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47 闇の中で語られる真相

 なるほど。ロズカは人探ししてるんだったね。


 それでその人のことを聞くために、ヘルメッセンに出された試験として、ペトリカーナのところで選抜試験に参加してるってことね。


 しかもヘルメッセンはペトリカーナの正式な部下ではないということみたいだ。



 ヘルメッセン……。まさかドーマのボスで秘密情報組織【悪魔(ゾーヤル)】のトップだったとは……。


 俺の中で、あのいかにも不健康な男は、第一印象が殺人犯っていう感じで、イメージ最悪だ。ただ、思っていたヘルメッセンの像と、実態は少々違っているのかもしれない。


「ところで」


 ドーマが、持ち前のいやらしい視線をメイさんへと向ける。


 本人に悪気はないのかもしれない。しかし、いつみてもいやらしい目だ。

 まったく、なんてやつだ! ワイセツブツチンレツ罪を適応したい。


 などという俺の気持ちは察することなく、ドーマは疑問を口にする。



「 アウスサーダ家のお嬢様がどうしてこんなところに? 」



 当然のように質問をしてくるドーマ。


 こっちは隠してるっていうのにバレていたのね……。

 まあ、天下の情報組織様なら、メイさん……いやメイレーン・ディア・アウスサーダが、俺のメイドに身をやつしながらこのギルファス家に潜入していることも知っていても不思議ではないのか。

 

 メイさんはというと、これといって驚いた顔はしていない。


「情報屋様は、(ワタクシ)の正体をご存知なのに、目的は把握されていないのですね」


 確かにその通りだ。

 もしかしたら鎌をかけているだけかもしれないとも思うけど。


 ドーマはいつになく真剣な顔をしていた。

 もしかしたらこれが仕事をする時のドーマの顔なのかもしれない。


 相変わらずいやらしい顔面ではあるけど。


「あれですかい? 「潜入してギルファス家がおかしな動きをしていないか探る」とか言っていたやつですかい? けどね、こっちはそんなことを聞きたいんじゃあないんでさぁ……」


 ……ドーマは何を言っているんだ?

 言いたいことがよく分からない。これって、俺がアホだからなのかぁ? いやそんなはずはない。


 俺はとりあえずなんか失礼なことを言ってる気がしたので、たしなめることにした。


「ドーマ。なんかよくわからないけど、メイさんに変な質問するのはやめなさい。セクハラですよ」

「セクハ……なんですかい? それは?」


 しまった。こっちの世界にはセクハラという言葉はないらしい。

 メイさんは沈黙している。


 ドーマもそれ以上の追求はしても無駄だと思ったようで、あっさりしたものだった。


「とにかく、アッシから言えることは、このままじゃああんまりダンナたちに時間は残されてないってことです。なんせ、ギルファスの曲者長女、あのペトリカーナお嬢様がメイレーンさんの正体を知っちまったわけですからねぇ」


 ペトリカーナにバレた!? よりにもよって一番知られたくない相手に……。


 まさか……!

 俺はドーマを睨んだ。


「いやいやいや、こっちも仕事なんでそんな目で見るのは無しでっせ! それに、ダンナたちの情報を流したのは、アッシじゃなくてヘルメッセン様です」


 彼が付け足して説明するところによると、【悪魔(ゾーヤル)】は基本的には誰かが調べた情報が全体で共有されるシステムがあるのだそうだ。

 現代のインターネットみたいだ。


「とにかくお二人とも気をつけてくだせえ。メイレーンさんの " 本当の目的 " が何なのか知りやせんが、今のうちに手を打たないと、ここにいられなくさせられますぜ」


 どういうことだろう……。


 俺の説明を求める、迷える子羊のような表情に気づいて、メイさんが説明してくれる。


「ギルファス家の未来をかけた選抜戦に他の御三家から介入されることは党首様からしたら容認できることではない。だから、ペトリカーナ様はいつでも(ワタクシ)たちがアウスサーダ家からの使者だと明かせば追放できる。つまり、ペトリカーナ様はいざとなったら(ワタクシ)たちをこの試験から排除するカードを持っているということです」


 な、なんと……。

 それって、俺たち、結構ピンチ!?


 俺があたふたしている横で、メイさんはいたって冷静であった。


「メイレーンさんは随分と落ち着いていらっしゃるんですなぁ……。ルナットのダンナとは大違いだ」


 余計なお世話だ。


「お話はすでに知っていましたから。

 ルナット様。今朝、二次試験前にペトリカーナ様がそれとなくルナット様への挑発として言っていたことを覚えていませんか?」


 二次試験の時のことをぼんやりと思い出す。確かに何かよくわからないことを言っていたような……。

 むかつくペトリカーナの発言を思い出す。


____

________


「力の問題じゃないのよ。

ねえ、ルナット。   " それより、アタシのこと「も」ペティって愛称で呼んでほしいわ "   」


________

____


「「愛称で呼んで」と言うのは、 " メイ " というのが本名でなく、(ワタクシ)がアウスサーダの娘、メイレーンであることを知っているという意味です」


 あの時点で、メイさんにはこの状況がわかっていたんだ……。


「だとして、ペトリカーナ(アイツ)はなんでそれを黙ってるのさ? アイツにとって、俺たちは邪魔なはずだよね? さっさと言っちゃえば俺たちどうしようもないのに、何がしたいんだ……」

「あら。あんなにラブコールされていたのに、(ワタクシ)、ペトリカーナ様が少し可哀想になってしまいます」


 冗談めかしてメイさんが言う。


「ペトリカーナお嬢様はね、ルナットのダンナが欲しいんですよ。追放したら手に入らないから、まだ泳がせてるってところです」

「いつでも(ワタクシ)たちを切れると仄めかしたのは、脅しですね」


 脅し?


 メイさんはハッキリとした言語で告げた。


「「自分のものになるか、それともこの場を去るか選べ」ということです。今頃、こちらから交渉を持ちかけるのを待っている頃かもしれませんね」



 これじゃあいくら頑張っても、ペトリカーナの気まぐれで、俺の選抜試験は終わってしまう……。


 俺にはどうしたらいいのかわからない。


 性格最悪ペトリカーナの物になるなんて絶対に嫌だ。

 けど、メイさんやメイさんのお父さんに任され、メイさんにも頼ってもらってるこの潜入の仕事を、続けるにはどうしたらいいんだろう……?


 苦しんでるオーマンさんやシェリアンヌちゃんを助けてあげるにはどうしたらいいんだろう?


 こういう時、メイさんならどうにかしてくれるんじゃないか、なんて思ってしまう……。



「大丈夫です。交渉する必要もありません。

 大丈夫です。全ては上手くいきますから」


 優しく、暖かく、心地の良い声だ。

 本当に大丈夫なんだろうって気持ちにしてくれる。


 この時、メイさんの頭の中ではどんな作戦が浮かんでいるんだろう? 俺には思いつかないような一休さんのとんちのような策略が用意されていっているのかもしれない。


 きっとそうに違いない!


 ……それとも、何も知らない俺が心配しないように、ただ安心することを言ってくれているだけなのだろうか…………?



◆◆◆



「あのボウヤたちに動きはある?」

「いや。今はうちの乞食、ドーマのやつと仲良くおしゃべりしているようだ……。お前に交渉を持ちかける気はないそうだぞ」

「そう。ざんねん」


 メイレーンが予想していた通り、ペトリカーナはルナットたちが交渉を持ちかけてくることを3割ほど期待して待っていた。あっさりとルナットの忠誠を手にいれることができるかも、と。


 直情的なルナットはともかく、背後にいるメイレーンは利に聡い女のはず。であれば、何もせず破滅の道を辿るほどバカではない、と考えていた。


 しかし、ヘルメッセンに聞いた通りなら、せっかくの脅しにも何か対処するでもなさそうだ。


「まあ、構わないわ。種を蒔いておくことが肝要よ。それよりも……わかりそうなの? あの女の真の目的」


「監視役としてのアウスサーダ家からギルファス家への視察……というより他ないな」


 ペトリカーナは不機嫌そうに口を曲げる。そんなはずない。

 何せ、アウスサーダ家の令嬢本人がギルファス領内に来るという不自然さ。それを解消する理由があるはずだ。


「メイレーン・ディア・アウスサーダ。アウスサーダの一人娘で、品行方正、知能は高い。経歴……人間関係……特別変わった点ははない」


 そんなはずはない。

 カモフラージュのためとはいえ、ただの学生を潜入の相方に選んだ理由。最も、ルナットは「ただの学生」とくくってしまうにはあまりにも規格外ではあるが……。


「ルナット・バルニコル。学校では学業についていけず素行不良な時期があったというだけの平凡な生徒だった。それが、突然の失踪とともに、性格の変化、そして魔法において非凡な一面を見せるようになった。ここ1ヶ月とかの話だ」


「突然才能を開花させた……ってわけね。ほーんと、出来すぎてるわ

大体、同じ学校に通っているわけでもない、どういう接点なのよあの二人は」


「住んでいる場所は山一つ越えて隣街だから、たまたま出会った、ということだろう」


 今まで的確に情報を集めることができていたヘルメッセン。それが、ここに来てどういうわけか……当たり障りのない、あまりにも取っ掛かりのようなもののない情報をよこす。血の通っていないような情報を。


「ヘルメッセン。アタシに隠し事してないわよね?」


 ギョロついた目がはっきりと長女を見据える。


「疑うのか?」


 ペトリカーナは即座に否定する。


「いいえ。いくら凄腕の情報屋でも、何でもかんでも知っているわけじゃないものね。あなたたちは、指定したターゲットの「現在」の行動を詳細に把握することはできるけど、ターゲットに指定する前の「過去」については情報収集に時間が必要、だったわね」


 部屋で待っていると、扉が開いた。


 もう一人の待ち人がやってきたのだった。


「ラルゴ。きちんと手筈通りにしてあるわね」


 顔を覗かせた親衛隊隊長のラルゴは「もちろんですとも〜!」と胸を叩いて、ついでに歌っていた。


 ペトリカーナの口元は三日月のように釣り上がり、目は鋭いカミソリのように細められた。


 


 真っ暗で冷たい部屋と鉄格子。

 選抜試験を行なっているこの場所には大きな本館とは別に、長女ペトリカーナ、長男クロード、次男テオファルド、次女シェリアンヌそれぞれのための別棟が建てられて、選抜期間中は各々の建物に住んでいる。ペトリカーナの住む建物には、彼女が設けさせた特別な地下が存在する。


 地下には罪人を閉じ込めておくのにふさわしい、座敷牢が存在している。


 たった今、一人、そこに閉じ込められている男がいた。

 男は事情も何もわからず、体を鎖で椅子に固定され、動けないでいる。


 男の額には汗が滲み、一心不乱に体を揺すって脱出を試みようとしている。

 冷静に考えれば無駄以外の何物でもないのにも関わらず、必死になって。


 コツコツという、上の方から聞こえる硬い音。来訪者の足音だ。

 男の心拍数は上昇していく。


 きっと来訪者は彼にとって良い存在ではない。確信があった。


 だが、まだ、彼は事態を全て理解はしていなかった。

 だから、状況が袋小路になっていることに気がついていない。

 無知からくる希望が、彼の頭を必死に稼働させた。


 やがて、目の前に現れたのは、彼にとって最も危険な存在。

 長く伸びた艶やかな黒髪。妖魔のような美しさと恐ろしさ。真っ赤な瞳。


「こんにちは。椅子の座り心地はどうかしら。

 あらあら。髪が乱れているわ。整えてあげるわ」


 背後に立っているのは彼を捉えた屈強な大男と、爬虫類のような目の気味の悪い男。

 しかし、そのどちらよりも、手を伸ばし、乱れた髪を整えてくれている、この華奢な女が恐ろしく感じられる。


「ペトリカーナ様……! これは一体何の間違いですか!?」


 顔を引き攣らせながら必死に笑みを浮かべる男。

 ペトリカーナは反応をじっと観察している。


「そ、そこのラルゴさんか、あるいはヘルメッセンに何か吹き込まれたのですか?

 誤解があるみたいです! 僕はいつだってあなたの一番の味方……


 ペトリカーナはつまらなそうな顔で遮る。


「平凡な反応ね。もう少し面白いことを言うものだと期待していたのだけど。


______ねえ、 " ハグリオ " 」



 男は、ハグリオ・チェビオーニには、いつもの澄ました余裕はない。

 額に浮かんだ汗、血走った目は、色男の彼を慕っている女性たちにとって見た事のない表情だった。


 それでもペトリカーナからすると、まだまだ満足のいくほどではなかった。


「ねえねえ、少し必死さが足りないわね。ちょっと頑張ってみようかしら」


 詠唱と共に椅子の周囲に魔法陣が現れる。ドス黒い光を放つ、悪意に満ち満ちた魔法が発動されようとしていた。



「 精神を蝕み、心を殺せ『ナイトメア』」



 ハグリオの瞳から光が消える。


 目を見開いたまま、意識は深層心理の底へと潜っていく。


 外傷を与える魔法ではない。


 悪夢を見せることで、精神的苦痛を与える魔法。

 ペトリカーナが最も得意とする魔法だった。




「「 ああああアアああアアアアア!!!!!! 」」




 嗚咽の音、痙攣する体。

 激しい息遣いと共に、よだれが床に撒き散らされる。


「醜いわね。まるで獣だわ」


 言葉とは裏腹に、ペトリカーナの顔は加虐欲求が満たされて、恍惚としていた。


 魔法が解除され、ハグリオの意識は再び浮上する。


「はぁ……はあ……もうやめてください……。僕は、何も……知らない……」


「まだ何も質問してないのに、知らないかどうかわからないじゃない。くすくす」


 ハグリオの端正な顔立ちは、たった数分の間に数年分は老けたようになった。

 体を傷つけないというだけの、拷問のような魔法。


 これをただ単に「嫌い」というだけの理由で、妹のシェリアンヌに使っていたペトリカーナが心の中に悪魔を飼っていると表現するのは、誇張でも何でもない。


「それじゃあ、今から質問するから、本当に知らないか教えてくれるかしら?」


 捕縛された哀れな男には返事をするだけの余裕はない。


「じゃあ、まずはただの前菜(オードブル)なのだけど、興味本位で聞いておきたいことがあるのよね。アタシが後ろにいるヘルメッセンに会いに行った時のことよ。ねえ、覚えてる? 場所はそう、メゾリック街。ちょうどアタシの部下が宿泊してた宿にあなたも泊まっていたそうよね?


 ね、あなた殺したの? シルファ・ルネローとかいう女」



 顔を極限まで近づけて問う女。

 女好きのハグリオであっても、口付けをできるほどの距離に美女の顔があっても、そうした気持ちは微塵も起きなかった。


「ち、違う!! 殺してない!! 僕は、僕が、殺す必要なんてどこにも!!!!」


 慌てて否定するが、無様に哀れに取り乱すその様子がペトリカーナの悪辣な悦びを呼び起こすだけだった。


「あらそうなの? ヘルメッセンがそう教えてくれたのだけど。

 けど、本当のところはどうかしら」


 ペトリカーナは再び魔法の詠唱を始める。


「い、嫌だ!! もう悪夢はたくさんだ!」


 暴れようともがくハグリオ。

 ラルゴが「結界魔法 第二の型(セカンドモルド)『蜘蛛の巣』」と唱えると、美しい半透明な平面がハグリオを横断するように現れる。まるで首切り台に嵌め込まれたかのように身動きが取れなくなる。


「おとなしくしてなさい。魔法陣からあなたの体がはみ出たら、魔法が発動しないでしょ?

 愚かな囚人よ。嘘偽りなく問いに答えなさい。『シンシア・スレイヴ』」


 今度ハグリオにかけられた魔法、『シンシア・スレイヴ』は、自白を強要するための魔法だった。

 この魔法をあえて初めから使わずに、弄んでいたのは、ペトリカーナの「趣味」でしかない。


「あの日、ドンソン財団の若手、シルファ・ルネローを殺害したのはあなたよね、ハグリオ・チェビオーニ?」


 虚に床を見つめる瞳。

 だらしなく開かれた口から漏れ出した言葉は、


「はい……」


の一言。


「どうして殺したか、その理由を説明してくれる?」


 ハグリオはさっきまでとは打って変わって静寂そのものであった。

 抵抗もせず、ただ自分の知る真実を語るだけの傀儡となっていた。


「ガウスマン様から……の……命令です。僕は……女性に……好かれる特技が、あるので……理由をつけて、つけまとい……うまく取り入って……ベストタイミングを測って……殺しました……」



  " ハグリオはガウスマンの命令でドンソン家の精鋭を殺した。 "


 ペトリカーナはすでにそのことを知っている。そしてそれが意味することまで。


「そう。殺しちゃったのよね」


 狂喜が正気を失った男の目に宿る。それは本来男が心の奥底に隠していた、本性。


「あの女……殺すの、楽しかったぁあ……

こっちを見る、絶望的な目! ……堪らないんだよなぁ……。「信じてたのに」って、裏切られて、それでも現実が受け入れられずに何かを僕に期待してる……あの、目! あんな顔されたら、楽しくなっちまうよなぁ……」


 ラルゴは「何の恨みもない、罪もない女の子を殺して気持ちよくなるんて、とんでもないゲスだ……」と、口を覆う。


「あなた、だいぶおかしいのね。でも、アタシなら少し理解してあげられるわ。だって不愉快な相手を痛めつけるって、すごく気持ちのいいこと。だからアタシがあなたを痛めつけることも理解してくれるわよね」


 そう言って愛おしそうに頬を撫でる。

 術にかかったハグリオの耳には届いていない。


「それで? ガウスマンは自分の選んだ選手が今年の【魔戦競技(マジナピック)】で優勝するために、ここ数年間連続で優勝者を出しているドンソン家側の精鋭を片っ端から殺していっている。あなたの担った役割もそれよね。けど、今、あなたはここにいる。どうして?」


 途切れ途切れに独白をしていく。

 

「……ガウスマン様、から、次の命令があった……」

「どんな?」

「ギルファス家長女ペトリカーナに取り入って、情報を流すこと……。ペトリカーナは……年頃の女だから……僕が潜入に、最適だ、と。それから、信頼を十分に得られたら……うまく誘導して……ガウスマン様の、思い描く、絵図に、持っていくように…………誘導を……」

「へえ……。けど、お絵描きはアタシの方が上手だったみたいね」


 爛々とした目が再びハグリオに宿る。



「本当はぁ……あの女もいつか……殺したいぃいい!! はぁ……はぁ……」



 ラルゴは発作的な怒りに身を動かされるのを感じた。

 この世で最も大切な主人を、騙しきれなかったとはいえ、騙していた上、快楽のために殺そうまでしているこの男に、憎しみを覚えたからだ。


「ラルゴ。まさか、アタシの邪魔をするつもり? 見てわからないかしら、今いいところなのだけど?」


 殺気にも似た怒気がペトリカーナから伝わる。

 

 おかげでラルゴは一瞬にして冷静さを取り戻す。


 代わりにラルゴは案じ始めていた。彼女の攻撃性は、ハグリオという外道に対しての単純な怒りや嫌悪から来るものでないことをわかっていたからだ。


(ペトリカーナ様はあてられてきているのだ……)


 凶暴性は共鳴する。

 狂気を秘めた男の内面に触れ、彼女の中に眠っていたドス黒い闇の塊が、攻撃衝動が内側から這い出そうとしていた体。


 ラルゴは恐れた。

 なぜなら、その攻撃性が最も狂わせ、傷をつけるのが、彼女自身の精神だということを知っていたから。


「ハグリオ。ああ、ハグリオ。今すぐあなたの皮を剥ぎ取って串刺しにしてしまいたいわ……。でも、まだもう一つ聞かなくてはいけないことがあるの。

 あなたの他に、ガウスマンの命令で潜んでいるのは誰かしら?」


 従順に受け答えをするマリオネットは、抑揚のない声であげていく。



「長男クロードの監視役はコリス・アルラだった……。しくじって殺されたが……。次男テオファルドのところには、最年少で下っ端のマーボロン・ギョス……。

 そして、末っ子のシェリアンヌのところには、僕と同じように情報提供件誘導役として…………テウター兄妹……


  " エビィー・テウターとイェーモ・テウター " がついている……。



 ペトリカーナは、振り向いた。二人の部下の方へと。

 

「やっぱりあなたは優秀ね、ヘルメッセン。全て聞いていた通り。間違いはなさそうね」

「当たり前だ。信用していなかったのか?」

「ただの確認よ。拗ねないでちょうだい」


 全て、ヘルメッセンから事前に聞いていた通りの内容だ。

 

 ペトリカーナは指を鳴らす。と、同時にハグリオは正気を取り戻す。


「はっ…………! ぼ、僕は……」

「全部喋ってくれたわ。ご苦労様。あとは…………」


「や、やめてくれ!! 殺さないでくれ!」


 さっきまで、人を殺したことを嬉々として語っていたのとは同一人物とは到底思えない情けない声で縋る。


 今し方この男を殺したいとまで思っていたラルゴが、まさかのことを言い出す。


「発言をお許しください。私は、この男を殺すべきでないと愚考します」


 ラルゴが心の底から案じていたのは、最愛の主人の心。

 彼女の中にある本能の異常性が、トラウマにより形成された狂気が、彼女の心を覆い尽くしてしまう。

 

 死んで当然の男であっても、ペトリカーナが命を摘み取ることで、蓋をしていたものが目覚めてしまうかもしれない。彼女の中の禍々しい何かが周りを破壊し、自身の心を破壊し尽くしてしまう。そんな未来を、阻止することがラルゴにとって最重要であった。


 すかさずヘルメッセンが釘をさす。


「初めから殺すという予定だったろ? まさか、今更怖気づいたんじゃないだろうな……?」


 ラルゴは進言する。


「ペトリカーナ様の『精神操作魔法』を持ってすれば、この男を操り逆にスパイとして使うことができるのではないでしょうか? そのほうが、我々の利益につながるのでは?」


 『精神操作魔法』は多岐にわたる。

 強制的に恐怖と苦痛の感情を呼び覚ます夢を見させる『ナイトメア』。真実を自白させる『シンシア・スレイヴ』。他にも、記憶や感情を操作する様々な魔法を、ペトリカーナは扱えた。


「これは決めていたこと。それに、『精神操作魔法』はそれほど万能というわけではないのよ」


 『精神操作魔法』の一律のルール。それは、効果が強ければ強いほど、持続時間が短いということ。


 例えば、記憶操作をした場合、それと齟齬のある現実に触れれば正しい記憶が呼び起こされてしまう。些細な記憶操作であれば、場合によっては一生そのままにもなりえる。


 例えば、印象操作をしたとすると、好きなものをすごく好きだと思い込ませるのは、魔法の効果としては比較的弱いので持続時間が長い。反対に、好きなものを嫌いと思わせるのは効果が大きいので効果が持続しづらい。


 ここにいるハグリオにペトリカーナへの忠誠心を植え付けたとして、それが持続する時間はきっと長くて数日。そして、効果が切れたタイミングを把握することができるのはハグリオ本人だけである。


「ラルゴ。お前の考えてることは察しがつくわ。けど、彼には死んでもらうことで、これから役割を果たしてもらうの。わかるわよね?」


 ラルゴは主人の固い意志を感じ取って、俯いた。


「わかりました。しかし、どうか……これだけは聞き入れてください。

 この男を殺すのは別の人間にやらせ、ペトリカーナ様は別の部屋にいてください……

 私の、頼みをどうか、聞き入れてください……」


 いつも陽気なラルゴが、信じられないくらい、しおらしくなっているのを見て、さすがにペトリカーナも聞いてあげようという気持ちになった。


「それじゃあ、処理は俺の方でやっておくので文句はないだろう……」


 人を殺すことに手慣れたヘルメッセンが無感情に告げる。

 彼にとって、殺しは望むことなのではないか、とラルゴは思った。


「ま、いいわ。アタシは先に部屋に行ってドレスを着てるわ」


 なおも命乞いをする男を無視してすぐにその場を立ち去るペトリカーナ。

 そして楽しそうに言うのだった。


「せっかく弟が準備した食事会があるんだもの。出てあげないと可哀想だしね」


 これから獲物を狩に行こうという彼女の顔つきは、発言している内容と、思っていることが、一致していないことを示していた。 

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