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第五話 全ての元凶

「無様だねえ犬神」

 頭上から響くのは嘲りに満ちた声。

 目の前の少年に叩きのめされた僕は立ち上がることすらできずに体を床に投げ出している。

「横を見ろよ。お前の今の状況にあいつらは声を失っているぜ」

 その言葉通りに僕は右を向くと、そこには恐怖と不安が混ざった顔をしている二人組の少女がいた。

「……柚ちゃん」

「大丈夫よ静香、彼は私達に危害は加えないと言っていたし」

 線の細い、髪の長い子が震えているのを短髪で勝気な瞳の少女が必死に勇気づけている。

「おい、お前らはもう良い。サッサと失せろ」

 僕を叩きのめしたことで気が済んだのか、目の前の少年はどうでも良いという感じでそう告げると、彼女達は弾かれた様にこの場から去っていった。

「どうだ? 犬神、今の心境は?」

「……」

「あいつらの前では頼れるお兄さんでいたかっただろうが、それは俺が許さねえ。お前に似合うのは床に這いつくばっている姿だ」

「……ああ、そうかい」

 もうどうでも良い。

 こんな扱いには慣れた。

 だから早く解放してくれと切に願う。

「ふむ……良い眼になってきたな」

 僕の髪を掴み上げた彼は満足気に呟く。

「光が無く、虚ろな瞳。それがお前に相応しい……っぜ!」

「ぐっ!」

 彼は僕の腹を手加減なしで蹴り飛ばしたらしい。

 体をくの字に曲げた僕はしばらく呼吸困難に陥る。

「さてと、友人を待たせているから俺はもう行くぜ。じゃあ……お?」

 クツクツクツと喉を鳴らしていた彼だが、僕の隣に何かが落ちているのを気に止め、そしてそれを拾う。

「何だこの写真?」

「っそれは!」

 摘まみ上げたカードが僕にとって肌身離さず持っていたものに気付き、血相を変える僕。

「……返せ」

 腹を蹴られた衝撃でまだ上手く呼吸が出来くとも渾身の力で声を出して手を伸ばす。

 それは僕にとって大事なものだ。

 それがあるからこそ僕は学校を辞めずお前からの苛めに耐えているんだ。

「っは、下らねえ写真だなあ」

 彼はその写真を鼻で笑う。

「犬神を中心として、周りを囲むこの三人の女……良い身分だなあ犬神よ?」

「……返せ」

「おおっと、それは駄目だ」

 震える手で写真を掴もうとするも触れる瞬間に胸を蹴られてしまい、もんどりうって転がる僕。

 そんな僕を睥睨しながら彼は嫌味ったらしい口調で。

「本当に幸せそうだなあ。あー、何かムカついてきた。おい犬神、この写真に写っている三人の名といる場所を言え」

 僕に近づきながらそう述べる彼。

「……聞いて……どうするつもりだ?」

 一縷の望みをかけ、僕はそう尋ねると彼は当然とばかりに。

「決まっているだろう。お前と仲良くしたことを後悔させるんだよ。二度と犬神に近付かない様にな」

「……ふざけるな」

「ああん? ふざけてなんかいねえよ。これはマジだ」

「どうして僕をそんなに嫌う?」

「決まっているだろう、お前が俺の居場所を奪ったからだよ。お前のせいで俺は地獄を見た。だからその苦しみを味らわせてやるだけだ」

「彼女達は……関係ないだろう」

「関係あるさ。お前と仲良くしていた――それだけで十分制裁に値する。さあ、この娘達との関係は何だ?」

「……」

「ほう、だんまりに入ったか」

 僕が固く口を閉ざしたのを彼は鼻で笑う。

「まあ良いや。大方お前の故郷周辺の子だろう。口を割らなくても見当は付くな」

「っ!!」

「あん? 何だその反抗的な目は」

 立ち上がった僕に対し不可解なものを見る眼を向ける彼。

「立華は、優奈は……そして響に手を出すな」

「ほう、この三人の名前はそうなのか。ありがとよ、今度会う時は面白い写真を見せてやるぜ」

 不敵に笑った彼の顔を見た瞬間、僕の中の何かが切れた。


「――っは!」

 動悸が収まらない。

 呼吸も荒く、体中が汗をかいている。

 古びた倉庫にいるのでなく、体も傷付いていない。

 ましてや奴の存在が近くにいるわけがない。

「……夢か」

 真っ暗な部屋で浮かび上がる夜光時計の時刻を確認すると現在午前二時。

 もう一度眠った方が相応しい時間なのだが、先程の悪夢が強烈過ぎたので眠気が遥か彼方に飛んで行ってしまっていた。

「……どうして今思い出す?」

 早鐘を打つ心臓の上に両手を置いた僕は唸る。

 あの場面は空想でなく現実にあった出来事。

 僕が夢宮学園を退学する決定的な動機となった事件。

 あれからまだ二ヶ月と経っていないが、これまで思い出したことも夢に上がったことも無かったのに。

「……う」

 何かをしていないと落ち着かない。

 ちょうど良く汗をかいたせいか喉が渇いていたので水を飲みに一階へ降りる。

「何故奴が夢に出てきた?」

 コップに継いだ水を眺めながら僕は考える。

 僕が夢宮学園での生活を苦痛に変えた張本人。

 彼さえいなければ僕は今も夢宮学園に在籍していただろう。

 僕の人生を大きく狂わせたその人物の名は――

「橘……竜一郎」

 忌まわしいその名を口にした途端猛烈な吐き気が僕を襲い、思わず口元を抑えてしまった。


「康介、あんた今日どうしたの?」

 下校時の車の中で立華がそう疑問を呈す。

「授業中もボーっとして、剣道の時も上の空だったわよ」

「そうだったか?」

「ええ、部員達も心配していたわ」

「そうか、それは済まなかったな」

 相手を不安にさせることは褒められることでない。

 自分の失敗に僕は反省する。

「康介さん、嫌な夢でも見たのですか?」

 と、ここで膝の上の響が声を上げる。

「昨日一緒に勉強している時までは普通でしたのに今日の朝は何だか疲れているように見えました」

「え? そうだったか?」

「そうです、間違いありません」

 さすが響、鋭いな。

 朝は疲れを見せないよう注意して装っていたのだが、響には通用しなかったようだ。

「少し……嫌な夢を見てね」

 隠しても追及され、結局は話してしまうのなら正直に話した方が良いだろう。

 心の傷もだいぶ癒えたし良い頃合いだ。

「僕が夢宮学園を退学になった出来事を思い出してしまった」

「え? どういうこと?」

「言葉の通りだよ立華。僕が夢宮学園を退学する決定的な場面が夢に現れたんだ」

 こう話している間にも心が痛む。

 胃がねじ切られそうな錯覚に襲われるが、立華、優奈そして響が近くにいるということを認識すると抑えることが出来た。

「優奈、以前僕にどうして神童とまで呼ばれたのに夢宮学園に入った途端劣等生になったのか聞いてきたよな」

「ええ、そうね」

 僕の問いかけに優奈は頷く。

「あの時の答えを今話そうか」

 こういうのは勢いで話した方が良い。

 頭に響く奴の声を根性で押さえながら僕はポツリポツリと語り始めた。


「橘竜一郎……それが僕の学園生活を壊した奴の名前だ」

 思い出すだけで吐き気がする。

 全てを見下す凍り付いた瞳、血の気のない顔、光を呑みこむ漆黒の黒髪。

 僕にとって二度と会いたくない人物だった。

「橘って……あの橘家ですか?」

「うん、あの橘家」

 優奈の問いかけに頷く僕。

 橘は日本の政財界屈指の実力を持つ名家。

 特に軍事関係が強く、自衛隊などは橘の息が掛かっていると噂されている。

 どうして優奈が中央政財界に属する家のことを知っていたのかと言うと。

「ドブネズミが私の嫁入り候補として挙げていたのよ」

「なるほどね」

 ネズミが持ってきた縁談の中に橘家があったのか。

「しかし、どうしてその橘が康介にちょっかいをかけるのかしら」

 腕を組んだ立華は首を捻る。

「片や過疎が進んだ田舎育ちの康介と片や日本に純然たる影響力を持つ橘……どう考えても接点はないわよ」

「それがあるんだよ立華」

 僕は沈痛な面持ちで続ける。

「僕としては優奈より先に立華が勘付くと思っていたのだけどな」

「え? 私の方が心当たりあるの?」

「うん」

 僕がそう肯定すると立華は腕を組んで考え始める。

 一、二分ほど記憶のタンスを弄っていた立華だけど。

「ごめん、降参」

 立華はお手上げとばかりに首を振ったので僕は疑問形でこう尋ねる。

「立華は全中の決勝戦を覚えている?」

「ええ、今でも鮮明に思い出せるぐらい良い試合だったわ」

 去年の全中の決勝戦。

 それまでストレート勝ち進んでいた僕が唯一判定にまで持ち込んだ試合。

 僕はあまりに集中しすぎていたせいか記憶が曖昧だけど、観客側からすると手に汗握る名試合だったらしい。

「で、その相手の名前は?」

「名前って……あ! 橘!」

「そう、だから接点を持っているんだよ」

 向こうもストレート勝ちに加えて一年、二年と優勝した猛者。

 そのせいか試合中何度も負けたと感じてしまった。

「本人曰く、負けは許されなかったらしい」

 僕は橘から放たれた言葉を思い出す。

「僕に負けたせいで橘家での立場は一転、針のムシロに座る毎日となり挙句の果てには地獄として有名な夢宮学園へ入学する羽目になったと」

「……それ、あんた関係ないでしょ?」

 立華が思わず呆れ声を上げる。

「勝負に勝ち負けはつきもの。むしろ手を抜いて勝ちを譲る方が失礼よ」

「まあ、そうなんだろうけどな。橘の中では僕が全ての元凶となっている」

「だから――」

「立華ちゃん、この世には常識が通じない相手もいるのよ」

 なおも続けようとした立華を優奈がやんわりと止める。

「ピラミッドの上部――特権階級に住む人間程その比率が高まるわ。彼らの常識は私達の非常識、その逆もまた然りよ」

「その通りだ、優奈」

 優奈の言葉に肯定する僕。

「橘を始めとした上の人間の考えなど理解しなくて良い……徒労に終わるだけだ」

 僕も当初は必死に説得を試みた。

 試合に勝負は付き物だと。

 逆に手心を加えると試合に対する侮辱だと切に訴えた。

 しかし、橘は全く聞く耳持たなかったので僕は諦め、ただ橘の気が済むようにさせてやった。

 その方が面倒くさくなかったから。

 夢宮学園に入学した時から僕の心は以前と変わり、何事に関しても無関心。

 おかげで橘がますますつけ上がり、気が付いた時には暴虐の嵐が吹き荒れていた。

「先生に助けを求めれば良かったじゃないの」

 そんな立華の疑問に僕は首を振る。

「夢宮学園は生徒同士の争いを傍観、むしろ推奨している」

 逆境と苦痛の中でこそ怪物は生まれる。

 それが夢宮学園の校風。

 “管理された無法地帯”との異名を持つ夢宮学園は現状に満足させず、常に抗い強くなることを生徒に強いていた。

 恐ろしいのはそんな厳しい状況だからこそ一流の魔法使いが生まれていることだな。

 地獄を生き残ってきた分、その強さは折り紙つきであった。

「で、その橘竜一郎さんとやらのせいで康介さんは学園を辞めたのですか?」

「いや、結果論としてはその通りだが実際は少し違う」

 響の疑問に僕は首を振る。

「話を聞く限り、キレた僕が原因で橘は心傷を負って魔法が使えなくなったらしい。

 そして魔法が使えなくなった橘を僕がボロ雑巾と化すまで殴り付け、過剰防衛として停学になったからちょうど良い機会として学校を辞めた」

「康介さんは何をしたのですか?」

「いや、それが分からないんだ響」

 僕は顔を顰めながら続ける。

「偶然助けた二人組の少女の前で叩きのめされたのは覚えている。しかし、それから先の肝心な部分での記憶が無い。気が付いた時、僕は窓のない四角い部屋で魔法使い専用の拘束具に体を縛られていた」

 性格には橘が三月娘に危害を加えようと口にした後だけど、それを伝えるのは気恥ずかしかったので多少の嘘をついておいた。

「それから僕は橘と会っていない。なのに何故今夢に出てきたのだろうか」

 僕は遠い眼をする。

 これが虫の知らせで無いことを僕は無意識に祈っていた。

「そんな康介君にプレゼント!」

 突如優奈がそんな声音を上げる。

「いきなりどうしたのよ神無月嬢」

 テンションが上がった優奈を不審気に一瞥した立華は続けて。

「そういえば今日の優奈はいやに機嫌が良かったわね。車に乗る途中に挨拶をしてきた時は寒気が走ったわ」

 ずいぶんと失礼な言い草である。

 でもまあ立華の言葉も頷ける場所があるので注意することはできないな。

「ねえ、これ見てよ!」

 そんな立華の嫌味にを全く気に留めず、優奈は鞄から一枚のプリントを取り出す。

 小難しい文字の下には優奈と僕のツーショットが映っていた。

「何何……ああ、これって先日の地域祭りの様相ですね!」

 最初に理解したのは響。

「ウフフ、正解よ響ちゃん。これは明日に載る新聞紙の一記事なの。今日新聞社が生徒会宛てに持って来てくれたのよ」

「凄いです優奈さん! 康介さん!」

 響が目を輝かせる。

「これで二人とも有名人ですね!」

「そうだと嬉しいのだけど」

 響の称賛に満更でもない優奈は続けて。

「これは地方新聞、しかも一番後ろに設けられた特設欄の記事なの」

「全国紙の一面じゃないのですか……」

「……響、あんたはもう少し常識で考えなさい」

 明らかに落ち込んだ様子の響に立華は苦笑いを浮かべる。

「地方の祭りを高校生が主催したという記事が全国紙の一面を飾る国って何なの?」

 そんな場面を思い浮かべてみる。

 世界経済や政治の行方が二面で一面が地方祭りの記事。

 なるほど……確かにシュールだ。

「安心して響ちゃん」

 気が付けば優奈が響の頭を撫でながら。

「千里の道も一歩から、何時か全国紙の一面を飾る日がきっと来るわ」

 とんでもないことを宣言する優奈。

「日本どころか世界に神無月優奈の名前を知らない者はいない――それが二十年後の今日よ」

「犯罪で一面を飾るの間違いじゃない? 世にも希な凶悪犯罪を行ったとかで永劫に記録されるとか」

「まあ、酷いわねえ立華さん。康介君はどう思う?」

 うん、ごめん優奈。

 僕もそちらの方が高い気がする。

 優奈って一見清楚に見えるけど自己中だし、気に入らないことがあると怒るし。

 優奈を止めるストッパーが絶対に必要な気がする。

「優奈さん、凄いです」

 響がそう手放しで褒めるのは余程純粋なのかそれとも世界を知らない馬鹿か。

 目をキラキラさせる響を見ていると、いつか手痛い詐欺に遭ってしまうのではないかと懸念する。

 うん。

 優奈と響は僕の目から離れると何かとんでもないことを犯しそうだから目が離せないよな。

「何というか……一生この四人でいそうな気がするな」

 思わずそう漏らしてしまったのだけど、幸いなことに誰にも聞かれていなかった。


「じゃあな、坊主」

「うん、ありがとう」

 三叉路の手前で僕はゲンさんの車から降りる。

 別に僕の家の手前まで乗せて行ってもらっても良いのだけど、そうなるとゲンさんの車はUターンをしなければならなくなるので、気を使ってここで降りている。

「じゃあね、康介君」

「晩御飯を食べたらまた会いましょう」

「次ふぬけた様子で部活に顔を出したら承知しないから」

 と、三者三様の言葉を残して行く。

「さて、と……」

 ゲンさんの車を見送った僕は背伸びをして凝り固まった体を解す。

 軽いとはいえ、人一人分を膝に乗せているのだから、やはり相応の負担があった。

「今日の晩御飯は何かな?」

 歩きながらそんなことを考える。

 三月娘達に話したせいか、朝より心が軽い。

 こんなことならもっと早くに相談しておくべきだったと軽く後悔した。

「到着と――」

「よお、犬神」

 家の前に付いた時、僕は信じられないものを見た。

「んん? どうした犬神、俺の顔に何か付いているのか?」

 漆黒の黒い車に体を預けた人物は気安げにそう話しかけてくるが、僕の本能は危険を訴えている。

「……何故ここにいる?」

 辛うじて僕はそう声を絞り出す。

 最後に会った時より髪を伸ばしているせいか風貌は些か変わっているモノの、内側から溢れ出すどす黒い雰囲気は変わっていない。

「橘竜一郎……どうして君がいるんだ?」

「いちゃ悪いのか?」

 僕の学園生活を滅茶苦茶に破壊した元凶がにへらと相好を崩した。

「……」

 これ以上話しても気分が悪くなるだけだ。

 そう判断した僕はサッサと橘の横を通り抜けようとしたのだけど。

「少し付き合えよ」

 橘は僕の左腕を掴んで引き留める。

「ことわ――」

「付き合えって、なあ?」

「ぐっ」

 拒絶しようとしたが橘は掴んだ左腕をねじり上げてきた。

 その痛さに思わず顔を顰める。

「お前さあ、俺がただ挨拶しにきただけと本気で考えてんのか?」

 僕の耳元に口を寄せて橘は囁く。

「俺は受けた屈辱を忘れねえ。何年経とうと何十年経とうと必ずお礼をすると決めてんだ」

「……迷惑だ」

 僕はそう声を絞り出す。

「僕は夢宮学園を去る羽目になった。それだけで十分だろう」

「ふーん、そういう態度を取るわけ? じゃあ仕方ねえな。お前の代わりにあの女達が苦痛を受けてもらっても構わないんだぜ?」

「っ!」

 そう言われると僕に誘いを断る選択肢など無い。

 携帯を取り出した僕は家に少し遅くなることを伝えた後、橘の用意した車に入り込んだ。


「あー、どこから話せば良いのかなあ」

 車中。

 助手席に腰を下ろした橘は頬をかく。

「大変だったぜえ、何せ魔法が使えなくなったんだ。魔法を使えない魔法使いって何だよ? ただの頭のいかれた異常者だぜ」

「そんな戯言を聞かせるために僕を連れ込んだのか?」

 後部座席に座っている僕は車外に視線を走らせる。

 どうやら遠くの方へ行かないようなので心なしか安心した。

「ここで良いな。降りろ」

 宮倉町でも外れに位置する建物の近くに車は停止した。

「ボロイ家だなあ、誰か住んでんのか?」

 蔦に浸食された母屋と土気色に変色した倉庫を見た橘がそう感想を漏らす。

「ここは斎藤さんが住んでいた場所だ……一年前に亡くなったがな」

 子はおらず、妻に先立たれたせいか子供だった僕達に対して面倒見が良く、会う度にお菓子をもらっていた記憶が蘇る。

 訃報が届いた際、僕は夢宮学園に在籍していたので葬式には参加できなかったことが悔やまれる。

 仏さんでも良い。

 最期に一目会っておきたかったと今更ながら後悔した。

「ふーん、まあどうでも良いや」

 が、橘は僕の感傷を一言で終わらせる。

「要は人が住んでねえってことだろ? だったら問題ない」

「お前は……いや、何でもない」

 激昂し、掴みかかりそうになった僕だが橘の立場を鑑みると仕方のないことだろう。

 会ったこともない他人の死を感傷出来るかと問われれば首を振るしかない。

 立華や響のような心優しい人物ならともかく、冷淡な僕や橘にそれを求めるというのも酷だろうな。

「犬神よ、会いたかったぜ」

 斎藤さんの庭先に侵入し、十分な広さがある場所で橘は振り返る。

 四方は古い塀で囲まれているのに加えて近くに民家が無いことから多少暴れた所で問題は無いように見えた。

「お前によって叩きのめされ、その後遺症によって魔法が使えなくなった俺は勘当の危機に陥った。路上で寝たりホームレスと共に食事を取らなければならないことも屈辱だったが、それ以上に宗家はおろか分家からも蔑んでくるのは言葉で言い表せない絶望だぜ」

 橘の独白に僕は言葉もない。

 家を勘当されて路上暮らし。

 ただでさえ魔法という力の拠り所を失っている時にそんな仕打ちを受ければ僕は正気を保っている自信がない。

「橘は――いや、止めておこう」

 瞬間的に橘を憐れむ言葉が出そうになったが、渾身の力を込めて抑える。

 僕が橘にどんな言葉をかけることが出来る?

 確かに僕も夢宮学園を退学になったとはいえ魔法も多少は使えたし、何より不甲斐無い自分を認め、受け入れてくれる家族や仲間がいた。

 僕は本当に恵まれていたんだな。

 橘の惨状を聞いた僕はそう安堵してしまった。


「ほらよ」

「何の真似だ?」

 橘から渡されたのは木刀。

 ずっしりとした重さから材質は樫の木だと推測出来る。

「それはもう、お前を叩き潰すためさ。『丸腰だったから負けました』なんて言い訳出来ないようにな」

「僕がそんなことを言うと思っているのか?」

 少なくとも僕は敗因を何かに転化したことはない。

 僕はそう怒りを込めて橘を睨むのだが、彼は笑って。

「いいや、分からねえ。人間ていうのはいざとなりゃあ平気で主張をひっくり返す……例え自分を偽ろうとな」

「……」

 橘の言葉に否定出来ないのが辛い。

 僕自身最初の挨拶で皆に受け入れやすい態度を取ろうとした。

 今思うとなんて滑稽な真似をしようとしたのだろうと笑ってしまう。

「さて、始めようか犬神」

 雑談は終わりとばかりに唇を釣り上げる橘。

「お前の無力さを再確認させてやる」

「その好意は嬉しいが」

 攻める前に聞いておきたいことがある。

「お前はどうするつもりだ? 武器もない上に魔法が使えないのだろう?」

 僕によって魔法が使えなくなったことは橘自身が認めている。

 つまり今の橘は一般人と相違ない。

 相違ない――はずなのに橘はおかしくて仕方ないとばかりに笑っている。

「断っておくが助っ人なんていないぜ。お前は俺が叩き潰す」

 僕が振り返った動作を見た橘はそう忠告した。

「どうやって?」

 僕の問いかけに橘はさらに唇を吊り上げ、そして。

「決まっているだろ。こうする、のさ!」

「な!?」

 橘は手に氷の槍を作り出し、そして僕に向かって投げつけてきた。

 僕と橘との距離は約十メートル弱。

 十分に距離が離れているのに加え、党的速度も速くなかったが橘が魔法を使えた衝撃によって反射動作が遅れてしまった。

 避けられないのを悟った僕は咄嗟に体を硬化させる。

 服は間に合わなかったが、軽い凍傷で済ませることが出来た。

「魔法は……使えなかったはずでは?」

 体を活性化させ、凍傷となった部分を再生させながら僕はそう尋ねると。

「ああ、“使えなかった”」

 橘は過去形であることを強調した。

「使えなくなってしまったから俺は学園を退学した」

 次に橘は火球を二、三個召喚し、投擲する。

「え?」

 橘が炎を生み出した光景にまたしても僕は混乱する。

 見たところその火球は赤々と燃え盛っており、魔法が使えない一般人が直撃すれば火傷で済まない。

 それどころか顔や胸など当たり所が悪ければ死んでしまうだろう。

 先程の氷槍もそう。

 あれも一般人に対して十分な殺傷能力を秘めていた。

「お前……本当に橘か?」

 思わず声を出してしまう。

「わずか二ヶ月でどうしてそこまでの力を身につけることが出来る?」

 橘の魔力量の増加は明らかに不自然だ。

 魔法とは現実を歪曲させる力。

 自分の思い通りの結果を出すためには媒体が必要となり、それは剣や槍など確定的なものを使用することがあれば炎や氷など実態のないものを使うこともある。

 例えば何かを“切り裂きたい”ために剣を媒体として使用するが、それは別に剣に限ったことでなく槍でも空気でも構わない。

 しかし、その場合は効率性が悪くなるのでその分威力も弱くなる。

 全く媒体が違うのに殺傷できるほどの威力を与えられるとなれば、劣等生の僕にはとてもじゃないが太刀打ちできないだろう。

 だから僕は。

「……」

 木刀を地面に投げ捨てた。

「やはりそうするか犬神」

 勝負を放棄した僕だが意外にも橘は堪えた様子が無い。

 おそらくこの事態を予想していたのかと予想する。

「お前が分の悪い勝負などしないことは分かり切っていた」

 橘は僕に近づきながら続ける。

「臆病者と言えば臆病者だが。むざむざ華を散らすより戦力を温存し勝てる状況まで耐え偲ぶというのは悪いことじゃねえ」

「……何が言いたい?」

 普段の橘とは違う。

 いつもなら激昂しズタボロになるまで攻撃を仕掛けてきていたので、今の橘の様子は不気味に思えた。

「ああ、そうだ。一つ俺のこの力に付いて教えてやろう」

 そして、僕の正面に相対した橘は右手を鳴らす。

「氷槍や火球のことだが、あれは俺の魔法じゃねえ」

「は?」

 橘はまたも分からない言葉を言い放ったので、思わず間抜けな声音を上げる。

「あれらは元々他人の魔法だ。正確には魔法が使えなくなった俺に掌をひっくり返す態度を取った親戚とかな……あいつらは今、勘当された頃の俺と同じ愉快な目に合っているんだろうな」

「どういうことだ?」

 橘の含み笑いを無視してそう尋ねる僕。

「決まってんだろ。奪ったんだよ、他人の魔法を俺が奪ったんだ……このようにな!」

 橘がそう言い放った瞬間右手が僕の胸へと伸び、皮膚を貫通して体内へと侵入した。

「ぐっ……」

 心臓を生で触られる様な精神的悪寒に顔を顰め、橘の腕を振りほどこうともがくが。

「残念、そんな真似はさせねえよ」

 残る左手で僕の体をがっちりと掴んでいた。

「よし、これだな」

 永遠に続くと思われた嫌悪感が橘の言葉で途切れる。

「っく、はあはあ……」

 地面に膝をついた僕は貫かれた部分を撫でてみる。

 血などは出ていないが、精神的に何かが違う。

 自分の一部が失われたような喪失感があった。

「何をされたのか分かっていないようだな」

 そんな僕を見下ろす橘は続ける。

「まあ、口で説明するより体験してもらった方が早い。おい、そこの木刀を握ってみろ」

 橘に促されその木刀を握る。

「……え?」

 握るのだが何故かしっくりこない。

 長年慣れ親しんでいた構えが取れない。

「何をしたと思う?」

「っまさか!」

 先程の魔法から僕の体に仕掛けた不可解な虚脱感から紡ぎ出される答えは。

「魔法名は、そうだな……正当な略奪と名付けようか。この魔法によってお前は剣の腕前だけなく、お前の長所だった点を全て俺が手に入れたんだ」

 言っている意味が分からない。

 何故だ?

 どうしてそんな魔法が実在する?

 僕はそう混乱し、何が何だか分からず呆然となる。

「特別サービスだ、さらに教えてやろう。俺のこの力は魔法だ。しかし、ただの魔法じゃねえ。ある一線を越えた魔法使いのみが使える特殊な魔法だ」

「……ありえない」

 一般に知られている知識によるとテレパシーや発火といった、危険だが対処できないほどでもないはずだ。

「クカカ、さすが良質な部品である優等生。上の命令に疑問すら覚えていねえな。普通に考えろ、もし今の様な魔法を馬鹿正直に載せたらどうなると思う? 人々はパニックに陥り魔法使い排斥運動へと繋がるだろうな」

「……」

 橘の言葉に歯噛みする僕。

 確かに魔法使いは一般の人から敬遠される傾向があり、それは転入した高校で証明済みだ。

 生徒の反応が正しいのであり、三月娘の態度が異常なのである。

「さてと、用件も果たしたし俺はもう行くぜ」

 橘は僕の横を通り過ぎようとする。

「これ以上遅くなると門限に間に合わねえ。夢宮学園のその厳しさはお前も知っているだろ?」

「なっ……」

 橘はどうやら夢宮学園に復帰したらしい。

 まあ、魔法が使えるようになった以上それも当然か。

「ま、待て」

 我知らず僕は橘の袖を掴む。

「……返してくれ」

 それがなければ僕は三月娘から必要とされない。

 両親も抜け殻となった僕を普段どおり接してくれるはずがないだろう。

 誰からも必要とされない。

 突如そんな恐怖に襲われた僕は知らず体が震えてきた。

「知らねえよ」

 当然と言うべきか、橘はそんな僕は突き飛ばす。

 そして尻もちを付いている僕に一瞥をくれた橘は笑いながら。

「犬神よ、感謝しているぜ。お前のおかげで俺はこの力を得た。だからその褒美として命だけは取らないでおくぜ。まあ、長所が無くなったお前がどんな生活を送るのか大体予想が付いているけどな」

 立ち去っていく橘の哄笑を聞いている僕はあまりの絶望にその場に崩れ落ちてしまった。


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