告白
ひと気のないグラウンドの片隅にやってきた芽衣。働きすぎたのか、ぐったりして地面に腰を下ろしていた。
あれから冬真の活躍のおかげで喫茶店は満席続き。入店規制を敷いたは良いけれども、待っているお客さんも多く、休む暇もなく接客を行った。もう足が棒のようだ。
(カフェのバイトって大変なんだろうなあ……)
そんなことをしみじみと実感しながら、芽衣はぼんやりと目の前の景色を見やる。
グラウンドでは、チアリーディング部が元気に声を張り上げて組体操の練習をしている。おそらく、これから野外ステージで発表があるのだろう。グラウンドは、各クラスが出している露店の他、これから野外ステージに出場する生徒たちのリハーサルの場にもなっているのだ。
そして、冬真たちは後夜祭の野外ステージで発表することになっている。
(冬真くん、来てくれるかな……)
冬真とは、休憩時間になった後にここで待ち合わせることになっている。
これからのことを考えると、芽衣はそわそわして顔を突っ伏したくなる。
(……冬真くんが来たら、今度こそ告白の返事をしなきゃいけない……)
自分の気持ちに正直に答えればいいのだろうか。
いろいろな問題点がうずまいて、素直に気持ちを伝えることに踏ん切りがつかないのだった。
どうしよう、と呟いたとき、突然頬に冷たいものが押し当てられた。
「ひゃっ!」
「芽衣、遅れてごめん」
体に走る冷たさに驚いて振り返ると、いたずらが成功した子供のような笑顔の冬真が立っていた。
芽衣の頬には、彼が差しだした冷たい紙パックの飲み物が押しつけられている。どうやら差し入れを買ってきてくれたらしい。
「冬真くんっ! もう、びっくりしたじゃん」
「ごめんごめん。なんか芽衣、ぼーっとしてるみたいだったから驚かせようと思って」
おどけたように言って、冬真は芽衣の隣に腰かけた。自分用に買ってきた飲み物にストローを通している。
冬真はウェイターの格好ではなく、ティーシャツにジャージという無造作な格好だった。後夜祭に備えてリハーサルに入るのかもしれない。
冬真から飲み物を受け取って、芽衣は問いかける。
「ねえ、冬真くん。ジャージに着替えちゃってるけど、もうクラスの出し物には出ないんだ?」
「もう出ないよ。午後は後夜祭のステージに向けて、友達と練習した後にリハやるからね」
「リハ……リハーサルのことだよね」
冬真は頷いて、軽い仕草でジュースを飲み始める。
その横顔ひとつとっても絵になるなあ、なんて見惚れてしまいながら、芽衣は紙パックに書かれている文字に目がいった。
――いちご牛乳……?
「冬真くんって、いちご牛乳好きなんだ?」
「うん。甘くて元気出るじゃん。やっぱり、疲れたときは甘い飲み物にかぎるよね」
「実感こもってるねえ」
普段の音楽業界でハードに働いている冬真がいうと、妙に説得力があるのだった。
芽衣も冬真に倣って、彼が買ってきてくれたいちご牛乳を口に含むと、ほのかな甘さが舌の上に広がった。
さきほどの喫茶店の仕事で乾いていた喉も癒えて、不思議と元気を取り戻してくる。
(……ええと、どうやって切り出そうかな)
芽衣はこっそりと隣の冬真を見やった。
いまこそ冬真に返事をしなければならないと思ったけれど、自分から話題を振るべきかどうか迷っていた。
(冬真くんが、今はその話をしたくないと思ってたらまずいしなあ……)
けれど、このまま先延ばしにしていたらなにも進展しないままだということはわかっていた。――やっぱり、私から言わなくちゃ。
芽衣は意を決して冬真を見て、口を開いたそのときだった。
「あの、冬真くん」
「あの、芽衣」
こちらに被さるようにして、冬真もまた話を切りだした。
(えっ……)
二人できょとんと顔を見合わせて、どちらともなく吹き出してしまう。
「と、冬真くん、お先にどうぞ」
「いやいや、芽衣から」
くすくすと笑いながら、冬真が芽衣の先をうながす。
二人で笑い合ったからか緊張感が吹き飛んで、芽衣は自然に冬真に切りだしていた。
「この間の返事なんだけどね、私も――……」
どこか期待するように、冬真が芽衣を見つめる。
迷うことは、たくさんあるけれど……。
けれど、自分の気持ちに嘘はつきたくなかった。
ここで我慢してしまったら、自分はきっと、ずっとそのことを後悔してしまいそうだったから……。
芽衣は、勇気を奮い立たせるように一度大きく深呼吸をする。
返事はもう決まっていた。
「――私も、冬真くんのことが好き」
言葉にした途端、体の芯からじわじわと熱くなってくるようだった。
恥ずかしいけれど、これが自分の正直な気持ちで。
この誠実な思いが冬真に伝わるようにと、芽衣は彼を一心に見つめた。
冬真は、一瞬言われたことを呑みこむのに時間がかかったのか、ちょっとの間無言になった。そのあと、その整った両目を大きく見開く。
「……芽衣も、俺のこと?」
やっとのことで訊き返した様子の冬真。芽衣は、うん、と大きく頷く。
「いろいろ考えたんだけど、やっぱり自分の気持ちに素直にならなくちゃって思って。――冬真くんは、私は普通の一般人なんだけど、それでいいの? 物足りなくない?」
何が物足りないか……と言われれば上手く答えられない。けれど、有名人である冬真は多くの女性から言い寄られるはずだ。それこそ、女優でもモデルでも女性歌手でも。好きなお相手を望めるのではないだろうか。
冬真は笑って芽衣の頭をくしゃりとなでた。
「なに言ってんの。俺が好きなのは芽衣なんだよ? それでなんで物足りないわけ?」
「だって――」
言葉は最後まで続かなかった。
急に腕を引かれたと思ったら、ふいに顔を近づけた冬真に唇を塞がれていたのだ。
たじろぐ芽衣の至近距離で、体を離した冬真が薄い唇を嬉しそうに持ち上げた。たったいま二人が繋がっていたものだと意識してしまい、芽衣は真っ赤な顔を伏せる。
「――芽衣こそ、俺でいいんだね? あとで後悔しても、もう逃がさないから」
耳もとでささやかれる声。芽衣はすぐ隣にある冬真の横顔を見つめる。
「冬真くん……」
「好きだよ、芽衣」
その言葉を聞くだけで、冬真をもっとずっと好きになる。
――気持ちを言葉にするって、大事なこと。
その実感をかみしめながら、芽衣は冬真の胸もとに身を寄せた。
「私も好き。だからずっと」
――そばにいてね。
そう伝えるように、二人はどちらともなく唇を寄せ合う。
幸せだった。好きな人と想いが通じあうことは、こんなにも幸福に満たされるものだと知らなかった。
だから自分は、気づかなかったのだ。
二人の姿を、偶然通りかかった美香が盗み見ていたことに。