23 ノーサリア地方の小さな村で……
【魔戦競技】が開催された夜、家に帰った後でコリスはジョティーヌに自分から話しかけた。それは彼女たちの普段からするとかなり珍しいことだった。一つの区切りとなる【魔戦競技】を経て、コリスの中に漠然とした不安と焦りが湧き上がっていた。
騎士としての仕事は外回りの見張り。
大会を見ることはできなかった。
大会が行われ、果たして自分が目標に近付いてきているのか、どうしてもわからない。
もしかしたら、今のままでは死ぬまでその境地に辿り着くことができないのではないか?
生活に慣れきって、日々の小さな喜びと共に当初の勢いが自分から失われていたのではないか?
「ジョティーヌさん……。私は、あとどれくらいで【魔戦競技】に出られるように……優勝できるくらいまでなれますか?」
【魔戦競技】に実際に出場している師に、道のどこまで歩いてきているのか、確認をせずにはいられなかった。
ジョティーヌは振り返ることもせず、コリスの言葉に興味なさそうにしていた。
「なんだ。そんなこと、まだ目指していたのか」
気だるそうに、投げかけられたその言葉が、コリスにとっては信じ難いものであった。
その言葉はコリスにとって裏切りの言葉に他ならなかった。
何のためにここまできた?
何を犠牲にここにいる?
この人は、
……………………何を言ってるんだ?
厳しくとも、つらくとも、ジョティーヌを信じ、自分が大会で優勝するために必要なものを与えてくれると、がむしゃらにここまで駆けてきた。
……それをこの人は……。
「ふ、ふざけないでください!! 私は……私は、優勝しなきゃいけないんです……。そのために、あなたに……」
言葉を詰まらせながらも、初めてジョティーヌに噛み付くコリス。
不安と怒りが、師の投げやりな言葉によって爆発した。
ジョティーヌは依然としてコリスを振り向きすらしない。
「何熱くなってんだよ。目指すのはお前だろ? 俺には関係ない」
薄情に突き放す女騎士。
愛想も悪く、口数こそすくないものの、これほど情けのない人間だとは今まで思わなかった。
だけど……だったら、せめて……。
「私を次の大会の出場者に推薦してください。あなたならそれくらいの力はあるでしょう?」
肯定も否定もせず、ジョティーヌは一言「武器を持ってついてこい」と言った。
家の裏にある広めの土地で、二人は相対していた。
「試験ですか? これであなたに実力を認めさせたら推薦してくれるんですね……?」
「……殺す気で来てみろ」
コリスの愛用している武器、《氷骨珊瑚のミイラ》を目の前に置く。目の前の師匠からもらった唯一の贈り物だった。
コリスは魔法を唱える。
全身から野獣のような殺気を垂れ流す女騎士を打ち倒し、自分の未来を切り開くため。
寒い……痛い……。
コリスとジョティーヌの使う魔法はどちらも『氷魔法』。あたり前だ。
コリスに魔法を教えたのはジョティーヌ・アルラなのだから。
しかし、同じ魔法のはずなのに、これはまるで別物だ。
師匠の本気を初めてこれほど近くで目の当たりにした。
コリスは地面に伏して倒れていた。
力の差がこれほどとは思っていなかった。【魔戦競技】に出場する人間というのは、これほどなのか。向かうべき目的地の遠さに、自分の無力さに胃のあたりが気持ち悪い。吐いてしまいそうだ。
「どうして……このままじゃダメって、教えてくれなかったんですか……?」
息を切らしてすらいない、ジョティーヌは遠くを見て、やはり気持ちの乗っていない声で言った。
「どうして教えてやる必要がある」
「だ、だって、あなたついていけば…………【魔戦競技】の大会に出られるって……ホズに会えるって」
「言ったか、一度でも」
言ってない。言ってないのだ。
ジョティーヌは道を示してくれた。チャンスをくれたのだ。
けれど、あくまでことを成すのは自分だったはずだ。
いつの間にか、ジョティーヌの言う通りにすれば必ずホズに会えると、勝手に頭の中で変換していたのはコリス自身だ。
辛かった時、それに耐えるには、その先には必ず望む未来があると、思うほかなかったから。
「てっきりもう諦めたのかと思ってたぜ。最近のお前は騎士としての生活に満足してそうだったから」
何も言い返すことができなかった。
最近は慢心して、騎士の仕事の忙しさを言い訳に基礎訓練もおろそかにしがちだった。
居心地の良さに甘えて、努力を怠っていた。
「結局、その「ホズ」ってのに会いたがってたのも、お前の心を満たすためだろ? いいだろ、代わりになる大切なものができて満足なら。こっちはお前が国家騎士として役に立つなら問題ないんだよ」
それもいいのかもしれない……。
誇り高い国家騎士として、この国のために生きていこう。
同期の男の子から告白もされた。
もちろんホズのことがあったから断ったけど、コリスのこと諦めないって言ってた。
まだ本気だったら……考えてもいいかもしれない。
普通に恋をして、幸せになって、家庭を築く。両親のことは知らないけど、母親がいたらして欲しかったことならたくさん夢想してきた。
ホズとは会えないことになるけど、彼は同じ都市にいる。
神に仕え、神殿の内側と外側から国を支える。孤児だった自分たちを拾ってくれたことへの恩返しをできる。
これ以上を望むのは分不相応だ。
いいじゃないか。
大人になって、諦めて、楽になろう……。
………………………………良い、わけ、がない!!
……諦め切れるわけがない!
年月を重ねても、今もまだ無力な少女のままだったと思い知らされたコリスは、黙って下唇を噛むことしかできなかった。血と土と氷でボロボロの姿のコリスは、地面を穴が開くほどに睨みつけていた。
◆◆◆
騎士の仕事で【魔戦競技】の試合を見られなかったせいで、今のコリスと優勝までの距離が全くわからない。優勝できなかったジョティーヌとの差を見せつけられたことで、そのさらに上の優勝までは果てしなく遠いように感じられた。
あの時、【魔戦競技】を観戦できていればコリスの運命は大きく違ったのかもしれない。
彼女の歩む道筋が大きくズレたのは、日差しの強い晴天の日の出来事だった。
ジョティーヌとの魔法戦を行ってから、彼女たちはますます会話をすることがなくなった。
コリスは以前より基礎トレーニングを自主的に増やした。
がむしゃらに訓練に打ち込んでいる時は少しは不安も忘れられた。
けれど、地図のない霧のかかった道を模索し、どれくらい離れているのかもわからない目的地を目指すような毎日。
ホズに会うことを諦めて、このまま暮らすと決めればきっとこの重しから解放されるのだろう。
けれど、不幸なことなのかもしれないが、コリス・アルラは大切なものを失うことを、ホズを諦めることを何よりも恐れた。
人に対しての強い執着心。幼い頃に離れ離れになった両親への未練が、彼女の人格形成にもたらした影響の一つであった。
国家騎士の間でも、コリスは周りと少しずつ距離が出来始めていた。
心に余裕がなくなって、いつも張り詰めた様子だったので、初めこそ周りも気にかけていたが、少しずつ同期の間で「なんとなく近寄り難い人」という印象となっていった。
コリスが意図的に周りを遠ざけているというのもあった。もう二度と道草を食って立ち止まってしまわないように。
コリスに以前告白した同期の国家騎士の青年は、別の女性と付き合い始めていた。
そんな最中、彼女に予期せぬ再会が訪れる。
それは意図された再会だった。
「やあ、コリス・アルラ君。久しぶりに会う。私を覚えているだろうか?」
初め、男のことを思い出すのに時間がかかった。
それもそのはず。男と会ってから3年もの月日が経っていたのだから。
前回の【魔戦競技】で、コリスに話しかけたかつての準優勝者、ガウスマン。
「顔色が良くないようだ。まあ、察しはつくが。私は君のことを色々と調べさせてもらった。また、来年には【魔戦競技】が行われる。君は出場できないのだろう?」
淡々と、事実だけを並べるように話す男。
ちょうど、そろそろ来年の【魔戦競技】への出場候補者が国家騎士内から選ばれ始める頃だった。出場は上位4人。自分はそこに食い込むことはできないと、今年も諦める気持ちが膨らんでいる今日この頃であった。
……しかし、どうして男は自分のことを……。
コリスは眉を顰める。
明らかに不審そうな顔をしたからか、男は自分の頭を軽く叩くような仕草をする。
「おっと失礼。私をもしかして覚えていないのか。それとも、覚えていて何をしにきたのかと訝しんでいるのか」
「炎の剣士ガウスマンさん……財務大臣にはなられたんですか?」
以前会ったとき、男は「自分は財務大臣になる」と自信満々に告げていた。
なれるわけがない、と思っていたので、コリスは皮肉混じりに聞いたのだったが……。
「ああ、覚えていてくれて光栄だよ。財務大臣にはもうなった。だが、まだ財務大臣は最終目的というわけではない。
だから、君に会いにきた 」
そんなバカな……。
あっさりと目標を達成したという男。
そして、「財務大臣」という目標すら通過点だと宣う。
会いにきた? なんのため?
一体何が目的で……。
こちらの心を読んでか、絶妙なタイミングでの打診をしてくる。
「提案がある。これから君の故郷に行かないか? 君の貝の首かざりの原産地、ノーサリア地方に」
いったい何を企んでいるのか。
しかし期待してしまう。たった数年で【魔戦競技】準優勝経験のある剣士から、政治的実力者の財務大臣の地位にまで駆け上がった男。
この男の目標を叶える力は計り知れない。自分の途方もなく遠い目標さえも、この男の力を借りれば叶うのではないか……?
根拠のない期待と、猜疑心が渦巻く。
新たに財務大臣になった男は非常に用意周到だった。
コリスは遠征後で、10日ほどの休暇を与えられた直後だった。コリスには断る理由がなかった。
◆◆◆
運命の選択をした後、コリスは馬車に乗ることが多かった。ジョティーヌに認められ国家騎士になることを選んだ日も、今回もそうだ。
馬車はコリスを新しいところへとつれて行く。たどり着いた先に何があるのか、わからなくとも、自分が決めた行き先に悔いは残さない。
ガウスマンと、馬車を運転する部下が一人。以前アウスサーダの人々と馬車に乗ったときと比べて随分人が少ない。あの時はジョティーヌの部下たちが別の馬車でついてきていた。
何度かメイレーンやタイノンなどのアウスサーダ家の人間と会う機会もあったが、その時も必ず複数人護衛をつけていた。
今や財務大臣であるガウスマンも立派な要人だ。
部下が馬車の運転手一人とは少し不用心ではないのだろうか?
「護衛は……連れないのですか?」
「必要ないだろう。私は強いのだから」
最もだと思った。
「君こそ、許可は取らなくてよかったのか? 今はジョティーヌ・アルラの養子として家に住んでいるのだろう? 勝手に出かけてきてしまってはまずかったのではないか」
「あの人は私の本当の親じゃないので……」
書類上はそうでも、あの人は自分の母親ではない。ジョティーヌはコリスが国家騎士の駒として使えると思ったから、育てて使っているだけなのだろう。コリスの求める母親像から遠いところにいる人間だ。
ガウスマンは詮索するでもなく一言「そうか」とつぶやいた。もしかしたら、こちらのことを調べていたようだし、ある程度事情を知っているのかもしれない。
不用心なのは自分だと思い直した。ほとんどよく知らない男について馬車に乗って移動しているのだから。
【魔戦競技】準優勝、財務大臣、肩書は立派だが、この男を信用していいという根拠は何もない。
そもそも財務大臣になったという話も、本人の口からしか聞いていないのだから。バッジを見せられたが、本物かどうかを判別する手段はコリスにはない。
ただ、男の持つ底知れない何かに惹かれていた……。
◆◆◆
数日かかり、ノーサリア地方の小さな漁村までたどり着いた。
海が広がるパポ村。気温は低く、今は降っていなかったが、周囲には雪が積もっていた。
「君のその相棒もこの先の海で取れる珊瑚の一種だろう」
《氷骨珊瑚のミイラ》は今もしっかりと背負っていた。戦いは起きないはずだが、肌身離さず持っていないと不安だった。
「これ……ジョティーヌさんからもらったものなんです」
「そうか。それでは、彼女も君の出身を知っていたのだろうね」
彼女は一言も話してはくれなかった。
必要を感じなかったからだろう。何も不思議なことではない。
彼女にとって、コリスは娘ではなく、露骨な言い方をすれば『ただの道具』なのだ。
無駄話なんてする必要はない。
この《氷骨珊瑚のミイラ》だって、コリスの戦闘力を上げて国家騎士としてより役にたつようにしただけにすぎなかったのだ。
ガウスマンが運転手をしていた部下に何かを耳打ちすると、部下の男は村の方へと消えていった。
「どうだろう? この村がコリス君の両親の故郷だ。感慨深いものがあるのではないか?」
「私の……両親のいた……」
どうやって彼がそこまで調べたのかは、もはや問題ではないだろう。
ガウスマン・ロジロヘイムは特別な力がある。定めた目標を叶える何かが。
コリスにとって重要なのはその一点だった。
「さあ、食事でもとろう。近くで取れる新鮮な魚料理が絶品だそうだ」
料理店での食事は実に新しい食感だった。
これほどちゃんとした魚料理を食べたのは初めてだった。
確かに美味しい。
しかし、そこに懐かしさが湧きあがることがないという事実が、コリスにとって自分がこの村にとって余所者でしかないことを物語っていた。
「君の両親について、知りたいか?」
「……! 何か……知ってるんですか……?」
几帳面にナイフとフォークで目の前の魚料理を一口台に切り分けて、機械のような動作で口に運ぶガウスマン。
首にはナフキンがかかっているが、無駄のない所作によって白い生地は一点の汚れをつけていない。
「君のことを色々調べさせてもらった、と私は言った。それは君の両親についてもということだ」
「……ぜひ、教えてください」
知ることへの恐ろしさはあった。
もしかしたら、すでにこの世にいないと告げられるかも知れない。期待をして、結局行方不明だと分かるだけかも知れない。
けれど、決断をするのに時間は掛からなかった。
コリスの返事を聞いて、「あまり愉快な話ではないが」と前置きをしつつガウスマンは話し始めた。
「君の両親はこの村では稼ぎが少ないと思ったのだろう。遠くの街へ出稼ぎに出ていた。しかし、思ったように稼げず、それどころか騙されて多大な借金をしてしまうことになった」
……ガウスマンによって判明したのは、コリスは出稼ぎに出ていた先の街で生まれた子供らしい。日に日に膨れ上がる借金の利子、借金の取り立てに怯える日々。彼らは耐えきれず、逃げ出した。
しかし、逃げるのに赤ん坊を抱いたままでは逃げきれないと思ったのだろう。
彼らは途中にある教会にコリスを置いて、二人だけで逃走することにした。
「きちんとした目撃証言があるわけではないので、ある程度は憶測でしかないが、概ねそういったことのようだ」
「あの……パパとママ……父と母は、今も生きているのでしょうか?」
「……少なくとも、銀行の放った追跡者からは逃げおおせた。
銀行側からしたら、とんだ被害だがね」
食べ終わって、お金を払い店を出た。
店の主人は人懐っこい笑顔で見送ってくれた。
この村の風土なのだろう。皆、朴訥としていて、温かい。
自分の故郷、と言っていいのかわからないが、コリスはここを気に入ってきていた。
「少し歩こう」そう言われて、二人は砂浜を海岸沿いに歩いていた。
日も沈み始め、風の勢いが弱くなってきていた。潮の音と、海鳥の鳴き声が辺りに散らばっている。
「さっきの話の続きをしよう。君は両親が生きているかと尋ねた。答えはイエス。生きている」
「どこにいるか知っているのですか!?」
ガウスマンは手招きして、岩の多い場所に登り、コリスの手を引っ張り、岩の上まで引き上げた。
崖下の岩の集まり。下手をしたら水飛沫がかかりそうな場所。こんなところに来ることは不自然なことだ。
しかし、今はそんなことを気にしている余裕はない。
「知っているよ。逃げた君の両親が隠れたのは、彼らの出身の、このパポ村だった。村人は優しかったんだ。村人に上手く匿われ、銀行からの追跡者は彼らを見失った」
「それって……」
「そう。彼らは今もこの村で暮らしている」
両親が……近くに、いる?
信じられないことだった。両親はいつでも遠いところにいるはずのもので、会いたいと思っていても、心のどこかでは無理なのだと思っていたから。
「すぐに会える」
ガウスマンが言うや否や、人の気配が崖の上から感じ取れた。
まさか……
見上げる崖の上から姿を現したのは、中年の男性と女性……そして、コリスよりも小さな女の子だった。
あれが…………。
コリスは目を見開いた。声が出なかった。
なんと声を掛けていいのか分からなかった。
長年積み重なった思いが、濁流のように混ぜこぜになり、感情を見失う。
投げかけたい言葉はたくさんあるはずなのに、上手く言葉がでてこない。
しかし、それにしても
…………どうして、彼らは手を縛られている?
3人の家族の後ろから、黒い服を着た数人の男が姿を現した。
あの人たちは…………?
「後ろにいる彼らが気になるか? 紹介しよう。彼らは君の両親が借金を踏み倒した銀行の人間だ」
よく見ると家族は皆、怯えた顔つきをしていた。
疑問ばかりが頭に浮かび、やはり上手く言葉にできない。
「彼らは村の近くにはすでに来ていたんだが、私たちが到着するまで姿を見られないよう村から少し離れたところで待機してもらっていた」
コリスがガウスマンとこの場所に来て、このショーが行われることは全て計算のうちということなのだ。
しかし、どうしてガウスマンはこんなことを……。
「そして、私自身その銀行とかなり深い仲なんだ」
「!?」
財務、というからにはお金の関係が絡んでくる。銀行とかかわりがあるのは不自然なことではなかった……。
さっきもこの男は「銀行側からしたら、とんだ被害だがね」と、銀行の立場からの発言をしていたではないか。
「それよりもせっかくの再会だ、積もる話もあるだろう。長くは時間は取れないが、少しくらい話をしたらいい」
混乱した頭のまま、両親に向き合う。
「パパ……ママ……パパ! ママ!」
とにかく呼びかけた。
彼らはコリスを見ると、戸惑ったように顔を見合わせた。
「あなたは……」
「ナーナ……きっとナーナだ!」
ナーナは初めて聞く名前だったが、両親が自分につけていた名前だとわかった。
自分自身の本当の名前すら知らなかったのだと思い知った。
「パパ、ママ会いに来たよ……やっと会えたよ!」
「ナーナ、大きく育ったな……。けど、どうしてお前が銀行の人たちといるんだ……?」
上手く説明できない。
コリスだって、何が起きているのか完全には分かっていないのだから。
代わりにガウスマンが返答する。
「ああ、それは私が彼女を引き合わせたからだ。両親に会いたがっていて、かわいそうだったから」
「ねえ……どうして私を置いていったの…?」
「ごめんよ……。あの時は、銀行から借金を借りていたことで、借金取りに追われていて、子供がいては逃げきれないと思った」
「でも今は? その後、もどってきてくれようとは思わなかったの?」
「それも、お前のためだったんだ」
え、何……?
私のため? こんなに辛かったのに……私のためって……何?
「貧乏な私たちといるよりも、教会でくらしたほうが不自由なく暮らすことができただろ?」
「そんなの望んでない!! 私はそんなのより一緒にいたかった……それに、じゃあ……」
コリスは人差し指を一人の子供に向けていた。
二人の間に守られるようにしてうずくまっている、女の子。
それは……誰?
「この子は、マーナ。ナーナ、お前の妹だよ」
イモウト……?
その子はパパとママの元で幸せに育って、私は……?
同じでしょ? パパとママの子供でしょ?
きっと村から出るのが怖かったんだ。
村から出れば、また借金取りに見つかる可能性がでてくる。
迎えに行きたくても、行けなかったんだ。
仕方がない。
「やっと会えた」という思いと、「どうして?」という思いで、頭が割れそうになる。
しかし、無情にも彼女のための時間は打ち切られる。
「それくらいでいいかな。感動の再会をしてすぐで申し訳ないが、こちらもやるべきことをやってしまわなくてはならない。
さて、銀行から借りたお金の利子は今や信じられないほど膨れ上がっている。貧乏家族が一生働いても返せないくらいに」
ガウスマンの突きつけた現実に押し黙る両親。
どうしようもない。
見つかってしまったのが全てだ。
これから家族揃って奴隷として一生こき使われるか、臓器を売られるか……。
そんな恐ろしい想像をしていたところで、別の道を示したのは当のガウスマンだった。
「一つ。このナーナ君、今はコリス・アルラ君だが、彼女は優れた魔法戦闘能力を持っている」
恐ろしく淡々とした、読み上げるような声。
「貧乏家族から回収できるものはたかが知れているが、私はコリス君の能力を高く評価している。だから、彼女の人生と引き換えに、私が銀行に代金を肩代わりする。他には無いと思うが」
信じられないといった顔で、全員が1人に視線を向ける。何も答えられなかったコリスに代わり、両親が答える。
「そうすれば……家族全員助かる……のですか?」
「ナーナも生きていけるのですよね?」
代案に食いついた。
「ええ。あなたたちの借金は全てこの日をもってなしになる。お嬢さんは、私の部下として大切に扱いましょう」
「父親」、「母親」という人間の間に歓喜の色が一瞬広がる。
「パパ……ママ……」
手を取り合って喜ぶ両親。そして、間に挟まれる妹。妹も何がなんだかわかっていないなりに、両親の緊張がほぐれたことに安堵したようで、嬉しそうにしている。
……それを、崖の下から1人見上げるコリス。
「家族全員助かるんだ……ナーナ、ありがとう! 負担をかけてすまないが、お前なら上手くやるさ」
「ええ、そうね! 私たちの娘だもの! ごめんねナーナ。でも、本当にあなたのおかげよ!」
数年間怯えてきた借金取りから解放されると決まり、本当に清々しい表情をしていた。
崖の上と崖下では距離があったから仕方がないのかもしれない。彼らがコリスの表情をきちんと見て、彼女に寄り添うことができていれば、『違った』のかもしれない。
たった少し、コリスの心に寄り添うゆとりさえあれば……。
……どうして。
……どうして、何もしてくれなかった両親は、自分に重荷を背負わせて平気で「 " 家族 " の安全が保証されたこと」を喜んでいるのか。
コリスは見上げながら、自分は " 家族 " ではないのだと、気がついてしまった……。
涙はでない。
きっと頭が状況を受け入れられていないから。
……受け止めきれないから。
ホズはほとんど正しかった。
両親には会いにこない事情があった。コリスのためだと思い込んで、教会に預けた。一応は愛していたのかもしれない……。
けど……長い間一緒に暮らしてきた、妹の方が大事だった…………。今はもう、どうでもいいと思っているんだ……。
何が「仕方なかった」だ。何が「私のため」だ。
私を捨てて、新しい子供を大切にして、勝手に幸せなって……。
あんまりだ、あんまりだ、あんまりだ。
ガウスマンが見下ろしている。自分の所有物となった道具を見て、満足そうに。
私は一生この男に人生を握られ続けるの? こんな、何もしてくれなかったパパやママの借金の肩代わりで?
責任を放棄して、この男に反乱するか?
いや、この男と戦っても勝てない。逃げることもきっと……できない。
教会で寂しさに枕を抱いてうずくまっていた日を、ホズを失った日を、ジョティーヌに厳しく訓練を受けて血を吐いた日を、ジョティーヌと本気でぶつかって惨めな思いをした日を、思い出す。
両親は何も知らない。
コリスがどれほど辛かったか、どれほど頑張ったかを。
ガウスマンが耳打ちした。
「両親が憎いか? 自分を売った両親が」
憎い。
「殺したいか? 言ってみろ」
「………許せない……殺したい!!」
衝動的な感情。
冷静になってみれば、長い間探し求めてきた家族を殺したいなどということは、コリスの本心ではない。
崖を蹴り、信じられないような跳躍を見せ、ガウスマンは崖の上まで飛び上がった。
そのまま、両親と妹の目の前まできて、背中の不思議な装飾の剣をぬく。
一振り。
首が綺麗に3つ飛んだ。
盛大に血飛沫が上がる。
家族だった首は、体から離れていた。
「わ、わた、私が……ワタシガイッタから……」
一瞬コリスの時が止まり、押し寄せる波のようにパニックと深い絶望感がコリスの心を襲う。
ガウスマンはすぐにコリスのもとまで飛び降りてくる。
「ざ、ざ、財務大臣が人殺しなんてして……いい、いいんで、すか……」
ガウスマンは平然としている。
「「いいか悪いか」とは曖昧な質問だ。法律上は " 悪い " に決まっている。だが法律とは秩序を保つための抑制装置に過ぎない」
ナニヲ、イッテイルノダ? コノヒトハ?
「よく勘違いされているが、人の善性からくる代物ではない。盗み、賄賂、人殺し、こういった犯罪行為と呼ばれる行いが横行すれば、人間らしい生活は脅かされ、我々は獣と変らなくなる。人間性から逸脱した行為を減らすためのシステムだ」
喋るのをやめて。
全く言っている内容が頭に入らない。
しかし、聞かなければ、いとも簡単に自分も死ぬかもしれないという恐怖心が、無理やり男の言葉に注意を向かせる。
「投資だ。
犯罪行為が発覚し、私が捕まるリスク。それとなんの束縛もない有能な戦士コリス・アルラという人材を私が得るメリット。この二つのことを天秤にかけた時、私の天秤はリスクを犯すことを選んだ」
この男は、「人殺し」ですら、メリットとデメリットの大きさでしか判断していない。
道徳や良心などという曖昧な、人間らしい感情を排除して、どこまでも合理的に物事を考える。
「ど、ど、どうして、私が、両親をコロ、コロ、コロシタあんたを、助け……」
何故殺したのか?
このままでもコリスは借金の肩代りでガウスマンのものとなっていたのだ。
それをあえて両親を殺した理由がわからない。
理解できない。
「理由は三つ。一つは銀行から逃走した落とし前。一つは君に私のやり口を知ってもらうため」
やり口を知る……?
「これから彼らの死は無かったことになる。失踪という形で。財務大臣という地位と権力を使い、簡単に人を消すことができる。障害は取り除くことができる。だかは君にもそれを手伝ってもらう」
必要であれば、平気で人を殺す男。
コリスにもそれをさせようというのか。
「ああ、それからもう一つ。君が彼らの死を望んだから」
とても恐ろしい。
これほど酷いことをしてなお、先ほどの食事のときと表情が変わらない。
コリスの涙など一切構わず、話し続ける。
「コリス・アルラ、私のものとなれ。選択肢はない。裏切れば両親の抱えた借金は君が全て負担することになる。両親と君の妹が死んだことも、君の責任として追求されることになるだろう」
逃げ場はないという。
「だが、もしも私の役に立ち続けるのであれば、望む報酬をくれてやろう。私は、君もよく知る通り、定めた目標は叶える力を持っているのだよ」
そうだ。この力に魅せられてしまったのが間違いだった。この男についてなどこなければ……。
「3年前に言ったはずだ、人材が必要なのだと。私は君を高く評価している」
コリス・アルラの過去は以上です。
想像より3倍は長くなってしまった……。
次回から再び現代に戻ります!!




