願はくは花の下にて春死なむ
門の前に風呂敷包みが打ち捨てられてゐると下女が云ふ。中身は女の生首に相違無ひと思つて居間に持ち帰る。開けてみると果たして生首である。濡羽色の髪は艶艶として肌は臘の如く白い。顔は少女の様にも大人の様にも見えるやうだ。くびの断面は奇妙につるりとしてゐる。何だ、只の人形ではないか。呟くと生首は違ひます、と答える。
…何と、喋るのか。
…えゝ喋れます、だつて生首ですもの。
…生首は喋れるのか。
…当たり前ぢやない、口が有るのですもの。
成程さうに違ひない。
生首は私をまぢまぢと見ると切々訴へる。
…妾の身体が見つからないのです。くびだけしか無くツて。不便ツて訳ぢや無いけれど身体は欲しひものですワ、ねエ?
私は黙つて生首を見る。何処で見たものか、何故か見覚への有る顔だ。生首は難しき顔をして私を見返す。
…アラ。
…どうしたね。
…妾、貴方を見たこと在るやうな気がするわ。気のせいかしら。
私は黙つて生首を見る。生首と目を合はせると云ふのは中々出来る体験では無いと少し許り愉快になる。
唐突に背後の襖が開く。振り返ると下女で有る。下女は泣きさうな顔をして云ふ。
…旦那様。
…何だ。
…植木屋が桜の根を掘ってゐるのです。
…私が頼んだのだ。心配しなくても良い。
あの桜は枯れてゐるのに相違無いのだ。
春になつても花一ツ匂ひやしない。
さう云ふと下女は慌てて首を振る。
…いゝえ問題は其れでは無ひのです。植木屋なんぞのことはどうでもよろしい。桜の下から骨が出たのです。
…骨?
…人の骨です。ふたりぶんの骨が。
…直ぐに行く。
立ち上がると生首は私を見上げる。
…妾も行きます。
…さうかい。
私は生首を風呂敷で包み直し、小脇に抱へて縁側に出る。
植木屋は桜の傍に腰を抜かして転がつてゐた。桜の下は大きく掘り返されて居り、成程確かに骨が在る。くびからあしまでよくもまあ、綺麗に揃つているものだ、と妙な処に感心する。但し惜しむらくは片一体に頭が無ひ。…頭が無ひ。閃くものがあつて生首を包んで居た風呂敷を解いてやる。生首は骨を呆然と見る。
…妾だわ。
…矢張りか。ではもう一体は何方か判るかね。
生首は今度は私を呆然と見る。
…何言ツてるの、あれは貴方じやない。
…はて。
首を捻り、…穴の中に光り物を見る。目を凝らすと其は一対の釵である。どうやら見覚へが在る様だ。
…さうよ、貴方が呉れたのよ。
生首は赤い唇で囀ずる。
…妾と貴方は結ばれなくツて、次こそ結ばれやう、と貴方は釵を妾に刺してくれたわ。妾は貴方に猫目の数珠をあげたの。妾達もお初と徳兵衛になろうツて曽根崎の森に行ったのだけれど追い返されて、だから…
…願はくは花の下にて春死なむ。
…えゝ。貴方の好きな、西行法師のうた。
私は生首を両手で掬い上げるとしつとりと目を合はせた。生首は、…朱音は目を三日月にして笑ふ。
…思ひ出して呉れた?
…すつかり。
彼の骨は、私だ。昔々の私の人生だ。
桜の下に置いてけ堀になつていた、私の過去だ。
嗚呼如何して忘れていたのだらうか。此んなにも愛をしい彼女を。未来を契つた朱音のことを。
私と朱音は顔を見合わせ互ひに微笑す。
…やつとひとつになれるのね。
…やつとひとつになれるのだ。
下女が漸く悲鳴を上げる。
…旦那様、行つてはなりませぬ!其は妖で御座います!其は物怪で御座います!
…知つてゐるよ。
私は微笑む。
…でもね、朱音が妖なら、私も妖なのだ。
息を飲む下女と植木屋の前で、私と朱音は見つめ逢ふ。
何処かで鐘が鳴つた。
きつともう、黄昏時なのだ。
…アラ。
朱音がつと視線を逸らし囁く。
…桜が咲いてゐる。
…嗚呼、本当だね。
彼んなにも意固地に咲かなかつた桜が、私達を見送るかの様に満開の花を散らせてゐた。
雪の如く舞い降りる花弁はふたりぶんの骨を隠して行く。
…今度こそ一緒に。
…さうだ、一緒だね。
六ツ目の鐘が鳴り終へる、其時分。
私と朱音は桜の花弁になり、野分に乗つて空へと舞ひ上がつた。
後には唯、花弁がすつかり落ちてしまつた桜の木と一対の釵、そして猫目の数珠だけが残つてゐるだけのやうだつた。