鏡
僕の家から歩いてすぐのところに同学年の幼馴染がいる。
保育園の頃から彼女は他の子と違ったオーラを出していた。
僕はこっそり彼女を見ていた。
親からはバレバレでよくその事を冷やかされていたが…
「僕、京花ちゃんと結婚すりゅ」
親は大爆笑していたが、僕は本気で言っていた。
彼女はその頃からいくつもの習い事に行っていた。
僕も彼女と同じ時間を少しでも共有したくて親に頼んで、
同じ英語スクールに通っていた。
小学校は人数の多い学校。
僕と彼女は6年間クラスが一度も同じにならなかった。
僕は背が低く、彼女は背が高い。
小学校高学年になる頃には僕よりも15cm程差をつけられる。
恋心こそ変わらなかったものの、
学校の廊下ですれ違う際や、英語スクールでペアを組まされた時、
恥ずかしさが勝った。
中学ではさらに人数が増えクラスが3年間一度も同じにならず。
彼女が他の男子と話すだけならばまだ良いが、
彼女は知らない男子に恋をしているのかと、
妄想の中でその男子に嫉妬する日々。
彼女は学校でも美女として目立つ存在。
僕のクラスでもよく話題に上がる。
合唱コンクールでは毎回ピアノの伴奏を務めていた。
曲中は指揮者や歌っている組の大勢は一瞬も見ていない。
ピアノを弾く彼女の後ろ姿。そしてちらりと見える手や横顔を凝視している。
高校進学に関しては随分と悩んだ。僕は彼女をヤバイぐらいに愛している。
2Fの自室から彼女の部屋の灯りが点くとか、消えるとかを確認しているのは、
自分でもヤバイと思う。
でも僕からアプローチを掛けるなんて無理だ。
彼女の方が背が高く、成績も良い。吹奏楽部の部長で、生徒会長。
均整の取れたプロポーションというよりも彼女こそが均整の権化。
中学の3年間で彼女が男子と付き合っているという噂は出ていない。
彼女が別の男子と付き合うのは秒読みであろう。
僕は既に高校受験に際して中学3年の夏に英語スクールを辞めており、
彼女のいない進学塾に移っている。
彼女から離れないと、心が折れてしまうかもしれない。
むしろ何故、彼女に彼氏がいないかは学校の七不思議に数えられている程だ。
もちろん勉強や習い事、部活に生徒会と忙しいのは分かるが、
週2で彼女は男子から告白を受けているそうだ。1日2回の日もあるらしい。
彼女はその申し出を丁寧に断り続けている。
彼女は共学の進学校へ進学。僕は工業系の高校に進学した。
その工業高校は女子がほとんどおらず、男子校のようなノリ。
5教科以外の専門教科も増え、モノづくりの楽しさや資格試験取得にも力を入れる。
彼女を生活の中心から外すことができ、それはそれで充実した高校生活を送っている。
高校入学時には150cm少しだった身長も高校2年の冬になる頃には175cmまで伸びた。
この2年程で視界が随分と高くなり、手足の先が遠くなった。
高校での成績は5教科はそう難しくなく中学の貯金で十分高い成績を出せ、
専門教科も興味を持って取り組め、資格も多く取れている。
学校の数少ない女子や別の高校の女子から告白されている。
自分では分からないがここ2年で顔立ちが大人っぽくなったのかな…?
そういった事に興味が無い訳では無い。
でも彼女への気持ちがあるのでごめんなさいしている。
彼女成分の少ないこの生活が上手く行っていると思い込んでいる感覚がある。
そんな高校2年の冬休みの事。
部屋で年明けにある資格試験の勉強をしている。
自室の窓から彼女の部屋の灯りが見える。
それだけで進学校の彼女も一緒に勉強しているんだなと、
これまで何度も勇気をもらえた。
300枚ほど入った単語帳をぺらぺらめくりながら呻っていると、
階下で来客があったようだ。
親がパタパタと玄関に行く足音。
何やら高い声で親が色々と話をしている。
僕はすぐに意識を単語帳に集中させて、
間違えた単語を再度するために10枚程戻して解き直していると、
「ねぇ~。京花ちゃん来てるわよ~。あんた久しぶりなんじゃない?」
階下から大声で母が言う。
ははは、そんな訳は無い。
彼女の部屋の灯りは今点いている。
どういう種類のいたずらだ?
と思いながら単語帳をめくりながら階段を下りると、
京花ちゃんが玄関に立っていた。
「ヒィ!」
僕は思わず単語帳を落とし、小さく叫んでしまった。
ほぼ2年振りに見る彼女は、以前よりも美しくなっており、
何だか小さく(?)なっていた。
…いや、僕の身長が大きくなったのでそう感じるのだ。
彼女の美貌と可愛さは女性の中で群を抜いており、
越える存在はないと思っていたが、
自己新を出してくるという可能性はあったのか…。
「久しぶり~!英語スクールで一緒だった京花だよ。私の事憶えてる?」
「あ、あぁ。うん。久しぶり。2年振りぐらいかな?」
「玄関先じゃなんだから上がってって。あんた部屋掃除してる?大丈夫?」
母が玄関先では何だからと入室を促す。
彼女も、いいんですか?お邪魔しまーすと上がってきた。
階段を上がる僕の後ろに彼女が付いてきている。
意味が…、意味が分からない。
これは夢。夢。夢。
家族以外誰も入った事の無い部屋に彼女が入る。
まずい、、座るためのざぶとんとか何もない。
俺の枕を…いやいや。
ド変態じゃないか。
ベッドに腰掛けてもらうのも気持ち悪いか…?
どうしよう、、と思ったら、
彼女は何も無い床にペタンと脚を横に崩して座った。
僕も椅子やベッドに座るのははばかられて床に何故か正座する。
「へ~。なんかお勉強の部屋って感じだね。男の子だったらフィギュアとか並べてそうとか思ってたけど、、わぁ。資格の本がいっぱいだね。あ、資格の賞状も飾ってある。電気とか、危険物とか、ボイラー技士とかもある。」
彼女もなんだか緊張しているようで目が泳ぎあわあわしている。
寸断なく話しかけてくる。どどど、どうしよう。
母ががちゃりと部屋に入って来て、
「あんた何正座してんの…?ってか座布団ぐらい出しなさいよ。はい。お茶とお菓子持ってきたよ。京花ちゃん。ゆっくりしていってね~。」
2人分の茶と菓子を乗せたお盆を置き、ドアを開けたまま外に出る。
5秒ほどで座布団を持ってきた。
僕は母にHELPの目線を投げかけたが、
母は部屋を出てドアを閉める時にウインクしていた。
違う、違う、そうじゃな~い!
パタン
しばらくの沈黙。
僕は彼女に伝えたいことは物凄く沢山あった。
ここ2年離れていた事で、思いを伝えてフラれてしまっても、
良い思い出になる気がしている。
彼女のおかげで色々な経験が出来た事、
毎日が充実していた事、
頑張れたことの感謝を恋心と一緒に伝えて
決別しても良いかと決意を固め始めていた。
彼女はスッと立ち上がり、僕の勉強机に座る。
そしてそこから視線を窓の方に…
ヒエッ!
そこからは彼女の部屋の灯りを見る事ができる。
気持ち悪いと思われるかもしれない!
まさか今日来たのはそれを注意するためなんじゃ…、、、
全身の血が一気に引く。
「やっぱりここからでも私の部屋の灯りが見られるんだね。」
「………」
「私は部屋からずっとこの部屋の灯りを見てたよ。あ、今起きてるんだ!あ、今部屋の灯りが消えた。おやすみ~って。えへへ。気持ち悪いよね?」
彼女も僕と同じような事をしていたのか?
まぁ恋心とかが無くても同学年の幼馴染みで、
同じ学校・英語スクールに通ってたらもし同性でも気になる…かな?
よね?
「え?別に気持ち悪くはないんじゃない?知り合いが帰ってきた~、とか、あ!寝るん…」
「ずっと好きだったの!」
彼女が食い気味に大きな声を出す。
そのまま彼女は脚を整えて正座して、目を回しながら幼少から僕の事がずっと好きだったことをつらつらと話す。
僕も正座で目を回しながら彼女の話を相槌しながら聞く。
彼女が玄関に立っていた時点で人生最良の日であったが、どんどん限界を越えていく。
要は彼女も僕と同様の事を考えていたらしい。
保育園の頃の初恋。
色々な習い事に通わされて毎日とても疲れている中で、
英語スクールに僕が入って来て、テンションが爆上げしたんだそうだ。
自宅では
「絶対に結婚してやるんだかりゃ!」
と言い、両親に生暖かい眼で見られていたそうだ。
魅力的なレディを目指して色々な事に努力して、
色々な男性から告白はされて自信を付けていく中で、
僕と一度も同じクラスにならない。
ショック…
しかも中学3年で僕は英語スクールを先に辞めてしまった。
僕の成績であれば当然共学の進学校に来るだろうと思い描いていたらしい。
しかし高校も違うところになってしまった。
高校に入学してから僕の名前がどこにも無い事に、
一度闇落ちして全ての習い事を辞めて成績も落ちてしまったんだそうだ。
しかし、まだ近所の幼馴染という属性が残っているだかなんだで、勉強を再開。
僕の部屋の灯りに励まされてついに先の冬休み前の模試で学年1位を出したんだそうだ。
2年近くかけて自信を取り戻す事ができたそうだ。
彼女にとっての試練はそこから。
学年1位を取った彼女自身に課している事があった。
それが僕への告白。
もしかして今後交わらない2人かも知れないが、
感謝を込めて今日乗り込んで来たとの事。
愛し合い尊重し合う2人にすれ違うと言う悲劇が訪れる訳もない。
今度は僕の番だ。
彼女に促されたから言うつもりだった訳ではないという切り出しから入り、
同じ熱量の告白を返す。僕の方が好きが上回っていると主張すると、
彼女もそんな事はない、私の方が好きが上回っていると主張する。
お互いが笑顔になり、クリスマスの夜に2人は付き合う事になった。
「2人とも結構長い間話してたわね~。積もる話もあったかしら?あんた遅いんだから送っていってやりなさいよ。」
階段を下りると母が僕に伝えて来る。
こいつ、おそらく京花ちゃんが僕の事を好きな事を、
母親ネットワークで知ってやがったな。
正解は分からないが今日という日の演出のために全てが動いていた気がする。
もちろん今日は最高だし、一生の思い出となる日ではあるが、
これから毎日僕の彼女は京香ちゃんなのだ。
更新していくことは容易い。
僕と京花ちゃんはお互いを尊重しあい、
付き合っていても学業をおろそかにしない。
むしろお互いがお互いに幻滅されたくない思いが強い。
僕は難関資格試験をパスし、京花ちゃんは模試で良い成績をたたき出す。
進路先、僕は工業大学で彼女は偏差値の高い大学に通う事に。
学校が違う苦しさや不安なんて2人には微塵もない。
小学校、中学校とそもそもクラスは一度も同じにならなかったし、
今では毎日お互いを近くで感じられる。
互いの部屋に行ききして一緒に勉強する。
どちらの両親もカップル公認なので夜遅くになろうが、
ご近所で付き合う2人の行き来を咎める事は無い。
むしろどちらの両親ともにどんどんやっちゃえタイプなのである。
2人で休み毎にデートを重ねる。
公認になったことで月1回は両親4人も交えて一緒に旅行も行く。
夏は海やプールに。
冬はスキーやスケートに。
2人で撮った写真は厳選された1軍がコルクボード一杯に。
喧嘩も全くと言って良い程ない。
京花ちゃんは僕のそばで目に見えて美しくなっていく。
2人は就職する。
学生の頃のように空きの時間は多くは取れないが、
自由に使えるお金が増える。
それぞれの両親との旅行は半年に1度まで減ったが、
2人のデートでは少し遠くまで足を伸ばせるようになった。
泊まりの旅館の予約や、車で出かけてのドライブスルーなどは何度やっても緊張するが、
いつも隣に笑顔の京花ちゃんがいてくれている。
社会人になりしばらくして落ち着いた頃に、
僕は婚約指輪を京花ちゃんに渡した。
渡したプレゼントとしての指輪は何個目かは分からないが、
プロポーズをすると京花ちゃんが大号泣した。
僕もそんな京花ちゃんを抱きしてめて一緒に号泣した。
「妊娠3か月です。」
京花ちゃんが妊娠した。
「ねぇ。京花ちゃんの事を何て呼べばいいかな?ママかな?」
「えへへ。あの…2人の時は京花って呼んで。」
人生の最良の日はここだった。
翌日の事。
彼女は交通事故で命を落とした。
87歳の高齢ドライバーが道路を逆走し、
彼女の運転する車と正面衝突。
彼女と高齢ドライバーは即死した。
あれからもうどれだけ経ったんだろうか·
··季節が何度か巡った気がするが、ひどく曖昧である。
彼女の部屋の灯りはあの日以来に一度も点いていない。
僕の部屋も同様に灯りを点けずに、夜は真っ暗闇の中で過ごしている。
そのほうが彼女を鮮明に思い出せる気がするからだ。
しかし…駄目だ。
どうしても彼女の笑顔を思い出すことができない。
写真を見てみても彼女のように感じられない。
顔を見ているはずなのに認識できない。
所詮写真なんて偽物である。
本物の彼女に会いたい···。
会いたい···。
会いたい···。
そういえば、、、
高校の指導教官が一般企業に勤めていた際に聞いたという噂を思い出した。
その教官の上司にあたる人間が、若くして息子が病気で亡くなった。
思い出の品を触媒に鏡を自作した時に、
その鏡に息子が映り込んだという話だ。
そのような与太話を通常であれば信じないが、
僕は藁をもすがる思いでその話に乗っかってみる。
幸い危険物甲種までを所持しているので各種実験は行える。
高校でやってた実験でもある。
最初に各種実験器具の準備さえ整えてしまえば、後は必要となる溶液を購入し、溶質を準備するだけである。彼女に会うための準備をしていると考えるだけでも多少は前に進めている感覚がある。
まずは通常の鏡を作ってみる。鏡を作る作業自体は滞りなく進められた。
銀鏡反応。
硝酸銀水溶液を用意して、そこのアンモニア水を加えて、Tollens試薬を準備。
そこに還元性物質となる溶質を加えることで銀を析出し鏡の膜となる。
成功。次に溶質に彼女の髪の毛を入れて作成してみたり、着ていた服の一部、彼女を撮った写真などを溶質にして鏡を作成してみたものの、そこに彼女が映し出される事は無かった。
幾度目かの鏡製作。身体が工程を憶えており、すでに無意識に作成することができる。彼女との日々を思い出し涙がぽろぽろと流れる。何故僕は鏡を作っているのだろう。急に馬鹿馬鹿しくなった。もう辞めよう。こんな事をしていても時間の無駄だ。彼女の写真や思い出を溶質に1つずつ無くなっていくことも辛い。最後の工程。溶質として彼女の写真を鏡面に浸ける。
…すると
ぱ―――っ!
鏡面が光る。眩い光を放ち鏡面が波打つ。
僕は急覚醒する。これまで何年も頭にかかっていた靄が晴れる。鏡面に彼女のしなやかな指が映しだされている。彼女のピアノを弾く姿は幼少から何度も見ている。僕はその指を力強く美しいと見惚れていた。見間違うはずなど無い。
その指は動き、生きた人間の指である。しかし、手の部分しか映し出されていない。そして1分程して、淡く鏡の奥に沈んで消えてしまった。僕はその場で数時間茫然としていた。
そしてようやく頭が回り始める。
これまでと何が違った!?
鏡の作成の工程は何も変わらない。無意識に違うことをしていたのだとすると最悪だ。
…しかし、おそらく、確信こそ無いが、僕の涙が混入したことで彼女が映し出されたのだ。つまり、彼女をこの世に呼び起こす鍵は彼女と僕の双方の溶質が必要なのだ。
その日から毎日。彼女を近くに感じた。
溶質に僕と彼女のパジャマを用いる。
ぱ―――っ!
そこに映し出されたのは彼女の右脚。すらりと伸びるその脚は細く色白で柔らかさが伝わってくる。幾度も絡ませた脚は忘れようがない。
鏡の表面は液面を固めただけであり、固体とも液体とも言えない物質なのだそうだ。
その境界は三途の川のようなこの世とあの世を分ける境目。そこを生者と死者の縁となる2人の思い出の品で固めることで、彼女を彼岸から此岸へ。幽界から現世へと引き寄せることができているのだろう。
溶質に僕の血と彼女の遺灰、そして2人の婚約指輪を用いる。
ぱ―――っ!
波紋が広がり徐々に浮かび上がってくる。それは彼女の首。細く長い綺麗な首。綺麗な鎖骨も見える。嬉しい反面あと少しのところで顔が見えず歯噛みする。
用いる溶質の縁が深い程に彼女の顔の近くが映る。だがここまできてもう僕が持つ彼女の遺品は残されていない。次が最後のチャンスとなるだろう。
彼女の家に無断で侵入して、遺骨を彼女の仏壇から盗む。
鏡作成の最終段階。
溶質を準備する。
彼女の遺骨、そして※※※を溶かし込む。
ぱ―――ーーっ!!!
これまでに無い大質量の溶質により鏡の表面は大きく波打ちながら眩い光を放つ。
ゆらゆらとする鏡面の奥には人の顔らしきものが浮かんでいる。
少しして波紋が落ち着き鏡面は水平となる。
そこには紛れもない京花の満面の笑顔が浮かんでいた。
しかし…
その姿はただの彼の思い出の残滓なのかもしれない。
液体は容器により容易に形を変えてしまうからだ。
そして彼女が映し出されたかどうかの真実は確かめようがない。
なぜなら彼ももうこの世にいない。
2人の部屋にもう明かりが灯る事は無い。