朝倉香寿のこと
何でも気になったことは、人でも物でも関係なく気が済むまで調べる。
それが昔からの僕の癖だった。
『またやってる・・・』
夜近くまで僕が隣町や知らない町の電柱や建物の陰に隠れるように凭れていると、よく親友が見つけてくれたものだ。
『君も僕に気づかれずに着いて来るの上手くなったね。』
僕が笑うと、親友はよく苦笑いをしてから笑顔を返してくれた。
『そりゃそうでしょ。もう何年もの付き合いなんだから、馴れもしますよ。てかさ、高校生にもなってそういうのはさすがに止めたほうが良いような気がするよ?仮にも君、男なんだからさ。女性と違って不審者扱いされやすいの。僕たち男ってのは。』
『それもそうかもね。』
『笑い事じゃありません。僕のときは、相手が僕だったらまだ良かったものの―――』
『感謝感激でございますよ彼方さま〜』
『春紀〜!』
『だってさ、気になると調べたくなるんだ。徹底して、知りたいんだよ。この次の瞬間にも死ぬかもしれないのに、知らないで死んだら僕は死んでも死に切れないね。』
『そう言って図書館や自室に籠もりっきりでろくにご飯も食べなかったり、この寒空の中でずっと外に出られてたらたまったもんじゃないよ。はい。』
『ん?』
『暖かいの。寒いでしょ?』
『おう。サンキュ♪』
『ま、とりあえず頑張れ。』
『彼方・・・君応援するか止めさせるかのどっちかにしなよ。』
『それ君が言う台詞じゃないから!』
・・・彼方もいい奴だよな〜・・・
僕は缶コーヒーを片手に、キャンパスの中にあるベンチに座っていた。
もうそろそろ朝倉香寿の通る時間。
朝倉香寿は謎が多い。
なんだか、気になる。すごく気になるのだ。
僕は不思議なオーラを纏った人やどこに行くのか気になった人の後を着いていってしまう。
世の中はこれをストーカーと言うらしいけれど、それとは少し違う気がする。
ただついて行っただけだし、近所で話してる人の声が聞こえてきてそれをきっかけに知ったりしただけだし、しつこく付き纏ったこともないし、不法侵入をしたこともゴミ漁りをしたことも無い。
今までそんなことをしなくたってだいたいのことは知れたし、それで満足だった。
だけど、朝倉香寿は違う。
なんだか本当に心ごと持っていかれてしまったのだ。
どうしてだろう・・・自分でも変だとは思うんだけど・・・・・・・だけど事実だ。
朝倉香寿は、いつも遠巻きにしか見えなくて、近づこうとすると何かしら邪魔が入ったりして見失うし、相手もなぜかふと消えてしまう。
まるで僕の行動を予測しているかのように。
だから余計に気になる。負けず嫌いも手伝って、何が何でも知りたい。
「はぁ〜るぅ〜きぃ〜」
背後から声が聞こえてきて、驚いて振り返ると、親友・彼方がいた。
「あれ、もう終わった?」
「うん。」
「お、ちゃんと暖かいの飲んでるじゃん。」
彼方はよろしいと言って笑い、僕の隣に座る。
「飲み物で良かった。僕今日は肉まん持参だから、被らなかったな。」
微笑んで、彼方は持っていた紙袋から湯気立つ白い肉まんを取り出し、「はい」と渡してくれた。
「朝倉さん待ちですかい?」
僕がお礼を言って食べ始めて少しして、彼方が僕が見ているのと同じ方向を見た。
「あぁ。今回のヤマはでかいぜ兄弟。」
2人でしばらく笑ってから、「ホントに苦戦してるっぽいね、犯罪的追尾者さん」と明るく言って、彼方が肉まんを頬張る。
「はんざいてきついびしゃ?」
「君のことだよストーカーくん」
上目遣いで僕を見上げながら僕の目の前で突き出した人差し指をくるくると回る。
これは彼方の癖なのだ。ずっとそう。“君”とか言う時に必ず人差し指を向けてくる。
「やめなさいって言ってるでしょ。」
僕は笑ってその手をどけて、肉まんを食べきる。紙を丸めてポケットに入れた。
「ごちそーさま。・・・それにしても遅いな朝倉香寿。」
僕が建物の方をじっと見ながらぼそっと呟くと、彼方が言った。
「ね、朝倉香寿って、どんな人?」
「え・・・?それつい昨日言って――」
「それもだけどー、どんな感じの人とか、何科の人間なのかとか、初めて見かけた場所とか。」
その言葉を聞いて、僕は呻った。
「えー・・・と・・・・・何科の人・・・何なんだろうね?いつもよく見失うし、初めて見たのもあの建物だったから、そのどこかっていうのは分かってるんだけど・・・。あ、そういえば君もあの建物だよね?」
「・・・まぁね」
彼方の表情が一瞬曇る。僕は気のせいかなと思い見過ごした。
「じゃあ、見たこと無い?髪は・・・えっと・・・焦げ茶かな。襟足とかけっこう長めなんだけど・・・細身で、服装はいつもシンプルかな・・・大き目のセーターにデニムとか。」
僕がそこで彼方を見ると、ふと、たった一度だけみた朝倉香寿の正面の顔と被った。
彼方は眉を剃っていて短いし髪も前髪が長くてツンツンに立てているけれど、ほとんどそっくりに近い。
僕は思わず「あ」と言った。
「ん?」
彼方が首を傾げる。僕は慌てて首を振った。
「いや、えっと・・・うん・・・なんでもないよ・・・」
「そういえばさ、あいつら言ってたよ。」
あいつら?
今度は僕が首を傾げると、彼方は「いつものメンバー」と言った。
いつものメンバーとは、クラスは違うけど色んな活動を通して仲良くなった友達のことだ。
僕と彼方の共通の友達は、3人ほど。朝倉香寿の名前を聞いた奴も、この中にいる。
彼方はけっこう人懐こいところがあるので、初めての時は見た目で多少退かれもするが、その魅力はすぐに発揮され友達ができる。
「なんて?」
「ん。なんか、最近なかなか会えなかったし、メシでも食いに行こって。」
彼方がにこっと笑う。
僕はその笑顔に、思わず見惚れた。
と、建物から何人かの生徒がぞろぞろと出てくる。僕はそちらを向いて、思わず立ち上がった。
目を凝らすが、それらしき人物はいない。
「おっ、2人ともいたいた!」
別方向から知った声が聞こえた。さっき彼方が言った、『いつものメンバー』たちがこちらへ歩いてくる。
「彼方から聞いた?」
「うん。ご飯食べに行くって」
「あぁそっちもだけど・・・」
1人がちらっと彼方を見る。僕もつられて見ると、彼方は少しムッとしたような顔で彼を見た。彼は「あ、まだ」とかなんとか口だけで言って、再び僕を向いた。
「なんでもない。何食べたい?春紀と彼方の誕生日、2人分兼ねてで悪いんだけど・・・」
誕生日・・・
あぁそうか・・・今日は3月31日で僕の誕生日だった。それで明日は彼方の――――――・・・
「・・・?どうした春紀、ぼーっとして・・・?」
話しかけてきた彼が僕の肩を軽くゆする。
僕は彼方を振り返った。
彼方が驚いたように僕を見る。
「・・・バレちゃったかな・・・?」
別の1人がふふっと笑う。
「あー、かもな。」
「大変だ大変だ。」
他の2人も笑う。
僕は彼らを一度見て、それから信じられなくて彼方を見た。
「もしかして、分かった?」
彼方が少し困ったように微笑む。
じゃあ・・・・それじゃあ彼は・・・・・・・
「朝倉香寿。好きな食べ物は蜜柑とシーザーサラダ。嫌いなものはチョコレート。好きな色は黒とミントグリーン」
「髪は焦げ茶で襟足が長め。細身で、服装はいつもシンプル。」
「大き目のセーターにデニムとかね。」
3人が彼方の横に並ぶ。
僕は口をあけるが声が出ない。
「・・・朝倉香寿は僕だよ。」
彼方が言った。確たる証拠。
僕は驚きすぎて心臓がどきどきと早くなるのを感じた。
「じゃあ彼方、春紀、俺ら図書館言っとくから、後から来いよ。」
そう言って3人は僕らから離れていった。
少しの間、沈黙が流れる。
「・・・怒ってる?」
彼方が恐る恐るといった感じで僕を見てきた。
「お、怒るも何も・・・僕はそんな・・・・・何がなんだか・・・・・・」
「あいつら以外にも、手伝ってもらった。君のストーカー癖を治して欲しくて・・・」
彼方はゆっくり話し始めた。
「ストーカーってほど、行き過ぎてはないかもしれない。だけど、やっぱり・・・物はともかく、人はやめた方が・・・いいと思う。それに・・・」
彼方がベンチに座る。そして、僕が置いた冷たくなったコーヒーの缶を手に取り、弄ぶ。
僕も、隣に座った。
答えを待つが、彼方はなかなか進まない。
風がまだ少し冷たくて、遠くのほのかに明るい空に、黒く鳥の影が見える。
「・・・人を追いかけられるの・・・イヤだった・・・・」
ようやく、彼方が口を開いた。僕は口を挟まなかった。
「だって・・・なんか・・・分からないけど・・・・・春紀が気になる人と・・・その・・・・・僕の時みたいに接点ができちゃったらって思うと・・・怖くて・・・・」
寒さのせいか、他の何かのせいか、彼方は少し震えている。
僕はあまり寒いと思わなかったので、自分が着ていた上着を彼方にかけた。
彼方は小さく「・・・ありがと」と呟くように言った。僕は頷く。
「・・・それで?」
そして先を促した。
彼方の耳が赤くなっている。そんなに寒いのだろうか?
「・・・でも・・・・・だから・・・あの・・・・・・僕が変装なんてしても、目にも止まらないかもって・・・言ったんだけど、あいつらが・・・やってみろって・・・・・」
変装したってあんまり変わらないし。
彼方の声がだんだん小さくなっていき、ふっと消えてしまった。
僕はしばらく待ったが、どうしてもそれ以上は言えないようだ。
「・・・僕が朝倉香寿に興味を持ったのはね、」
僕がいきなり話し始めると、彼方は下っていた形の良い頭を少し上げた。
彼方の着ける香水がふわっと香った。
「君に似てたからだよ。」
彼方の頭がさらに上がる。
「似てるどころかそっくりで、近くで見たことは無かったけど、一瞬だけ見たことがあったんだ、正面。君だと思って、だけどなんか髪型も顔の感じも全体的な雰囲気が違くて、よく似た人がいるもんだって思ったの。」
僕はそれが同一人物だと知っている今、自分のその時の考えが可笑しくて思わずふふっと笑ってしまった。
何を考えてたんだろう僕は。大切な人の簡単な変装も見破れなくて、親友失格かな。
そこまで考えると、なんだか急に悲しくなった。
どうして気づかなかったんだろう。本当に好きな食べ物だって、好きな色だって、知ってるはずだった。親友だから誰よりも彼方を知っていたはずなのに、誕生日にも気づかなくて、僕は・・・
「ごめんね。」
彼方が僕を見る。僕は視線の端にそれを捉え、だけどそっちに顔を向けることはできなかった。
向けてはいけない気がした。
本当にちらりとしか見えない彼方が、泣いているような顔をしているから。
「なんで謝るの?」
彼方の声はやはり湿っていた。
「だって・・・大切な人の変装見破れなくてさ・・・なんか、ダメだなーって思って・・・さ・・・」
僕もなんだか泣きそうになってきた。
どうしてだろう。こんなに悔しい。こんなに悲しい。
僕は彼方を知らない。彼方は僕のためにしてくれたこと、僕は何も知らなくて、でもあいつらは知っていて・・・
悲しい・・・
「気になってくれるなんて・・・思わなかったんだよ・・・?」
彼方が小さな声で言った。
「気になってくれるなんて・・・思わなかった・・・・」
相変わらずの涙声で、僕はその音に胸が締め付けられた。
「気になるどころか・・・」
好きになってた
「好きになってたよ。」
僕は思ったままを言った。目を擦っていた彼方の手が止まる。
一気に夜が迫ってきて、あちらこちらで電気が灯り始めた。
ベンチの近くにも一つあり、それがぱっと点くと同時にこちらを向いた彼方の目がきらきらと光っていた。
頬を真っ赤にして、少し長い睫毛を濡らして、きょとんとした顔をしている。
「僕は一目惚れなんて信じてなかったけど、君を見て、心がどっかに持ってかれた気がした・・・。だけどね、朝倉香寿なんて存在しないって分かって、それが君だって知った今もその気持ちは・・・好きだって気持ちは変わらないんだ。」
僕はなぜかすらすらと気持ちを言えた。
こんなに噛まずに言葉を発することができたのは初めてだ。しかし言った直後に緊張が襲ってきて、痛いくらいに鼓動が早くなる。
「変な話だよね・・・ずっと傍にいてくれたのに、一目惚れって・・・・・・」
何も言わない彼方との沈黙が怖くなって、僕は慌てて言葉を付け足した。
彼方は微かに首を横に振る。
「・・・春紀が好きだよ・・・・・」
・・・・・?え?
耳を疑った。声が掠れていたし少し離れたところを一団体が通ったから、一瞬今の言葉が彼方の口から聞こえたものか分からなかった。
「だから・・・人にふらって着いていったりするのが不安で、いつも無意識に跡を追ってた。」
ふふっとそこで、久しぶりに彼方が笑う。
「僕もストーカーみたいなものかな・・・春紀の」
僕はそんな彼方が愛おしくなって、ぎゅっと抱きしめた。
彼方が「わぁっ」と声をあげる。
「な、ななななに?なにっ?」
「ありがとう」
小声で言ったはずの僕の言葉が聞こえたのか、暴れていた彼方がぴたっと止まる。
「僕の好きは親友より上だけど・・・・・良いですか?」
身体を離してそう言うと、彼方の顔がますます赤くなった。
「・・・はい・・・・・」
消えてしまいそうな返事が聞こえた後、「よろしく・・・お願いします・・・・・・」と、可愛らしい返事が返ってきた。
小柄な彼方がますます小さく見えて、僕は思わず頭をがしがしと撫でた。
「こちらこそ。」
恥ずかしいのを紛らわすためにお互いに少し笑いあってから、あいつらが待ってる図書館に向かった。
たっぷりお灸を据えようと思う。
感謝の言葉は、少し恥ずかしいから。