全天観測員(1)
地球は危機に瀕している。
まるでヒーロー物の最初に書かれるような一文だが、これが日常会話の一コマではなく、ある日突然、ぶ厚い絨毯の敷かれた部屋に呼び出され、重厚な机越しに、これまたフリンジに縁取られた錦糸がふんだんに使われた組織のシンボルが刺繍された旗なんかを背にした、吊しではなく明らかにオーダーメイドのスーツをまとった、経験が歳となって積み重なったような皺顔に刻んだ人物から発せられた一言だとしたら聞き手はどう受けとるだろう?
思わず考えるのではないだろうか?
どんな危機だろうか、と。
温暖化?
それに伴う気候変動?
戦争?
それに伴う物資の生産と流通の滞り?
カルトの信者によるテロ?
インターネットの普及により、昔は試行錯誤しなくてはならなかった爆弾も毒ガスも、そこそこ簡単に作れるようになった。まさか実弾を発射できる装置が、プリンターで立体印刷出きるなんて、じいさん、いや両親の若い頃ではとても信じられなかっただろう。
COVID-19の脅威も忘れてはいけない。
当初、新しい風邪だろうと舐められていた感染症は、各国の都市を封鎖してみせ、世界で一千五百万人を殺してみせた。
考えるときりがない、地球の危機の多さに愕然とする。
ああ、HPAIも忘れてはいけないな。高病原性鳥インフルエンザは、まだ直接人には害を与えることこそまれだが、くそったれなことにタマゴの値段を段階的に、しかし着実に、しっかりと、一歩一歩、押し上げている。
「ガッテム! 特売の値段の三倍だと? アニメのピンクのモビルスーツじゃねーンだぞ?! 通常時の価格だったとしても二倍? どうなっちゃうンだよこの世界はよー?!」
「そこまでだ」
呼び出し、自分達が住んでいる星の危機について考えさせてみた若者の思考の終着点が、なんかこう、思ったのと違って妙に小さいところにたどり着いたようだ。
漏れ出し始めたひとりごとを重々しくさえぎったこの部屋の主は、もう一度同じ事を口にした。
「今、キミが考えた危機はどれも将来的に重大な結果をもたらすかもしれない。しかし、地球の瀕している危機は何もこの星から発生するものだけではないのだ」
すっ、と。オーダーメイドスーツの袖から伸びた手が上を指差した。
つられた若者の視線も自然に上へむかう。
「ハウスダストや内装に使われた科学薬品によるシックハウス症候群?」
「違う」
「まさか設計不良による崩落の危険?」
「天井から離れたまえ」
もたらされたヒントから数秒後、若者の顔がパッと明るくなり、部屋の中主の顔を照らした。
「あー! はいはい! 階上の住人との騒音トラブル!」
「彼女との関係は良好だよ。もっと上だ」
もっとも、部屋の主の顔はすぐ曇ったが。
「もっと上・・・?」
「上だ。屋上の上の、そのまた上の。さらにまた上だ」
「わかった! 宇宙人っスね! エイリアン!」
「・・・」
一向に正解が出ない、それどころか。いや、近くはなっているが歩みが遅すぎる。
腕を上げ続けるのに疲れた部屋の主は、指差していた手に反対の手を添え、そっと頭を抱えた。
「つーか、隕石? 小惑星? ならちゃんとそう言えってンですよねー。ナンシー先輩」
「それ、ボスの前で言えたら奢ったげるわ」
「ディナーっス、か?!」
「やめなさい! せいぜいランチよ!」
この部署に新しくきたアレックスは、もうとにかく腰が軽い。それこそ今も、すぐさま席を立とうとするぐらいである。
まさか、そのままボスの部屋には行かないだろうが、行ったら行ったでこう言うのは容易に想像できる。「ナンシー輩先に言われてきました」と。・・・元気良く。
「はぁ。少しは真面目に仕事しなさい。ボスの言い方は少し大袈裟かもしれないけど、地球の危機は危機なのよ。チクシュルーブって知らない?」
そう言いながらナンシーは返却されたファイルを壁際の棚に戻す。
開発の最先端を行く宇宙局といえどもデータ化されていない資料は多い。
むしろ昨今のネットワーク侵入事件を受け印刷物は増えているぐらいだ。
「知ってますよ。・・・美術館っスよね?」
それはルーブルよ。ルーブしか合ってないじゃない。
この部署には他にも人員が配置されているが、この新人を見ているととある噂を信じそうになる。
曰く。窓際部署というウワサを。
「そんなことないわ私は優秀だものいえ優秀な人はじぶんを優秀とは言わないわね努力できる普通人?伸び代が大きい?それだと今の私が伸びてないことになるから伸び代は少ないのはいけないんだってば!つまり伸び代に伸び代を伸び代することで・・・」
「パイセン? 先輩? おーい、ナンシー先輩。帰って来てくださいよー」
自分より一足先に配属された女性職員の前で手のひらを振るアレックス。
反応無し。
肩をすくめるアレックスであったが、ここは帰ってきてもらわないと困る。
何しろ。
さっきからピーピーと。
コンピューターが警告音を発しているのだ。




