21 コリス
戦時中、両親を戦火に焼かれ、身寄りを失った子供たちは大勢いた。彼らは生きていくため、物乞いをするか、盗みをするか。小さなその身にはどちらにせよあまりにも無慈悲な境遇であった。
温もりを知らない小さな命。手の温もりを。心の温もりを。強風の中の灯火のようにいつ消えてなくなるとも知れぬ、儚く幼い者たち。
疲弊した時代の空気が蔓延した地。誰もが見て見ぬふりをした。そんな中、子供たちに救いの手を差し伸べたのはイド教の始祖、ケルン・アウスサーダ神父。
ケルンは神を信じていた。一人一人が善行を積むことこそがこの終わりの見えない泥沼の戦争を終わらせることにつながるのだと。こんな時代でもなければ、当たり前に与えられるはずだった温もりを、ケルンは一人でも多くの子供たちに分け与えたいと思った。神父は幼い息子を無くしていたから。
やがてケルンの考えは、賛同者たちによって各地へと伝播していった。
教会は祈りを捧げる場所、怪我の治療を受ける場所、という以外に、新たに孤児を預かり育てる施設という新たな役割を持つようになっていった。
ケルン・アウスサーダこそがイド教のリーダーであり、のちにアウスサーダ家がイド教の代表の家系となることになるのであった。
時は過ぎ去り、時代は移ろう。
【イド教の奇跡】と呼ばれる神の現世への降臨をきっかけとし、戦争は終結し、平和な時代が訪れた。
そうして戦時中と比べれば比較にならないほど数は減ったが、それでも孤児は存在した。
コリス・アルラは、マヒポ村という小さな村の教会で育った孤児の少女だった。物心ついた時には自分の周りには同じ境遇の子供たちがいて、優しい神父とシスターがいた。ふかふかのベッド、暖かい食事、穏やかで愛情深い大人と兄弟のような大勢の同居人たち。けれど、コリスの心には、どうしても振り払えない想いがあった。
「お父さんとお母さんに会いたい……」
顔を覚えてすらいない両親ではあったが、どうしてもコリスは会ってみたかった。
ただ、その気持ちは誰にも打ち明けることはしなかった。
しっかりしていたコリスは、教会の子供達の中でお姉さんの立ち位置だった。彼女は弱さや不安を見せることができなかった。また、本当の両親のように優しくしてくれた神父やシスターに対して申し訳ないとも思っていたからだ。
ただ一人、彼女と同じ孤児で、二つ年上の少年に対してだけは、彼女の本当の気持ちを話していた。
二人っきりになった時、コリスは枕に抱きつくようにしながら、払拭できない不安を少年にこぼしていた。
「私のこと、嫌いだから捨てたのかな……」
「コリスのパパもママも、どこか遠くでコリスを想っているはずだよ。きっと迎えにこないのには何か事情があるんだよ」
少年は穏やかな口調で慰めた。
「事情って……?」
コリスはその質問が少年のことを困らせるかもしれないと思ったが、聞かずにはいられなかった。
不安げな少女は、かけている貝殻の首飾りを無意識にいじる。赤子だった頃の自分は、教会の前にこの首飾りと一緒に置いて行かれたらしい。両親からの唯一の贈り物だった。
少年は少しうなって考えをまとめ、それから言った。
「うーん……たとえば、貧乏で食べさせていけなかったからとか、悪い人に狙われていてコリスだけでも安全なところにいてほしいと思ったとかかな。大丈夫、君の両親は君を愛してる」
少女の心の中で気持ちが錯綜していた。
少年の言う通りだったらいいな、という希望。両親が自分を忘れてしまっていたらという不安。
「だって、その貝の首飾り。君のパパとママが君を大事に思って残していったお守りなんだよ。だから、大丈夫」
「……うん。ありがとう」
彼が言うと不思議と説得力があった。
少年の名前はホズ。
今はただの普通の少年の、ホズだった。
◆◆◆
教会にいるということは、神を信仰するということだ。与えられた環境は全て神様が用意してくれたもので、そのことに感謝し、祈ることが生活の一部となっている。
小さな田舎の村であるマヒポ村には学校はないが、教会の中で勉強をする時間がある。子供たちの年齢は バラバラで、できることも違うが、同じ部屋で同じ教育を受ける。
教育の中には魔法の使い方も含まれていた。コリスは普通の勉強も魔法も好きだった。習う魔法は『水魔法』、それがある程度できるようになってきたら今度は『回復魔法』。
世話係で、なんでも器用にこなしたコリスは、兄弟たちに魔法のコツを教えて、成長することを手伝った。
「ビッツ、そうよいい感じ。そのまま魔法陣に魔力を込め続けて、タルの中から水を流し出すイメージよ」
「う、うん。水よ、出て!『スルクト・アグラ・フロー』!」
「わー! 上手、上手!! 忘れないうちにもう一回…………ってトニー、コンピ!!!! あなたたちもさぼってないで真面目に練習しなさい!」
外での魔法の練習は風が気持ちよく、子供たちを自由に駆け回りたい気持ちにさせた。
その時は、先生役の神父は少しの間、客人の相手で外していた。
コリスに子供たちの管理を任せて。
しかし、いつでも悪戯好きで元気が有り余っているトニー、コンピはここぞとばかりに大はしゃぎしていた。
「やーい! コリスババー! 俺たちに追いつけるかなぁ?」
「コリスババー、コリスババー」
自分と追いかけっこがしたいのだろう。やんちゃな少年らしい方法でコリスに甘えているのだ。
コリスは「はあ」とため息をつく。
「こらこら。あまりコリスを困らせてはいけないよ」
悪戯好きの少年たちの肩に手を置くホズ。
少年たちは「はーい」と見違えるほど素直になる。
ホズはこの教会で特別視されていた。
それは、単に最年長だったからというだけの理由ではない。彼の魔法の才能が突出していたからだ。少年たちは、他の子供たちも、コリスでさえ、ホズのことを尊敬していた。
彼の言うことに、皆、自然と耳を傾けた。
「ほら。魔法ってすごいんだ。見ててごらん」
ホズが手を大きく振ると空中に2つ、3つと魔法陣が現れていく。
魔法陣からたくさんの水が大きなアーチ状に流れ出し、子供たちの周囲に美しく流れ落ちた。
水のアーチはいくつかの魔法陣から時間差で流れ出し、5つ、6つと増えていく。
水は塊ではなく、程よく散らばってしぶきを作っており、空に虹を描いた。
「わ〜〜。すっげー……」
「綺麗……」
「どう? やりたくなっただろう?」
他の子供たち同様にコリスは最年長の少年が見せる美しい魔法に心を奪われていた。こんなこと、きっとホズにしかできない。
コリスは惹かれていた。
ホズの魔法に。ホズ自身に。
ホズのことを見ていると……心が暖かくなった。
そうしていると、客人の相手をしていた神父が戻ってきた。
「おお、これはホズの魔法か。さすがだなぁ……」
感心した様子の神父を見て、子供たちは関心を引きたくて、同じように魔法を使ってみたくて、やる気を見せる。
さっきまでふざけていた男の子二人も、すっかりのり気だ。
「みんなやる気でいいなぁ……。だけどもう日も落ちてきたし、晩御飯にしよう。続きは明日にしよう。さあ、食卓に向かおう」
子供たちは食欲を思い出して、走り出す。
年下の兄弟たちを見ながら、すぐに気持ちが変わる単純さに、クスリと笑うコリス。
しかし、目の端でホズと神父が二人で話をしているのが、なぜだろう、心に引っかかった。
◆◆◆
突然の別れだった。
ホズが教会から出ていくことになった。
里親が見つかり、教会の子が去っていくことは時々あった。だけど、今回の別れは少し違った。
いつもと同じように穏やかな神父の口から、聞きたくない言葉たちが流れてきた。
「これはすごいことなんだよ。ホズは神様に認められたんだよ。だから、みんな。ホズの新しい門出を笑顔でお祝いしようじゃないか」
笑顔なんか…………できない。
【神の子】は神に選ばれた、神の周りにいて、神の世話をする人間のことである。
この世界には神がいる。この地に降り立った神はアグラ神殿にいる。それは教会にいる子供にとっては常識だった。
稀に才能のある子供に声がかかり、【神の子】として神殿へと移り住むことがある。知識としては知っていた。けれど、この日、神父の口から告げられるまでは、まさかホズが選ばれることになるなんて考えたこともなかった。遠い世界の話だと思っていた……。
「おめでとう!」
「おまでと〜。ホズにいちゃん、すごいなぁ」
「さっすがだよ! 俺たちのにいちゃんは!」
おおはしゃぎする妹、弟たち。
この時ばかりは、単純な彼らに珍しくコリスは苛立ちを感じていた。
「ほらコリスも笑顔で見送って」
「…………」
だって……。
" 【神の子】になったら、もう一生会えないんだよ? "
一度神殿に住み込むことになったら、外界との接触は禁止される。
里親に引き取られた子たちとは訳が違う。手紙のやりとりする事も、たまに会うなんてことも、できないんだ。
「いやだよぉ……」
ワガママだと分かってる。
教会に引き取られた自分たちは、神様の寵愛で人並みの幸せを与えてもらった。
少年は微笑みかけた。
「コリス。君はパパとママに会って幸せになってほしい。僕の両親は死んでしまったみたいだから」
「え……」
「僕の両親は、神父さんと友人関係にあったんだ。事故で死んでしまったから僕は教会に引き取られたんだ」
そんなこと今まで一言も言ってなかった。
「パパに会いたい」「ママに抱きしめてほしい」そんなことをホズに言ったとき……彼はどんな気持ちで聴いてたんだろう。いつでもその表情は穏やかだった。
「だけど、君の両親はきっと生きている。だから君を迎えにくるよ、だってこんなにコリスはいい子に育ったじゃないか。神様が合わせてくれる。だから、それまでの間、この教会の弟、妹たちを、お世話してあげてほしい」
ホズは、コリスの首にかかっている貝殻の首飾りに口づけをした。
「ちょっとキザだったかな。それじゃあ、迎えにきている神官様が待ってるから行くよ。元気で」
いやだよ。
けれどコリスは、これ以上気持ちを言葉に出すことができなかった。
諦めない。
簡単に諦めたりしない。大切な人が、自分の元にいなくなるなんて、コリスにとっては一番耐え難いことだった。
今できることは、去っていく少年の姿を、涙を浮かべ、睨みつけるように、目に焼き付けるように凝視し続けるだけだった。強く握った手のひらには、爪が食い込んで、血が出そうになっていた。
◆◆◆
子供で孤児の自分にできることは少ない。
多少他の子供より器用で魔法に優れてはいても、自分一人でできることなんてたかが知れている。
だから、大人を頼るべきだ。
神父さんもシスターもあてにできない。
頼るべき相手を考えろ。
ホズともう一度一緒にいられるために、誰を頼ればいい?
「私を【神の子】に選んでください。お願いします。なんでもします。お願いします」
決死の覚悟で頭を下げる。
「ワハハハ……困った、困った。まだまだ子供の女の子が、こんなに必死に頼み事をしているんだ。聞いてあげたい気持ちは山々なんだがねぇ……」
相手は、ポリポリと頬をかく。
コリスが判断した、交渉するべき相手。彼女がいる教会という環境が作用して、導き出されるべくして導き出された答え。
それはイド教のトップ、アウスサーダ家の現党首であるタイノン・シン・アウスサーダへの直談判。アウスサーダ家は特別で、最も神に近い家だと教会の人間は思っていた。
ホズが去ってから約10ヶ月の月日が経った。教会へ書き置きを残し、アウスサーダのある屋敷まで向かった。
この時点でのコリスの年齢は14歳。マヒポ村からアウスサーダの屋敷まで馬車を乗り継ぎ13日かかった。たった14の子供が地図を見ながら旅をするには遠すぎる距離だった。コリスが早熟でしっかりした少女であったからこそ、たどり着けたと言えよう。
長旅によって、彼女の姿は薄汚れた旅人そのものとなっていた。
門番に追い返されそうになったところを、たまたまタイノンの目に止まり、話だけでも聴いてくれることとなったのだ。
中庭で、労いと水と食料を施された。
……けど、今はそんなものはどうでもいい。
「お願いします。ホズが、私の家族が、【神の子】に選ばれ、アグラ神殿に連れて行かれました。私は彼と離れたくありません。私もどうか【神の子】にしてください」
とにかくこの温厚そうな権力者の慈悲に縋るしかない。
彼なら無理を言って、コリスを【神の子】にねじ込むことくらいできるのではないだろうか?
コリスは、タイノンに自分の力を見せるべく、魔法を発動した。
「見ていてください!!」
それは彼女がかつてホズに魅せられた魔法だった。
複数の魔法陣の展開、そして周囲に水のアーチを生成し、虹を見せる。
ホズがいなくなって10ヶ月ほど、彼女が行動を起こさなかったのは、交渉材料を作るためであった。
自分は魔法が人より器用に扱える。【神の子】にふさわしい。そのことをアピールするために、必死で魔法の腕を磨いた。
ホズの魔法は特別だった。だから、それを見せれば……。
「気持ちは痛いほど良くわかった」
たった一人の縋るべき大人は穏やかに続けた。
その声は、ホズの別れを告げる神父のものと重なって聞こえた。
「けどね。お嬢さんを【神の子】にすることはできないんだよ……」
「で、でも……私! こんなに魔法が……」
自分でもこんなに必死になるなんて思っていなかった。
けれど、失ってからわかった。彼女にとって、本当に大切なのはホズだったと。
「確かに君の魔法技術はすごい。けどね、【神の子】に選ばれるのには、魔法の技術より大切な能力があるんだ。大事なのは、魔法の貯蔵量。体の中にどれだけ魔力を蓄えておくことができるか。これは生まれ持った資質で……その、選ばれたかったとしても、諦めるしかないんだよ」
言いにくそうに真実を告げるタイノン。
絶望的な言葉。
この程度の魔法使用で、ぜいぜいと肩で息をする彼女には、魔法の貯蔵量が高いと主張することはできない。
すぐ彼の後ろには、彼の娘と思しき白銀の髪色をした小さな少女が立っていた。
コリスは自分勝手だとわかっていても、嫉妬心を抑えることができなかった。どうして、目の前の少女には、穏やかで権力者の父親がいて、自分には両親もいないのに、大事な人をさらに奪われなくてはならないのか。
「けど……けど……私、ホズがいないと……」
どうしたらいいかわからない。
困った時に教会の弟や妹たちだったら涙を流した。そんな時、コリスは「泣いて良くなることなんてない」って言って、前を向くことを説いた。そうだ泣いたって、駄々をこねたって、神様は振り向いてくれない。清く正しく、そして強く生きるしかないんだ。
だけど。コリスは涙を流していた。
どうしようもなくて、自分は散々子供たちに無駄だと言ってきたのに。それでも泣く事を止められなかった。
「面白そうな魔法、使うじゃねーか」
力強い女性の声だった。声の主は、白い甲冑に身を包んだ、騎士のような姿の女性だった。乱暴な言葉遣い。野生の獣を彷彿とさせる鋭い眼光。上品な甲冑と中の女性の持つ荒々しい雰囲気がマッチしていないように感じた。コリスは本能的に、女性に対して危険を感じた。
女性はコリスに近づいてきた。
「おい小娘。お前、国家騎士になる気はねーか?」
問いかけの意味がわからない。
国家騎士? この人は一体……?
「ジョティーヌさん。あなた、まさか……」
タイノンさんがより困惑した表情をしている。
混乱する頭で考える。わからないなんて今更だ。
どうして両親が自分を捨てたのか。どうしてホズはいなくならなければいけなかったのか。ホズと再び一緒にいるためにはどうしたらいいのか。わからないことだらけだった。
だから、答えはシンプルでいい。
女性に対する恐怖を振り払い、言葉をまっすぐぶつける。
「国家騎士になったら、【神の子】になったホズと一緒にいられますか?」
女性は笑った。
「無理だ。国家騎士でも【神の子】には会えねえ。だが……国家騎士の一番の仕事は何か知ってるかぁ?」
「知りません」
「首都ハリオを、そして何より神様がいるアグラ神殿を守ることだ。つまり、【神の子】になったお前の大好きなやつを近くで守ることができる」
近くでホズを守る。
会えなくても、ホズの近くにいてホズの役に立てるというのであれば、そのほうがいいに決まってるのではないか?
少なくとも、このまま何にもなれないまま教会に戻るよりマシだ。
しかし、結局会えないのでは、自分は納得できないのではないか。
気持ちが錯綜しているなか、もう一つ騎士の女性は付け加えた。
「神殿に入る方法が一つある。それは、【魔戦競技】の優勝者になることだ。国家騎士になるってんなら、お前を鍛えてやるよ。そして、優勝できるくらい強くなれ。そうしたら、会える」
そうか。
【魔戦競技】で優勝した人間は、その名誉を讃えるため、アグラ神殿にて神様直々に優勝を讃えてもらうことができるのだ。アグラ神殿に入れれば、ホズに会える……。それがたった一つの、ホズに会うための方法だったんだ。
止めようとしているタイノンさんを無視して、コリスは即答した。
「私、やります! よろしくお願いします!!」
「よろしくな、お嬢ちゃん。俺の名前はジョティーヌ・アルラだ」




