第六話 彼女達は見捨てない
僕が橘に奪われた能力を整理しよう。
まず始めに思い当るのが剣道の技術。
間違いであることを願ってもう一度竹刀を握ってみるが、構えはおろか素振り一つでさえ満足に出来なかった。
次に失ったのが事務能力と言うか、想像力そして同時に進められる能力。
試しにテレビのニュースでの内容を聞きながら要約してみようとしたが、聞くことに集中すると書くことが出来ず、その逆もまた然りだった。
そして最後に思考能力と記憶力。
何かを思い出そうとすると思考に靄がかかり、考えようとしても変な回路を通り、余計な労力を必要とする。
結論。
橘の言っていた相手の長所を奪う能力は本物。
そしてその結果、僕は正真正銘の凡人となってしまった。
「康介、今日はどうしますか?」
朝。
自室のベッドで横になっていると、部屋の外から母上がそう声をかけてきた。
「ごめん、今日も休む」
「そう……」
僕が休む意思を伝えると母上は僅かに溜め息を吐くが、抗弁をしてこなかった。
僕の長所を奪われた。
そう両親の前で話した時、意外にも真っ先に理解を示したのは父上である。
「俺が警官だった頃、似たような輩と戦ったことがある」
そういえば父上は一般人なのに魔法使いと相対できる数少ない人物だった。
父上は過去のことをあまり語らないので、有耶無耶にされがちだけど、僕なんかでは想像も出来ない修羅の道を歩んできたのだなあと感じる。
「残っている同僚に話を伝える」
父上はOBの伝手で橘を逮捕するつもりらしい。
「橘竜一郎とやらのやったことは紛れもなく犯罪だ。安心しろ、必ず取り返してやる」
父上の力強い言葉に不覚にも泣きそうになったのは仕方のないことだろう。
だから僕はこうして家で惰眠を貪ることを許されていた。
「立華ちゃん達が来ていますよ」
「……会える気分じゃない」
母上の言葉に僕は一瞬詰まる。
「今の僕の姿を見せられる訳がない」
今の僕を見れば三人は幻滅するだろう。
どの面を下げて彼女達に会える?
奪われた自分を取り戻すまでは。
彼女達にとって頼れる存在に戻れない内は顔を合わしたくなかった。
だからこうして接触を絶っていたのだけど、僕は三月娘ーー特に響のバイタリティを忘れていた。
だって想像出来るか?
ここは二階だぞ?
「康介さん! 外に出ましょう!」
まさか窓を破って侵入してくるなんて考えもしなかったな。
「響……」
「はい、響です」
ガラスの破片でコーディネートされた床の上でニッコリと笑う響に僕はどんな表情をしていたのだろう。
鏡がないので自分の顔は分からないが、顔面の筋肉が自分でも分かるほど引き攣っている。
「御苦労ね響ちゃん」
僕がそう混乱している内に響は部屋の鍵を開ける。
そして現れたのは柔らかな笑みを浮かべる優奈。
「あの日から数日音沙汰なし。久しぶりというところかしら」
「何の用だ?」
つっけんどんな態度になってしまったことを内心後悔しながら尋ねる。
「僕を笑いにきたのか?」
「ウフフフフフ」
「……」
「ああ、ごめんなさい康介君。冗談よ冗談」
優奈のワザとらしい哄笑に僕はベッドの中に潜り込む。
まあ、冗談とは分かっていたけど、それでもやられると腹が立つな。
で、僕としては良い機会だったのでこのまま二人が帰るまで持久戦に持ち込もうとしたのだが。
「康介さ~ん! 起きましょうよ~」
「分かった! 分かったから揺らすな!」
布団を掴んでグラグラと押してくる響によって僕の目論見は呆気なく崩壊した。
「で、何の用だ?」
これ以上は不毛な争いになると判断した僕は起き上がって尋ねると。
「私達がここに来た理由。それはもう察しがついているのではなくて?」
あくまで疑問系。
表情だけを見ると、本気で分からないから尋ねて来ているのだと思ってしまう。
ここの辺りはさすが優奈だと舌を巻く。
その腹に一案がありながらもそれを他人に感じさせない微笑みにある種の尊敬を覚える。
「……今の僕の姿を見せる訳にはいかない」
僕は観念してそう切り出す。
「今の僕は凡人だ。いや、長所がないのだから凡人以下だな」
自嘲気に僕は上を向く。
「康介さん、私は全然気にしていませんよ」
響がそう励ましてくるのだけど、悲しいことに心に響かない。
しかし、そのことを口にすると響を傷付けてしまうことは明白なので僕は首を振りながら。
「その言葉は嬉しい、ありがとう響。けどな、これは僕のプライドの問題なんだよ。不甲斐ない自分を見せたくないんだよ」
「康介君……」
プライド。
その言葉の重みを一番知っているのは宮倉町を牛耳る神無月家の一人娘である優奈だろう。
優奈はネズミこそ蛇蝎の如く嫌っているものの、神無月家そのものは好いている。
特に初代と三代目、そして九代目の当主がお気に入りで、辛い時は彼等の活躍を思い浮かべて自身を奮起させている。
優奈が敬愛する先祖の活躍から、その一円にもならないプライドがどれほど大切なのか知っているだろう。
だからこそ優奈は何も言えなかった。
「さあ、もう良いだろう。しばらく一人にさせてくれ」
僕はそう訴える。
「力を取り戻したら普段の様に接することを誓おう。だからこの場は引いてくれ」
ここまで切に願えば二人は引き下がってくれるだろう。
「「……」」
案の定、二人の瞳に迷いの色が生じる。
よし、と僕は心の中でほくそ笑む。
このまま押し切れば外に出て無様な自分を見せずに済む。
と、一瞬でもそう思いました。
「うるっさい!」
腹の底から発していようかと思う程の声量と声音によって空気が一気に緊張する。
忘れていた。
僕は後悔する。
優奈と響が来ているのに、彼女だけが参加しないことなんてありえないじゃないか。
むしろ真っ先に思い浮かべるべきだったのに。
「神無月嬢と響が懇願するので控えていたけどもう限界」
瞳の奥に不気味な光がいやに怖い。
「康介……私が一っっっ番嫌いなことって何だと思う?」
ああ、思い出せなかったのは多分脳が拒否していたんだな。
ユラリユラリの不自然に体を揺らしながら近付いてくる悪鬼を見ながらそんなことを考える。
「ピーマンとニンジンかな?」
殺気立ったこの場を和まそうと冗談を放つのだけど、どうやら逆効果になったようだ。
その巫山戯た答えに立華はコメカミに血管を浮かべ、そして右足を振り上げて。
「それはね……何もせずにグチグチといじけて周りを不快にさせるナルシストな根暗人物よ!」
その言葉と共に僕の体は右方向へと吹っ飛ばされた。
「……殺す気か立華?」
その容赦ない右ハイキックに僕は苦笑いを浮かべる。
「僕が魔法使いでなければ死んでいたぞ」
魔力で体を覆ったので肉体に対するダメージは少ない。
言い換えるならクッションで殴られてマットにぶつかったというところか。
全然痛くない。
「悪いけどそんな戯言に付き合っている心の余裕はないわ」
どうやら立華はフレンドリーに会話する気が無いようだ。
空気が全く和む気配が無い。
「さ、来なさい」
僕の胸ぐらを掴んだ立華はそのまま部屋の外へ連れ出そうとする。
「今のあんたに必要なのは時間じゃない、自信よ。だからここに籠っていても仕方ないわ」
「だから立華、話を聞い――」
「聞く必要なんてない」
問答無用。
立華の今の暴虐はその言葉が一番しっくりきた。
やれやれ、こうなっては仕方ない。
何を言っても無駄ならば大人しく従おうか。
「ふうん、ようやく観念したわね」
僕の気配が変わったのを感じ取ったのか立華は満足そうに鼻を鳴らす。
「五分あげる、その間に着替えてきなさい」
立華はそう言い残すと呆然としている優奈と響を連れて部屋の外へと出て行った。
「……」
僕は時計を見る。
響が乱入してから現在まで十分しか経っていない。
そんな短い時にも関わらず、僕を取り巻く環境は大きく変わった。
「何というか……凄まじいパワーだな」
三月娘のバイタリティにただ僕は感心するしかなかった。
「後三分!」
「わ、分かったよ!」
感傷に浸っていた時に立華の怒声に近い時報が伝えられた僕は慌ててパジャマを脱ぎ始めた。
立華に促されて(というか強制拉致)着替えた僕はそのままゲンさんの車の中へと押し込められた。
せめて鞄ぐらい用意させてほしいと頼んだものの、響曰くそんなものは今日必要ないという。
「康介君、今日私達は休みよ」
左に座っている優奈は楽しそうに微笑みながら言葉を紡ぐ。
「運悪く私達四人は風邪を引いてしまった。だから今日は学校に行かなくて良いの」
「でも、それで良いのか?」
優奈のあっけらかんとした物言いに不安を覚えた僕はそう疑問を呈すと。
「良いわけ無いでしょう」
右の頬杖をついた立華が横槍を入れた。
「県大会も近いんだし、期末テストも近づいている。私からすれば一時間でも休みたくないのだけど」
ぶつくさ文句を立華だが続く言葉に。
「けど……今のあんたを見ていると放っておくわけにはいかないでしょう」
そっぽを向いて小さくそう呟いた。
「あらまあ、ツンデレですね」
「誰がツンデレよ! ハラグロ娘が!」
優奈の的確な物言いに立華が突っ込みを入れる。
「あらあら、立華さん酷いです。ヨヨヨ」
「その三文芝居を止めなさい! この大根役者が!」
優奈が嘘泣きを始め、それにカチンときた立華がギャアギャアと喚き始める。
端から見れば口喧嘩だろうが、実際戦っているのは立華だけで優奈はノラリクラリと避けている。
喧嘩をするなとは言わないけどせめて場所を考えてくれ。
両隣でやられると凄く困る、音量的に。
「……響、どこに行くつもりだ?」
今の二人は聞く耳持たないと判断した僕は膝に座っている響にそう尋ねる。
すると響はにんまりと深い笑みを浮かべて。
「とてもとても素敵な場所です」
と、意図の読めない答えを出した。
それがどういう意味なのか尋ねようとすると。
「はい、これ。康介君の朝食」
優奈が巷で有名なカロ○ーメイトを差し出した。
つい一秒前まで立華の相手をしていたのにこの変わり様。
見ると立華も口喧嘩を行う前の状態に戻って頬杖をついているし。
何というか……本当に二人は仲が良いなと思う。
「おお、チョコ味だ」
まあ、それはそれと置いておき、出された味の種類について感動していると立華が口を開いて。
「だってあんたそれ以外のカ○リーメイトを食べないでしょ?」
「あれ以外は邪道だ」
僕はチョコ以外のカロ○ーメイトなんて断固認めていないからな。
チョコ味だけがその名を名乗っても良いだろう。
「本当に康介って変な拘りがあるわよねえ」
立華よ、何でそこで呆れるんだ?
今度如何に僕の主張が正しいのか話し合おうじゃないか。
と、僕はそんなことを考えながら朝食を頬張った。
「ここは……」
僕は言葉を失う。
うっそうと茂った森の奥にある綺麗な小川。
そして何よりも浅瀬の近くに立ってある掘立小屋を見た瞬間僕は一気に昔へと戻された。
「そう、ここは私達が幼い頃に作った秘密基地よ」
隣の優奈が目を細めながら教えてくれる。
「懐かしいわね、何年ぶりかしら」
立華はその掘立小屋を愛おしげな眼差しで見つめている。
「今でしたらもっと凄いものを作れる気がします」
響は改造したさそうにウズウズとしていた。
「どうして……この場所に?」
何故彼女達が僕をここまで導いたのか理解できない。
何がここにあるというのか。
学校を休んでまで来る価値があるのか。
「決まっているじゃない、康介に喝を入れるためよ」
わけも分からず、混乱する僕に立華がそう語りかける。
「一体……何故?」
僕は再度そう尋ねるも立華は答えない。
代わりに優奈が子供みたいな表情を浮かべて。
「まあ、詳しい話は後にするとして。今は楽しみましょう」
靴とソックスを脱いで川の中へと歩を進めた。
「うわー、水が気持ち良いです」
優奈の後に続いて川へと入ったのはご存じ元気娘の響。
川を優雅に泳いでいる川魚に目を輝かせながら。
「昔のようにあの魚を捕まえたいです」
と、泳ぐ数秒前の格好で固まっていた。
「止めときなさい」
そんな響を立華が止める。
「今回は着替えを持ってきていないのよ。泳ぐと風邪を引いてしまうわ」
「はーい」
響は不服そうだったが、濡れて帰るのは不味いと判断したらしい。
不承不承ながらも同意した。
「優奈も楽しそうだな」
僕は川から数歩離れた場所で佇みながら尋ねる。
「生徒会長や家の時とは違った表情だ」
人を引っ張らなければならないリーダーとしての優奈と弱みを見せてはならない名家としての優奈。
そのどちらでもない無邪気な優奈の微笑みに僕はそうポツリと漏らす。
「今の様に仮面を被ってなきゃ可愛げもあるんだけどね」
立華が鼻をフンと鳴らしながら言葉を続けるが。
「辛い時は辛いと言って欲しいわよ」
そう呟く立華の表情は寂しさが見て取れた。
「優奈も優奈で大変なんだ。それぐらい我慢するべきだろう」
良くも悪くも優奈と一番長い時を過ごしている僕だから分かるが優奈の場合、隙を見せればそれで終わりという場面を何度も見てきた。
そんな環境で育った優奈に素の表情で振る舞えというのが酷だろう。
「それは私も分かっているんだけどね……」
心が納得していないってか。
まあ、そこは立華自身が決めなければならない問題だな。
部外者の僕は一歩離れて見守らせてもらおうか。
「立華は混ざらないのか?」
ふとそんな疑問をが浮かんだので言葉に出してみる。
「優奈も響も川に入っているのに立華は座って森の方を向いているが、何かあるのか?」
「別に、ただ遊ぶ気にならないだけよ」
言葉少なく立華は答える。
「あんたが大変な状況なのに、どうして遊ぶことが出来るの?」
「それは……」
立華のその言葉に今度は僕が詰まる。
立華の真摯な言葉にどう答えるべきかしばらく悩んだ後、良い言葉が見つかったのでその通り話し始める。
「僕のことを気にするべきでない」
これは本心から出た言葉。
僕のことなど気に止めなくても構わない。
それどころか立華の心を悩ませるぐらいなら消えても良いと考えている。
「立華は立華の思う通りにやってくれ。それが僕にとって最大の喜び――」
「あんた本当に大馬鹿ね」
僕の言葉を途中で遮る立華。
硬直している僕にも関わらず立華は続けて。
「自分が大変な時でも人の心配して……あんたは自分が大切じゃないの?」
「……僕は失格者だ」
夢宮学園を退学したことに加えて長所を全て奪われた僕に権利などあるはずがない。
「僕は橘に何もかも取られてしまった。だから何もできな――」
「だったら取り返しなさい」
立華は言葉を続ける。
「奪われたんでしょう? だったらそれを取り返しなさい」
「一応父上が手を尽くしている」
「だからあんたは何もしない気? あんたのためにお父さんが骨を折っているのに、渦中のあんたは引きこもり……何それ?」
「……」
立華の詰問に僕は黙り込む。
確かに客観的視点から見れば僕の態度は非難されてしかるべきだろう。
「じゃあどうしろっていうんだ?」
そう分かっていても無責任扱いされるとイラッとくる。
「劣等生の僕に外的作用魔法が扱える橘に敵うはずがない。戦えば絶対に負ける」
「いえ、あんたは勝つわ」
自信満々に立華は宣言する。
「あんたがやる気になれば、本気を出せば橘なんて目じゃないわよ。障害にすらならないわね」
「……一体どこからその言葉が出てくる?」
僕がそう呆れ返るのも無理はないだろう。
「立華は橘の本気を知らない。だからそんなことが言え――」
「私はあんたを誰よりも知っている」
力強い言葉を立華は言い放つ。
「康介は世界最強よ、それは私が保証するわ」
「……」
「だから自信を持ちなさい。あんたは強いのよ」
と、立華はそこまで言い切った。
今、僕は一体どんな顔をしていたのだろう。
恥ずかしさで赤くなっているのか、それとも冷めた表情をしているのかも分からない。
混乱の極地にいる僕だが、たった一つ分かっていることは。
「ありがとう立華。僕を信じてくれて」
立華はこんな不甲斐無い僕を信じてくれていることだった。
「良い顔になったわね」
僕の表情を見た立華は満足そうに微笑む。
「康介も立ち直ったことだし……私も川で遊ぼうかしら」
うーんと背伸びした立華は素足になって。
「康介も早く来なさい。気持ち良いわよ」
太陽の様な笑顔を浮かべて僕を誘ったのだが。
「立華ちゃん、そ~れ」
「きゃあ!」
優奈が立華に水をかけてきた。
そしてビショビショになった立華は俯き体を震わせた後。
「あ、ん、た、ねぇー!」
「きゃー、立華ちゃん恐いー」
ずぶ濡れになった立華が追い掛けるのは嬉しそうな表情の優奈。
「何やってんだよ」
僕は呆れ声を出す。
「本当に……仕方ないなぁ」
二人の追いかけっこを見た僕はもう一度呟く。
心の底から笑ったのは橘に奪われて以来。
そんなことを考えながら僕はやれやれとばかりに首を振った。
と、僕は部外者気分だったのだが。
「康介さんも、それぇ!」
「うわ!?」
響が僕の手を取って川の中へと引きずりこんで来たので、僕も被害者となってしまった。
「これで一緒です」
響がそう無邪気に笑うが、頭まで水を被った僕としてはあまり笑えない。
何故なら僕は三月娘と違って。
「……靴の中が大惨事だ」
靴を履いたままだったからだ。
「アハハ、康介が酷い目に会っているわ」
声のした方を見ると立華が腰に手を当てて笑っている。
あれほど怒っていたのにもう機嫌を直したのかと燻しかむ僕だが、立華のすぐ横で四つん這いになっている優奈を姿を見て納得する。
ああ、もう復讐を済ませたのだな。
「り……立華ちゃんやり過ぎよ」
川の水が気管支に入ったらしく、咳き込みながら文句を言う優奈。
「さてと、響ちゃん一緒に川魚でも捕まえましょうか」
もちろん立華は気にする素振りすら見せず、僕の隣にいる響を誘った。
「馬鹿なことをするなよ」
隣に座った優奈に対してそう口火を切る。
「あんなことをすれば立華が怒るのは当然だろう」
視線の先にいるのは響と共に戯れている立華。
彼女は先ほどの怒りなど微塵にも感じさせず魚を探している。
弓月立華の性格は本当に分かりやすい。
一般より気性は激しいものの、抑えるべき点は抑えており、余程常識外れのことをしなければあのように怒ることはない。
……まあ、特定の人に対しては相当高いレベルの常識を求めてくるのが難点だがな。
明らかに僕に求めるレベルは一般より大きく逸脱している。
「だってねぇ、楽しいんだもん」
「そうは言ってもな」
優奈がそうコロコロ笑うが全くもって同意出来ないため溜め息を吐く。
「やり過ぎるとそのトバッチリが僕にくるんだぞ」
立華の僕に対する態度は変動的で、今日許されたことが明日許される保証はない。
機嫌が良い時はともかく、悪い時は結構神経を使うのであまり立華を刺激しないでほしいのだが。
「大丈夫よ、私に被害はないし」
「この悪魔め」
対岸の火事を楽しむかのような優奈の発言に僕は悪態をついた。
「ックシュン!」
一陣の風が吹くと同時に優奈がクシャミをあげる。
日差しは強いがまだ梅雨入り前の六月の季節。
風はまだ冷たい時期だな。
「仕方ない」
確かに優奈はその性根が最悪だが、風邪を引いて良い道理はない。
だから僕は一息を吐いた後に魔法で熱風を創り出した。
「本当に魔法って便利ね」
温風に目を細めながら優奈が感嘆の声を上げる。
「科学技術が衰退するのも分かるわ」
「まあ、世界各国は魔法の方に力を入れているからな」
実はこの世界。
科学技術の水準は五十年前と大差ない。
それもそのはずで、各国は科学技術に割く予算を魔法の開発に割り当てている。
科学技術の発展には基礎研究が必要不可欠。
その基礎研究がほとんど進んでいない以上、それを土壌にする分野の進行などありえなかった。
「ふう……」
風に身を任せた優奈は目を瞑る。
艶のある黒髪に日本人離れした体型。
服は濡れているため直視できないが、少し覗き見るだけでもエロスを感じる。
こうして見ると本当に綺麗だと思う。
ゲンさんを始めとした皆が夢中になるのも分かる気がする。
これで性格が良ければ最高だと思うものの、それは高望みし過ぎか。
「なあ優奈」
僕はそういった劣情を振り払う目的も兼ねて優奈に尋ねる。
「なあに、康介君?」
優奈がこちらを振り向いたので話を聞く準備が整ったのだろう。
そう判断した僕は続けて。
「優奈は僕を軽蔑しないのか?」
「あらあら、どういう意味かしら?」
心底分からないという表情は素かそれとも演技か。
一瞬考えたものの、優奈は敵でないのでその疑問は無意味だと気付く。
だから僕は突っ込まずに話し始める。
「僕が優奈にとって役に立つ存在で無くなったから」
「あらあら……」
僕の言葉に優奈が一瞬固まったのは意外だったな。
優奈もこの質問がくるとは予想していなかったことか。
「優奈が自分の近くに置くのは使えると判断した者のみ。僕はそこから外れてしまったのに、普段通り接するのか?」
優奈はその美貌の裏で相当悪どい性格をしている。
例えるなら女神の顔をした悪魔というところか。
外見に騙されて近付くと後々とんでもない目にあってしまう。
「優奈、どうしてだ?」
僕は再度そう尋ねる。
「何故優奈は変わらない?」
「……昔話をしましょうか」
僕の真摯な眼光を二、三秒見据えた優奈はおもむろに口を開く。
「康介君、覚えている? 私が始めて挫折した時のこと」
「ああ、確か優奈が中学生の頃、生徒会長をリコールされた時か」
優奈は男女問わず人気がありながらも、その斬新かつ大胆な方針を幾つも打ち出すので一部の生徒からやっかみを受けていた。
それは大小様々あるが、その中でも最も大きな妨害が生徒会長のリコールである。
不幸にもそれは達成され、優奈は生徒会長の座を引き摺り下ろされてしまった。
そして彼等の方から選出された生徒会長が優奈の功績をことごとく消し、それで終わりかと思われたが。
「康介君はどんな時でも私の味方だったのよね」
「正確には僕と立華そして響の三人だけどな」
生徒会長でなくなった優奈を皆が掌を返していく中、僕達三人は必死で優奈を擁護し、励ました。
その甲斐あってか優奈は気力を取り戻し、再度リコールして生徒会長の座へと返り咲いている。
「あれは優奈本人の力だ。僕達はただ手助けをしただけ」
「それでもあの時の私にとっては百万の味方を得たに等しい衝撃だったのよ」
頬を描いて視線を逸らす僕に優奈はハッキリと宣言する。
「その時私は決めたの。康介君を含む三人はどんな状況に陥ろうとも助けると、護ってあげるとね」
「それそれは……」
一瞬嘘を付いているのかとあう思考が浮かんだが、優奈の目を見た僕は深く恥じる。
どんなに演技が上手い役者であろうとも今の優奈の表情を真似することなど到底出来ないであろう。
それぐらい優奈の瞳は深く静かな色を浮かべていた。
少し経つとその色が消し、代わりに優しい眼差しを作った優奈は。
「安心して、私達は康介君の味方だから。少なくとも私はそうあり続けるから。康介君は怯えなくて良いの?」
「怯える?」
優奈が最後に言い放った言葉の意味が分からず、問い返そうとした僕だが。
「あー! 康介さんと神無月さんがずるいですー!」
けたたましい声音によってタイミングを逸してしまった。
「あらあら、響ちゃん。だいぶ濡れたわねぇ」
大分濡れたどころではない。
スカートはおろかセーラー服さえもずぶ濡れになっており、身体のラインがキッチリと見える。
響の身体はまだ第二次性徴が起こっていない寸胴体型なものの、全身から溢れ出す若々しさが欠点を覆い隠していた。
「響の元気さを失念していたなんて……うかつだったわ」
その後ろから後悔の極みとばかりに声を出すのは同じく全身が水に被った立華。
元から猫を彷彿させるスレンダーな体躯の持ち主と分かっていたが、水に濡れてボディラインが浮かび上がるとますます際立つ。
胸も優奈ほどまでとはいかなくとも、よく発育したなぁと邪念が浮かんでみたり。
「ん? 康介、私の顔に何か付いている?」
「いや、何でもない」
惚けていたのだろう。
立華が首を傾げたので僕は慌てて首を横に振るが。
「嫌らしいことを考えていたわね。正直に言いなさい」
さすが立華。
鋭い。
しかし、僕の名誉のため断固として本音を言うわけにはいかず、ただ首を振る。
「怪しいわ。サッサと言いなさい」
まあ、それで立華が諦めるわけがなく、そのまま押し問答に入るかと思いきや。
「うーん、良い風です」
そうしている間に響が温風を発生させているエリアに入ったらしい。
目を細めて風を楽しんでいる。
「あら、良いわねぇ。私も体と服を乾かそうっと」
と、立華の興味が逸れたので僕は事なきを得た。
「康介君、もっと風を強く出来ないかしら?」
人数が突然倍になったのだから優奈の注文は最もだろう。
「ああ、良いぞ」
だから僕は素直に魔法を発動させた。
「康介さん! もっと早く歩きましょうよ!」
前を歩く響はそう僕を急かすが、正直僕は乗り気でない。
何故なら。
「……どうしてイノシシ狩りなんて」
野生のイノシシを捕まえなければならないからだった。
事は昼食前のこと。
僕達は持ってきたお弁当を食べる予定だったのだけど、響の思いも寄らぬ奮戦で川魚を数匹捕まえる事が出来た。
それだけならお昼が少し豪華になる程度なのだが、これだけでは満足しない響がイノシシを狩ろうと提案した。
もちろん僕は反対。
狩った後の調理する道具もなかったし、何より響が危機に晒される可能性が大き過ぎた。
が、立華と優奈は響に賛成したので多数決の結果、イノシシ狩りを行う羽目となった。
しかし、僕は最後の抵抗として狩りは僕一人で行うと提案したのだけどあえなく却下される。
「大丈夫よ、康介がいるんだし」
「響ちゃんは見た目通り運動神経が高いので問題ありません」
上から立華、優奈の順である。
そして最後に。
「いざとなれば守って下さいね?」
純粋な瞳でそう訴えられた僕はそれ以上言葉が出てこなかった。
「あ、康介さん。そこは穴が空いていますよ」
「おっと」
響に指摘された僕は慌てて足をずらす。
草に覆われて分かりにくいが、確かにその場所に土はなかった。
「よく分かったな」
僕が思わずそう漏らすと。
「エヘヘ、康介さんでしたら多分引っかかるんじゃないかと思っていました」
「……」
響の屈託のない返答に声が出なかった。
「おい響、そっちの道で良いのか?」
「はい、イノシシが通った跡がありますのでこちらが正しいのです」
迷いなくスイスイと進んで行く響。
僕達の靴は山を歩くに向いていないスニーカーなのによくもまあ普通に歩けるものだ。
「うわ、蛇です」
「……どこに?」
響が露骨に嫌な声を出して止まる。
重ねて言うが僕にはただの草薮にしか見えていない。
しかし、数瞬後には細長い何かが右から左へ抜けていった。
「私、こういうのは得意なんですよ」
響は片目を指差しながら続ける。
「普段から牛や鶏といった動物と接していますので生き物の残滓と言いますか、気配を感じ取れることが出来ます」
「……もうそれは魔法の分類でいいんじゃないか?」
魔法使いとして名乗っても十分遜色がない気がする。
「いえいえ、私のはあくまで“感じ取れる”だけです。そこから操作をすることが出来ないので魔法までいきません」
「それもそうか」
魔法は現実を変えるから魔法とされる。
ただ読み取るだけでは駄目だということに気付いた。
「蚊が出てきたな」
プーンという音が聞こえたので僕はそう呟く。
「ちょっとばかし虫除けでも行うか」
僕はそう呟くと指先に力を入れ、そして辺りへ手を振る。
「これで良し。しばらくは蚊に食われずに済むぞ」
魔法によって蚊を寄せ付けない花の成分を作り出したので、全てが風に流されるまで蚊が寄ってくることはないだろう。
「ほえ~、ありがとうございます」
響がそうお礼を述べるが、間の抜けた表情から何をしたのか理解していないようだった。
まあ良い。
魔法のことなど理解してもらわなくても構わない。
ただ、自分にとって都合が良くなったと知ってくれれば問題はなかった。
「そこに食べられるキノコがあります。少し取って帰りましょう」
またもや野生の力を発揮する響。
手頃なキノコを袋に詰めた響は得意げに。
「もし学校の授業でサバイバルがあれば確実に首席を取れます」
「学年どころか学校全体であろうと響には敵わないだろうな」
そんな響の言葉には疑い様もなかったので素直に頷きそして。
「だが、現実は非情だ」
「はい……」
実際は机の上のテストが全てを決めていた。
いや、全てではないがそれでも点数によって学校での立ち位置が決まる。
直感というか、本能で危険を嗅ぎ分ける響のようなタイプにとって学校は苦痛以外の何物でもないだろう。
「でも、私はまだ恵まれていますよ」
僕の思考を察知したのか響は振り向かずに言葉を紡ぐ。
「小学校も中学校も、私の様な生徒が皆から目を付けられて孤立し、最後には不登校になっていく様を目撃しました」
「そうか……」
「私も一時クラスメイトから邪険にされましたが、全てを跳ね除けて明るく振舞っています。彼女達と私、明暗を分けたのは何だと思いますか?」
「仲間かな」
僕の答えに響は親指を立てる。
「そう。私には康介さんや立華さん、そして神無月さんがいつも傍にいてくれました。例えトイレで水を掛けられ様とも笑うことが出来たのは康介さん達のおかげです。どんな目に会おうとも康介さん達は絶対に私の味方だと信じていたからこそ私は常に笑顔なんです」
「……」
響が虐めにあっていた事実は脇においておこう。
あれは何度思い出しても腹が立つことこの上ない出来事であるし、今は恐らく関係ない。
それよりも響の言葉の意味を考える。
物心がついた時から四人でいた。
過疎化の影響で子供が少ないから必然的に僕達は集まり、そして遊ぶ。
普通は小学校を過ぎたあたりから男女を意識し始めるのだけど、学校が遠くにあることもあり、離れ離れになることがなかった。
「あまり僕達をアテにしない方が良い」
僕はあえて突き放す。
響きを虐めるつもりは毛頭ないが、このまま僕達に依存してしまわないためである。
「響は響であり、僕は僕だ。いずれは各々の道を歩いて行く」
僕は冷たく言い放ったつもりなのだけど、響は心底嬉しそうな笑顔でこちらを振り向いて。
「ほら、私を正してくれました」
「……」
そう返されるとこちらは黙り込むしかなかった。
「でも、反論させて下さい。康介さん、私達はずっと一緒ですよ。例え他に愛する人が出来たり何処か遠くの地にいたとしても困っていれば私達は必ず駆け付けるでしょう?」
「そこは否定出来ないな」
何があろうと、全てを失い僕を拒絶したとしても僕は響や立華、そして優奈の傍に寄り添う。
殴られても怒られても僕は諦めない。
それぐらい僕は三人のことを大切に想っている。
「康介さん、康介さんは疑問を感じていましたよね――どうして何の取り柄もなくなった僕を助けるのか、と」
ここで響は話題を変える。
「それですよ。今、康介さんが考えているのと同じです。どうなっても、足を引っ張る存在に成り下がったとしても私は康介さんの味方です」
……
…………
……………………
一体僕と響はどのくらい見つめ合っていたのだろう。
頭の中が混乱して訳が分からず、時間の流れもあやふやになっている。
そうだ。
僕は何を勘違いしていたのだろう。
響や立華、そして優奈を助けるのは自分にとって利益があるからじゃない。
彼女達が彼女達だからこそ。
何があろうとだから傍にいる。
僕は今更そのことに気付いた。
「? どうかしましたか?」
「いや、何でもない」
響の覗き込んでくる視線を避けるように僕は顔を逸らして手で覆い隠す。
今は誰にも顔を見せたくない。
涙で汚れた顔など見た所で誰も気分良くならないからな。
「あ! イノシシです!」
この時ばかりは神様とやらに感謝したい。
なんて良いタイミングでイノシシを召喚してくれたのか。
「……どいてくれ」
後で寄付でもしようかなと考えながら僕は適当な枝を横に携える。
イノシシの大きさは大体一メートルだけど、猛スピードで直進きてくるため実際より大きく獰猛に見える。
「康介さん! 危ないですよ!」
響がそう危険を伝えるがそれは余計なお世話だろう。
グングンと迫っている中、僕はだらりと右腕を下げる。
剣道の技術は奪われている――いや、奪われたからこそ自然体で振る舞う事ができる。
剣を振り抜く動作は簡単だ。
余計な動きを加えず、ただ慣性に従えば良い。
幸運なことに、橘に奪われたから思った通りに体が動き、そして。
ズバン!!
すれ違い様にイノシシの首を一刀の元に切り捨てることが出来た。
「……」
あまりの光景にあの響でさえ口をポカンと開けているのが印象的だった。
「やはりイノシシはやり過ぎたか」
週末。
回復した僕は家の近所にあるあぜ道を散策しながらぼやく。
体長一メートルとはいえ、動物一匹を高校生四人で食べ切れる訳がない。
だから余った部分を皆で分けあって持って帰ったのだけど、それがいけなかった。
魔法使いの僕からすれば造作もないことなのだが一般人からだとイノシシは危険極まりない動物。
加えて響を同伴させたのが不味かったらしく、昨日父上から雷を落とされた。
視界に火花が散り、しばらく悶絶したのを覚えている。
まあ、それは良い。
父上の言葉には一理あるから叱責は甘んじて受けよう。
しかし、どうしても納得出来ないのが。
「ったくネズミめ。僕の言うことなど一つも聞いてくれちゃいけない」
その後ネズミから呼び出され、優奈を危険な目に合わせたとこっぴどく夜遅くまで叱られた点だった。
計画したのは優奈で実行したのは立華のはずなのだが、何故かネズミの脳内では僕が黒幕で、計画を立てて実行したことになっている。
……どこをどう考えればその結論に達する?
心傷を負って引きこもり状態だった僕にそんなアグレシップな真似なんて出来るか。
「まあ、ネズミに常識的な思考を求める方が間違っているか」
優奈を自分のために利用しようとしているゲスだ。
そんな奴の考えなんて理解する必要はないし、分かりたくもなかった。
「さてと、今日はどうしようかな?」
明後日から学校に通うのを再開するので、正直今日は暇だ。
「しかもこんな日に限って立華も優奈も、響きでさえ用があって会えないというし」
僕が昨日あれだけ怒られていたというのに彼女達はお咎め無しで早々に帰宅。
そして電話をしても出ず、僕自らが訪れても顔すら見せて貰えなかった。
何というか……少し寂しい。
「けど、まあ仕方ないか」
心をチクリと痛ませる感情を振り払うように僕は頭を振る。
「こんな時もある」
僕はそう自分を慰める。
自分は自分で彼女達は彼女達。
別々である以上、都合の悪い時は必ずある。
「こういう時は一人散策に限る」
僕はあえて声に出す。
「そういえば一人で自由気ままに振る舞うなんて久しぶりだな」
夢宮学園時代はそのシステムと橘によって。
今は三月娘に振り回され続けてきたから自由なんてあってないようなものだった。
「さて、孤独を楽しもうかな」
僕はそう宣言し、手をブラブラさせて歩く速度を落とす。
僕の長所は奪われてしまった。
これから先、三月娘の役に立てないかもしれない。
けど、僕の心は晴れやかだ。
何故なら、そんな僕でも彼女達は仲間だと言ってくれたから。
だから僕には不安などない。
「……こんな日がいつまでも続けば良いな」
僕は思わずそう口に出していた。