D P
「やっぱりやめませんか?」
前を歩く背中にまた、言おうとした村藤の口は開かず、ただ喉がゴクリと鳴っただけだった。
わかっている。
前の男が軽く手を振っている相手が誰なのか。
貼りつけた笑顔の皮一枚の下で、手を止められて迷惑そうにしているのは、大道具さん。
バミと呼ばれるテープを貼るAD。今日は外じゃないから芯を抜いていないテープ。
モニターを設置している技術さんは後ろの確認を忘れない。ともすれば気持ち悪くなるほど、うねうねとケーブルがはい回る床の上。引っかけられて抜けるぐらいならいいが、いや良くはないが、コネクタごとぶっ壊れるよりマシだし、注意して防げるならそれにこしたことはない。
そう。
もはや、ここに至っては。
止めたら止めたで、迷惑がかかってしまう。
昔に比べれば予算が少なくなった中、苦労して見栄えのするセットを組んでくれる大道具さん。出演予定のタレント、アイドル。番組の流れを考えてくれた構成作家さんに、予定を押さえたカメラマン、音響さん。編集するのは自分だけれど、機材だって無限にあるわけじゃない。今さらスケジュールを変更すれば、寄ったシワを伸ばすのに誰かが苦労するだろう。
・・・若かりし頃の自分のように。
ようは。
かりん、かりん、かりん と。
テンションの張り詰めた音と共に、頂点に達したジェットコースター。
足にゴムを結んで、バランスを外側へ傾けたバンジージャンプ。
青空の中、こっちの都合なんかお構いなしに、飛行機から背後のインストラクターが手を離した、スカイダイビング。
もはや。
結果は決まっており、それは覆ることはない。
たとえ。
レールが切れていてもゴムが長すぎてもパラシュートを忘れてしまっても。
○≡ ──少し、いや、そこそこ前──
「はあぁっ?! 何言っちゃてるのきみぃ!」
怒声と共に、スパーン! と叩かれた。・・・机が。
前世紀なら間違いなく叩かれていたのは自分の頭で、それも一発や二発ではすまなかっただろう。
「んで? 理由は?」
ああ、カッコつけなんだな。
会議ではエビデンスとか言っちゃうクセに、頭に血がのぼれば容易く地が出る。
「ネタにヤバさを感じます」
さも、自分が感じたように言ったが、リアルに感じとったのは、下の連中だ。
でも、そう言ったら言ったで、デスクにふんぞり返っているこの男は、今度はそいつらを呼び出すだろう。
一人一人、一対一。
絶対にパワーバランスで負けないように。
五人一緒ではなく。
「ヤバみ。結構じゃないのさ」
ふん! と鼻息を一つ。
まるでこちらの意見を吹き飛ばすように。
ギリギリ、ギリのギリ。
目を血走らせ、コップの縁から水がこぼれる、もしくは人に渡らせている綱渡りのロープが、寄り合わされた糸の一本一本引きちぎれるのを。中心の最後の一筋が伸びきるの一瞬を見極めてきた男だ。
それが失敗しても、こぼれた水は他人に拭かせるように自分は決してダメージは受けない立場を堅守するとはいえ、それが実績につながっているなら妥協を許さない。
他人がしり込みすればするほど、後ろからそのケツを蹴り飛ばす、しかも嬉々として。
それが出世につながるとわかっている男である。
「・・・んで? どんくらいヤバイの?」
なよっ、としているクセに、指の関節がごつく、ぶっとい。
その先端の爪にヤスリをかけているよう=まったく興味などありませんと、いう風を吹かせているが、細い目からこちらへむける視線は鋭く、それない。
「取材中に、やっぱりとなるパターンがほとんどです。それに、取材先に」
「に?」
「食料品があると・・・それもどこも同じぐらいの量が」
「ふうん・・・」
ふっ、と。指の先端を吹いたP=プロデューサーが目の焦点を失くした。
きっと彼の中では様々な分銅が天秤の両側に載せては下ろし、組み合わせを変えてされているのだろう。
「言いたいことはわかったよ」
「そうですか!」
「でもやるから」
「・・・」
やっぱりそうか。自分の顔が一気に年相応になっていくのがわかる。若いのに合わせていても、ふと歳を感じてしまう。
勢いで押しきれずに諦める時なんかは特に。
「チョー率? 視聴率の臭いがするし」
そう。目の前の男はそう考える。
この男に限らず、この会社の同じステージに立つ者は皆。
普通の人とは判断の基準が違う。
「心配しなくて良いよ。キミはなにも。何せ責任者はボクだしね」
ケラケラと笑って、笑ったふりをして、しつし! っと手をふる。
一見、いや一聞きすれば責任感のある言葉だが、発音された声は残らない。文字が紙の上で消えないようには。
そして彼らは接して言わない。
「責任を取る」と、は。
○≡
「村藤さん? 村藤さん!」
「ああ、おぅ」
「しっかりしてくださいよ、もう」
スケッチブック、別名カンペを持ったアダッチーが、笑っている。
その背後にはすっかり出来上がったセットに座った出演者。
これから生放送で二時間、放送される予定の番組の開始前の数十分前。
始まってしまえば霧散する、ピリッとした緊張感が漂うスタジオ。
「はい、カメラテストいきます」
自分の声がやけにはっきり聞こえる。
長年の経験により、もはやなにも考えずに行える本番前のルーティンは、ともすると魂が肉体を離れ、スタジオを俯瞰で
見下ろすかのようだ。
「ライト位置変更。モニター眩しくないですか?」
「マイクOK?」
下にいる自分の体が次々に指示を出し、世話しなく動く人々が、少しずつ収まって。
静寂。
何台かある大型カメラの一台。
正面のメインカメラに赤いランプが灯る。
「はい! 本場スタート! ゴー、ヨン、・・・」
アダッチーの声が途絶え、指だけが折られていく。
けたたましいSEが静寂と緊張を吹き飛ばした。




