第一章
あるところにギタリストがいた。
薄暗いオレンジ色の光の中、もうもうと浮かぶタバコの煙が
ライブハウス「SPICY CHOCOLATE」に、一層退廃的な雰囲気を加えていた。
狭い地下の空間にざわめく喧噪、女の声、ビールの臭いのしみ込んだ薄汚い壁、アンプからもれる荒いエレキギターのテスト音。
カウンターバーにはケバいアイシャドーの入った女バーテンダーが、アンニュイな表情を浮かべ、ほおづえを突いていた。
この箱では主にロック系のバンドの演奏が毎夜行われていた。
エレキギターっていうやつは人類が発明した偉大なるものの一つだろう。
アンプを通すだけでだれでも非力な弦の音量を自在にコントロールすることができ、さらに音色に電気的な変化を加え、激しさや気だるさなどといった感情を喚起する事ができる。
もちろんエレキギターとアンプさえあれば誰でも客を魅了する演奏ができるというわけではなかったのだが。
ギタリスト、木村誠一がギターボーカルを努めるバンド「クリーピーストロベリーズ」はたった今、演奏を終えたところだった。
バンドは木村の他にベーシストの吉村、ドラムの金田の三人から結成されていた。
いつものように、木村は演奏が終わってもまだひとり余韻にひたり、気持ち良さそうに、それも飽き飽きするほど長くギターソロを弾き続けていた。
そのソロはいつも「ミ」の音が半音ずれているのだが、今日の木村は全体的に音をはずしてばかりだった。
他のメンバーは、本当はフェイセズにちょっと癖をつけたポップソングがやりたかった。
木村は丸顔に黒ぶち眼鏡、中肉中背で、お世辞にもいいとは言えないルックスであったが、ビジョンはしっかりと持っていた。
「オレは歌謡曲の延長みたいなロックはやりたくないんだよ。ルールをぶち壊す!
それがオレがやりたい音楽なんだ。」
金田が反論した。
「でも客は楽しんでくれてるようには見えないぜ」
再び木村。
「オレたちがやってることを理解してない奴はほっておけばいいじゃないか。
大事なのは怒りで、もしオレたちの目の前に障害があるなら、それをぶち壊せばいいさ。
それがバイオレンスさ。カオスさ。オレたちにルールなんていらないね。
世界の秩序を破壊してやろうぜ。それが世界平和のためならさ。
今日初めて演った曲「セカンドオピニオン」も最高だっただろ?
」
吉村はこれに反論した。
「お前、さっきから政治とか世界とか色々言ってるけどさ、考えても見ろよ。
もともと音楽と政治なんて全く関係ないんだぜ!
音楽をそんなに難しく考えなくていいじゃないか。
もともと音楽なんていうものは、原始人が石や木を規則的にたたくのが気持ちよかったから、リズムが生まれたんだ。
それが今では弦を弾いたり、鍵盤をたたいたら音が出てチューンが生まれる、それが
気持ちいいから、みんな音楽を演奏したり聴いたりするんだろ。それ以上の意味なん
てないよ」
金田がそれに続いた。
「そうだな。 魂がこもってないだの、秩序を壊すだのって? そんなのはどこかの
労働者階級のくそガキがコンプレックスとひがみから御大層な理由を並べて憂さ晴ら
しに音楽を使ったってだけの話だろ。
そんなヤツ、ただ楽しく音楽をやっていた立場の人間から見たら良い迷惑だよな。
木村選手よぉ、今のお前もそんなようなもんだぜ。」
こうして今や、彼らはピストルズを真似てはいるが、まるでスタイルというものがな
い、下劣な騒音を出すだけの連中だと客から思われていた。
木村は子供の頃から頑として自分の考えを曲げない男だった。
そして彼は自分が世の中の常識を変えられると信じて微塵も疑わなかったし、自分の
音楽で世界を救えると本気で考えていたのだ。
だが木村は歌も演奏も下手くそだった。
彼は少しでも音楽的な人間になろうと日夜自宅で練習してはいたのだが。
バンド内には荒れた空気が漂い始めていた。
ベーシストの吉村が金田に愚痴った。
「オレは演奏中、木村のギターの音しか聞こえないのに、
あいつ、音を外してばかりなんだよ。このままじゃこのバンドはやばいと思うんだ。」
金田もこれに同意するように言う。
「オレもそう思っていたんだ。もうこれ以上やっていけない、あいつは自分のことだけ考えてウキウキしてるだけじゃないのか?ステージでまともな音も出せないのにな。」
実は金田はこのバンドを辞めかけていたのだが、
吉村と意見が一致すると、その日ライブハウスを後にした二人は、居酒屋でこの厄介
者のギタリストをバンドから外す打ち合わせを始めた。
彼らのバンド「クリーピーストロベリーズ」は木村が入る以前から結成されており、
実は既にひっきりなしに人が出たり入ったりして存続していたバンドだった。
そういったメンバーの入れ替えはしょっちゅうある事なのだ。
あの密談が開かれた日から一週間後、演奏を終えたバンドはステージを後にした。
反応は相もかわらず最悪だった。 客の中には苦い顔をしてグラスを手に持ったま
ま、口に運ぶこともできずにしばらく固まっている者もいたほどだ。
普段なら三人はそのまま楽屋に直行するところだが、その日は違った。
吉村は木村を呼び止め、申し訳ないといった表情を浮かべながら、次のように切り出した。
「あれから二人で色々考えたんだけど、今のお前は万全のコンディションじゃないと
思うんだ。まあ最後まで聞きなよ。はっきり言うけど、オレたちはお前に辞めてもら
いたいんだ。
新しいギタリストが見つかったんだ。そいつは経験も豊富だし。
だけどお前がバンドの方向性を考え直してくれるなら、オレたちだって。。」
」
遮るように木村が言った。
「待ってくれよ、前にも言ったけど、オレはオレの目の前の壁をぶち壊す、これが哲
学なんだ。
これを曲げるっていうことは、オレにとっては道理に反することなんだよ。
だけどお前らがそう言うなら仕方ない。
オレは、一人でも世界の秩序を変える。おおげさじゃないぞ、本当にそういう気持ちでやってたんだ。
今までついてきてくれてありがとうよ。心から感謝するよ。」
それだけ言い残すと、木村は去っていった。
しかしその足取りにはもの憂げなところは一切感じられず、一歩一歩が力強く、自信
に満ちていた。
一方、木村をステージ上から引きずり降ろす事に成功した二人は、それからものの数
分とたたずに、バンドの今後の方向性についてウキウキと語りだすのだった。
「あの馬鹿野郎がいなくなって、状況が好転していくといいな」
「よし、ザ-フーズのような音楽性のバンドにしようぜ」
「おいおい、あんなの、参考にするには世界最低のバンドじゃねーか」
世界平和のためだって…?? そんなもの、吉村と金田の二人には最初から荷が重すぎ
たのだ。
第二章へ続く
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