仲直り
「鳴海、いよいよ次がおれらの番だな。おれはめっちゃ緊張してんだけど、おまえは慣れっこなんだろ、どうせ」
「おーい、どうせってなんだよ」
いよいよ始まった後夜祭。
自分たちの出番を目前に控えた冬真は、グループの控室にいた。隣のパイプ椅子に腰かけたクラスメイト――進藤 拓也がからかうように言った台詞に、いちごミルクを飲みながら適当に答える。
拓也もまた飲み物を口に運びながら楽しげに笑う。
「だってよ、『Honey Blue』の鳴海 冬真さまといえば、テレビに雑誌にご経験豊富じゃねぇか。だから、高校の文化祭で発表するくらいじゃ緊張なんて無縁なんじゃねぇかと思ってさ」
隣の座る拓也は、校則に引っかからない程度に淡く茶色に染めた髪をワックスで整えた洒落た男だ。冬真がクラスで一番仲の良い男友達であり、今回、後夜祭でクラスメイトの有志でグループを作って『Honey Blue』の歌をやろうと言いだした張本人である。
自分は最初出場に乗り気ではなかったのだが、拓也がどうしてもやりたいと言い張ったので、しぶしぶと承諾した。……しぶしぶと言いながらも、普通の高校生として初めて親友と呼べるくらい仲良くなった拓也を喜ばせたくて、じつは二つ返事で引き受けたのだ。
大事な友だちと、一緒になにかやってばか騒ぎして楽しみたかった。普通の男子高校生の思い出を残したかったのだ。
「――さあ、次はお待ちかね、Dear Princeの番で―――す!」
野外ステージ上で、司会の男子生徒がマイクを通して陽気な声で紹介する。ステージを待ち侘びていた生徒たちの歓声が控室まで響き渡り、震撼させた。と同時に、冬真はグループ名を聞いていちごミルクを吹き出しそうになる。
「おい拓也、Dear Princeってなんだよ! なんか恥ずかしいグループ名だな!」
「恥ずかしくねぇよ。Honey Blueの鳴海 冬真さま率いるおれたちのグループにぴったりの名前だろ! 特におまえはみんなにとっての王子様なんだからよ」
「俺、そういうキャラじゃないし」
後ろ頭を掻きながらぼやく。拓也は軽く笑ってから冬真の背中を押した。
「――さあ、行こうぜ! おれたちの最高の思い出作ろーじゃん」
(え……?)
冬真の肩を叩いて、拓也は先にステージへと躍り出ていく。
(まさか拓也、俺のために有志のグループ組んでくれたのか……?)
自分が普通の高校生としての思い出を作りたいって言ったから。
親友のさりげない気遣いに心がくすぐったくなる。こうなったら最高に盛り上げていこう、そう思った。
冬真も拓也のあとについてステージへ足を踏み出した。
まぶしいほどのライト、わああああっという歓声、そして自分たちに向かって手を振ったり拍手したりしてくれている観客たち――。普段仕事で見慣れている光景のはずなのに、高校の野外ステージから見るそれはなにか特別なもののように感じられた。
ステージ中央に立つ自分の隣には、親友の拓也や、声をかけて集まってくれたクラスメイトの男子が同じように客席に向かって手を振っている。冬真と拓也を含めて5人、『Honey Blue』のグループと同じ人数だった。
「こんだけきゃあきゃあ言ってもらえると気持ちいいなあ」
拓也が嬉しそうに歯を見せて笑う。スポットライトを浴びた横顔は普段の何倍にも増して格好いい。
冬真も自然と笑んだ。
「だからこそ、俺らは最高の歌やパフォーマンスで応えないといけない。全力出しきっていこう!」
「おう!」
拓也たち有志のメンバーが拳を振り上げた。
冬真は最前列の客席へと視線を凝らす。自分が今日一番にステージを見て欲しかった彼女の姿を探して。
(……あれ?)
最前列にひとつ空席がある。
そこは自分が彼女のために用意した、自分がもっとも近くに見える席だった。
――芽衣……?
大切な彼女の姿が、そこになかった。
向かっているところなのだろうか。
もしかして、なにかあったのだろうか……?
――それとも……。
(歌ってる俺の姿なんて、見たくなかった……?)
いやいやいや、それはないはずだ。
芽衣は、後夜祭で歌うと言ったときに、あんなに楽しみにしてくれていたのだから。
とすると、やはりなにかあったと考えるべきなのだろうか。
芽衣がいるはずだった席を凝視している冬真の肩を、拓也が小突いた。
「おい冬真、なにぼーっとしてんだよ! 曲始まるぞ!」
「あ、ああ、ごめん」
そうだ、まずはステージに集中しないと。
最後の曲の前に休憩を入れているから、そこで芽衣を探しに行けるはずだ。
もしくは、曲の途中に彼女が来てくれるといいけれど……。
一抹の不安を心の奥底に押し込みながら、冬真はすぐに気持ちを切り替えて、音楽の入りに合わせて大きく息を吸った。
***
拓也たちと無事に数曲を歌い終わった冬真。あとは最後の曲を残して十分間の休憩時間に入った。
鳴海くんかっこよかったーっ、本物見たーっ、と皆が話している声を遠くに聞きながら、冬真は控室にいた。パフォーマンスで息の上がった呼吸を整える。滴り落ちる汗をタオルで拭った。
(……芽衣、やっぱり来なかった……)
あれから、パフォーマンスをしながら最前列を注視していた。けれど、やはり芽衣は来なかった。
あれだけ楽しみにしてくれていたのだから、きっとなにかあったのだろう。そう考えるべきだ。冬真は意を決して立ち上がる。近くで休んでいた拓也に歩み寄る。
「拓也。疲れてるとこ悪い。あのさ、芽衣……戸田 芽衣のこと見なかった?」
「戸田? さあ、おれは見てないけど……」
首を傾げた拓也の後方、今回一緒にステージに上がった友人がなにげなく言う。
「戸田なら俺見たけど」
「え?」
「後夜祭が始まる前だったと思うけど、俺たちの教室に入って行くのを見かけた。忘れもんでも取りに戻ったのかな、くらいにしか思わなかったけど」
「……っ、ありがとう。助かった」
思いがけない芽衣の目撃情報に、冬真は息を呑む。自分たちの教室で何かに巻き込まれたのだろうか。とりあえず、まずは芽衣の足取りを辿ってみるべきだろう。休み時間は十分しかない……。けれども、このまま放っておくわけにはいかない。
冬真は踵を返して教室に向けて駆け出す。芽衣に何かあったのだとしたら、きっと自分のせいだろう。
冬真は逸る気持ちのまま、校舎の廊下を駆け抜ける。
(芽衣、教室でなにかあったのか……?)
なぜだろう。
なんだか、嫌な予感がする。
思いだすのは、前に体育館の裏で美香に取り囲まれていたあの光景だ。
また、あのときのような危ない目に遭っていないといいのだけれど――。
「――芽衣っ!」
「冬真くん!?」
冬真は教室の前に辿り着くなり、扉を開け放った。途端、ベランダのドアを懸命に拳で叩いている芽衣の姿が目に飛び込む。
冬真の姿を見るなり、芽衣が大きく目を見開いてさらに強く扉を叩き始める。ガラス越しに見える彼女が、くぐもった声で必死に自分の名前を呼んでいる。
ともかく彼女の無事を確認できて、冬真はほっと息を吐いた。ベランダの出入り口に駆け寄る。
「芽衣、ちょっと待ってて! 今開ける!」
冬真は、冷や汗で滑る手で鍵を開ける。そうして横開きの扉を勢いよく開けた途端――芽衣が、涙の滲んだ表情で自分に抱きついてきた。それを危なげなく受け止めると、自分の胸の中に収まった彼女が涙声で訴える。
「怖かったっ……! 冬真くん、来てくれてありがとうっ……! このまま閉じ込められてたら、どうなるかと思っ……」
芽衣にみなまで言わせないうちに、冬真は芽衣の背に腕を回してぎゅっと抱きしめた。
小さい彼女の体が、びっくりして強張るのを感じる。
それには構わず、冬真は芽衣の肩口に顔を埋める。
「芽衣っ、無事でよかった……! 前みたいに芽衣になにかあったらどうしようかとっ……! よかったっ、よかった――……」
本当に安堵したからか声が掠れてしまう。芽衣は顔を上げて、冬真の頭をそっとなでた。彼女がこちらを安心させるように柔らかく微笑む。
「冬真くん、心配かけてごめんね。びっくりしたけど、このとおり、私は大丈夫だから」
「うん……」
冬真は芽衣から体を離す。気持ちを落ち着けて、状況を確認する。
「芽衣。きみが無事でよかったけど、なんでベランダに閉じ込められるようなことになったの? 誰かに意図的にやられたとしか――」
芽衣が顔を伏せる。
それだけでなんとなく状況を察した冬真は、静かな声で芽衣に問いかけた。
「……もしかして、小林さん?」
答えない芽衣の返事を肯定ととる。
詳しい状況はわからないけれど、おそらく、芽衣が教室に戻ってベランダに出ていたところを、美香に教室の中から鍵をかけられたのだろう。どうしてそう幼稚ないじめばかりするんだと、冬真は小さくため息をつく。
「……芽衣、もし小林さんにやられたのなら、きっちり謝ってもらいにいこう。こんなことを人にするなんて、許されることじゃないよ。エスカレートする前に先生にも報告に行かないと」
冬真がそう言ったところで、教室の戸口のほうから、かたり、と小さな音が鳴った。
冬真と芽衣は同時に振り返る。そこには、うつむいた様子の美香がたたずんでいた。
とくに敵意は感じない。もしかしたら、芽衣の様子を見に戻ってきたのかもしれない。
そうは思ったけれども、美香のしたことは許されることではない。冬真は、怒りを抑えながら芽衣を庇うように立つ。
「あの、小林さん。これはいったいどういう―――」
「冬真くん、待って!」
怒気をはらんだ声で言いかけた冬真の肩を、芽衣が後ろからそっとつかんだ。
出鼻をくじかれた冬真は、やや憤慨した様子で彼女を振り返る。
「芽衣、どうして止めるの!」
「冬真くん、ここは私がけじめをつけるところだから。だから、ちょっと待ってて」
芽衣は力強く言うと、落ちついた表情でつかつかと歩きだした。
「……な、なによ。あたしは謝らないから。あんたが、みんなの鳴海くんを独り占めしようと――」
美香にみなまで言わせないうちに、ぴしゃり、とひどく乾いた音が教室内に響き渡った。美香の目の前まで進み出た芽衣が、彼女の頬を平手で軽く叩いたのだ。
まさか芽衣がそんな行動に出るとは思わなかったのか、美香は目を白黒させて自分の頬を手で押さえている。
一瞬で凍りついた空気をものともせずに、芽衣が美香をまっすぐに見つめる。
「小林さん、卑怯な手を使って私を蹴落とそうとしたって、冬真くんの心は動かせないよ。彼のことが好きなら、正々堂々と自分の力で奪ってみせなきゃ。それとも小林さんは、冬真くんと正面から向き合う勇気もないの? あなたは、そんなに弱い人じゃないでしょ?」
リーダーシップのある小林さんなら、もっと自分の魅力を信じて冬真くんにぶつかっていけばいいじゃない、と芽衣が言い添える。
その言葉を受けた美香は、なにも言い返そうとはしないでうつむいた。
……おそらく彼女も、自分が悪いことをしてしまったことはわかっているのだろう。それでも、芽衣に嫉妬して、彼女を貶める方法しかできなかったのだ。
(――それはきっと、小林さんが、本気で俺のことが好きなわけではないから)
『Honey Blue』としてある程度有名な自分に、憧れというか……ブランドを感じて、自分と付き合って周囲から注目されたかったのだろう。それは、ボーカリストとしての冬真しか見ていないのであって、冬真自身を見てくれているわけではないのだ。
(芽衣みたいに、普通の高校生としての俺を見てくれているわけじゃない)
うつむいた美香の瞳から、ぽろぽろと涙が床に落ちる。芽衣は自分のハンドタオルをそっと美香に差しだした。
「……さっきは叩いてごめんね。あの体育館の裏で突き飛ばされたのと、いまベランダに閉じ込められたことのお返しだと思って許してほしい。これでおあいこってことで」
へへ、と芽衣がいたずらっぽく笑う。あれだけのことをされても、芽衣は怒りに任せることをしないのだ。
なんて強い女の子なんだろうと思う。自分はもっともっと、彼女のことを好きになっていく気がした。
美香が涙で濡れた顔を上げる。
「……あのっ、戸田さん、ごめんなさいっ……! あたし、あなたにひどいことをした……。鳴海くんと戸田さんがどんどん仲良くなっていくのが許せなくて……。鳴海くんと一番仲のいい女の子で、いたくてっ……」
クラスの女子のリーダーという立場でいる美香らしい考え方だと思った。彼女は、なんでも一番でありたいと、ほしいものは全部手に入れたいと思ってしまうのだろう。
涙声で、美香は芽衣に謝罪を続ける。
「けど、いま戸田さんに言われて思ったんだ。あたしは鳴海くんの彼女っていうポジションになりたかっただけで、鳴海くん自身が好きなわけじゃなかったんだと思う……。だから――」
そこまで言って、美香は泣き笑いの顔を上げる。
「もう、戸田さんに迷惑をかけるのはやめる。許してもらえるなんて、都合のいいことは思わないけど……――今までのこと、本当にごめんなさいっ……!」