7 出発!!
[キシムから見たルナット]
最初から気に食わなかった。あんなのただの貧弱なガキじゃねぇか。なのに、ヤツは期待され、暖かく迎え入れられ、何度やられても見損なわれることはなかった。
あんな脆弱なヤツが、お嬢様の警護役として立派に役目を果たせるはずがない。オレがヒトの姿でさえあれば、あんなのでなくオレが適任だったはずなんだ。
最初はそう思っていた。
力の差を見せつけて、心を折ってやろう。
そうすれば、いくらヤツのことを特別視している旦那様やお嬢様でも、見限るに違いない。
失ってからでは遅いのだ。大切なものは万全の状態で挑んで、それでもうまく行かないこともある。伊達や酔狂でやるにはあまりにもリスクが大きい。
ヤツにはこの役割は荷が勝ち過ぎている。
そのはずだった。
3日でオレの特殊能力、体を周りの風景に溶け込ませる「体色適応」を看破された。
オレの体は細胞を緻密に変色させ、光を透過させることができる。これは魔法ではない。生まれつきの特技だ。
しかし、ヤツはオレの位置を把握して攻撃をしてくる。
地面の土で手足を汚し、戦闘の中で目印をつけてくるのだ。あるいは泥団子を投げつけてくることもある。
文字通り泥臭く、小手先の戦法のようだが、効果は十分だった。
そして物理的に変色しているということは、体に何か目印がつけば、居場所がバレてしまう。
「体色適応」を使っている最中、体の動きは極端に鈍くなる。だから、居場所をバレてしまった場合は逆効果となってしまうのだ。
しかもだ。やつの感覚の鋭さは並ではなく、能力を使うことはむしろデメリットにしかなっていないように感じられた。
まだだ。それでもまだ、オレとやつには格の差がある。
筋力の差、体格の差、体の硬さの差、手足の本数の差。
「体色適応」をやめ、肉弾戦に切り替えてもまだオレに分がある。ヤツは魔法で機動力を上げることができる。しかし、純粋な戦闘能力は低く、貧弱な拳や蹴りは当たっても大した威力はない。
ただ、不気味だったのが、ヤツの俺を見る目だ。観察するような、何か仮説を検証するような目だ。
「1.2.3…」
ブツブツと数字を数える声。痛みを恐れるわけでもなく、交戦的に突撃してくるわけでもなく、淡々と何かを測るように。
そして、気がついた時には同じ攻撃は当たらなくなっている。ちくしょう、オレの攻撃までの間隔を調べていやがったんだ。
どおりで心が折れないわけだ。
やつは、ただ攻略していたんだ。オレの攻撃パターンやそれに対する対処法を積み上げていっていたんだ。
前足2本での蹴りが来るときは、バランスを崩さないようにするためなのか後ろ足が軽く開く?
体勢が崩れかけると大ぶりな薙ぎ払いのような蹴りをして距離を取るように仕向ける?
一つ一つ分析してんじゃねぇ!
オレはオマエの実験生物じゃねえぞ!
それから、あの金属の杖を手に入れてから、ヤツは明確な攻撃手段を手に入れた。
ただ、金属の棒として振り回すだけなら大したことはない。問題はその扱い方だ。
ヤツの魔法だろう。杖は場面に合わせて形を変えた。これがこの上なく鬱陶しい。
杖の長さが勢いよく伸びてきて、しかも何か魔法を付与してあるせいか知らないが当たるとこちらが吹っ飛ばされるくらい威力がある。変形のせいで余計に攻撃が見切りにくい。
今まではリーチの差が大きなアドバンテージとなっていたが、それが完全に逆転した。
ルナットが武器の扱いに慣れない最初のうちはどうということもなかったが、信じられない速度で上達していき、攻め手も守り手も多彩になっていく。
攻防ともにワンランク上になりやがった。
日に日に近づいてくる「敗北」の文字。
振り払おうとしても、ヤツの成長スピードがオレに不吉な想像を予感させる。
どんどんヤツは強くなる。オレはこのままなのに、ヤツはみるみるうちにオレに追いつこうと戦闘のセンスを磨いていく。
そうか……初めからお屋敷の方々は……お嬢様には、この未来が見えていたんだ……。
メイレーン様。オレたちのこの醜い姿は、他の誰からも必要とされない。オレもエリキもアナタ様のためだけに存在します。アナタ様が必要としてくれることが何より重要で、それ以外のことに価値はない。
世界のあらゆるものに価値はない。アナタ様こそがこの世で唯一価値がある存在だ。
たとえ、オレがただの使用人でも……いや道具でも、オレはアナタ様のことを全てだと思い、生き続けます。この命が使い果てるその時まで。
だからこそ、オレは心底ヤツが憎い。いや、わかっているんだ。羨ましい……。妬ましい。
そして、とうとう来るべき日がやってきた。
オレがルナットに負けたのは、ヤツが出発する2日前のことだった。
ありとあらゆる手段を看破され、行動一つ一つに有効な対処をされ、負けるべくして負けた。
オレに勝ったルナットは、泥だらけの姿で飛び上がっていた。すぐ隣にはお嬢様がいて、手を叩いて拍手をしていた。
あの野郎……本当に嬉しそうな顔しやがる。
ルナット、オマエはどうしてそんなに恵まれているんだ。
才もあって、周りに人がいて…………そして何より、普通の人間の見た目をしてる。
オマエからしたら、持ってるやつからしたら、どうってことのないように思えるかもしれないけどな、どれだけ大きなものをなんの努力もしないで持っているか、少しは自覚したらどうなんだ。
創造神はきっとオマエに試練をお与えになるぜ。
それだけの恵みを与えられたんだ。与えられたものを全て活用して、やっとなんとかなるかならないかの試練を。
生まれながらに、とんでもない使命ってやつを背負ってるんだよ。それがいつか明らかになる。
きっとその瞬間はくる。明日かもしれないし、遠い先かもしれない。
だが、きっと………………。
土の上に倒れながらオレは心の中で思った。決して口には出さなかった。
格好の悪い負け惜しみにしか聞こえないだろうから。
まあせいぜい頑張れよ。その時が来たら。
お嬢様を守れなかったら、オレはオマエを許さない。
◆◆◆
いやー、キシムが初めて透明になった時は「なんだこれ、勝ち目ないじゃん!」って思ったけど、思ったよりもやりようはあった。
卑怯というなかれ! キシムとの訓練が始まる直前まであいつは実体が見えてる。透明化する前にカーソルを刺しておくのだ。そうすると、あら不思議! 何もないところにカーソルだけが一人でに動いているというわけだ。
どうも動き自体は透明化するのは神経を使うのか、また、足音などで位置がバレないようにしてということもあり、動きがかなり遅くなった。
それから、あらかじめ『感覚』で聴覚の範囲を自分の周辺だけに狭めた。こうすることで、遠くの音が聞こえにくくなるが、近くの音を拾いやすくなる。キシムの足音は、常人には聞き取れないほどかもしれないが、俺には聞き取れた。
単純に透けて見えるというだけなので土を塗ってマーキングしてやれば、あとはカーソルを抜いて別の魔法を試すことができる。
向こうさんも、透明化が無駄だと気がついたようで、普通に肉弾戦に切り替えてきた。
メイさんのくれた杖はとてもいい武器になった。
元々、攻撃力が無かった俺にまともな攻撃手段ができただけじゃなく、守りの面でも役にたった。
ただの棒じゃない。これが【流魔鉱】の塊だということに大きな意味がある。
【流魔鉱】は、魔力の伝導率が高い。これは、つまり俺の小さな出力でも魔法をかけやすいということだ。
例えば、LEDライトは白熱電球に取って代わって使われるようになってきた。LEDライトは小さな電力で明るく光ることができるため、電気代が少なくて済むから、というのが大きな理由だ。それでは、白熱電球にはLEDと比べた時に同じ明るさになるための電力がたくさん必要になるのかというと、簡単にいうと「無駄」が多いからだ。
エネルギーというのは一定で、電気のエネルギーがより多く光に変換されるのがLED、そして熱としてエネルギーのロスが多いのが白熱電球なのだ。熱というエネルギーの「無駄」が、効率を悪くしているということだ。
【流魔鉱】は魔法の変換に関して最も理想的な素材。つまり、その「無駄」が非常に少ないため、俺の魔法でも早い速度での魔法を用いた「形状変化」が可能となる。
これが、我ながらとんでもなく応用のきく発見だった。
つまり、武器の形状を状況に合わせて変形させながら戦うことができるということだ!
初めに変形したのはパスタの麺だった。『形状』によって、以前スキャンしておいたパスタの麺に形状変化させると、杖は細長い円錐状に勢いよく伸びた。体積は変わらず、形が同じになるのだ。つまりパスタの麺よりもよっぽど大きい杖は4メートル近くにも伸びた。
まるで孫悟空の如意棒のようだ。
さらに、先端部分に『生地』で打撃耐性と反発率を上げることで当たったものを弾き飛ばせるようになる。以前、スーパーボール作戦でやったのの応用だ。
このパスタの形状を「形状その1」と呼ぶことにした。
「メン!」と叫びながら、キシムに杖を叩きつけたら、なんだか剣道っぽかった。
剣道の経験は授業で2、3回程度の、白帯ホルダー(素人)だけど。
もちろん、杖の元の形状も記憶済みなので、行き来自在だ。
ただ、初めのうちはこの扱いに手こずった。
武器が自在に操れるというのは、いいことだが、そのためには、カーソルを杖に刺さなくてはならない。
『身体機動』で自分の体を早く動かすためには、カーソルは自分の体に刺しておく必要がある。
つまり、『身体機動』で動き回るのを途中で解除し、一瞬で杖を変形しなくてはならないのだ。
そして、コマンドを選択するまでにももたもたしているとキシムにやられてしまう。
格闘ゲームのコマンド入力のように、一瞬のうちにいくつもの操作を要求されるのだ。
何度か挑戦しているうちに、どんどん使いこなせるようになってくる。
はっきり言って、充実してた。
できることが日に日に増えてくる。
どうやら、このルナットの体は、とても戦闘の才能に恵まれているようだ。
メイさんが「ルナット様にはとても素晴らしい才能が眠っていると確信しています!」って言った通りだったかもしれない。
そしてようやくキシムに参ったと言わせたのは、出発まで残り2日のタイミングだった。
かなりギリギリだが、なんとか間に合った。
俺は嬉しくて大喜びした。横で見ていたメイさんも拍手してくれた。
あの強かったキシムに、勝つことができたのだから、俺にとってはすごい快挙なのだ。
同時に、キシムには言いたいことがあった。
最初はムカつくとか思った。メイさんのことで嫉妬して、蹴り飛ばしてくるし、こっちのことを見下してる感じだし。
そりゃあ、痛かったし、くそぉって思った日も何回もあった。けど……
「根気強く付き合ってくれて、今までありがとう! キシム!」
俺に力を貸してくれた。
戦闘訓練に真摯に付き合ってくれた。
だから、今は本当に感謝してる。
「うっせエヨ」
メイさんの『回復魔法』を受けたキシムはゆっくりと立ち上がった。
「オマエのことは気に食わナイ。はっきり言って嫌いダ。だが、命令だから従ッタ。それだけダ」
「それでも、さ」
理由なんてどうでもいい。
俺が感謝したいからしているだけだ。キシムが俺を嫌ってても、俺はキシムのことを嫌いになんてなれない。
この充実感も、待ち受ける戦いに役立つ戦闘技術も、キシムのおかげで備わった。
キシムは一旦立ち去ろうとしかけたが、俺の方に向き直ってこう言った。
「くれぐれもお嬢様を頼ム……」
え、ちょっと!
あのキシムが、俺のことを嫌いだと言っているキシムが、俺に向かって頭を下げた。
俺への対抗心も全て、メイさんへの深い気持ちから来ていたんだよね。
このクモのような大きな体の使用人に改めて、向き直る。
最初からそのつもりだったし、俺にとっても重要なことなんだけど、これはちゃんと伝えておいた方がいいよね。
「絶対に、メイさんは守るよ。何があっても」
口に出すと、とても重たい言葉のように感じられた。
俺の心の補正のせいかもしれないが、昆虫のような顔が少しだけ笑ったように見えた。
そして、次の瞬間。
俺は自分の目を疑った。
キシムの何本もある足が体の中に収まっていき、顔の形や器官が変化していった。
キシムがいたはずのところにいたのは、エリキだった。
「ルナット様、おめでとうございマス。キシムも口ではああ言ってイマシタガ、ルナット様が力をつけたことに達成感を覚えていると思いマス」
エリキがいい感じのことを言ってくれていたが、俺は目の前の出来事の衝撃が強すぎて、とてもそれどころでは無かった。
え? え?
エリキがキシムで、体は同じだけど? 心は違うってこと? 二重人格? でも、体つきまで変わるの?
え? えええ?
戦闘訓練でキシムが出ている時は、いつも俺の周りにいたエリキは一度も見かけなかったし、戦闘訓練以外ではキシムの姿を見なかったけど、つまり、どっちか一人しか存在できないってことなの?
ええ……。
◆◆◆
そのあと、一度もキシムは姿を見せなかった。というか、ずっとエリキが表に出ていた、という感じだ。
残り2日はゆっくり休んでいてくださいと、メイさんたちも言っていたので俺はくつろいで過ごした。
そしてあっという間に2日は過ぎ、いよいよ当日。俺は荷物を背負って、タイノンさんやトトメアさん、エリキに見送られていた。
屋敷から少し出たホールには、各地に散らばる教会につながる転移魔法陣が設置してあり、簡単に飛ぶことができるのだ。
「まずは、教会に行って、転移魔法陣を利用するのだ。開催地の近くの教会に転移して、そこから向かうのだ。まあ、メイレーンが案内するから問題はないが」
「さすがは天下のアウスサーダ家! 『転移魔法』がバンバン使えちゃうんだから便利ですよね」
「ワハハハ! 頑張ってきてくれ! ワシらはここからは応援しかできんからな」
向かう先は、ギルファスの別荘地。そこで選抜試験が開催されるようだ。
今日まで俺の専属メイドだったエリキも出発を見送りにきてくれている。
「ルナット様、家族の方からのお手紙デス。出立前に届いてよかったデス」
「わー、ずいぶん時間かかったね。うちの家族は筆不精かね。ありがとうエリキ」
俺が手紙を送ってから結構な日にちが経っている。ずっと来ないと気掛かりであったが、ようやく届いたみたいだ。そのまま面倒臭くなって出すのをやめたのかと思ったよ。
「それにしても、メイレーンは遅いな。準備に手間取っておるのか」
と、タイノンさんが口に出したところで、噂をすればメイさんが現れた。
「お待たせしました。ルナット様それでは改めて、ここから先よろしくお願いしますね」
俺は、息を呑んでその姿を見つめていた。
服装が……いつもとだいぶ違う!
いつもの清楚なお嬢様姿から一変、地味な茶色を基調としたメイド姿に身をやつしていた。アザのあるところは包帯を巻きつけ、隠していた。身バレ防止ということなのだろう。
しかし、その姿も印象はだいぶ違うが、メイさんは美しい。やはり素材がいいからなんでも似合うのだ。
ギルファス家の選抜試験は参加者がメイドなどの世話係を一人だけ連れて行ける制度があるようだ。これは、生活能力がないが魔法の才能だけは優れている貴族層に多い「魔法以外ダメ人間」を取り込めるような体制を取るためだそうだ。
メイさんが俺のメイドというていで、選抜会場にいくことにはメリットがある。
まず、参加者は書類選考がある。いわば【魔戦競技】のライバルという立場にあるアウスサーダ家である場合、参加者は書類で落とされる可能性がある。アウスサーダ家には繋がりのある強力な使い手がいるようだが、身元がバレてしまうので彼らをスパイとして参加させるわけにはいかない。
一方、俺は経歴としてはただの平民の子供だし、調べられたとしても、アウスサーダ家との関係性が発覚しづらいというわけだ。
世話役として参加する場合はほとんど調べられることもないだろうとの、タイノンさんの見立てで、メイさんは俺が選抜試験を受けている間に、情報収集をするそうだ。一体どんなことをするのか気になるが、詳しくは「内緒です」ではぐらかされてしまった。
まあ、難しいことを言われてもわかんなそうだし……。
タイノンさんたちはメイさんとの別れを簡単に言葉を交わすだけで済ませた。
親として大事な一人娘のお嬢様をこんなにあっさりと送り出すとは、なんという放任主義!
俺には考えられないことだったが、それだけメイさんのことを信用しているということなのだろう。
むしろエリキの方が、メイさんとの別れを惜しんでいるように見えた。
「お嬢様。いつでもワタシたちをお呼びくだサイ。すぐにでもお嬢様の元に参りマスノデ」
「ええ、いざというときは頼りにしています。エリキ、キシム」
「ルナット様。どうか、お嬢様のことを、ナニトゾ……ナニトゾ……」
「任せて! エリキとキシムの分まで頑張ってくるから!」
体の中にいる従者にも言葉を送り、出発の準備が整う。
「それでは行きましょうか」
魔法陣が発動し、転移が始まる。
タイノンさんとトトメアさんは二人仲良く親指を立てて見送ってくれた。
こんな時でさえ陽気な人たちだ。
俺は屋敷でお世話になったタイノンさん、トトメアさん、エリキの3人……いや、キシムも入れて4人に感謝を込めて、「行ってきます」と元気よく手を振った。




