44 メゾリック街の北側は治安がよくない
騒動があってからメゾリック街に着くまでの間、特に問題が生じることはなかった。
シルファが許可していたので口には出さなかったが、大人である部下たちはロズカが親に許可を取らずに遠出していることに反対なのだろうとなんとなく感じることがあった。
それから鬱陶しいハグリオが道中一緒に行動していたこともよくなかった。ずっと馬車で並走していたのだ。
しかし、それ以外は概ね快適な旅だった。
特にロズカにとって良かったのが、シルファがたびたび馬車から降りて休憩している時に『風魔法』を教えてくれたことだ。シルファは『身体強化魔法』と『風魔法』を重ねがけして疾風のように駆け回る。戦闘に自信のある盗賊を圧倒できる使い手だ。そんな彼女だからこそ、ドンソン家に認められ、年齢からは考えられない地位についているのだ。
そんな彼女に『風魔法』を教えてもらえたのは行幸だった。
内容は、ロズカの作り出すシャボンの移動制御。すでにロズカは『風魔法』を用いてシャボンの位置移動を行なっていたが、より複数のシャボンを正確に動かすのに彼女の教えは役立った。
数日の旅を経て街に着くと、ロズカはシルファたちと一旦別れた。シルファたちは、ちょうどメゾリック街に来ているドンソン財団の渉外部長……つまり交渉役のトップの男と会って別件を済ませてくるということだったので、しばらく別行動を取ることになったのだ。
「また、用が終わったらロズカに会いに行くね」そう言い残して、彼女たちは別の道へと進んでいった。
ロズカにとってもその方が都合が良かった。今から会いに行く男、ドーマは、裏の世界の住人なのだと思う。きっと他の人間が一緒にいることを嫌うだろう。
ただ、宿の部屋をとる時に気に入らないことが一つあった。
「……どうしてついてくる?」
「ふっ」と髪をなびかせるハグリオ。この男、シルファと別れた後もずっとロズカをつけてくるのだ。どうやら同じところに宿泊するつもりらしい。
ロズカはなんとなくだが、男に嫌悪感を抱いていた。チャラついていやがる……。
「寂しいだろう?」
「……は?」
ロズカ殺意を覚えたが、流石に危機を感知したのか言い直した。
「「僕が寂しい」という意味だよ。共にここまで旅した仲間だろう? 可愛い子猫ちゃん」
誰が猫だ。
「こっちに仲間意識ないから」
冷たく突き放すも、「とんだじゃじゃ馬だ」と言って首を横に振る。
誰が馬だ。いちいちこっちのことを動物にしないと気が済まないのか。
「……用があってこの街に来たんじゃ?」
「もちろんそうだよ。けど、まだ時が満ちてないということさ。だからしばらくの間、この街を二人でデートでも」
待ち合わせでもしてるということだろうか。興味はないけど。
「暇なら、一人でぶらついてたら? アタシは忙しいからついてこないで」
「つれないことを言うねぇ。けど、このあたりの北側にいくのはよしなよ? かなり治安が悪いそうだからさ。僕がいれば守ってあげられるけどね。一人で行くとしたらそれこそまさに、狼の群れに羊が一匹で入り込むような……
「誰が羊だ」
ロズカは、目の前の不快な存在に一発蹴りを入れて、走り去った。
振り返ると、思ったよりいい蹴りが入ったようで、ハグリオはすねの辺りを一生懸命さすっていた。
ナイスヒット!
◆◆◆
蹴飛ばした足で向かったのは、小道具屋。そこでこの地域の地図を入手する。それからドーマからもらったメモに書いてあった地名らしきものを店主に聞くと、地図の北側に印をつけてくれた。まさにハグリオが忠告していた治安が悪いという北側区域。
「お嬢ちゃん、まさかとは思うが一人で行くのは危ないからよした方がいいぞ」
店主までがそう言っていた。
「ありがと」とだけ言って、店を出て行った。
裏路地のような道に入っていくと、ゴミやら瓦礫やらが落ちているようなアウトローな空間へと辿り着く。しゃっくりなのか笑いなのかわからない音声を出している男が道端で寝転んでいた。肉食の大型鳥が2羽、小動物の肉を啄んで取り合っていた。治安の悪そうな道の、怪しげなバー名前がメモに書いてある店だった。
中に入ると、いかにもゴロつきのような筋肉質な男たちが酒を飲んでいる。
こんなところに女子供が入ってくるのはよほど珍しかったらしい。
視線が集中する。
「悪い大人がいるから危ないよォ〜? 俺とかな!」
「ガキはお家でおままごとでもしてな!」
ギャハハと下品な笑い声が響く。
いちいち相手にするつもりはない。
そうしたら今度は「おいおい無視かよぉ〜? 人がせっかく親切に忠告してやってんのに」などと、酔った声がした。
ロズカはカウンターまで来て、バーのマスターらしき人物の前に立つ。
「何か? ここは飲み屋なのだが?」
マスターも、「ガキがこんなところに一人で来て、バカだね」と言わんばかりの表情だ。しかし、そんなことはどうだって良かった。
「ドーマに伝えて。ロズカ・スピリツが会いに来たって。合言葉は " カルゴア " 」
たった、それだけのことだった。
周囲にいた男たち、そしてバーのマスターらしき人物の顔色が変わった。
「失礼しました。今ドーマはここにおりませんので、明日お越しください。必ずロズカ・スピリツ様がいらっしゃったこと、お伝えします」
さっきとは打って変わって静まり返った空気。ドーマってそんなにすごいのだろうか……とロズカの方が内心驚いていたくらいだった。
◆◆◆
「このソテーは実に美味だ。心が洗浄されるようだよ」
宿の夕食は、食堂のような場所で宿泊客全員が集まって取るような形であった。
そして、なぜだか……いやもはや当然のように、ロズカの正面にはハグリオが座っていた。
「う〜ん。このワインの美しい輝きは、僕たちの明るい未来のようだと思わない? 香りも芳醇でマーベラス」
勝手に持ち込んだワインを、これまた勝手に持ち込んだグラスに注いで、一人で楽しんでいる。
「……ねえ、そういう臭い感じのセリフって、言わないと死んじゃう病気でもかかってるの?」
「まさか。ただ、言った方が気分がいい」
「あっそう」
ロズカは呆れて黙々と食べることに集中した。ハグリオが何か語りかけてきたが、右耳から入って左耳を経由して通り過ぎていった。
流石のハグリオも無駄だと悟ったのか、ワインを持って別の客のところに話しかけに行った。
ようやく静かになったと、喜んでいたのだが、横目に入った光景に意識を奪われる。
驚いたことに、ハグリオが話しかけたのは、非常に色濃い宿泊客の3人組だった。
とにかく色が赤い。大道芸の団員だろうかというような派手さと奇抜さだ。
小さな宿で他の客が少ないとはいえ、まさかよりによってあれに話しかけにいくなんて……。
なんという手当たり次第。よっぽど話し相手が欲しかったと見える。
「麗しのレイディー、良ければ僕のワインをおすそ分けするけどどうだい?」
麗しのレイディーなんてどこにいる。
ハグリオが話しかけているのは、明らかにおかしな格好の厚化粧おばさん。
しかし、あれだけ話しかけられても興味を持てなかったロズカだが、この展開は聞き耳を立てずにはいられなかった。
厚化粧の女は服装だけでなく頬まで赤く染め、「え!? 麗しのレイディーって……」と照れている。
残り二人のヒョロガリアフロと小デブが顔を見合わせる。
「俺のことか!?」
「オデのことかぁ!?」
「アンタたちは男でしょうが!!」
女が二人の男を同時に叩く。
手慣れた手つきだ。叩き慣れているのだろう。
ハグリオはあっという間に彼らに溶け込んで、ワインを共有した。
「それで、バーバラさんたちはその " ペトリカーナ様 " という高貴で美しく、頭もいい完璧な女性のことを慕って、親衛隊をしていると」
「違うぞ! 違うんだよ兄ちゃん。ペトリカーナ様は 高貴で美しく、頭も良くてその上「芸術の才能まで持ってる」完璧なお人なんだよ!」
「おっとこれは重大な勘違いをしていたみたいだ。反省しなくては」
「間違いは誰にでもあるだ」
「そうよ。もっと飲みましょ飲みましょ!」
ウェーイ! とワインを乾杯する4人。なんだこのノリ……。
「そのペトリカーナ様もこの宿に泊まってるのかな?」
「そんなわけないじゃな〜い」
「こんなボロ宿に潔白なペトリカーナ様が泊まるなんてありえないじゃないか!」
「ハグリオは面白いこと言うだ、あはははは!」
何が面白いのか、再び爆笑の渦が彼らを包む。
「ペトリカーナ様は最上級ホテルに泊まってるんだけど、親衛隊のアタシらはできるだけ近いところで安い宿を取ってるってわけね」
「ギルファス家の方なんだろう? お金持ちだろうに、君たちのぶんの宿代くらい出してくれなかったのか?」
「ペトリカーナ様は、お金を使うことにはそれほど執着はしないのよ。でも、その代わり、無駄なことを嫌う方なの」
「そんなクールなところも、素敵だぜ……」
「そ、そうかい」
暗に、無駄だと言われているのも気にしない狂信っぷりに、ハグリオも少しだけ引いていた。
「いやぁ、それにしてもきっと貴方のような美しく煌びやかレイディーが敬愛する方なのだから、さぞかし美しい人なのでしょうね。僕も一度お目にかかりたいな……」
歯の浮き上がってそのまま彼方へ飛んでいきそうなほどのセリフを吐いたハグリオに対し、ロズカが鳥肌を立てている一方で、
「ヤダァ……美しく煌びやかなレイディーって、もしかして……もしかしなくても……
化粧女のバーバラは大喜びだ。
男たち二人は顔を見合わせ、
「俺のことか!?」
「いやオデのことだ」
「だからアンタたちは男でしょうが!!」
性懲りも無く叩かれるのだった。
「どうだいロズカ? 君も会ってみたいだろう?」
まさかこっちに話を持ちかけてくるとは思わず、ギョッとしてしまう。
「アタシは遠慮する」
この時は、ペトリカーナの元で選抜の選手となるとは微塵も思いもしなかったのである。
翌日になり、ロズカは再び北側のバーへと行くことにした。あれだけしつこく現れたハグリオは今日はいなかった。
ワインをたらふく飲んでいたから、部屋でイビキでもかきながら眠りこけているのだろう。
治安の悪そうな道を通り、バーへと辿り着く。
バーの男たちは、今日はロズカに対して茶々を入れてくるようなことはしなかった。
ただ、さりげなく好奇の視線を向けてくるようなだけであった。
「ロズカ・スピリツ様。お待ちしておりました。今、ドーマを呼んできます」
マスターが裏へといなくなる。
それから、次に現れた時には、小汚いヒゲモジャの浮浪者のような男を連れてきた。
誰だ、この男は。ロズカは眉をひそめた。
「へへぇ、ロズカの姉さん。こんなむさ苦しいところまでようこそおいでに。こんなすぐにおいでになるとは思いやせんでしたよ、ヒヒッ」
その卑屈でありながら、なんとなくこちらをバカにしたような感じ。
ロズカの記憶にあるドーマと一致した。
「前あった時とは随分見た目が違うんだ……」
「はて、そうでしたっけ__
「前は女装してたから……。だいぶ気持ち悪かったから今の方がマシだけど」
周りの男たちが「え」と声を漏らしてこちらを見る。
「あ、あれはルナットのダンナが……、記憶の奥底に封印してた黒歴史が、たった蘇りやした……。」
◆◆◆
なるほどなるほど。
ロズカはそういえば人探ししてたんだっけね?
それで、事件が落ち着いた後にドーマに会いに行ったのか。
説明を聞いて、俺は事情をなんとなく理解した。しかし、それがペトリカーナや選抜とどう関わってくるのか、まだまだ不明なことだらけだ。
「まあ、アッシも見てきたわけじゃないですがねぇ。ロズカの姉さんは、コール街からはるばるアッシのところに訪ねてきてくれたわけでっせ」
しみじみとした口調で言うドーマ。
ヒゲには食事会で食べたであろう、濃い味のディナーにかかっていたケチャップのような赤いソースがついていた。
「せっかく恩のあるロズカの姉さんがアッシを頼ってくれてるんでね、
特別価格で情報提供させてもらった、って感じですわ」
俺は一応、念の為もう一度言っておいたほうがいいかな? と考え、そして決心を固めた。
「やっぱり、無料じゃないんかーい」
ドーマは「ヘェ」とピンと来ないような恐縮したような微妙な返事をして、怪訝な顔を向けてきた。
「あのダンナァ……それ、流行ってるんですかぇ?」
「別に流行ってはないよ」
「……さようで……」
それから、ドーマはロズカと会ってどうしたかを依頼内容をぼかしながらも話してくれた。
彼女の遭遇した、衝撃的な出来事とともに……。




