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エンドリア物語

「エロンの鏡」<エンドリア物語外伝59>

作者: あまみつ

 いつものようにカウンターで商品を磨いていた。

 扉が開く音がして、顔を上げた。

「いらっしゃい…………おい、ディックか?」

「久しぶりだな、ウィル」

 ディック・ハーヴィー。エンドリア王立兵士養成学校で席を並べた友人だ。

 日に焼けた顔、鍛えられてひとまわり大きくなった体。革の鎧に無数の傷があり、腰につるした長剣の柄には滑り止めの布が巻かれていた。

「元気そうだな」

「おう、お前もな」

 オレとは違い冒険者になることを諦めなかった。卒業時に冒険者のギルドに入ったことは聞いていたが、会うのはそれ以来だ。

「ニダウには仕事できたのか?」

「いや、お前に会いに来た」

「一国一城の主になったオレの勇姿を見に来たのか?」

 小さくてもボロでも、古魔法道具店の店主だ。

 ディックが目をそらした。

「どうした?」

 オレの呼びかけにオレを見たが、目に力がない。

「頼みがある」

「冒険を手伝えという以外なら、聞いてやる」

 ディックが黙った。

「おい、オレの手を見ろよ」

 ディックの目の前に両手を出した。

 多少傷はあるが、柔らかい手だ。

「もう、夢は捨てたんだ」

 オレの手を見て、それから、オレの顔を見た。

「本当なのか。だったら、有名な桃海亭のウィル・バーカーは誰なんだ?」

「あれは誰かが作った虚像だ。ほら、見ろよ。この手じゃ、モンスターなんて殴れない」

 下手に殴ったら、大怪我をする。

 奥の扉が開いて、ムーが店内に入ってきた。外出するようで、ウエストポーチを掛けている。

「おい、ディック・ハーヴィーが来ているぞ」

 ムーがディックを見た。

「誰しゅ?」

 ディックが頭をポリポリと掻いた。

「知らないよな。ま、オレもムー・ペトリを知らなかったからお互い様か」

「500人以上もいる学校で、魔術師クラスの奴まで覚えていられないさ」

「そうだよな」

 ディックがムーに手を差し出した。

「改めて、自己紹介させてくれ。ディック・ハーヴィー。ラウンドギルドで冒険者をやっている」

「ムー・ペトリしゅ」

 名乗ったが手は握らなかった。

 ディックが傷ついたような顔をした。

 ムーが手を握らなかった理由を勘違いしているようなのでオレがフォローに入った。

「悪い。ムーは手が汚れているんだと思う」

「はいしゅ」

 ムーが手を広げた。

 ヌラヌラとした粘液物が付着している。

「おい、出かけるなら手を洗ってから行けよ」

「食堂にゾンビ使いがいるしゅ」

「いいから、洗ってこい!」

 オレの怒鳴り声に、ディックが吹き出した。

「オレが思っていた桃海亭と全然違う」

「何を考えていたのか知らないが、ここは古魔法道具店で、オレはここの店主だ。それでいいか?」

「わかった」

 笑顔のディックが、オレに手を差し出してきた。

 仲直りの握手らしい。

 オレが手を握ろうとしたとき、扉が派手な音を立てて開き、若い女がひとり飛び込んできた。ディックを無視して、カウンターにいるオレを見た。

「迎えに来ました」

 立っていたはずのムーは、すでに女の小脇に抱えられていた。逃げようと足をバタバタさせている。

「東方地区のグラシュ王国にヘルハウンドが出ました。異種のようです」

 厚手のローブに魔法協会の紋章の刻まれた銀の胸甲。

 魔法協会本部の戦闘魔術師だと一目でわかる。

 前に会ったことがある女だ。だが、前に会ったときとは決定的に違うことがあった。

「ハゲたのか?」

 黒髪でショートカットだった頭が、ツルツルのスキンヘッドになっている。

 若い女は顔を上げて、天井を見た。

「隊長、殺したいです。殺したいです。殺したいです。殺したいです。殺したいです……」

「わかったから、続きは外で言ってくれ」

「一緒にこないと隊長を呼ぶわよ」

「戦闘魔術師が一般人を脅すのはよくないと思う」

「ウィル・バーカーには何をしても許されるの」

 無茶な理論が、隊員にまで浸透しているらしい。

「オレは店があるんだよ。ムーは持っていけ。それでいいだろ」

「ボクしゃん、行かないしゅ!」

 バタバタとまだ抵抗を続けている。

「あんたも来るのよ」

「あのな、隊長を呼ぶって言うけどな、あの人がオレを殺す機会をのがすはずがないだろ。来られないから、代わりに迎えに来たんだろ」

「あんたのそういうところも、大嫌い!」

 吐き捨てるように怒鳴られた。

 迫力にディックが数歩さがった。

「嫌いでいいから、帰って……」

 店の扉が静かに開いた。

 見た顔を入ってくる。

「騒がしくさせて済まない。一緒に来てくれないだろうか」

 テートと呼ばれている男の隊員だ。

「オレ、店があるんです」

「隊長が所用で遅れている。来る前に終わらせた方がよくないか?」

 真摯な口調なのに、うっすらと笑っている。

 オレは即答した。

「行きます」

「行くしゅ」

「また、会おうな」

 オレが手をあげると、ディックは戸惑った顔で手を挙げてくれた。





「疲れたー」

「つかれたしゅ」

 オレもムーも、桃海亭に入った途端倒れ込んだ。

 グラシュ王国に出たヘルハウンドは、異種ではなかったが、サイズが半端なくでかかった。体長は30メートルを楽にこしていた。

 オレとムーが行ったとき、ヘルハウンドは暴れているというより何かを探していて、それを邪魔されて怒っていたようだった。ムーが『普通のヘルハウンドしゅ。大きいのは魔法のせいしゅ』と断定したので、戦闘魔術師達が周囲を調べて、山奥の木の陰に年老いた魔術師の死体を発見した。旅の途中の病死だったようだ。

 オレとムーでヘルハウンドを魔術師の死体のところに誘導した。やはり、捜し物は魔術師だったようで、死んでいるとわかるとヘルハウンドは空に上っていった。

 ヘルハウンドを誘導するとき、オレは『これは犬だ、犬だ。ちょっと大きいだけの犬だ』と自分に暗示をかけた。ヘルハウンドの毛並みを優しくなぜたりして、落ち着いた声で話しかけたりして、興奮状態から戻した。

 通常の犬なら屈み込んでする作業だが、巨大犬だから犬の顔や背中に乗っての作業だ。

 もちろん、逃げたかったが、スキンヘッドの女の子と十数人の戦闘魔術師が上空からオレとムーを狙っていたので諦めた。

 ヘルハウンドが空に上った後は、オレとムーはすぐにテートに泣きながらしがみついて、桃海亭に送って貰った。

 格好が悪かろうが、みっともなかろうが、生き残れば勝ちだ。

「おかえりなさい、店長」

 シュデルが冷たい飲み物を、オレとムーの側に置いてくれた。手をのばして寝ながら飲む。

 冷たいもので回復したところで、気になっていたことをシュデルに聞いた。

「そういえば、ディックの奴はどうなった?」

 いきなり出発したので、店に残したままだ。

「とても怒って帰られました」

「なんでだ?」

 怒らせるようなことはなかった気がする。

「店長がテートさんと共に行かれた後、『あの男性は誰か?』と聞かれたので『魔法協会本部の戦闘部隊の副官代理のテートさんです』と教え差し上げたら『なんで、ウィルを連れていったのだ』と聞かれましたので『魔法協会本部の戦闘部隊は、店長の能力を高く評価しています。ロウントゥリー隊長は店長を特別に入隊させようとしたくらいです』と答えたら、怒って帰られました」

「シューデールーーー」

「はい?」

「その話し方だとオレが戦闘部隊の隊長から評価が高いと聞こえるだろうが!!」

「その通りだと思いますが」

「どうやったら、そう見えるんだ!」

「店長を戦闘部隊に入れて、高給を払ってくれると言っていました」

 シュデルが夢見るような顔をした。

 オレを戦闘部隊で働かせ、シュデルが高給を受け取って、商品を全部非売品にして、魔法道具達とエンジョイライフをすることを、まだ、諦めていないらしい。

 ディックには今度会ったときにでも誤解を解くしかないようだ。

 オレは重い身体を起こして立ち上がった。





「ディック・ハーヴィーがオッカ洞窟で遭難したわ」

 ララが言った。

 最近は桃海亭に来るときはワンピースが多いが、今日は黒い革の上下を着て、黒いウエストポーチをつけている。

「いつだ、いつ遭難したんだ」

 10日前には桃海亭で笑っていた。

「昨日掲示がされたそうよ。だから、今日で4日目よ」

「掲示されたってことは、オッカ洞窟というのは、有料洞窟か?」

「そう。西ファレンの山岳地帯にある有料洞窟」

 有料洞窟。金を払って入るモンスター狩り専用の洞窟だ。

 洞窟内には灯りがともり、道や階段も整備されている。枝道から通路に出てくるモンスターを狩る。出てくるのはほとんどが弱いモンスターなので冒険初心者の訓練に使われる。稀に強いモンスターが出ることがあるので、必ず中級以上の冒険者が数人一緒に入るのが普通だ。

「ディックが所属している冒険ギルドは、いつ救出部隊を入れたんだ」

「入れてないわ」

「嘘だろ」

 冒険者が遭難した場合、その冒険者が所属しているギルドは必ず救出部隊を入れる。自分たちの手に負えないような場合は、魔法協会に依頼して救出して貰う。

 大陸共通のルールだ。

「その分だとディックから話を聞いていないのね」

「何の話だ?」

「ディック達が学校を出て入った冒険者ギルドは弱小でね。冒険というより町の周りに出現したモンスターを追い払う便利屋みたいな仕事が多かったみたい。ギルドとしての評判は良かったのだけれど、伝説のモンスターを倒すような冒険を夢見ていたディック達には不満だったみたいよ」

 ララはカウンターに目を落とした。

「それでギルドを変えたのよ。すごい冒険をさせてやるという口車にのって移ったのが、いま所属しているラウンドギルド。ここがひどいギルドで犯罪スレスレのことばかり。辞めようとしたら、脱退するならひとり当たり金貨100枚いると言われて、オッカ洞窟に潜ったってわけ」

「オッカ洞窟に金貨になりそうなものがあるのか?」

「伝説で昔の海賊が財宝を隠したって噂があるけど、もし、あったなら、とっくに見つかっていると思うのよね。毎日何十人もの人間がオッカ洞窟に潜っているのよ」

「ラウンドギルドは救出部隊を出すことも、魔法協会に救援部隊を頼むこともしないんだな?」

「しないわ。しなくて当然のギルドだから、誰もとがめもしないわ」

「ララの話でわからないことがある」

「なに?」

「さっきから『ディック達』と言っているよな。なぜ、複数形なんだ?」

「ディック達のメンバーは5人、全員エンドリア王立兵士養成学校の同期生。あたしの友人が入っているの」

「オレのところに来た理由は」

「これから助けに潜るんだけど、ウィルが行きたいなら、連れて行ってあげるわよ」

「素直に手伝ってと言えないのか?」

「ウィルは友達を見捨てたりしないわよね?」

 オレは食堂に行った。

 シュデルがララのコップに、紅茶を注いでいた。

「話はわかったか?」

「はい」

「ちょっと、行ってくる」

「少しだけ店で待ってください」

 そう言う、オレに紅茶の入ったコップを渡した。

 店に戻ってララに渡した。ためらいなく飲む。

「シュデルの入れたお茶は香りが違うわ」

 満面の笑みを浮かべている。

「店長、これを」

 右手で差し出したのは、オレの愛用の背嚢。

 そして。

「これもお願いします」

 決死の思いで取ってきたであろうものが左手にぶらさがっていた。

「これはいらないのだけれど………」

「置いていったらダメか?」

 シュデルが涙目でフルフルと首を横に振った。

「シュデルがそこまでイヤならしかたないわ」

 ララが折れた。

「わかった」

 オレが受け取った。

「ほよしゅ?」

 半分寝ているムーが、オレとララを見上げた。




「偽名は決めてあるわよね?」

 オッカ洞窟の入り口が見えてきた時、ララが小声で聞いてきた。

 アレン皇太子に頼んで大型飛竜でファレンに降ろしてもらい、そこから乗り合い馬車。ファレンでは顔がばれていないからオレもムーも普通に乗せて貰った。

 移動に約1日。ディック達が所在不明になってから5日が経つ。

「別に本名でいいだろ」

「なに考えているのよ。桃海亭の極悪コンビを入れてくれる洞窟なんてないわよ」

「大丈夫だ」

「大丈夫しゅ」

 ララは不思議そうな顔をしたが何も言わなかった。

 洞窟の入り口の横には、入場料を徴収する料金所。窓口の横には、行方不明者の名前がずらりと書かれている。最後の方にディック・ハーヴィーの名前もあった。

「ひとり、銀貨2枚ね」

 ふっくらとした壮年の女性が窓口に座っていた。

「金はない」

「ないしゅ」

「わかっているわよ」

 ララが銀貨6枚を出してくれた。

「ここに名前と所属を書いて。銀貨2枚は日帰り料金だから、勝手に泊まったら追加料金をもらうよ」

 出された紙に順番に名前を書いた。オレとムーは本名。ララは【リズ・レイヤード】という偽名。所属は3人とも桃海亭。

 記入した紙を受付に返すと、受付の女性が顔をあげてオレ達を見た。そして、指で真上をさした。

「そこの注意書きを読んだ?」

 窓口のすぐ上に紙が貼られていた。

「なによ、これ」

 ララがあきれた声を出した。

【注意:所属を桃海亭にした場合、遭難しても桃海亭に救助の要請はしません】

「読みました。大丈夫です」

「大丈夫しゅ」

「あんたたちねぇ、桃海亭の極悪コンビの真似なんてしていないで、真っ当な生活をしないとダメだろ」

「すみません」

「ごめんしゅ」

「さっさと戻ってくるんだよ。モンスターなんて楽しいものじゃないんだから」

「はい、すぐ戻る予定です」

「ちょっと、見るだけしゅ」

 オレとムーが受付を抜けると、ララが慌ててついてきた。

「あれ、何?」

「色々あったんだよ」

 扉を開けて洞窟内に入る。発光球があちこちにつけられていて、外よりも明るい。壁も通路も平らになっており、窓のない建物にはいった感じだ。

「行くぞ」

「その前に、あの張り紙の説明をしなさいよ」

「あれか。あれは前にオレ達の偽物が他の有料洞窟で遭難した時、オレ達に救出要請が来たんだ。そのせいだと思う」

 ムーがララの足を突っついた。

「早く行くしゅ」

「それで要請に応じたの?」

「救出要請が10件あって、8カ所の洞窟が営業停止になった」

「残り2カ所は?」

「別に入り口が出来た」

 ララの目をつぶって、額を指で押さえた。

「心配しなくても大丈夫だ。有料洞窟法で意図的に壊したのでなければ賠償しなくてもいいんだ」

「ボクしゃん達、人助けしたしゅ」

「オレ達が心優しいというのがわかるエピソードだろ?」

 ララが目を開けた。ウエストポートから小さな丸い玉を出した。ねじって開いて中を確認する元に戻して床に転がした。

 数秒後、玉が転がり始めた。

「魔法道具の追尾玉か?」

 玉の中に追跡したい人物や動物の毛を入れると、痕跡をたどって転がっていく。痕跡は1週間ぐらい前しかたどれないし、失敗することも多いが価格が安いので遭難初期によく使われる。

 転がっていく玉をララが追いかけていく。オレは手に下げてた背嚢をムーに放り投げた。

「ほいしょ」

 背嚢をムーが肩にかけると、オレはムーを背負いララを追った。

 ララが走りながらつぶやいたのが聞こえた。

「ここでウィルとムーを殺したら、遭難で処理されるかしら」

「待て!オレは善意で来ているんだ」

「冷静に考えたら【不幸を呼ぶ男】よね。なぜ、声をかけたのかしら」

「ララ、落ち着け。まずは救出だ」

「そうよね、シビルを助けてから、でも、その前に洞窟を壊されても」

「あれは不幸な事故だ。救助して帰るときに枝道から珍しいモンスターがでてきただけなんだ」

「珍しいモンスターって、何?」

「まあ、色々」

「色々の中身」

「たとえば………」

「たとえば?」

「色とか……」

 ララが何か言いかけたが、前方に冒険者パーティが現れたことから口をつぐんだ。パーティは休憩中らしく円陣を組んで座っている。若者4人に中年が2人。楽しそうに歓談している。オレとララはパーティに会釈をして隣を駆け抜けた。パーティのすぐ先から坂道になった。舗装されており、走るスピードが落ちることはない。

「それで………」

 ララが前方を見て話すことを止めた。

 枝道があり、その前に5人組の冒険者パーティがいる。モンスターが出てくるのを待っているらしい。5人の足下にはスライムが溶けた痕がある。

 会釈して走りすぎる。

 その先も頻繁に枝道が現れ、そこに初心者の冒険者パーティがいる。

 明るくて人が多くて空調も万全。洞窟にいる気がしない。

「人が多いわね」

「ララは有料洞窟に入るのは初めてか?」

「入ったことがあると思う?」

 エンドリア王立兵士養成学校は課外授業がほとんどなかった。校内で授業を受け、訓練をした。卒業してから、ララはすぐに暗殺組織に入った。

「洞窟で待ち受けて殺す、とかなかったのか?」

「有料洞窟に入るターゲットはいなかったわ」

 奥に進むにつれて人が多くなってきた。

 広い枝道の前には十人以上の冒険者が、モンスターが出てくるのを待っている。待っている冒険者のほとんどが初心者だ。

「枝道は危険なの?」

「危険度は洞窟によって違うから断言できないが、この通路のように舗装はされていないはずだ」

 枝道は整備されないのが普通だ。整備しすぎるとモンスターが他の場所に移動してしまうらしい。

 さらに進むと発光球の数が減った。パーティもいなくなった。

「枝道に入らないな」

 追尾玉は坂道の真ん中を転がっていく。

 カーブを曲がると遠くにパーティが見えた。

 何かを取り囲んで剣を振るっている。

「ブラウンワームよね」

 ララが小声で言った。

 洞窟にいる1メートルほどの茶色いワームだ。モンスターだが人間には害を及ぼさない。洞窟内の毒虫などを食べてくれる有益なモンスターなので殺さないのがルールだ。

 パーティの構成は6人、熟練者らしき壮年の男性が2人、剣を振るっているのは初心者らしい4人だ。

 オレとララは走って横をすり抜けようとした。

「危ないだろ!」

 横に振られた剣。

 避けなければ、オレの腹がパックリ開いていた。

 壮年の男のひとりが、剣を構えた。

「ウィル・バーカーだな」

「違います。別人です。これからは相手を見てから剣を振るってください」

 再び走り出そうとしたオレの前に、もうひとりの壮年の男が立ちはだかった。

「忘れたとはいわせないぞ」

 ララが走り出した。男たちはララを無視。ララはオレを置いていくつもりかと思ったが、すぐに戻ってきた。追尾玉を回収してきたらしい。

「放っておけば」

「そうだよな」

 ララと一緒に前にいる男の横をゆっくりと抜けようとしたが、オレに剣を振るった男が前に回り込んできた。

 前と横から挟まれる形だ。

「人違いだ」

「そのボサッとした特徴のない顔、覚えにくいが、忘れまいとオレは脳に刻み込んだんだ」

 血走った目でオレを睨みつけている。

 ララが横目でオレを見た。

「だから、人違いだって。知らない人だって」

 ララが拳を握って、オレの背中に振り下ろした。

「痛いしゅ!」

 ムーの声がした。

 顔を上げたのに、肩にやけに湿っている。

「あっーー、重いと思ったら寝ていたな」

「しもうたしゅ」

 オレの肩に垂らしたヨダレをゴシゴシとこすっている。

「この人達に見覚えは?」

 ララが冷たい声で聞いた。

「覚えているしゅ、ロンデンシュの財宝泥棒しゅ」

「ロンデンシュ……あ、そういえば見た気がする。こいつかわからないけれど、変なおっさんが2人、ロンデンシュの城跡にいたんだ。財宝を探していたのか」

「それでウィルはこの人達に何をしたの?」

「何もしていない」

「してないしゅ」

 ララが壮年の男達を見た。

 男達は何も言わずに剣を振り上げた。

「殺すわよ」

 男達が停止した。

 オレでもわかる。対人戦闘力はララの方がかなり上だ。剣がオレ達に触れる前に2人ともあの世に旅立つことになる。

「邪魔よ」

「あんたは関係ないだろ。オレ達が殺したいのはウィルだけだ」

「ウィルだけ?ムーは関係ないの?」

「こいつのせいで、オレ達は……」

「見ろ!」

 前にいる男が袖をまくり上げた。前腕から上腕にかけて、大きな傷痕がある。

 ララが目を細めてオレを見た。

「違うしゅ。ウィルしゃんは転んだだけしゅ」

 オレは力強くうなずいた。

「オレが転んだところに、グランドワームの頭が出ただけだ」

 グランドワーム。胴回り約3メートル、長さ20メートル前後の巨大ミミズだ。肉食で人も動物も丸ごと飲み込む。通常は地中で生活しており、たまに捕食のため地上に現れる。

 転んだオレの膝が、地上に出てきたグランドワームの頭に直撃した。ワームが追いかけてきたので、ムーを小脇に抱えて必死に逃げた。

 そのせいで、壊れていた城が粉々になったり、丘がなくなったり、森に新しい道が出来たりしたが、ムーがファイアを一発打っただけですぐに地中に戻っていった。森が少し焼けたが、近くに人家もなかったので、脳内からすっぱりと消えていた。

「グランドワームが追いかけてきたから、オレは逃げただけだ。そこのおっさんたちには何もしていない」

 ララが額を押さえた。

「なんでウィルを連れて来たのかしら」

 腕の傷を見せた壮年の男性が、ララに言った。

「こいつのせいで、オレ達は財宝ハンターの道具一式を全部失ったんだ。大怪我で動けず収入はゼロ。治療費がかさみ、今は酒場の皿洗いと弱小ギルドで教育係をして借金を返しながら暮らしているんだ」

「大変ですね」

「大変しゅ」

「お前のせいだろ!何を他人事のように言っている!」

 男が怒鳴った。

 その男の肩を、ムーがオレの背中から手を伸ばしてポンポンとたたいた。

「運がいいしゅ」

「運がいいだと。ふざけるたことを言うな!」

「この間、ウィルしゃんを襲った男なんて……」

「ムー、言う必要はないだろ」

「ウィルしゃんが剣を避けたせいで、剣で地面をたたいて、剣から手が離れて、倒れた剣にあたって…………」

 ムーが悲しそうに言った。

「………女の子になっちゃったしゅ」

 男達が自分の股間を見た。

「なっていないからな!コンティ医師がくっつけたからな!」

「わかったわ。ウィルはここに置いていくから、3人でゆっくり話を付けて」

「行かないでくれ」

 男の一人がララを引き留めた。

「あたしがいても不幸はおこるの。前にも………」

「大変だしゅ」

 ムーがララの言葉を遮った。

「どうした?」

「ブラウンワームが死んでるしゅ」

「そいつらが殺したみたいだ」

「ブラウンワームはギガアントの好物しゅ。臭いをかぎつけたギガアントがブラウンワームの死体を回収にくるしゅ」

「ギガアントがいるのはもっと深い場所だろ?」

「ファレンの地下には硬い岩盤があるからギガアントは浅い位置に巣を作るしゅ。西ファレンにはギガアントのメガコロニーがあったはずしゅ」

 ギガアント。体長2メートルほどの巨大蟻だ。生態は普通の蟻とほぼ同じ。暗闇で獲物を探すために嗅覚が発達している。体表面を覆う皮膚が非常に硬いので剣では切れないが、魔法ならば簡単に倒せる。

「ギガアントなら魔法で簡単に…………攻撃魔法、使えるよな?」

 男達が2人とも首を横に振った。4人の初心者を見た。首を横に振った。オレもララも使えない。ムーは使えるが、魔力が強すぎて洞窟が破壊する可能性がある。

「もしかして、誰も使えないのか?」

 全員が首を縦に振った。

「逃げろ!」

 オレとララは坂を下に向かって、男達と初心者達は坂の上に向かって、走り出した。

「見失わないでよ」

 回収した追尾玉をララが走りながら地面に投げた。坂道を下に向かって転がっていく。

 坂道の上から悲鳴が届いた。

 警報音が洞窟内に響きわたる。

「3流財宝ハンターを教育係に無理だと思うんだけど」

 ララが呆れたように言った。

 ギガアントは食料を探すとき、通路を上に向かって移動する。だから、ギガアントから逃げるときは下方向に逃げなければならない。

「どうする?」

 ララが聞いてきた。

「有料洞窟は通路に出たモンスターが客の冒険者の手に余ると判断した場合、待機している熟練の冒険者が始末する。2、3分で到着するから、ギガアントなら大丈夫だろう」

 ギガアントの働き蟻は洞窟内に生息する生物やモンスターの死体を回収するのが主な仕事だ。他の生物を襲うこともあるがブラウンワームの死体があるから、死体の回収を優先するはずだ。

「時間を食った。急ごう」

 オレとララは走る速度をあげた。




「入ったな」

「入ったわね」

 整備された通路が最終地点に着く前に、右側にある枝道に追尾玉が入った。

「地図とかないの?」

「枝道はサポート対象外だ。入るのは自己責任だ」

 走りながら、右に曲がる。ララが追尾型の発光球を放った。土壁の洞窟だ。地下水が壁に常に流れていて、壁も地面も湿っている。

 下り坂なので慎重に走らないと滑りそうだ。

「洞窟は嫌いよ」

 前を走っているララがつぶやいた。

「オレもだ」

「土壁は特に嫌いよ」

「オレもだ」

「ウィルが洞窟に最後に入ったのはいつ?」」

「昨日」

 飛んできた蹴りを、ジャンプして避けた。

「状況を考えて、蹴れよ!滑ったら危険だろ!」

「嘘を言うからよ!」

「嘘なんて言うかよ!」

「昨日の午前中、あたしが店に行ったときはいたじゃない!」

「昨日の明け方に、店に戻ったんだよ!オレもムーも夜通し…………を探して洞窟をはいずっていたんだよ」

「何を探していたのか抜けているわよ」

「企業秘密」

「どうせ、ろくなものじゃないんでしょ」

「そうだよ。オレ達が探す物なんて、ろくなものじゃないに決まっているだろ!」

「大変だったしゅ……」

 ムーがシミジミと言った。

「ああ、大変だった」

「帰ってからお部屋で、ぐっすり寝ていたしゅ。そしたら、ゾンビが………」

「ゾンビ?」

「最近は面倒くさいから【ゾンビ使い】の【使い】を略している」

「シュデルと言いなさいよ!」

 ララの右手がムーの背中を叩いた。

 衝撃で身体が傾いだ。

「やめろよ!背負っているオレが危ないだろう!」

「なんで背負っているのよ!まだ、飛べないの!」

「飛べるさ!ソニックブームが発生するけどな!」

 走っているオレ達の前方が開けた。

 追尾玉が停止した。

「ここまでか」

「しかたないわ」

 ララが追尾玉を回収した。

 広場のように開けている場所で、数センチだが水が溜まっている。

「これだと、どこに向かったかわからないな」

 広場には細い道が何本も繋がっている。

「1本ずつ潰すとなると時間がかかりそうね」

「道の入り口に追尾玉を置いてみるか」

「反応してくれればいいのだけれど」

 枝分かれしている細い道の数は20本を越える。置くとなるとかなりの時間ロスになる。

 ララがフッと息を吐いた。

「ウィルを信じるわ」

「はぁ?」

「この中から一本を選んで。そこに入るわ」

「オレの勘に頼るっていうことか?」

 ララが首を振った。

「あたしが信じるのは、ウィルの【不幸を呼ぶ力】よ」

「お前なあ」

「この間、シビルと会ったわ。そりゃ、一流の冒険者とは言えないかもしれないけれど、一人前の冒険者だった。仲間と力をあわせて、色んなことをくぐり抜けてきた成長してきたんだと思う」

「つまり、何もなければ普通に帰って来られたはずだ。予想外の出来事に遭遇したから遭難した。予想外の出来事に遭遇するためには、オレに選ばせればいい、と考えたんだな?」

「正解」

「ちょっと、待っていろ」

 オレはムーを背中から降ろした。2人で20本以上がある細道の入り口を走りながら簡単にチェックした。

「よし、あれだな」

「あれしゅ」

「どれよ?」

 オレとムーが指をさした。

 同じ細道。

「よし行くぞ」

 ムーが屈んだオレの背中に飛び乗った。

「ちょっと待って」

「オレの勘を信じないのか?」

「ムーがこの道を選んだ理由を教えてくれない?」

「なんとなくしゅ」

「わかったわ」

 納得していなようだったが、時間のロスを考えたのだろう。ララが先頭にたって走り始めた。

 オレどうやって選んだのか、ララにはわかったはずだ。

 よく使われている手法だ。チェックしたのは【降りた跡】と【降りなかった跡】。【降りた跡】は見つからなかった。【降りなかった跡】、たとえば横道に入ってすぐの場所に低い天井があるとする。そこに手や頭が触れた跡や荷物がこすれた跡がなければ、そこは外した。残った細道は8本。最後は勘だ。

 ムーにも選ぶポイントはあるのだろうが、細道は20本以上あるのだ。最後は『なんとなく』だろう。

 上等な発光球を使っているせいで、細い道の隅々まで明かりが届く。

「なぜ、ディック達はこんなところに潜ったんだ。本気で財宝の話を信じていたのか?」

「お金を必要としていたのは間違いないのだけれど……」

「キノコしゅ!」

「キノコ!」

 ムーの叫びにオレは立ち止まった。すぐに我に返る。

「ムー、もう大丈夫だ」

「そうだったしゅ、キノコは必要ないしゅ」

 まだ、胸がドキドキする。

「昨日の深夜から未明に探していたのは、キノコだったのね」

 立ち止まったララが振り返っていった。

「そうだよ!キノコだよ!」

「大変だったしゅ…」

 ララが走り出した。すぐに追う。

「古魔法道具店でキノコを使うの?」

「企業秘密」

「ようするに、副業の方なのね」

「オレは副業を持った覚えはない」

 押しつけられたり、断れなかったりした依頼を引き受けることはあるが、ほとんど金にはならない。断れる方法があったら断りたいものばかりだ。

「魔法協会から押しつけられた?」

「違う」

 ララが首を傾げた。

 オレが本当のことを言っているのがわかったのだろう。

「ポチしゅ」

「ポチ……ゴールデンドラゴンのポチに頼まれたの?」

「違う。そのお供のゴールデンドラゴンだ。これ以上は聞くな」

「わかったわ」

 ララがうなずいた。

 オレ達が探したキノコに特別な薬効があるわけではなかった。ただ、収穫して数日間だけ独特の香りを放つ。ゴールデンドラゴンにとって高貴に香りなため、数十年に一度行われる特殊な祭事に使用されていた。非常に珍しいキノコなので専用の栽培場所があるのだが、今年はうまく育たずキノコの収穫ができなかったのだ。

 ポカジョリットにある地下洞窟に稀に生えるということで探すのを協力してほしいと頼まれたのだ。そのキノコは光に弱く、光苔をいれた球を片手に這いずるようにして探すしかない。ところがゴールデンドラゴンは本来の姿では大きすぎて洞窟に入ることが出来ず、人型に変身すると鳥目になるらしい。

 ゴールデンドラゴンと付き合いのある人間、賢者カウフマンとオレとムーがポカジョリットの地下洞窟を光苔の球を手に、20時間以上這いずり回って探したのだ。タイムリミットぎりぎりの昨夜の未明、ムーが見つけた時、オレも賢者カウフマンも何か叫んだのだが言葉になっていなかった。それくらい辛かった。

 細道を淡々と走った。5分ほど走ったところで、ララが静かな口調でオレに話しかけた。

「ウィルは、財宝以外に洞窟でお金になる物を思いつく?」

「まあ、色々と」

「たとえば?」

「そうだなあ、希少な鉱石、珍しい植物、高額な材料がとれるモンスター」

「ここにあると思う?」

「聞く相手を間違っている」

「そうだったわ。ムー、西ファレンの地下に…………起こしていい?」

「また、寝ているのかよ。疲れているんだろ、寝かせておいてやれよ」

「いつも寝ている気がするけど」

「ムーしかキノコを見分けられなかったんだよ。本当に死にものぐるいだった。オレの数倍は働いている」

 ララがクスッと笑った。

「寝ている姿だけ見ると、このチビがムー・ペトリだとは思えないわね」

「ララ、忘れているだろ」

「何を?」

「ムーが寝ているときだけ、オレ達の命が保証されているってことを、だ」

 ララの眉間に縦皺が寄った。

「起きる前にシビル達を見つけたいわ」

 そう呟くとララは走る速度を速めた。




「時々思うんだけど」

 ララがオレを見た。

「何だよ」

「ウィルの【不幸を呼ぶ力】は本物なんじゃないかって」

「何が言いたいんだよ!」

 ララが地面を指した。

 散乱している食料、アイテム、衣類など。

 キャンプしていた冒険者達が何かに襲われた痕跡だ。

「4、5日しか経っていないね。シビル達の可能性が高いわ」

「見りゃわかる」

「20本の細道から、正解を一発で引き当てるところがウィルよね」

 オレは屈んで残された物を調べた。落ちていた物を拾ってムーに投げた。

「ララ、シビルは攻撃魔法が使えたか?」

「学生時代は使えなかった」

「他の4人のメンバーで使える奴はいるか?」

「知らない」

 オレは立ち上がった。

「ムー、間違いないか?」

「ないしゅ」

「困ったな」

「困ったしゅ」

 ムーがオレの渡した金属のスプーンをいじっている。

「何が困ったのよ」

「説明しないとダメか」

「しなさいよ!」

 オレはムーが持っていたスプーンを取り上げて、ララに放った。

「見ろよ、変色している。嗅げばわかるが、おそらく蟻酸だ」

「ギガアント?」

 オレはうなずいた。

「ギガアントは逃げればいいだけだ。初心者じゃないんだ。逃げるだけなら楽勝だろう。ここまでは一本道。登り坂だから、どこかで身を潜めていなくなってから戻ればいい。だが、5日経った今も戻っていない」

 ギガアントが坂道を登っていたら、降りてくるのを待つか、様子をうかがいながら登ればいい。

「ディック達はどこに行ったんだ」

「坂を下るしかないと思うのだけれど」

「ギガアントはどこから来た?」

「坂の下から………ダメだわ、坂を下るわけにはいかない。逃げそびれてギガアントに捕まったというのは考えられない?」

「戦ったあとがない」

 血も体液も一滴も落ちていない。地面にあるわずかに乱れも戦った跡には見えない。

「まあ、悩んでもやることは同じだよな」

「同じしゅ」

「行くか」

「行くしゅ」

 オレとムーが並んで坂を下り始めた。

「待ってよ。そっちにはギガアントがいるかもしれないのよ」

「それで?」

「他にあるしゅか?」

 ララが追いかけてきて、オレ達の後ろについて歩き始めた。

「ギガアントが出たら、どうするつもりよ」

「逃げる」

「逃げるしゅ」

 その後、オレとムーは声を揃えていった。

「下に」

「下の方しゅ」

「巣があったら、どうするのよ」

「巣はない」

「ギガアントの巣の近くは蟻さんがウシャウシャいるからわかるしゅ」

 ララが疲れた声で言った。

「冒険者より冒険している古魔法道具店の店主ってあり得ない」

「オレも冒険より店番の方がいい」

「冒険より研究したいしゅ」

「研究か。そうだ、ムー。西ファレンの地下には希少鉱石はあるか?」

「ないしゅ」

「珍しい動植物はいないか?」

「いないしゅ」

「金になりそうなものは?」

「ちょっと待つしゅ」

 ムーは深く考えると歩くのが疎かになるので、屈んで背負った。

 オレの背中でブツブツ言っている。

「ウィルしゃん、ひとつだけお金になるかもしゅ」

「どんなものだ?」

「財宝伝説しゅ」

 足を滑らせそうになって、踏みとどまった。

「最初に戻ったわね」

 ララが皮肉な笑みを浮かべた。

「ムー、財宝はあると思うか?」

「わからないしゅ。でも、隠したとは思うしゅ」

「根拠は?」

「隠したと言われている海賊スチームは実在の人物しゅ。約300年前に魔法協会の戦闘部隊に追われて、手下とこの洞窟に逃げ込んだしゅ。戦闘部隊が見つけたのはスチームさんと仲間の死体だけしゅ」

「財宝は実在していたの?」

 ララが食いついた。

「魔法協会の本部のある記録にはそう書かれていたしゅ」

 ララが物言いたげな目でオレを見た。

「魔法協会本部に好きで行ってるんじゃないぞ!オレがムーとシュデルの始末書を書いている間、ムーが勝手に歩き回っているだけだ!」

「その時、本部の記録を勝手に読んでいるわけね」

「ムー、死体しかなかったと言ったよな?」

「はいしゅ」

「仲間割れか?」

「毒ガスみたいしゅ」

「毒ガス?」

「記録には【硫化水素ガスが噴出する場所があり、追跡していた戦闘魔術師達は魔法による空気清浄を行った。一時的に空気を清浄にしてスチーム船長の追跡を再開したが見つけた時には死んでいた。ガスが噴出して危険だから、死体をそのままにして財宝の捜索はしなかった】と書いてあったしゅ」

「毒ガスが噴出しているの!」

 ララが大声を出した。

「そう書いてあったしゅ」

「一応、気をつけるか」

「なんで、そんなにのんびりしているのよ!」

「本部の記録だからな」

「そうしゅ、本部の記録はピポピポしゅ」

「そのまま書くと都合が悪い場合は手を加えるんだよ」

「歴史の改竄は勝者の権利しゅ」

 ムーを背負いながら坂を下った。

 記録通りにガスが蔓延しているならばディック達は手遅れかもしれない。

 だが。

「ギガアントが歩き回っているってことは、ガスの話は嘘かもな」

「あ、そうよね」

「ボクしゃん思うしゅ。財宝は戦闘魔術師が横取りしたしゅ」

「海賊を皆殺しにして、密かに隠しておく」

「あとで、こっそり、少しずつ持ち出すしゅ」

 オレとムーが同時に言った。

「あり得ないな」

「無理しゅ」

 ララが怒鳴った。

「自分たちだけで納得しないでよ」

「いちいち説明するのは面倒なんだよ」

「そうしゅ」

 ララがオレを抜いて走り出した。後を追う。

「戦闘魔術師のシステムの関係だ。海賊を追ったチームが共謀して殺害することは可能だ。だが、財宝を持ち出すのは不可能なんだ。詳しくは説明できないが、全隊員の行動は休暇を含めてわかるようになっている」

「隊長を含めて戦闘魔術師全員で横取りすればいいだけでしょ」

「理屈はそうだが、戦闘魔術師はプライドが高いからな。1、2人こっそりやる奴はいるかもしれないが、全員でやることはないだろうな」

 戦闘魔術師。

 現隊長のロウントゥリーはオレと会う度に殺そうと………。

 立ち止まった。

「ムー」

「ほいしゅ」

 オレの背中から飛び降りた。

 ムーに預けていた背嚢を肩に掛けた。

 そこに走っていたララが戻ってきた。

「いきなり、どうしたのよ」

「まずった。こいつは仕掛けだ」

「何を言っているのよ」

「シビルと最近会ったんだよな。その前はいつ会った」

「卒業の時」

「オレもディックに会ったのは卒業の時以来だ」

「それがどうかしたの?」

「ララ、どっちにつくか決めろ」

 ララの目つきが鋭くなった。

「シビル達が遭難を偽装したと考えているの?」

「いいか、卒業以来会っていなかった奴がいきなり訪ねてきた。オレを殺したがっているララに遭難の連絡が行った。ララの情報はシビルからだけだ。問題があるギルド、金が必要、隠し財宝の噂のある洞窟で行方不明。ララはシビルを心配して、オレ達を連れて洞窟に入る」

「シビルはそんな子じゃない!」

「オレはともかく、ムー・ペトリをしとめたら、ルブクス大陸中に名前が響きわたるだろう」

「変なことを言わないでよ!ウィルの被害妄想よ!」

「ギガアントの襲われた場所を思い出せよ。食料が散乱していた。食料がないんだ。次の行動は洞窟を出るしか選択肢がない。だが、ディック達は洞窟内に残ることを選んだ。つまり、洞窟に入る時に大量の食料を持っていたんだ」

「数日かけて洞窟を調べるつもりだったかもしれないでしょ!」

「その場合は有料洞窟の受付に洞窟内に泊まる期間を申し出なければならない。帰還予定日プラス3日で遭難の連絡になる」

 ララが唇を噛んだ。

「オレ達は帰る。ララは好きにしろ」

「そいつは困る」

 坂道の下、かなり離れた場所にディックが姿を現した。

 狭い洞窟は音が反響する。離れた場所からオレ達の様子をうかがっていたのだろう。

 足早に坂を登ってくる。その後ろには4つの影が続いている。

「桃海亭をしとめれば、金貨200枚が手に入る」

「金のためには友達も殺すってか。変わったな、ディック」

「変わったのはオレじゃない。お前だ」

「オレが?」

「窓際の席で気持ちよさそうに寝ている劣等生。それがオレの知っているウィル・バーカーだ」

「今だって寝ていたいさ。でも、寝ていたら飯が食えないんだよ。しかたないから魔法道具を磨いて、笑顔で店番をしているんだよ」

「オレは冒険者になった」

 ディックが剣を抜いた。

「モンスターと戦って、人々を守ってきた。だが、オレを知るものはいない。この先、どれだけ人々の為に戦おうと無名のままだ」

 ゆっくりと近づいてくる。

「うーん」

「どしたしゅ?」

「最近、よく似た台詞を聞いた気がするんだ」

「あれしゅ、キーランしゅ」

「そうだ。お前の従兄弟のキーランだ」

「そうしゅ」

「天才の従兄弟に劣等感を持っていたんだ」

 ディックの唇がゆがんだ。

「ウィル・バーカーは天才じゃない」

「そうか?全教科赤点ギリギリで通過できるのは、すごい才能だと思わないか?」

「その減らず口、二度とたたけないようにしてやる」

 オレはムーを小脇に抱えた。

「逃げられると思っているのか?」

 薄笑いを浮かべたディックの腹に強烈な蹴りが入った。剣を持ったまま、腹を押さえてうずくまった。

「ウィル、この始末はあたしがつける。巻き込んで悪かったわ」

「ララ!ウィル達を殺したかったんじゃないの!」

 ディックの後ろにいた褐色の肌の若い女性が大声で言った。

「殺したいわ。でも、ウィルを殺すのに他の人間の手はいらない。自分の獲物は自分で狩る。それがあたしの流儀」

「友達なんだから、手伝ってくれてもいいでしょ!」

 ララのパンチが褐色の女性の頬にめりこんだ。女性は宙を飛んで壁にたたきつけられた。

「誰が友達ですって」

 他の3人がララに向かって剣を構えた。

 ララが目でオレに合図をした。

 ムーを抱え洞窟を戻ろうとしたオレは、肌がチリチリするような感じがした。耳がかすかな音をとらえる。

「ララ、オレを恨むなよ」

「恨まないわ」

 ララが言った。

 オレが逃げても恨まない、そういう意味だとわかっていたが、オレは念を押した。

「絶対に恨むなよ」

「恨まない!」

「じゃ、元気でな」

 オレはムーを抱えて走り出した。坂を下る方向、ララとディック達5人の横をすり抜けて必死に走った。

「ウィル、ちょっと…」

 驚いたような声を出したララだったが、すぐにオレを追いかけてきた。

 付き合いが長いからわかったのだろう。

「おい、待て!」

 ディック達が追いかけてくる音がするが、その音の後ろに猛スピードで近づいてくる音がある。

「何がきたの!」

「ギガアントだろ」

 獲物を巣に持ち帰るらしいギガアントが数匹、原形不明のモンスターの死骸を引きずって猛スピードで坂を下りてくる。

「わぁあーーー!」

「きゃぁーー!」

 状況を理解したらしいディック達のパーティが叫びながら、必死に走ってくる。冒険者の装備をしており、荷物まで背負っている。今のままだとまもなくギガアントに追いつかれるだろう。

「助けてくれーー!」

「ララ!」

 助けを求める声が聞こえたが、オレもララも無視した。

 ギガアントは既に獲物を持っている。ディック達は通行の障害物でしかない。跳ね飛ばされたり、踏まれたりするかもしれないが、死ぬほどの怪我は負わない。運悪く死んだモンスターの身体に巻き込まれても、せいぜえいモンスターの体液にまみれるくらいだ。

「ウィルの【不幸を呼ぶ力】、改善の兆しはないわね」

「こいつは、オレのせいじゃない」

 ムーを抱えながら必死に走る。

 坂の終わりが見えてきた。発光球が丸い出口を照らし出した。

 丸い穴の向こうに開けた場所があるようだ。

「行くぞ」

 飛び出した。

 高い。下の地面まで10メートル以上ある。

「チェリー!」

 ムーの呼び声でポシェットからチェリースライムが飛び出した。地面に落ちると空気を取り込んで2メートルほどの大きさになる。

 ムーを抱えたまま、膨らんだチェリーに落下した。

 風船を踏むような柔らかな感触。

 そのオレの背中に落ちてきたララがしがみついた。

「おもっ!」

「イ、イヤッ!」

「まだ、ダメなのか?」

「イヤッ!」

 ララはチェリースライムのような柔らかい生物が苦手だ。元々苦手だったところに、ムーが召喚した巨大芋虫を間近に見てさらに苦手になった。

「降りて、ウィル、早くチェリーから降りて!」

「ちょっと待てよ」

「降りてよぉー!」

「ガスがあったらまずいだろ」

「ガスなんて」

「火山ガスには匂いがしないのもある。少しだけ待てば、ほら、来たぞ」

 オレ達が出た穴からギガアントが次々に降りてきた。モンスターの死骸を引きずりながら岩壁を伝わって降りてくる。

 穴の下まで降りるとチェリーの横を通って洞窟の奥に去っていった。

「チェリー、ありがとしゅ!」

 ムーの声を合図に、チェリーが縮んだ。元の大きさに戻るとポンと跳ねてムーのポシェットに戻った。

 抱えていたムーを地面に降ろすと、ララも背中から降りた。

 ララが額の汗を手で拭った。

「散々だわ」

「それを言うのは、オレの方だ」

 オレはララにしがみつかれた背中をパンパンとはたいた。

「ウィルは素敵な女の子に抱きつかれて嬉しかったでしょ?」

 ララが長針をオレの頬に押しつけた。

「その服でなければ、よかったかもな」

「この服………?」

 ララが自分の革の上下を見下ろした。

「その服だとララしゃんのおっきな胸が平らになるしゅ」

 ララの指がムーの額を弾いた。

「痛いしゅ!」

 ムーが赤くなった額をさすった。

「いつ見たのよ」

 オレをにらんだ。

「ロラム」

「もしかして、シュデルがウサギになったとき?」

 うなずいた。

 ララが肩をすくめた。

 オレ達に非がないことがわかったようだ。

「戻るか」

 オレ達が出てきた穴を目指して、岩壁を登り始めた。

 角度は垂直に近いが、足掛かりがあるので登るのに楽だ。

 首筋にかすかに風を感じた。

 次の瞬間、強烈な風が吹いた。

 岩壁にしがみついたオレは、顔を下に向けた。

「ムー!」

 崖から身体が離れている。目に力がない。風の衝撃で意識を失っている。

「チェリィーーー!」

 ポシェットから飛び出したチェリーがムーを空気ごと包み込んだ。地面への衝突は避けられたが、風船のように膨らんだチェリーが風に流された。

「ムー!」

 岩を飛び移るようにして崖を降りた。風に流されたチェリーを追った。

 暗い。

 所々に光苔が生えているが、何も見えないに等しい。風下に向かって走る。水に濡れている足下が滑る。

 追尾型の発光球はララに付いている。洞窟とわかっていたのに、灯火を持ってこなかったことを悔やんだ。

 ララの声が響いた。

「ウィル!」

「こっちだ!」

 光が追いついてきた。

 周りが見えるようになり、スピードが上がる。

「いいのか?」

「今回はあたしのミス。巻き込んだ責任はとるわ」

 ララがオレと並んだ。

 洞窟の壁にバウンドしながらチェリーが風下に流れていくのが見えた。

「ムーのヤツ、まだ気がつかないのか」

「気を失っているの?」

「オレよりかなり下にいた。最初の風の直撃を受けたんだろ」

「体力、つけさせなさいよ」

「ムーはチビだが、本気になれば、そこらの大人より頑張れる。今回は運が悪かっただけだ」

「相棒だけに詳しいのね」

「何度も言うが、ムーは相棒じゃない。居候だ」

 チェリーはスライムだが知能がある。

 壁にぶつかっても中にいるムーに衝撃が加わらないように気をつけているはずだ。ムーの身の安全は保証されている。追っていけばいつかはムーを回収できる。

 わかってはいたが、オレは走る速度を限界までにあげた。ララがすぐに追いついてくる。

「ウィル、どうしたの?」

「風が吹き続けている」

「洞窟に風が吹くことはあるわ」

「違う。この風はありえない風だ」

「どういうこと?」

「ムーに聞いてくれ」

「わかった」

 どこが違うのかわからない。

 だた、この風はこの地形では吹かない。吹くはずがない。

「………トラップかもしれない」

「隠された財宝の?」

「可能性はある」

 ララがため息をついた。

「信じられない」

「トラップでもオレのせいじゃないからな」

「ウィルじゃないなら誰のせいよ」

「ララ」

「なぜ、あたしなのよ」

「今回オレ達を巻き込んだのは、ララだよな?」

 ララはオレをにらんだが、何も言わなかった。

 蛇行した洞窟内、2人でチェリー風船を追う。

 追っていたチェリー風船の姿がいきなり消えた。急いでその場所に行くと縦穴がある。直径3メートルほどの縦穴に空気が吸い込まれている。

「下が見えないな」

 高さがわからない。わずかに穴の壁面が曲がっている。落ちた場所が高い場合、壁面で速度を殺せないと地面に激突、即死だ。

「ウィル、どうする?」

「強制はしない」

 オレが飛び込むとララもほぼ同時に飛び込んだ。

 上から見た感じより、穴は緩やかだった。壁面がごつごつしているので、触れている部分は痛いが速度も殺せている。

「ララ、長針を貸してくれ」

 太い針がオレの前に投げられた。反射的につかんだ。

「危ないだろ!」

「渡しただけよ」

 悪びれるもせず堂々と言い放った。

 穴の角度が変わった。徐々に垂直に近づいていく。落ちていくスピードが上がっていく。

「そろそろかな」

「でしょうね」

 穴が見えた。穴から足が出たところで、長針を壁面に打ち込んだ。

 宙づりになった。

 ブラブラした足は17、8メートルの高さにある。

「どうするの?」

 ララもオレと同じに長針を穴の出口の側に打ち込んで、宙づり状態だ。

「飛び降りる高さじゃないよな」

「ちょっと、厳しいかも」

 ララを追尾してきた発光球が照らし出した光景。

 広々とした空間の真ん中に巨大な魔法陣。散乱している死体の山。骨になっているものより人の姿を残しているものが多い。

「ムーの奴、そろそろ気がつけよ」

 魔法陣が中心に空気を吸い込んでいる。吸い込み口でチェリー風船はクルクルと回っている。

「10メートルのロープなら持っているわ。降りる?」

「いや、すぐに降りない方がいい。ガスが充満している可能性がある」

 オレは目で下を指した。

「見ろよ、穴の真下の死体は剣士や戦士の服装が多いが、その周辺にあるのはローブを着ている」

「戦士達は落下で死亡。浮遊魔法が使える魔術師たちは、ガスだといいたいわけ?」

「ガスと断定はできないが、魔術師が死んだ原因があるはずだ」

「このまま宙吊りで、ムーが起きるのを待つ?」

「そうしたいができない事情がある」

「どんな事情?」

「道具屋の腕力をナメるなよ」

「どれくらい持ちそうなの?」

「5分は楽勝だ」

「それが待てない理由ってわけね」

 ララは空いている右手でもう一本長針を壁に打ち込んだ。ウエストポーチからロープを取り出すと、左手で握っている長針と新しく打ち込んだ長針に掛けた。ロープの垂れた部分に腰掛ける。ロープで作ったブランコだ。

「オレも座らせてくれ」

「ウィルの体重で乗れると思うの?」

「ダイエット中だ」

「ダイエットが成功したら言って」

 ララがクルリと位置を変えた。体重の移動で、ララがオレに近づいた。

「そこからなら、オレの背嚢に手が届くだろ。背嚢から火打ち石と種火用の木くずを取り出してくれ」

「火打ち石?まだそんな原始的もの使っているの?」

「オレとムーのサバイバルな日々は、今度話してやるからとにかく取ってくれ」

「これの方が早くない?」

 ララが自分のウエストポーチから魔法道具の発火札を出した。

「それでいい。そいつを燃やして下に落としてくれ」

「なるほど、そういうこと」

 ララが札を発火させ、地面に落とす。火が消えない。

「酸素はあるみたいね」

「頼む。ロープを…………」

 オレの腕が限界だ。

「わかったわ」

 ブランコにしていたロープを、岩壁に打ち込んだ長針に縛り付けると地面に向かって垂らした。

「どうぞ」

「オレが先か?」

 酸素があることはわかったが、致死性のガスの有無はわからない。魔術師が死んだ原因もわかっていない。

「腕がもたないんでしょ?」

 ララが微笑んだ。

「先に降りればいいんだろ!」

 やけくそでロープを伝わって降りた。地面まで5メートルくらいあったが飛び降りた。

 息苦しさはない。

「大丈夫そうね」

 ララが降りてきた。

 部屋の中央の魔法陣は、変わらず空気を吸い込んでいる。地面に立って横から見ると、吸い込む空気が竜巻状に渦巻いているのがわかる。

「ねえ、あれ」

 ララが魔法陣の中心部近くを指した。

「あれ、鏡みたい」

 鏡が置かれていた。

 地面に書かれた魔法陣の文字にかからない位置に、ポツンと一つ小さな鏡が置かれている。

「財宝かな」

「まさか。だって、小さな鏡よ。隠された財宝っていうからには金貨が詰まっている宝箱とかじゃないの」

「魔法道具を作っているドリット工房の人に聞いたことがある。ギミックが必要な魔法道具は別だが、ひとつの効果だけでいいなら、魔法の鏡がもっとも作りやすいそうだ。魔法と親和性の高い希少金属で効果を組み込んだ土台を作り、人工結晶や魔法ガラスで覆うそうだ」

「本当なの?」

「そう聞いた」

 オレは近くに倒れている魔術師の死体の側に屈み込んだ。

 ローブは破れていない。

「ウィル、ドリット工房に知り合いがいるの?」

 ララの声が弾んでいる。現在世界最高と言われている魔法工房だ。

「いない。仕事で関わっただけだ」

「あのね、ウィル……」

「仕事を依頼したいなら、王侯貴族を通して頼め。何が欲しいのか知らないが最低でも金貨200枚は用意しておけよ」

 ララの恨めしそうな視線を背中に感じる。

 立ち上がって魔法陣を観察した。

 魔法陣の真ん中では、まだチェリー風船がクルクルと回っている。

「ちょっと、ムーを回収してくる」

 ララがオレの腕をつかんだ。

「魔法陣の中に入るのは危険すぎるわ。どんな魔法陣かわからないのに」

「大丈夫だ」

 オレはララの手を外した。

「多分、風を吸い込むだけの魔法陣だろう。魔法陣に2種類の効果をつけると、こんなに簡単な陣にはならない」

 ムーの魔法陣なら山のように見た。

「怖いのは、魔術師たちを殺害した何かだ。そいつはオレ達ではどうしようもない気がする」

 オレは魔法陣の中に入った。線を踏まないようにしてチェリー風船に近づく。オレが予想としたとおり、チェリー風船はクルクル回っているが、中のムーは動いていない。

「チェリー、ムーを出してくれ」

 風船がポンと開き、チェリーはムーのポシェットに飛び込んだ。

 ムーが地面に落ちる前に受け止める。

 抱いた状態で、魔法陣からゆっくりと出た。

「問題はここからだ」

「大丈夫そうね」

 ララが魔法陣に足を踏み入れた。

「鏡を取るなよ」

「えっ」

 ララが停止した。

「魔法陣の中に放置されていることが不自然なんだ」

 ゆっくりとララが足を戻した。

「おい、ムー」

 風がぶつかった場所を見ていない。脳震とうならば揺らすのは危険な場合がある。

「むにゃぁ…しゅ」

 寝ている。

 爆睡中だ。

 いつもなら怒鳴るところだが、オレは背嚢からアイテムを取り出した。それを口に突っ込む。

「むぐっ!」

 美味しそうに食べている。

 アロ通りにある菓子店ピンクスイートの期間限定ピーチビッグキャンディだ。これが売り出されるとピーチと名前がついていたことからシュデルに女の子たちから大量の差し入れがあった。シュデルひとりで食べきれる量ではなかったため、オレの背嚢に緊急時の食料として必ずいくつか入れておいてくれる。まだ、冷凍保管箱には大量にあるはずだ。

「……もっと、欲しいしゅ」

 ムーが目をつぶったまま、口をパッカリと開けた。

「起きろ。そろそろ死ぬぞ」

 オレの声音で状況を察したのだろう。

 飛び起きた。

「わかっているのは、あそこに魔法陣と鏡があることだけだ」

 ムーが魔法陣に目を走らせた。

「やばっしゅ!」

 オレは長針をムーに渡した。

 急いで地面に魔法陣を書き始めた。

 ララがオレの隣に立った。

「あの長針、岩壁から抜いてきたのね」

「そうだ」

「なぜ、あたしに渡さなかったの?」

「忘れていただけだ。すぐに返すつもりだった」

「材質に気づいた?」

「何を言っているのかわからない」

「そう。なら、ムーが使ったら返してね」

「もちろんだ」

 超硬度を誇るレアメタル製の長針だ。

 売れば一本で金貨3枚になった。

「できたしゅ」

 小さい。直径3メートルほどだ。3人が陣に入るとムーはすぐに発動させた。淡い光の柱が立ち上った。

「あの魔法陣はなんだ?」

「空気を吸い込む力を発生させる魔法陣しゅ」

 オレの予想は当たっていたようだ。

「風魔法の逆の原理でしゅ。規模はとっても大きいしゅが問題ないしゅ」

「規模が大きい?どういうこと?」

 ララの問いに、ムーはオレ達がでてきた穴を指した。

「あちこちに連動している陣を書いているはずしゅ。それで風が流れる方向や量を調節しているしゅ」

「侵入者を風で引っ張っているってこと?」

「逆しゅ」

「逆?」

 ララが首を傾げた。

「こんな弱い風量で人は引っ張れないしゅ。流れがあることでこの場所に侵入をしてきた者に対して警告しているしゅ。『この風の先に財宝がある。すぐに引き返せ』しゅ」

 オレは眉をひそめた。

「この魔法陣を書いたのは魔法協会か?」

「おそらく、そうしゅ」

「この周辺にうっかり入った魔法協会関係者が、財宝に近づかないように設置したんだな」

 ララが魔法陣の中にある鏡に目を向けた。

「そうなると、あれが財宝なの?」

「そうしゅ。でも、あれを財宝と言えるかはわからないしゅ」

「ムーにはあれが何かわかるの?」

「遠いから断言できないしゅ。でも、あの大きさ、色、縁に施されたニレの葉の飾り彫りから推測すると【エロンの鏡】の可能性があるしゅ」

「【エロンの鏡】だと」

「あれは伝説の話でしょ」

「もしそうだったら、呪われた財宝には間違いないしゅ」

「ムー」

「はいしゅ」

「【エロンの鏡】って、何だ?」

「授業でやったでしょ!」

 ララが耳元で怒鳴った。

「ディックの話を聞いていなかったのか?」

「『寝ていた』というのは本当なの?」

 オレは重々しくうなずいた。

「オレの席は窓際だったんだ」

 陽が燦々と降り注ぐ、気持ちのいい席だった。

「アホだと思っていたけれど、筋金入りのアホね」

 ララが言い放った。

「【エロンの鏡】というのは鏡の部分が出入り口になっているアイテムしゅ。ただし、出入りできるのは、変な生き物しゅ」

「なんだ、それ?鏡を使うと好きな場所に移動できるのか?変な生き物って、モンスターのことか?」

「鏡の部分を扉と考えるしゅ。出入りできるのは半透明で触れることの出来ないモワモワとした煙のような生物しゅ」

「その説明だと、オレにはさっぱりわからない」

「わからなくて当然しゅ。解明されてないアイテムしゅ」

「魔法協会が回収して調べないのか?」

「危険すぎるしゅ。モワモワの生物が滅茶苦茶に強くって、戦士も魔術師も歯がたたないしゅ」

「そんなに強いのか?」

「人間という種ではどうにもならないレベルしゅ」

「ムーの説明をまとめると、誰かが作った【エロンの鏡】というものから、モワモワの強い生物がでるようになった。ってことだよな?」

「空間移動の魔法の研究は実験レベルで完成されていないしゅ。異次元や別の空間につなげるアイテムを作ったという可能性はないと思った方がいいしゅ」

「その言い方だと【エロンの鏡】は作れないということになるぞ」

「そうしゅ。でも、あるしゅ」

「ムーはどう考えているんだ?」

「人以外の何かが関わってできたアイテムだしゅ」

 ララが息を飲んだ。

「ウィルしゃん、魔法陣をみるしゅ」

 平坦な場所に魔法陣が丁寧に書かれている。

「ボクしゃんがあれを【エロンの鏡】だと思ったのは、あの鏡が魔法陣の一部だからしゅ」

 言われて気が付いた。

 鏡がなくなると、そこがポッカリと空く。

「風がずっと吹き続くように魔法陣は書かれているしゅ。だから、魔法陣には風で風化しないよう固定の魔法が組み込まれているしゅ」

「つまり、あの鏡はあそこに固定されているのか?」

「そうしゅ」

「鏡は絶対に動けないのか?」

「鏡のモヤモヤが固形物を動かせるなら、動かせるしゅ。でも、そうしたら風が止まるしゅ。風が止ったら、魔法協会に警報システムが作動するとか、大がかりなトラップが動くとか、何か封じる仕掛けはあると思うしゅ」

「モヤモヤに固形物が動かせなければ?」

「モヤモヤの行動範囲は【エロンの鏡】から20メートルほどしゅ。この空間から出られないしゅ」

「つまり、オレ達の失敗は……」

「【エロンの鏡】の20メートル以内にいるってことしゅ」

《正解だ》

 鏡から半透明のモヤモヤが現れた。

《この空間から出よう動いたところで殺そうと思っていたのだが、特殊結界を張るとは想定外だった》

 モヤモヤは集まり人の大きさになった。人を真似るように高さ170センチほどの円柱になって近づいてくる。

《さて、どうする?》

 あざ笑うかのような声。

 男とも女とも判別がつかない。

「モヤモヤしゃんに、この結界を破れるしゅか?」

 ムーが笑顔だ。

《試してみよう》

 衝撃が来た。

「いたぁー」

「かなり、くるな。これ」

 結界は無事だった。だが、外部からの強烈な衝撃で、結界内の空気が塊となってオレ達を叩いた。

「おい、ムー」

 気絶している。

「早いな」

「これくらいの衝撃なら、脳は大丈夫でしょ」

「ムーには脳以外もあるんだぞ」

「脳以外、使えるところある?」

 手足は短くて戦闘に向かない。

 だが、ムーの攻撃力は別のところだ。

「指」

「そうね。印を結べないように今のうちに切っておくわ」

「待てよ!今回のミスはララのせいだろ」

「わかったわよ。今回だけは見逃してあげる」

 残念そうだ。

《何をしている》

「見てわからないのか?」

《ここに迷い込んだ人々は、ある者は仲間をかばい、ある者は仲間を見捨てて己だけ助かろうとあがいた。様々な人々を見てきたが、そなた達はそのどれにも当てはまらない》

「そりゃそうよ。あたしたちは仲間じゃないもの」

《なぜ、一緒にいる?》

「格好良くいうと……」

 モワモワがオレの方に移動した。

「………腐れ縁」

「違うわよ。獲物とハンター」

「獲物っていうなよ。オレは善良で真面目な古魔法道具屋だ」

《古魔法道具屋が、なぜ洞窟にいる?財宝を求めてきたのか?》

「違う。こいつじゃない別の友人を助けに来た」

《その友人はどこだ?姿が見あたらないようだが》

「上の方にいる。怪我はしただろうが、今日中に洞窟を出ると思う」

《それで、お前達はどうするのだ?》

「オレ達?」

「ウィル、私、怖いわ。どうしよう」

 白々しい台詞をララがサラリと言った。

《私の攻撃を耐える結界を作れたのは、そこの小さな生き物が初めてだ》

「気に入りましたか?これを置いていくので、オレを見逃してくれませんか?」

「私も見逃してください」

《見逃してもいいが、お前達、その結界からどうやってでるのだ?》

「えっ」

「まさか」

 結界を叩いてみた。

 ガラスのような手触りだが弾力がすごい。

 ララがナイフを走しらせたが、かすり傷すらつかない。

「ウィル、どうする?」

「あれしかないだろ」

「あれなのね」

 ララが額を押さえた。

「いいだろ。あれなんだから」

「あれはいいのよ。問題はあれがあれだからあれなのよ」

「あれだけで、わかるか!」

 にらみ合っているオレとララの間、結界の向こうにモヤモヤが移動した。

《怖くないのか?》

「ヘタレのウィルが怖いはずないでしょ!」

《いや、私が怖くないかと聞いているのだが》

「怖いというより、気味が悪いわ。モヤモヤしていて、口がないくせにしゃべっていて」

「ララ、失礼だぞ」

「聞かれたから答えただけよ」

「すみません。根性はねじまがっているんですけど、それほど悪い奴じゃないんです」

《言っていることが矛盾している》

「ララは正直なだけで」

《ウィルという名だったな。お前も相当失礼だぞ》

「そんなことないです。オレだって、モヤモヤなんかと話すより、可愛くて胸がでかくて元気な女の子と話したいなと思っていましたが、口には出しませんでした」

 モヤモヤが黙った。

 ピクリともしない。

 ララがオレに小声で聞いた。

「そろそろかしら?」

「そろそろだな」

 オレの体内時計はニダウの正午だ。モジャが桃海亭に現れる時間だ。昨日は飛竜に乗っているムーに会いに来た。今日もここに現れる確率は高い。

《これで、どうだ》

 モヤモヤが形を取り始めた。

 わずか1分ほどで人になった。

『これなら、どう?』

 オレに笑顔を向けた。

 年齢17、8歳。長いまつげに覆われた焦げ茶の瞳。艶のある亜麻色の長い髪が大きくカールしている。どこにでもいるけれど、目を引く、そんな感じの可愛い女の子が結界の向こうに出現した。

「バカ野郎!服を着ろ、服を!」

 全裸だった。

 でかくて張りのある胸、スベスベの肌。長い足と………。

 オレは慌てて、背を向けた。

『ええっーー、服を着るの嫌いだもん』

「モヤモヤのくせに、人を惑わすような言葉遣いをするな!」

『こっちを向いてよ、ウィル~』

「モヤモヤに戻ったら向いてやる!」

『見てくれないと、鏡を動かしちゃうんだから~~』

 思わず振り向いた。

「動かせるのか!」

 オレに向かって、でかい胸をつきだした。

『どう?』

 慌てて背を向ける。

「ララ、なんとかしてくれ!」

「何を慌てているのよ。可愛くても、本体はモヤモヤなんだから、気にすることないわよ」

「鏡を動かされたら、何かがおきるんだぞ。お前だって困るだろ!」

「ねえ、鏡、本当に動かせるの?」

 ララの言葉遣いが女子トークになっている。

『動かせるよ。動かすと、警報が鳴って、ここが崩れて埋まるようになっていたから、ちょっと面倒くさいなあと思って、動かさなかっただけ』

「動かせるなら、持って逃げればよかったじゃない」

『持って逃げても、この世界のこと知らないもん。どうしていいのかわからないもん』

「もしかして、別の世界の人とか?」

『もしかしなくても、別の世界の人。どっちかというと……ほら、あっちに近いかも』

 空中に出現したのはモジャ。

 ムーが気絶しているのを見て、慌てて降りてきた。

ーー ムー、どうしたのだ ーー

 過保護モップに顔があったら、絶対に青ざめている。

 結界を通り抜けて、ムーの傍らに降りた。フワフワのモップでムーのあちこちを触っている。

ーー 心配させるでない ーー

 問題ないことを確認したようだ。

 ムーをモップのフワフワの部分でクルリと巻いた。

ーー ムーの成長の為に、ムーの行動を制限しないことにしている。だが、エロンがいるようだ。ムーは我が連れ帰る ーー

『怪我をさせる気はなかった。私のミスだ。陳謝する』

 裸の女の子が床に膝をつき、深々と頭を下げた。

ーー エロンがこの世界にいる理由は聞かぬ。だが、ムーに関わることは我が許さぬ ーー

 厳しい声でモジャが言った。

 オレは慌ててムーの足を握った。そのオレの腕にララがつかまった。

 次の瞬間、オレもムーもララも桃海亭にいた。

 モジャはムーを抱いて2階にあがっていった。

「あたしは帰るわ」

 何もなかったようにララが店を出ていき、オレは食堂に移動した。

 シュデルが昼食の片づけをしていた。

「お帰りなさい。ご友人の方は助けられましたか?」

 疲れていたし、説明が面倒なので、オレは緊急の用件を頼んだ。

「昼飯が食べたい」




「あたしは関係ないでしょ!」

「巻き込んだのはお前だろうが!」

 1週間後、魔法協会災害対策室のガレス・スモールウッドさんが桃海亭にやってきた。そのスモールウッドさんと一緒にララもやってきたのだ。

「まあまあ、落ち着いて。関係者が揃っていた方がいいと思ってララ・ファーンズワースにも来てもらっただけだ。安心しなさい」

 スモールウッドさんは笑顔なのだが、頬がピクピクと痙攣している。

「シュデルくん、悪いが席を外してくれ」

「わかりました」

 お茶を配っていたシュデルが店舗部分から住居の方に移動した。扉もしっかりと閉めていく。

 店に残ったのは、オレとムーとララとスモールウッドさん。

「ディック・ハーヴィーと4人の仲間の件から片づけよう」

 スモールウッドさんはララを見た。

「全員怪我をしていたが重傷者はいなかった。自力でオッカ洞窟の有料洞窟のエリアに入ったところで保護された。ラウンドギルドが救援隊を送らなかったことから、5人はラウンドギルドに所属していないと判断された。一昨日、正式にラウンドギルドから抜けた」

 ララが緊張を解いた。

「ただし、5人とも他のギルドに登録することはできない。どうしても冒険者を続けたければ、独立するか、闇ギルドに入ることになるが、彼らの力量ではどちらも選べないだろう」

「他のギルドに登録をできない理由は何ですか?」

「ウィル・バーカーとムー・ペトリの殺害未遂だ。君たちから被害届は出ていないが、ムー・ペトリは魔法協会に属する魔術師だ。その命を狙えば処罰がくだされて当然だ」

 ララが眉を寄せた。

 スモールウッドさんがコホンと咳払いをした。

「次はオッカ洞窟が有料洞窟として使用不能になった件だが…………」

「ララのせいです」

「ウィルがいたからです」

 オレ達が桃海亭に帰った翌日、オッカ洞窟は水没した。オレ達が帰ったすぐ後に【エロンの鏡】が消えたのだ。

 鏡が消えたことにより、魔法協会の仕掛けが作動。オレ達がいた魔法陣が書かれた空間は崩れて埋まった。その衝撃で地下水脈に通じる亀裂が発生。大量の水が洞窟になだれ込んだ。水位は徐々に上がり、翌日にオッカ洞窟は完全に水没した。

「故意でなければ賠償は発生しない。だから、安心したまえ」

 オレもララも胸をなで下ろした。

「ただし、桃海亭は2度と有料洞窟に入らないように。有料洞窟組合から11カ所も壊された恨み……いや、陳情が魔法協会に入っている」

「オレ達だって、入りたくてはいっているわけじゃ………」

「とにかく、入らないように」

「わかりました」

 スモールウッドさんが腹に手をやった。

 また、胃が痛むらしい。

「これが最後の用件だ。ウィル、【エロンの鏡】というのは、なんだったのだ?」

「知りません」

 スモールウッドさんが仕方なさそうにムーを見た。

「ムーは知っているか?」

「エロンという生き物しゃんの扉みたいなもんしゅ」

「エロン……モワモワした煙のようなものと報告書に書かれているがこれのことだな?」

「はいしゅ。ボクしゃんたちより、ずっとずっとずっと上、モジャより、ちょっと下の高次元生物しゅ。自分のいる場所から、この世界に移動するのに使ったみたいしゅ」

「転送装置みたいなものか?」

「もっと高度なものしゅ。エロンは普段は肉体をもたない意識体のようなものしゅ」

「いま、必死で探しているが【エロンの鏡】の行方がわからない。何か良い手はないか?」

「ボクしゃん、エロンの行方を知る必要があると思えないしゅ。エロンはその気になれば一瞬でこの世界を滅ぼせるしゅ」

「私は『世界を滅ぼす』を防ぐのが仕事なのだ。【エロンの鏡】の場所をつきとめて世界を滅ぼすのを止めたい」

「ボクしゃんの言っていることがわかっているはずしゅ。【エロンの鏡】の場所を知っていても知らなくても結果は同じしゅ。エロンがなぜこの世界を滅ぼさないのはエロンにしかわからないしゅ。探すことは無駄しゅ」

「そうだ。その通りなのだが………」

「きっと、大丈夫しゅ」

「なぜ、そう言える?」

「エロンはボクしゃん達を見て楽しんでいたしゅ。エロンにとって人間はというのは、ずっとずっと低い生物しゅ。ボクしゃんたちが金魚や蟻を観察するように、気楽に見に来ていただけだと思うしゅ」

「私達が必死で守っている人という存在は、エロンからすれば蟻でしかないのか………」

 スモールウッドさんが自嘲した。

 疲れた顔のスモールウッドさんに、ムーは笑顔を向けた。

「これはボクしゃんの推測しゅ。お気に入りの蟻さんがいれば、エロンは蟻を全滅させないしゅ。だから、当分は大丈夫しゅ」

「何を言っている?モジャさんが君を大切に思っているのは知っているが、エロンがそれに関係しているのか?」

「はずれ~~しゅ」

 全開の笑顔でムーは、店から外に飛び出していった。

「おい、ムー!」

「ウィル、どういうことだ?」

「オレにもさっぱりわかりません」

「ララ・ファーンズワースはわかるか?」

「いいえ」

「わかった。私からムーに聞いても、答えを教えてはもらえないだろう。ウィル、うまく聞き出しておいてくれ。わかったら、連絡を頼む」

 立ち上がると力なく店の外に出て行った。

「じゃあ、あたしも帰るわ。仕事が待っているの」

 ララが軽い足取りで出て行った。

 オレとララがエロンと話している間、ムーは気を失っていた。気を失うまでの短い時間のやりとりで、ムーにエロンの考えがわかるとは思えない。そうなるとモジャから何か聞いたとしか思えないのだが、モジャはムーが関係していなければ、人間の世界に影響を及ぼすようなことは避ける。

 なぜか?

 窓の外ではフローラル・ニダウの女の子が花の鉢を綺麗に並べている。

 オレは肩をすくめた。

 オレ達よりずっと上の存在であるモジャの考えが、オレにわかるはずがない。

「店を開ける準備をしないとな」

 掃除用具入れからモップとバケツを取り出したオレは、いきなり後ろから話しかけられた。

『ねえ、ウィルはお気に入りの蟻が誰だか知りたくない?』




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