すべてあなたたちのせいですよ?~私が真の聖女なのに聖女を騙った罪で婚約破棄されました。絶望したので裏切り者たちの目の前で死んでやろうと思います~
コンラッド王国の大聖堂は今日も朝から人々でいっぱいだった。
縦長の窓を通して射しこむ陽光が私を照らしだす。白い髪に赤い瞳を持つ、"異端"の聖女を。
聖女は生まれつき治癒の力を持つ。
そしてその力を引きだすには、赤子として生まれてきたとき手ににぎりしめているという『コア』と呼ばれる宝石に似た石が必要だ。
色はみんな赤色をしており、聖女の力の濃さにあわせて濃度が濃くなる。私のコアは目が覚めるように深い紅だ。
「聖女さま、ほんとうにほんとうにありがとうございます……!」
老女、サラネさんが涙を流しながら私の手をにぎりしめてきた。さっきまで歩けなかったその足は──ここまでは息子さんに背負われてやってきた──いまはしっかりと大地を踏みしめている。
私は心からの笑みを返した。
「いいえ、すべては神さまの思し召しです。私はそのお力をみなさまにお渡ししているだけ。今日は無理せず、おうちで安静になさってくださいね」
「ああ! フローラさまはなんて素晴らしい方なんでしょう……!」
「ほんとうにありがとうございます! おふくろがまた歩けるようになるなんて──俺は、俺は……っ!」
サラネさんとその息子のケトさんは泣きながら私に頭を下げる。
周りのひとたちも「なんて素晴らしい……」「さすが、いずれこの国の王妃になるお方だ」と涙をぬぐいながら私を称える。さすがに気恥ずかしかった。
──初めの頃は、めずらしい白い髪と赤い瞳のせいで偏見にさらされたりもしたけれど。
どんな難しい怪我も逃げずに治癒してきたおかげだろう。いまでは、この国のだれもが私を認めてくれている。そして、国でもっとも力を持つ聖女として王太子殿下の婚約者の座まで手にしていた。
私はただ、聖女としての役目を果たしていただけ。
だからくすぐったい気持ちもあるけれど──でも、アルフレッド殿下はいい方だしこの国のひとたちはみんな優しい。これからも聖女として生きていこう、と私は人々の顔を見て決意する。
――陰で育っていた悪意になんて、なにも気づかずに。
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大聖堂の窓越しにその様子を見ていたのは、豊かな桃色の髪を持つ伯爵令嬢、カリア・レイクエストだった。
彼女もコアを所持する聖女だが、いまではもうだれもそんなことを覚えていない。彼女の聖女としての力は弱く、せいぜい小さな切り傷を癒す程度で、フローラのように萎えた足を治すことなど到底不可能だった。
それは生まれついての差であり、なにより彼女が聖女としての役目を果たすことを面倒くさがり、修行を怠ってきた結果だ。彼女がペンダントとしてぶらさげているコアはほぼ白に近い赤。
なので、彼女がいま大聖堂にいないのは当然の結果とも言えるが──
(……不吉な白髪に赤い瞳。みんな、最初はあの子をそう言って嫌っていたのに)
カリアは胸の奥で舌打ちした。
フローラさえ現れなければ自分が王太子妃になれたのに。人々から感謝されるのは自分だったのに……!
(あの女さえいなくなれば──……)
カリアはふと妙案を思いつき、その美しい顔に不吉な笑みを浮かべた。
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その日の務めを終え、私は石畳の街道を歩いていた。
屋台が立ちならぶ広場では子供たちが歓声をあげながら走りまわっている。街には活気があふれ、私は微笑まずにはいられない。
「フローラさまー!」と手を振ってきた子供たちに手を振りかえした直後だった。
「きゃっ!」
だれかが後ろから勢いよくぶつかってきた。そして私の胸元からなにかを引きちぎると、素早くどこかへ走りさっていく。
奪われたのはコアだった。聖女の力を引きだすための石。
「フローラさま、だいじょうぶですか!?」
「おい、ぼさっとするな! あいつを追いかけろ!」
街の人々が私に駆け寄ってきて心配してくれる。
「だいじょうぶ、すぐに見つかりますよ」と青年が言ってくれたけれど私は気が気ではなかった。
あれがないと聖女は力を発揮できない。
他者のコアを借りることはできるにはできるが、本来の能力よりも力は弱まってしまう。だから二十四時間肌身離さず持ち歩いているのだけれど──
「……私も探してきますっ」
「あ、フローラさま!」
いてもたってもいられず、私は屋台の間を探し、排水溝を覗きこみ、路地裏へと入りこむ。そこは昼でも薄暗く、強烈なゴミの匂いに私は服の袖で鼻を覆った。
そうして探すこと十分以上。ゴミ箱の後ろに赤く光るものが見えた。
私は胸をなでおろす。
「よかった……!」
聖女のコアは神聖なものだ。一見宝石のように見えるが、買いとる店なんてないし黙って持っていれば罰があたる。そのことに気づいて捨てたのだろう。
私はコアをハンカチで拭き、胸の前できつく握りしめる。
私に両親はもういない。だから、生まれたときに持っていたというこれは両親との唯一の繋がりでもあった。
それが無事に帰ってきたことが嬉しくて。
なにか違和感があることに──私は、気がつかなかった。
翌朝。私の世話役として派遣されているシスターが真っ青な顔で部屋へ飛びこんできた。
「フローラさま! 王太子殿下がお呼びです。すぐに識別の間へ」
「アルフレッド殿下が……?」
私と彼は婚約者だ。だから呼びだしを受けることは不自然なことではないけれど……それにしては侍女の様子がおかしい。
「なにかあったのですか?」
「詳しいことは本人に話すと。ですが、どうやら王太子殿下はご立腹のようで……」
「え……?」
ご立腹? ひょっとして、コアを盗まれそうになった件でだろうか。
聖女にとって命よりも大事なものを未遂とはいえ奪われたことについて、自覚が足りないとお説教されるのかもしれない。
「わかりました。すぐに向かいましょう」
私はうなずき、急いで支度をした。
識別の間。それは、城の片隅にある小部屋だ。
アルフレッド殿下は苦々しい顔でイスに座っていた。なぜかその横には私と同じ聖女のカリアがいる。
部屋の奥の壁には曇った鏡がかかっていて、それには人間がひとりそこに立っているような存在感があった。
「来たか、フローラ」
殿下の声は冷ややかだ。
私を立派な聖女だと言って褒め、ぜひ私の婚約者になってほしい、と言ってきたときの温かさはかけらもない。
「貴様が真の聖女であるかどうか、試させてもらう」
「え……?」
「貴様も知ってのとおり、聖女がこの王家の秘宝──《識別の鏡》に手をかざすと鏡は澄みわたる。だが偽物なら、鏡は曇ったままだ」
それはこの国のだれもが知っていることだ。
コアを持って生まれてきた赤ん坊は、必ずこの部屋にある《識別の鏡》に本物の聖女であるかどうかを問うことになっているのだから。
「手をかざせ、フローラ」
「……え、ええ。ですが殿下、私はもう聖女としての識別を受けましたが……?」
「いいから。はやくやるんだ」
「……?」
なぜ今更。疑問は浮かんだが、殿下の迫力に押されるようにして鏡の前に立った。胸元のコアを握りしめ、片手をかざす。
結果は──
……なにも、起きない。
鏡は曇ったまま。目の前に立つ私の姿さえも映しださない。
「そんな……!?」
うそだ。こんなはずない。
動揺で指先が震える。けれど何度力を込めても結果は同じだった。
──どうして? 鏡がおかしくなってしまったの……?
そのとき、だれかが「ああ……」と悲しそうな吐息を漏らした。
「かわいそうなフローラ……」
「……やはり、きみの言ったとおりだったな。カリア」
意味の取れないやりとりをカリアと殿下が交わす。
そして、カリアは私を押しのけるようにして鏡の前に立つと──
「……っ!」
鏡がみるみるうちに澄みわたっていく。
「こういうことですわ、殿下」と彼女はアルフレッド殿下を振りかえって言った。彼は重々しくうなずく。
「やはり真の聖女はカリアだったか」
「え……」
「カリアからすべて聞いたぞ。貴様はその外見から異端者として人々に恐れられていた。だから人々に取り入るために聖女の座を欲した──そうだな?」
「なっ……ちがいます! 私はコアを持って生まれてきたから聖女となったのです……!」
「それもいまでは疑わしい。大方、貴様の両親もグルだったのだろう。何の力もない、ただの宝石をコアと偽って娘に持たせ、真の聖女であるカリアを脅して、貴様の識別の際にカリアに力を使わせて鏡が貴様を聖女と判断するようにさせた。
それからずっと貴様はカリアを利用してきた。大聖堂の陰にカリアをひそませ、彼女の力を自分の力と偽って人々を騙してきた。
これは大罪だ。わかるな?」
「待って……殿下、どうか話を」
「フローラ・スノウベル、聖女を騙った罪により貴様を永久追放とする。当然、婚約も破棄となる。わかったか」
「……そん、な……」
頭が真っ白になる。ひとつも身に覚えがないのに。
そのときカリアの胸元から赤い輝きが漏れた。まさか。
私が取りかえしたと思ったコアは偽物で──あのスリの男は、カリアと繋がっていたの……?
「返して!」
「きゃあっ!?」
「お願い、それは私の大事なものなの。返して……っ!」
私はカリアに飛びつく。けれどすぐ近衛兵に両腕を押さえつけられた。
「カリア、無事か!?」
「え、ええ。……すべてを暴かれて錯乱するなんて、可哀想なひと」
「ちがうの! 信じてください、殿下! 彼女が持っているコアは私のものなのです! 昨日だれかに奪われて──」
「黙れ、偽の聖女め」
殿下は怒りを込めて私をにらみつける。
「死罪にならなかっただけありがたいと思え。この、薄汚い詐欺師が」
「ちがう……! 私、私は……!」
必死に叫んでも無駄だった。私は殿下たちと引き離すように引きずられていく。
扉が閉まる直前に見たのは、
──カリアの、勝ちほこった笑みだった。
追放の前日。
特別に私は牢から引きだされ、両手に手錠をつけられたまま、三階の大広間へと連れていかれた。
そこでは豪奢なシャンデリアの下でパーティが開かれていた。
なぜ、私をこんなところに……? 私は光を失った瞳で大広間を見渡すが、その理由はすぐに知れた。
「まあ、あれが偽物の聖女?」
「なんてみすぼらしい。子供にはとても見せられないわ」
「私は最初からあの女は怪しいと思っていたんだ。見ろ、あの髪と目を。あんな異端者、さっさと国から追放すべきだと思っていましたよ」
──私は、貴族たちを楽しませるための見世物だった。
ドレスやタキシードを見にまとった人々が私を見て眉をひそめたりくすくす笑ったりする。
その中には私がかつて癒したひともいた。けれど、そのひとは私が呪いでもかけたとでもいうようにおぞましそうに両手をさすってみせる。
「ああ、最初からカリアさまを信じていれば……!」
──そのカリアはアルフレッド殿下と寄りそっていた。
カリアは純白のドレスを着て、まるでもう新しい王妃のような威厳すら湛えている。
私は近衛兵にふたりの前まで連れていかれた。
「フローラ、貴様の顔を見るのはこれで最後だ。なにか言うことがあれば聞いてやろう」
かつて婚約者だったことなんて嘘のような冷たい声。
カリアはそんな彼の腕に自分の腕を絡め、小さく笑った。
その胸には──赤く輝く、私のコア。
くすっと私は笑う。
……私はずっとこの国に尽くしてきた。カリアが治さない重度の病人も命がけで癒してきた。
この国のため。殿下のために。
──その結果が、これ?
「ふふっ……あははははははっ!」
笑いが止まらない。ぎょっとしたように近衛兵は私から一歩離れる。
アルフレッドとカリアは気味悪そうに私を見つめていて、
「さようなら」
その裏切り者たちの耳に焼きつくように、
「──■■■、■■■■■■■■■■■?」
笑いながら言うと、私は開けはなされていたドアからバルコニーに飛びだした。そのまま勢いをつけて手すりを体ごと乗りこえる。
最後に私を抱きしめたのは。
氷のように冷たく、硬い地面だった。
+++
――聖女を騙った罪人、フローラ・スノウベルは水葬された。
罪人の骸を国の土壌に埋めることは赦されない。彼女は棺に入れられ、彼女が落下した際の衝撃で粉々に砕けた宝石と共に川に流された。
それから三年。
コンラッド王国は、静かに、しかし確実に滅びゆこうとしていた。
原因不明の疫病が街から街へ広がり、田畑は痩せ、作物は実らなくなった。
聖女カリアはフローラのかわりに大聖堂で病人や怪我人を迎えるが――彼女の治癒は無に等しい。擦り傷すら満足に癒すことができなかった。
──なんで……?
カリアはフローラから奪ったコアを握りしめる。
怪我人たちはうめくばかりで、『なぜ治してくれないのか』という憎悪に満ちた目でカリアを見る。
──どうして!? これさえ奪えば、私がフローラと同じ力を得るはずだったのに……!
聖女としての修行を怠っていた彼女は知らない。
コアは持ち主の魂と繋がってこそ力を発揮する、ということを。
盗みとったそれを他人が使えば、力は次第に歪んでゆき、国の土壌さえ衰えさせる悪しき力へと変わるのだ。
「聖女さま、はやくなんとかしてくだせぇ」
「痛い、痛いよぉ……」
「う、うるさいわね! あんたたちが悪いんじゃないの!? あんたたちが聖女を信じないから効果がないのよ、このグズども!」
「なっ……」
思わず飛びだした罵倒に大聖堂にいた人々たちが目を剥く。
しまった、とカリアは思ったがもう遅かった。青年たちがカリアの周囲に集まる。
ひとりの青年の手には鍬があった。
「なんだと、この偽聖女が!」
「擦り傷すら治せねえくせにえばりやがって!」
「てめえなんて────こうしてやる!」
「ひっ……!」
「どうすればこの国を救えるんだ……」
王太子アルフレッドは日に日にやつれていった。
民の声は否でも耳に入る。その中で引っかかったのが『ほんとうはフローラさまこそが真の聖女だったのでは?』というものだ。
『だってよ、あのカリアって女はなんにも治せやしねえじゃねえか』
『ああ、フローラさまはよかったなぁ。どんなに疲れていても治してくれたんだ。まさに女神だったよ』
『ママ、フローラさまは……? どこにいったの?』
『フローラさま。どうかお帰りくださいませ……』
話によるとフローラの帰還を願う会なるものまでできているという。
それを認めるわけにはいかなかった。彼女に偽りの聖女の烙印を押した王太子として。
このまま手をこまねいていては、いずれアルフレッドを王族の座から引きずりおろすよう暴動が起きるだろう。どうにかしなければ。
そんな折、彼は海辺の国ユーリストに現れた『奇跡の聖女』の噂を聞く。
その聖女はどんな怪我も病も一瞬で治してみせるという。
これだ、とアルフレッドは確信した。
「その女をさらってでもこの国へ連れて帰る。そうすれば……!」
噂の審議を確かめる余裕もなく、アルフレッドは一目散に馬を走らせた。
ユーリスト国王城──聖女の間。
その控えの間へと案内されたアルフレッドは、この場で一番身分が高いと思しき騎士の男に前に立った。
黒髪の端正な顔をした男は無表情でアルフレッドを見下ろす。
「私はコンラッド王国の王太子、アルフレッド・ザッケリだ。聖女殿に会わせてもらおう」
「そのようなお話は伺っておりませんが?」
「急用だ。はやくここを開けろ!」
「聖女さまに面会を希望する者は無数におられます。王太子殿下だからといって特別扱いするわけには──」
アルフレッドは剣を抜いた。近くのイスに座っていた国民に切っ先を向ける。
「はやくしろ! 血を見たいか!」
騎士の男はじっとアルフレッドを見つめ、無言で聖女の間へと入っていった。
しばらくしてもどってくると淡々と言う。
「聖女さまはあなたに会うつもりはないと仰っています」
「な、なぜだ!? 私はコンラッド王国の王太子だぞ! 私に恩を売ることはこの国にとっても有益となるはずだ!」
剣を振りまわし、声を荒げるアルフレッドに国民たちが怯えが視線を向ける。小さな子供などは泣きだしていた。
「おやめください、アルフレッドさま。民が怯えています」
「はやく聖女に会わせれば済む話だ!」
「しかし、フローラさまは……」
「……フローラ?」
その名を聞いた瞬間、アルフレッドの顔色が変わった。
騎士の男はゆっくりと頷く。
「ええ。三年前、海辺で倒れているところを私が見つけたのです。それから私はずっとあのお方のおそばにおります。騎士としてだけでなく、ひとりの男として」
「な……」
「聖女さま──フローラさまはこう仰っています。もうすべてが遅い。国が滅びるのを黙って待ちなさい、と。そして最後にこう仰いました」
「――"すべて、あなたたちのせいですよ?"」