50 それぞれの見据える先
[シェリアンヌ視点]
真っ暗な世界。自分の周りを照らすランタンだけが弱々しく辺りを照らしている。
生き物の気配がどこからともなくする。
人間は自分しかいない。誰もいない。
森の中の少しだけ温もりを感じる空気に包まれ、微かな虫の鳴き声を耳にする。
「……人間ってどうして、あんなにイヤな生き物なの?」
幼い少女の心は疲れ切っていた。
彼女にとって、最も邪悪で、自分達を害する存在はいつでも人間だった。
今日の食事パーティーでもそうだった。
お母様を蔑むような視線。シェリアンヌを憐れむような視線。
ギリギリ聞こえないくらいのこちらを見ながらのヒソヒソ話。
今日は一段と、イヤな視線が多かったのは、朝に姉のペトリカーナが流した映像のせいらしい。
「私も人間以外に生まれたかったな……」
人のいる場所に耐えきれなくなって、逃げてきたのだ。
シェリアンヌの独り言のような呟きに、反応する声。
「 ユ ル セ ナ イ カ ? 」
ゆったりと、軋むように、虫より多い足を動かす怪物。
シェリアンヌはこの化け物が人語を解することになんら疑問を感じていなかった。
ただ単に、そういった生き物なのだろうと、思っていた。
「許す……。どうして? シェリアンヌもお母様も、何も悪いことしてないのに……。あのペトリカーナはいつも、シェリアンヌに酷い悪夢を見せるの。嫌い。嫌い。すごく嫌い」
小さな声で、「いなくなればいいのに……」と添えた。
シェリアンヌはいつだって弱者だった。
なんの力もない、ただ特別な家柄に生まれただけのか弱い少女。
理不尽な搾取を受けづつける被害者だった。
「 マ ナ ヲ…… 。 マ ナ ヲ ク レ 」
化け物が言う。昨日も化け物はご飯は食べず、「マナ」を欲しがっていた。
気になってあの後、シェリアンヌはお母様に「マナってなに?」と尋ねてみた。
魔法を使うための不思議な力だそうだ。
シェリアンヌの体の中にも溜まっていて、自分の意思で放出できるそうだ。
「やり方、分からないけど……。シェリのマナ、頑張ってあげてみるね」
化け物の木の体に手を添える。
あちこち痛んでいて、かわいそうだ。
マナをあげたら、よくなるのだろうか?
シェリアンヌは自分の体に流れる形のない力の流れを捉えようとした。
液体。海の波のように静かに揺れている。その波を少しずつ大きくしていって、体から溢れさせていく。
一度体の外に出たら、一気に放出する。
手を伝って、化け物の中にとめどもなく流れ込んでいく。
突然、化け物は大きく体を動かした。地を震わすほどの大きな振動。
……いや、地面の土が化け物の周りに集まっていっていたのだ。
みるみるうちに化け物は、元よりもさらに大きなヒト型の物体へと姿を変える。
シェリアンヌは純粋な大きな力に、何もできずにそれを見上げているのみだった。
「 ア リ ガ ト ウ 。 コ レ デ、 コ ロ シ ニ、 イ ケ ル」
巨体は真っ暗な中で、二つの目を真っ赤に光らせていた。
それでもなお、シェリアンヌには恐ろしく映らなかった。
「殺す……? 誰を?」
「 オ レ ト、 オ マ エ ノ、 ニ ク イ ヤ ツ 。 イッ ショ ニ、 イ コ ウ 」
大きなヒト型が手を、シェリアンヌが軽々乗れるほどの大きな手のひらを差し伸べる。
「ダメだよ。「ショードー」で動いたらダメって、お母様がシェリに教えてくれたの」
聞こえたのか聞こえていないのか、依然として化け物は手をシェリアンヌが乗れるように地面につけている。
「殺すなら、きちんとタイミングを考えてじゃないと。だから、明日、また呼びにくるね!」
シェリアンヌの顔は火照っていた。
彼女にとって、初めて能動的に動くことができる瞬間が、この時やってきたのだった。
最も憎いペトリカーナを消すチャンス。
幼くして過酷な世界にいた彼女は、純然たる悪意をぶつけ続けられてきた幼き少女は、正しく善悪を判断できる道徳観が育つはずもなく。ただ、純粋に自分の元に舞い込んできた「事態を変えることができる大きな力」を、どう使うかに思考を満たされていた。
そこに罪悪の意識はなく、ただ自分と自分の周りの大事な人たちが笑顔になれる未来を、掴み取れる力を得た喜びだけがあった。
◆◆◆
程なくしてシェリアンヌちゃんは無事帰ってきた。
オーマンさんはおっかない顔でシェリアンヌちゃんに「どこ行ってたの!?」と問い詰めていたが、シェリアンヌちゃんはどことなく満足そうな顔だった。
なかなかなお嬢さんだぜぇ……。
無事でよかったよ本当。
明日の三次試験のことでちょっとしたミーティングをしようかという話も出たけど、メンバーが足りない!
エビィーとイェーモがまだ帰ってきてない!
今度はあの二人を捜索する? いやいや、あの二人なら大丈夫でしょ。
というか、シェリアンヌちゃんを捜索をする時にエビィーとイェーモも手伝ってもらおうとしたのに、部屋にもどこにもいないんだもんなぁ……。新しい仲間のブーデンも紹介しなきゃなのに。
シェリアンヌちゃん派の選抜出場メンバーは、とうとう俺とあの二人だけだから、こういう時にいてくれないと困っちゃう。
もうとっくに食事会は終わってるのに、食後の散歩でもしてんのかねぇ?
◆◆◆
[イェーモ視点]
周囲を見渡し、誰にも見られていないことを再度確認する。
あの方からの直接の呼び出し。選抜が始まってから、初めてのことだった。
食事会のときに、スタッフの女から紙を渡された。おそらく、スタッフに紛れたトリンメル部隊の一員だったのだろう。何人いるのかわからないが、あの方が信頼を置くトリンメルの部下だ。数は多いのだろう。
しかし、直接会うのはリスクが高いのに、それを承知で会おうとするというのは、何か想定外の事態が発生している。
あの、ガウスマン様が読み誤った?
長らく支えてきたボクには信じられないことだった。
彼の強力な手駒であるコリスに続き、ハグリオまでもが殺されたという事実は、しかしながらイレギュラーの発生を物語っていた。
「時間通りに来たな」
時刻ちょうどにガウスマン様が現れる。
なるべく接触時間は短い方がいいという配慮から、ボクらはギリギリに到着するように動いたけど、ガウスマン様はそうでなくとも時刻通りに動く。
正確さを絵に描いたような人だ。
ボクと兄は、自分たちの本当の主人にひざまづく。
「まさか、ハグリオまで始末されるとは……。ペトリカーナ様は相当侮り難いということですね……」
ガウスマン様は落ち着いた目をしている。黒く、深い瞳は、何も映さない。冷徹な目で。
「君が気にするべきことではない」
しまった……!
失言だった。
ガウスマン様の立場からすれば、読み間違いを指摘するような言動に聞こえたかもしれない。
そんな気遣いもできないほど、今のボクは動揺していた。食事会で見せられた、ペトリカーナ様の狂気の舞台。間違いなく自分で殺しておいて、生首を抱き抱えながら、悲劇のヒロインを演じたショー。
あんなものをまともな感性で行えるとは到底思えない……。
幸いなことに、ガウスマン様は些細な失言で気を悪くするようなお方じゃない。
とても、合理的に考えられる方なのだ。
「この家督争いにおいて最も重要なこと、それは「情報」だ。私はペトリカーナにその点で大きく勝っていると思っていた。
だが、間違いだった。それが君たちに直接来てもらった理由だ」
それだけで分かるほどボクは察しがよくない。
情報なら分かる範囲で通信の【魔法器具】を使い、定期的に連絡を取っていた。
これになんの意味が……?
「情報を得るため、私は内通者をそれぞれの派閥、そして選抜運営側にも忍び込ませた。だが、逆のことも考えるべきだった」
逆……?
そうだ、ペトリカーナ様からのスパイだっている可能性はあったのだ。
あの狡猾なお人であれば、スパイを用意することもできるかもしれない。
そこで、ボクの頭の中で一つの疑念が浮かび上がった。
まさか………
………ボクたちのことを疑って……?
ガウスマン様はこうおっしゃった。
「あるいは、通信が傍受されている可能性がある。難しくはあるが、波長を読み取れば可能だと聞いたことがある。向こうには『音魔法』に精通した男もいることだ」
ラルゴ……。
ペトリカーナ様の側近で『結界魔法』だけでなく、『音魔法』まで体得している男。
なるほど、そこでようやく合点がいった。
直接の呼び出しは、通信傍受を疑ってのことだということだったのか。
ボクたちが二重スパイであると、言われるのかと思ったのは思い過ごしだったようだ。
信頼すべき主人を疑ってしまったことを後悔しながら、ガウスマン様の次の言葉を待つ。
「以降、聞かれてまずい内容は直接伝達しろ。手段はトリンメルの部隊の人間に定期的に接触させるから、この際に必要があれば私を呼び出すよう伝えろ。
ただし、定常報告は今まで通り続けろ。こちらが勘付いていないと少しでも思わせられる可能性がある」
さすが抜け目がない。
「それとシェリアンヌ派にお前たちを潜入させたが、ペトリカーナの嫌がらせのおかげで、利用することもできない。完全に腐った。
だが、捨ておくには、あのルナット・バルニコルが邪魔だ。無視できない。少しでもペトリカーナ派と潰し合うように誘導しろ」
ルナット……。
彼はガウスマン様にとって不都合な存在だ。
利用できるなら、うまく利用するのがベストなのはわかってる……。
「それとも、ルナットをこちら側に引き込めそうか?」
「引き込むだけなら可能だと思います。ただ……
単純な彼を引き込むのは案外簡単かもしれない。
ただ、懸念は二つある。
一つは、一緒に行動しているメイという侍女。始めはただの付き人だと思っていたが、そうではなかったことに薄々気がついてきていた。
基本的にはボクたちの会話に入ってこないけど、かなり深く事態を洞察している様子だ。何を考えているのか分からない、目的も分からない……。
もう一つは、ルナットの気分による意思決定。「アホ」という表現を使ってしまえばそれまでだが、彼は長い目で見た時の損得ではなく、気分で動く。
シェリアンヌ様たちが、か弱く、立場が弱いから守ってあげなくちゃいけない。そんな程度の気持ちで派閥を決定している。
気に食わないというだけの理由で、一番敵に回したくない一人であるペトリカーナと真っ向から対立している。
逆に言えば、その気にさせる理由を用意してやれば引き入れられそうだが、縛っておくことも難しい。
表向き、シェリアンヌ派との協定が難しくなった
現状、例えシェリアンヌのためになるからと丸め込んで引き入れたとしてま、いつガウスマン様のやり方に反発してめちゃくちゃしだすか分かったものではない。
「情が移ったか?」
「そ、そんなことは……」
情で……こっちの都合で、ガウスマン様の作戦を、目的を妨げるなんてことはあってはならない。
あっちゃダメなんだ……。
今の今まで一言も喋っていなかった、あのおしゃべりな兄が口を開いた。
「友達としての情ならあります。けど、ガウスマン様の命令を実行するのに支障はありません」
どことなく試すように顎を上げて、問いかける。
「なら、やることは分かっているな」
「はい。俺が「 ルナットを殺しますよ 」」
普段のヘラヘラとしたどこまでも軽い調子の兄が、真顔で断言した。
「頼もしい限りだな。
さて……長居するのはまずい。そろそろ行くとするか。それにしてもクロードのやつ、どこへ行った?」
◆◆◆
古き時代から屋敷に尽くしてきた老執事と、赤い髪の若き青年は、幼き頃に戻ったかのような暖かい体温の温もりのような会話をしていた。
これが最後のひとときになると知って。
「坊っちゃん。何から何まで、ご配慮ありがとうございます」
「坊っちゃんはよせ。それにありがとうはこっちのセリフだ。長年この家に仕えてくれた爺を、本当はこんな形で手放すのは本意じゃないんだが……事情が事情だけにどうしようもないな」
「私のことを思ってのことであれば、不要なお気遣いです。坊ちゃんは最大限私のために動いて下さいました。感謝こそあれ、坊ちゃんに頭を下げていただくようなことはございません。本当に今までお世話になりました。ありがとうございました」
「爺……。怪我は……大丈夫なのか?」
「老いた体には少し応えますが、これから実家で療養致します」
「明日は、改めてニース家に挨拶に行くという、「予定」だ」
「はい。お二人がいらっしゃった際は、故郷の特産品のビヒルローズの茶葉で入れた紅茶でお迎えさせていただきます」
「さぞかし美味いのだろう。一度飲んでみたいものだな。土産にもたせてくれ」
「是非に」
団欒のひと時が続いていく。
怪我をすることは想定外であったが、元々、セルドリッツェがこの選抜で役目を終えたら執事業もろとも引退することは、二人の間では共有していた話だった。
「全ては計画通りに……」
「ああ。おかげで人員の目星はついたしな」
「坊ちゃんの前にも申しましたとおり、爺は坊っちゃんこそが、この家の次期当主としてふさわしいと考えております」
「その話はいいだろ。当主になるとか家督を継ぐとか、本当はどうだっていいんだ。だけど、やらなくちゃいけないことがある」
「はい。ご立派なお覚悟かと。ですので、その一助にこちらを……」
「【ヨビサマシのマキネジ】……。ニース家の秘宝だろ? 本当に良かったのか……?」
「構いません。途中でいなくなってしまう私に代わり、せめてこの " 鍵 " が坊ちゃんのお役に立つことを祈っております。どうかお受け取り下さい」
「ありがとう……セルドリッツェ」
「そのかわり、と言うのもおこがましいですが……一つだけ、いえ、無理にとは申しませんが、去り行く私の願いを聞いていただけないでしょうか__




