が迎えてくれた。
「すみません、一晩泊らせて頂きたいんですが、空いてる部屋はありますか」
「ああ、あるよ。大きい部屋がいいかい、それとも小さい部屋がいいかい?」
宿のおばさんに聞かれ、「それじゃ小さい部屋で」と答えると、おばさんはカウンターの机から鈍く銀色に光る鍵を取り出した。鍵のつまみには「203」と彫られている。
「ほいよ。部屋は階段上ってすぐ右にあるからね」
鍵を渡され、こくりと頷く。
「わかりました、ありがとうございます」
お礼を言ってから、カウンターの右横にある階段を上る。上るにつれ、空気がひんやりとしてきた。ぶるりとネロが体を震わす。
「人の気配がしないな」
「そうだね」
二階につくと、冷気は一層強まっていた。少し立ち止まり様子をうかがってみたが、廊下の脇に並んだ部屋の奥からはなんの音もしない。
「客って僕達だけなのかな」
「かもな。ほら早く部屋にはいるぞ」
預かった鍵を扉の鍵穴に差し込み、ゆっくりと右にひねる。ガチャリと音がして鍵が開いた。扉を開け中に入る。部屋に入り最初に目にはいったのは正面にある大きな窓だった。窓からは街の中心にある、あの噴水が見えた。
「おお、このベッドふかふかだぞ」
いつの間にかベッドに飛び移っていたネロが、ポンポンとベッドの上で跳ねまわっている。
「ちょっとネロやめて。羽根を落とさないでよ」
言っているそばから黒い羽根が、はらはらと舞い落ちる。
「ああ、もう」
ベッドに散らかった羽根を拾い集め、それをツタで編んで作ったクズ篭の中に捨てた。それからネロの首根っこをわしずかみしてベッドから下ろす。
「このベッドは僕が使うから、ネロはおとなしく鳥籠に入ってて」
言いながら人差し指を立て、宙でくるりと回す。すると大きめの鳥籠が宙から現れ、絨毯が敷かれた床にぼとりと落ちた。
「ほら、入って」
籠の扉を開けて促す。だが、ネロはじとっとした目を籠にむけ、再びベッドに飛び乗った。
「あのな。俺は飼い鳥じゃねぇんだよ。なんでそんな狭っくるしい籠に入れられなきゃなんないんだ」
「ネロが暴れるからでしょ。おとなしくしていれば入れないよ」
そう言ってデュオは鳥籠をぽんと叩いて消した。
「さてと、そろそろ寝ようかな」
肩からかけていた革の鞄をベッドの脇に置き、上着は衣装棚にしまう。それから着ている服を軽くたたくと、服は寝巻に変容した。
「魔法って便利だな」
感心しているようにもあきれているようにも聞こえる声で、ネロは呟いた。
「まあね」
すぐさまネロを端に寄せてベッドに潜り込む。ネロの言っていた通りふかふかだった。
「久しぶりにベッドで眠れるね」
半ば寝ぼけた声でネロにささやく。
「だな。最近ずっと野宿だったからな」
「なかなか街が見つからなかったからね。それじゃお休み、ネロ」
言ったが早いか、すぐさま夢の世界へと落ちていった。
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「おい、デュオ起きろ」
ふいに耳元で声がした。
「なあに、ネロ。もう朝?」
薄っすら目を開ける。まだ辺りは暗く、ネロの顔もぼんやりとしか見えない。
「なんだまだ朝じゃないじゃないか」
再び目を閉じようとすると、ネロはクチバシで頭をつついてきた。
「痛っ。なにするんだ」
「よく見てみろ」
頭を抑えるデュオに頓着せず、ネロは鞄から引っ張り出してきた懐中時計を目の前に突き出した。
「七時?」
暗闇に慣れてきた目で針が指し示す時間を見る。確か宿に着いたのが六時過ぎだったから…
「なんだ、まだ一時間も経ってないじゃないか」
そのわりにぐっすり寝たような気がするのが不思議だ。やっぱり睡眠は量より質ということか。
「まだ寝ぼけてんのか」
再びネロが頭をつつく。
「よく目を見開らけ。針がまったく動いてないだろ」
言われてしばらく時計を見てみる。ほんとだ。長針がまったく動かない。短針は七の場所に、長針は十二の場所に、それぞれぴったりと張り付いてしまったかのように、ぴくりともしない。
「言っとくが壊れたわけでも螺子を巻きなおさなきゃいけないわけでもないからな」
「わかってるよ」
苦笑しながら頷く。
この懐中時計は魔法を組み合わせて作られており、壊れることなく半永久的に動き続ける。
「この街の時間自体が止まってんだ」
「え、どういうこと?」
ネロはさっとベッドから窓辺に飛び移った。
「見てみろ」
デュオもベッドから起き上がり窓に近づく。
「え…」
窓から見た光景に、一瞬言葉を失う。
窓の外には噴水のある広場が広がり、多くの人が行き来していた。寝る前までは。今は誰も動いていない。噴水の淵に座り友人と談笑していた青年は、顔に笑みを貼りつかせたままぴたっと止まったままだ。空に舞いあがろうとしていた小鳥は宙で固まっている。
「外に出てみよう」
急いで寝巻を普段着に変えると、上着を羽織り鞄をかけて部屋を飛び出した。階段を駆け下り一階につくと、そこでもカウンター越しに客と談笑していたらしい宿のおばさんが、口に手をあてて笑ったまま止まっている。話し相手の白髪交じりの初老の男もタバコをくゆらせたまま止まっていた。
「見ろ。煙まで止まっていやがる」
ネロに言われよく見てみると、タバコの薄灰色の煙も尾を引いたままぴたりと止まっていた。
「いったいどうなってるんだろ」
宿を出て表通りを歩きながらネロに聞く。
「さぁな。確かに言えることは、この街に大きな魔法の力が働いているってことだ」
「そうだね」
時間を止めるなんて魔法以外考えられない。だけど、誰がそんなことをしたんだ?
考えながら歩き続けていると、噴水の場所まで来ていた。
「なんか人形の街にでも迷いこんじゃったみたいだね」
犬を連れたおじさんの傍を通り過ぎながらつぶやく。
「そうだな。ん、あれなんだ?」
ネロは肩からさっと飛んだ。それから噴水のすぐ脇に立っている、大理石の石柱のそばに降り立った。それはデュオの腰ぐらいの高さで、正面に大きく文字が彫られ、横の面にも細かな文字がびっしりと彫られていた。
「碑かな」
正面には『救世者クウォーレ』と書かれてある。横の面に書かれているのは、どうやら『クウォーレ』の説明らしかった。
「なになに。昔この街は慢性的な水不足だった。ある時、大干ばつが起こり、街は滅びる寸前まで陥った。そこでこの街に住む唯一の魔女、クウォーレに雨を降らせるよう頼んだ。クウォーレは当初そんなことは出来ないと拒否したが、住民の必死な願いを聞き入れ、彼女は魔法で雨を降らせた。しかし彼女は力尽き、亡くなってしまった。…だとよ」
「じゃぁ、この像ってクウォーレって人の像かな」
噴水の少女の像を見上げた時、ふいに背後に人の気配を感じた。びくりとして振り返る。するとそこには昼間に会ったあの少女が、怒ったような顔で立っていた。
「あなたのせいよ」
いきなり少女に言われ、ぽかんとして少女を見つめる。
「あなたがここに来たから、時間がおかしくなっちゃったじゃない」
「え、どういう…」
問いかけようとしたが、少女の姿は消えていた。
「っ」
気がつくと喉元に短剣を突きつけられていた。
「あなたがいなくなれば元に戻る」
少女は短剣を大きく振りかぶり、デュオの喉めがけて振り下ろした。
「クウォーレ」
ふいにネロの声が聞こえた。少女の手が止まる。少女はゆっくりと噴水の傍にいるネロの方を見た。
「お前、クウォーレだろ。あの像と同じ顔だ」
横目で少女の像を見ながらネロは言った。
「クウォーレ?でも彼女は死んだはずじゃないか」
「ええ、死んだわ」
冷たい笑みを浮かべ、少女は呟いた。
「たしかに私は魔法が使えたけれど、雨なんて降らせる事はできなかった。でも、あんまりにも街の人達が必死だったから、私の血を水に変えて降らせたの。一回だけだと思ってやったのに、彼らは神に願うように何度も何度も私に頼んだ。断ることもできず、私は全ての血を雨に変えてこの街に降らせた。
私は死に追いやった街の人達が許せなくて、甦ったの。そしてこの街を滅ぼした」
「えっ」
「だけどまだ許せないから、街の人達を甦らせた。そうして私の魔法の中で生きていくの。永久にね」
「昼夜逆転の生活なのは、みんな死人だから?」
問うと、少女は頷いた。
「日の光を浴びると魔法が解けて、消えてなくなってしまう。…あなたがこの街に外の時間を持ち込むから、魔法がめちゃくちゃになったわ。この街の時間は止まってしまった。これではみんなに罰を与えられない」
そう言うと少女は手で顔を覆って泣き始めた。
「罰ってなんなんだよ」
ふんと鼻を鳴らし、ネロが冷たい口調で言った。
「お前はただ街の奴らと平和に暮らしたかっただけだろ。罰を与えたいと思ってたなら、もっと苦しい生活を奴らに与えることもできたはずだ。だがここには苦なんて感じられない」
少女は泣きやみ、ネロを睨みつける。
「罰は与えているわ。永遠に生きる。それが罰よ」
「ふん。お前がそう思うならそう思っていればいい。ディオ、あの像を壊せ。あれが核だ」
ネロに言われ少女から短剣を取り上げると、像に向かって投げた。短剣は像に突き刺さり、そこからヒビが入っていく。
「やめてっ」
少女が叫ぶのと像が壊れるのが同時だった。像は音を立てて壊れていく。少女は悲鳴をあげながら消えていった。
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「よかったのかな、これで」
荒野にぽつんと立ち、デュオはつぶやいた。像が壊れると街も街の住人もみな一緒に消えてしまった。残ったのはどこまでも広がる荒野とデュオとネロだけだった。
「あのままだとあの街から出られなかったぞ」
あきれたような声でネロは答えた。
「でも、あの子可哀想だったな。もっと何かあの子が救われるやり方があったかもしれない」
「救える力も無いのに安い同情はするな。今のお前にできるのはせいぜいこんなものだ」
「…うん」
まだ思い悩んでいるデュオをネロは横目で見てハアとため息をついた。
「少なくとも街の住民は救われたんじゃないか?これでやっとゆっくり眠ることができる。…ったく、くよくよ悩んでる暇あったら、特訓でもなんでもして救いたいものを救える力を身につけろ」
「そうだね」
デュオは微かに笑い、ネロを抱き上げると東の端から昇る朝日を見つめた。
「ネロがいてくれて良かった」
小さくつぶやく。
「なんだって?」
「なんでもない」
朝の日差しが、街が消え去った大地をゆっくりと温めていった。