12 長男だから我慢しよう、長男だから頑張ろう
久々に挿絵を描きました!メイレーンです。
『承』の1に入れ込んであります。よければ見てみて下さい!
ロズカは大きく息を吸って、それから吐いた。肺に溜まったなんとも言えないモヤつきが、自然豊かな大地が作り出す新鮮な空気と入れ替わっていく。
青々とした木々、どこからともなく聞こえてくる鳥のさえずり。何十年とその場所にい続けていたであろう大岩に腰掛け、一人きりで木漏れ日を浴びているとこんな時でも心が落ち着いた。
ギルファス家の別荘地の背面に位置する「クピルファ山林」は針葉樹ばかりが生える独特な雰囲気の場所である。山奥は人の手の入っていない純然たる自然が広がる地で、植物や岩石が作り出すその地の様相は一言で表すなら「静か」な土地である。動物の立てる物音や風の音もするのだが、それらを全て飲み込んでしまいそうな深みがあった。
この土地にいると、時々ロズカは不安になる。これほど人里から離れた地を会場にしたのは外界から受験者を隔離することが目的なのではないかと思ってしまうからだ。
ただ、今は誰もいないこの空間で静かに過ごしていることが心地良くもあった。
「おい。そこで何してんだ」
いつのまにかそこには、赤い髪をした黒い瞳の青年が立っていた。ペトリカーナとは髪と瞳の色がちょうど逆だ。背には武器のようなものを背負っていることから選抜参加者のようにも思えるが、端正な顔立ち、高貴な身分を示す服装。ギルファス家の人間であることは、ロズカにも予想がついた。
ギルファス家当主の男性の子供は2人いたはずだ、と思い出していた。
ロズカが直接会った事がある兄弟はペトリカーナただ一人。他の3人については、簡単に情報を耳に入れている程度であった。
因縁をつけにきたのだろうか。
ロズカが黙って見返していると、青年は少し焦ったようなそぶりを見せた。
「いや、この場所からどけと言ってるんじゃない。ただ、気になっただけだ。気を悪くしたなら謝る」
ギルファス家の人間であれば、高圧的な物言いをすると思っていただけに、青年の態度にロズカは拍子抜けした。
ロズカは答えた。
「外の空気を吸ってただけ。室内は息がつまるから。もしかして、ここはアナタの特等席だった?」
青年のあまり笑い慣れていないであろう表情がぎこちなくほぐれる。
「そんなんじゃない。俺もアンタと同じで息苦しくて抜け出してきたんだ。室内は本当に息苦しいからな。俺はクロード。アンタは?」
「ロズカ。クロード様は__
「様はやめろ。クロードでいい」
「クロードは、ギルファス家の長男であってる?」
「ああ。残念ながら、な」
「残念ながら」と言ったクロードの意図はよく分からない。彼は少しばかり疲れた目をしていた。
クロード・ブレル・ギルファスはペトリカーナと並び、今回の跡取り候補の最有力候補の1人だ。
候補者は皆、多かれ少なかれペトリカーナのように自我が強く、ギラギラした人間かとばかり想像していたが、そうではないらしい。
少なくともこのクロードは、会ったばかりだが、ペトリカーナよりも共感しやすそうな人物だと感じていた。
クロードは近くにあった岩の上に腰を下ろした。この広大な敷地の中に場所はいくらでもあるだろうに、立ち去るわけでもロズカを追い払うわけでもない様子から、どうやらロズカと話をするつもりのようだった。ちょうどいい愚痴の相手を見つけたとでも思ったのかもしれない。
だが、だからといって気を許してあれこれと会話をするというわけにはいかない。
「アタシはペトリカーナ様の派閥に入ってる。こうして世間話をする相手としてはふさわしくない」
「敵と話はしたくないってことか?」
「そういう意味じゃない。クロードがうっかり弱みとかを話たとしたら、ペトリカーナ様に報告しなくてはいけない。アタシはこの場所にいる間は、ペトリカーナ様が勝つために動くから」
クロードは少し朗らかな顔になり、息を吐いた。
「お前、損な性格だな。普通はそういうことは自分から言わねえだろ。俺が何かもらしたらそれを後で報告して手柄にすればいいものを」
ロズカは黙っていた。
「心配しなくても、俺は報告されて困るようなことは言わねえよ。そもそもそんなものねえからな」
「どういうこと?」
「俺はただの記号なんだ。ただのお飾りの御輿。根回しとか、準備とか、全部叔父様がやっているし、俺は何も知らされてないんだよ。だからバレて困るような何かも……まあ、全くないわけじゃないが、ほとんどない」
お飾りの御輿。これは、クロード派という名目で裏から権力を手に入れようとしている人間がいるということなのだろう。察するにその " 叔父様 " というのがそうなのかもしれない。
口調こそ強いが、彼は弱い人間なのかもしれない。不相応な立場だけ与えられ、周りには自分を利用しようとする人間ばかり。頼れる相手も、寄りかかれる相手もいなくて、こうして見ず知らずの出会ったばかりの女に愚痴をこぼしている。何も知らないが、そんな想像がロズカの頭によぎった。
「父様は何を考えてんのかわかんねえよ。いきなり俺たち兄弟に争って当主の座を奪い合うように仕向けて」
彼の父、現当主であるジニアオルガ・リ・ギルファスは一度ロズカも会ったことがあるが、表情の一切変わらない何を考えているのかわからない人物であった。ずっと一緒に過ごしてきた息子ですら分からないのであれば、ロズカにわかるはずがなかった。
そこでふと、母親はどうなのだろうと思った。
息子たちが争いあっているなか、彼の母親はどう感じ、どう動くのだろうか?
平等に子供たちに接しているのだろうか。
そうであったなら、クロードの少しは救いになるだろう。
「お母さんは?」
「あの人は、可哀想ではあるけど母とは思えないな」
ロズカの思惑は外れたようだった。母親と彼の関係も良くはなさそうだ。
込み入った事情があるのだろう。クロードが話したがらない以上、それ以上はロズカも聞くべきではないと思った。
「クロードは当主になりたいとかは思ってないの?」
「本当はガラじゃないんだ……」
ギルファスという名家に生まれてしまっただけでしたくもない争いをさせられる。
手放すことができるならすぐにでも投げ出してしまいたい。けれど、周りのしがらみがそれを許さない。
心から同情する。
「けど、俺には期待されてる役割がある。自信がなくとも、得意じゃなくとも、俺は任された役割を演じる。そこを放棄する気はねえ」
そのとき初めてクロードは強い意志のこもった瞳をしていた。
誰も来ないであろうと思っていたこの場所に、ロズカでもクロードのものでもない声が響いた。
「クロード様ーー、こんなとこいたんですか? あれ? 連れがいたんです?」
クロードの知り合いと思しき髪の長い泣きぼくろのある女性だった。
「アルラか……」
「アルラか……じゃないですよ! 探し回ったんですから」
女性は落ち着いた大人っぽい雰囲気の女性で、服装はなんだか露出度が多かった。
もしかして、クロードのフィアンセだっただろうか? だとしたら、少しまずい状態にあるのではないかと思った。しかし、女性は別段ムキになるわけでもなく、第一印象通りの余裕のある話し口で淡々と告げた。
「とりあえず、ガウスマン様が呼んでるんで行きますよ。お嬢さん、話し中ごめんね。さ、行きましょ」
◆◆◆
金属同士がぶつかる人工的な音。
素早くステップを踏み、体勢を変えるたび、足元に小さな砂埃がまう。
激しくも洗練された動き。何も知らない人間が見たら、剣術の稽古でなく決闘をしているように見えてしまうことだろう。
剣をふるい、地をかけるクロードの姿は、ロズカが認識したような弱さのあるような印象はかけらも与えるものではない。
とはいえ、彼の剣の師匠であり、叔父であり、たった今クロードと剣を交えているガウスマンにとっては、弟子の攻めはまだまだ余裕を持って受け流せるものであった。
「さっき教えた通りだ。踏み込むとき、わずかに重心がぶれている。これでは軌道がずらされ簡単にいなされてしまう」
「はい!」
「もっとだ。もっと足腰を意識しろ」
ガウスマン・ロジロヘイムはクロードの産みの母ソーナの弟にあたる人物で、一言で表すなら理知的で有能な人間だった。30代前半で財務大臣に上り詰めた有能な野心家。財務大臣に上り詰める前は、優れた剣術家でもあった。
ガウスマンの思考は理路整然としている。効率を重視し、無駄を省き、そして何事にも十分な準備をして取り掛かる。だからこそまったく違う分野であっても一流になることができたのである。
「もう息が上がったか? 手を休めず追撃をせよ。本番中疲労で動きが鈍ればそこで終わる」
クロードは奮い立ち、ガウスマンに刃を向け、飛びかかる。
剣と剣が再びぶつかり合う。
財務大臣が自分の甥にあたるクロードを鍛えているのも気まぐれや戯れではない。これも男の入念な下準備の一環である。
両者の手に握られている剣は太さや長さ、模様などが少しずつ違っているが、非常に似た部分のある。
ガウスマンの持つ剣は《フラクタクル時計塔の「長針」》、クロードの持つ剣は《フラクタクル時計塔の「短針」》。【魔法器具】の名家であるニース家の天才、エバード・ニースが作り出したフラクタクル時計塔の指針だったものを剣に作り替えたものだ。
何より特徴的なのは、それらの剣には中心に開いた、容易に腕が通るくらいの大きさの円形の穴である。
元々はその両方を所持していたのはガウスマンだった。クロードに弟子としての証として譲渡したのである。これもガウスマンにとっては投資なのだ。クロード・ブレル・ギルファスは、従順でなくてはならないが、無能であってはならない。他者を惹きつけるカリスマ性を持っていることが必要であった。
ガウスマンには野望があった。彼の野心は財務大臣くらいでは留まることはなかった。
クロードの後ろ盾となり、そのクロードを当主に据えることでギルファス家を実質的に手中に収めること。それこそがガウスマンの野望であった。
「止め。明日が本番であることを踏まえ、本日の稽古はここまでにする」
野心家の財務大臣は剣を背負っている鞘に収めた。クロードもそれに倣う。
「剣術に関しての見解だが、やはりお前は筋がいい。時にクロード、魔術測定は行ったか」
「はい。数値は493でした」
「魔術に関しても才能に溢れているようだ。私がお前くらいの時よりも優れているほどだ」
「叔父様に褒めていただけるとは、光栄です」
「しかし、政治については人よりも優れている才能を持ち合わせていない。得手不得手。お前は政治には向いていない」
ガウスマンが常に口にしてきたことだった。クロードには政治的な才はない。本人もそれを自覚していたし、下手な勘違いをして暴走をしないようにガウスマンは刷り込んできたことだ。
「お前の苦手な政治部分について、この私、財務大臣にまで上り詰めたガウスマンが後ろ盾となるのだ。だから、考えることは全て自分に任せるように」と、言い聞かせてきた。
「ただ、考えることに関して劣っていても、4兄弟の中で最も当主になるべきなのは誰かと問われれば、私は確信を持ってこのクロード・ブレル・ギルファス以外に適任はいないと断言しよう」
「はい」
「それでは、なぜ私がそう思っているのか、直ちに説明せよ。私の弟子クロードよ」
またこれも事実の確認という形を取った教育、刷り込み作業である。
「ペトリカーナ姉さんは自分中心の考え方をしていて性格的に問題がある。シェリアンヌはあまりにも幼すぎる。そしてテオファルドは……
間髪入れずにガウスマンが嘲った笑いと共に続きを言う。
「言うまでもないであろう。救いようのない無能だ」
クロードの眉がピクリと反応するのをガウスマンは気に留めることはなかった。
「特にあの傲慢なペトリカーナには気をつけたまえよ。あれは同じ人間だと思ってはいけない」
「十分にわかっているつもりです。あの悪質な姉にギルファスの家督が渡って仕舞えば、きっとたくさんの不幸が生まれる」
ガウスマンがクロードに対し、兄弟への対立心を煽るのには、理由があった。
狡猾なペトリカーナ。人の心を惑わすのが得意な悪女である彼の姉は、隙あらば一番の対抗馬であるクロードの懐柔を試みるであろうと考えられる。クロードがもしも兄弟同士で本当は争いたくないなどと考え、あまり乗り気でない状態であれば、簡単に継承権を放棄することもあり得る。
それを阻止するための準備であった。
「しかし、叔父様。ペトリカーナ姉さんは今日も派閥拡大に向けて何やら動き回っているようですが、我々は何もしなくても?」
これだけ一緒にいてもクロードにはガウスマンという男が理解できていないようだった。
前から完璧な策を準備しておく。当日の付け焼き刃の対策など講じない。いつだってガウスマンはそうやって勝利してきた。
すでに何重にも手を打ってあるガウスマンからすると、いまさら焦ってすることなど何もなかった。
「愚問だ。良いか、準備というのは直前にするものではない。先の先を見越して用意しておくものだ」
タイミングよく現れ、それぞれにタオルを渡してくれる執事のセルドリッツェ。
本当に気遣いのできる良い使用人だとガウスマンは思った。できることなら、こちらの手駒にしておきたいと。
「ご苦労。セルドリッツェは本当に図ったようなタイミングで現れる。本日もあの愚かな次男坊のお守りをしてきたのであろう? 苦労をかけるな」
まるで自分の部下であるかのような労いの言葉。テオファルドが執事のセルドリッツェを連れ回すことにガウスマンは一切関わりがない。しかし、ガウスマンにとってギルファスの出来事は全て自分に関わりがある出来事なのだ。いずれ実質上の当主になることは彼の目標などではなく、ただの予定なのだから。
セルドリッツェは黙って頭を下げる。
「時にセルドリツェ。明日はいよいよ選抜戦が始まる。その真の姿は当主の座をかけた兄弟間のいわば " 戦争 "だ。君が思う最も当主にふさわしい人物は誰かね」
「私はただの執事ですので、ご兄弟のどなたかを贔屓にということはすべきでないと考えています」
「たかが雑談だ。立場上のことなど気にせず言いたまえ。なあに、ただの当たり前な事実の確認だよ。それだけで彼の自信に繋がる」
ガウスマンは確信していた。この兄弟間の争いにおいて、長男のクロードが跡を継ぐのが最善だと周囲の人間の多くが考えていることを。
「…………でしたら、一言だけ。他のご兄弟でなくクロード様が当主になるのだろうと私も思っております」
「結構」
ガウスマンは満足そうに頷いた。
ペトリカーナに続き、もう一人の政治的強者のガウスマンが出てきました。ゴジラVSキングギドラみたいな。この二人のやり合いをお楽しみください。




