ピンクとシロの贈り物
授業が終わって家に帰ろうと席を立とうとしたときのことだった。
不意に肩を叩かれた。
「ユウ、今日もいいかな?」
僕の肩を叩いたのは後ろの席に座っていたノゾミだった。
「今日も?昨日も、一昨日もだったのに…。」
僕がむっとしてそう言うと、ノゾミは満面の笑みでただ一言、よろしくねと言った。
「うっ。しょうがないな。」
僕はノゾミの可愛い笑顔に今日も負けてしまった。
こういう時だけ可愛い顔するなんてずるいよ。
そんな顔されたら断れないじゃないか。
「じゃあ、先に音楽室に行ってからね。」
ノゾミはそう言うと赤いランドセルを背負って逃げ出すように教室を出て行った。
「原田さんと何話してたんだよ?」
そう僕に話しかけてきたのは、親友のケンだ。
ちなみに、原田さんとはノゾミのことだ。
「何でもない。」
僕はちょっと気恥ずかしくて素っ気なく言った。
「ふーん。まあ頑張れよ。」
ケンはにやりと笑って意味有りげにそう言うと、ランドセルの中から何かを取り出して、僕のズボンのポケットの中に突っ込んだ。
「何を入れたの?」
ポケットの中に手を伸ばそうとすると、ケンは僕の腕を掴んで止めた。
「秘密だ。原田さんと会うまで、ポケットから出すなよ。」
ケンはそう言って僕の腕を掴んでいた手を放すと、じゃあなと言いながら僕に向かって手を振った。
僕はちょっと迷ったけど、手を振り返した。
それから、ランドセルを背負って教室を出た。
目的地はもちろん、音楽室だ。
音楽室は今僕のいる教室の三階上で、学校の五階だ。
残念ながら僕の通っている学校にはエレベーターがないから、自分の足で階段を上がっていくしかない。
この学校にもエレベーターがあればなあ。
もっと楽に上の階に行けるのになあ。
まあ文句言っても仕方ないか。
僕は重たいランドセルをものともせず、階段を一段飛ばしで駆け上がった。
僕は音楽室の前で一息ついてから扉を開けた。
音楽室の中では、ノゾミがたった一人でピアノの前に座っていた。
「早かったね。」
「そうかな?」
僕はランドセルを近くにあった机の上に置いてからノゾミのいるピアノの前まで行った。
「ごめんね。私の練習につき合わせちゃって。」
「うーうん。僕もノゾミの演奏を聞くのは好きだから…。」
「ありがとう。」
ノゾミは僕に聞こえるか聞こえないかぐらいの声で言うと、椅子に座って目を閉じた。
ピアノの椅子に座っている時のノゾミはいつも真剣で可愛い。
目を閉じている時はつい悪戯したくなる…。
だめだ、だめだ。
我慢、我慢。
ノゾミは目を開けると演奏を始めた。
僕はそっと目を閉じて、ノゾミの演奏に耳を傾けた。
ノゾミの演奏は今まで僕が聞いたことがないような不思議な感じがした。
音はいくつものきれいなハーモニーを奏でていた。
リズムは規則正しく刻まれ、本当に綺麗だ。
まるで虹みたいに、きらきらと輝いていて幸せな気持ちにさせてくれるメロディーだ。
「ノゾミ、本当に上手になったね。」
「うん。毎日練習してるからね。」
ノゾミは僕の隣に座ると嬉しそうにそう言うとにっこりと笑った。
「そうだね。毎日放課後に練習してるからね。」
苦笑しながらそう言うと、ノゾミは少し困った顔で言った。
「もしかして毎日ピアノの練習に誘ってること…怒ってる?」
「うーん。怒ってはないよ。ただ、たまにはピアノの練習以外のことも…。」
「えっ?」
ノゾミは僕のほうを驚いて見た。
「冗談だよ。冗談。ちょっとノゾミの驚いた顔が見てみたくなったんだ。」
僕はつい本音が出てしまったことを隠すためにそう言うと、ノゾミは恥ずかしそうに下を向いた。
「そ、そうだ。明日からゴールデンウイ―クだよね?」
「う、うん。」
「宿題いっぱい出たね。」
「うん。」
「休み3日しかないのにね。」
「うん。」
「…。」
「…。」
勢いで頭に思い浮かんだことを言ってみたけど、だめだ。
話が続かない。
僕等はそのまま、何を話すわけでもなく、ただじっと座ったままでいた。
静かな時間。
時間がゆっくりと流れていった。
「…そろそろ帰ろうか。」
「うん。」
僕達はカバンを背負うと、音楽室を出た。
学校の中で女の子と二人で歩くのは気恥ずかしかった。
でも放課後で小一時間も経っていたから誰とも会うことはないだろうと思うと、そんなに恥ずかしがる必要もないとも思えた。
「ねえ、ユウ。これから暇?」
「うん。暇だよ。」
「じゃあ…。うーうん。やぱっり、なんでもない。」
「うん。」
どうしたんだろう?
いつもの雰囲気が違うような。
「ユウ!」
「…。」
僕は無言なまま振り返ると、ノゾミは僕の目をじっと見たまま身動き一つしなかった。
僕はどうしたらいいのわからず、ポケット中に手を突っ込んだ。
すると、指先に硬い丸いものが触れた。
何だこれ?
そういえば、ケンが僕のポケットの中に何か入れて…。
僕はポケットから手とその硬い丸いものを取り出した。
飴玉だ。
ピンクとシロの可愛らしい飴玉だ。
僕はケンには不釣合いな飴玉を見た瞬間何もかも忘れて、笑い出してしまった。
「ユウ?」
「一緒に食べよう。」
僕は笑うのを堪えて飴玉の一つを自分の口の中に入れた。
そして、残りの一つをノゾミに渡した。
「ありがとう。」
ノゾミは僕の手から飴玉を受け取ると、不思議そうに飴玉を見つめた。
「どうしたの?飴は嫌い?」
「うーうん。何だか食べるのがもったいないなって思って。」
「どこにでも売ってる飴だよ?」
「そうだけど…。」
ノゾミは口ごもると言葉を切った。
「そうだ。これから暇だよね?」
「うん。」
「一緒に駄菓子屋に行かない?」
「えっ?」
ノゾミは不思議そうに僕を見つめた。
「この飴よりもっと綺麗なものも、美味しいものもたくさんあるよ。きっと。」
「…うん。行く。」
ノゾミは手に持っていた飴を口の中に放り込むと、僕を置いてくように走り出した。
「待ってよ。そんなに急がなくても。」
「ダメ。急がないと日が暮れちゃうよ。」
ノゾミは後ろを振り返ってからイタズラっ子の笑顔でそう言うと、僕に向かって手を降った。
僕はノゾミに追いつくために走った。
何だか不思議だな。
さっきまでぎくしゃくしていたのにな。
まあ、いいや。
ノゾミが笑顔なら、それでいいかな。