3 蜘蛛男・キシム
タイノンさんの話が終わると、今度はメイさんに「ついてきて下さい」と言われたので、ホイホイと従った。
屋敷の中は意外と簡素だ。部屋も廊下も広く、シャンデリアやお金持ちっぽいインテリアもあるにはあるが、俺が漫画とかで思っているイメージより、なんというかシンプルだ。
無意味に着飾ったりしないというアウスサーダ家の価値観が見て取れるようだ。
白が多いからか何となく病棟や実験室のようなイメージすら感じる。
そういえば、メイさんのドレスも割とシンプルなデザインだ。
おとと……あまりレディーの後ろ姿をまじまじと見てはいけないね。俺は視線をそらす。
それにしてもメイさんは白とか水色とか薄い色がとても似合う。
ただ、やはり家の中はただ簡素なだけではなく、異世界要素は所々に感じられる。魔力を流すと起動する道具たち。いわゆる【魔法器具】というやつだ。
電灯か蝋燭かと思うような壁の側面に一定の感覚で取り付けられている明かりは、我が家にもあった【魔法器具】だ。
扉もメイさんがほんの少し手をかざすと勝手に開く自動ドア。科学技術は遅れているが、魔法のおかげで妙に便利だったりするこの世界。
そして極め付けは……
「ここから中庭に出ましょう」
メイさんが指差した先には扉ではなく、壁が不自然にくぼんだ空間だった。半円状に壁がくり抜かれたようなその場所の床には、ちょうど人が1人入って余裕があるくらいの大きさの魔法陣が描かれていた。そして、独特の鈍い光を放つ銀色の取手のようなでっぱりが胸元くらい高さに設置してある。
この銀色は【魔法器具】に必ず使われている金属、たしか名前は……【流魔鉱】。
魔力の伝導率が最も高い金属だと学校の授業で言っていた。
「ぬぬぬ、この空間ってまさか……」
「ええ、移動用の魔法陣です。アウスサーダ家の代々引き継いできた魔法の一つです」
「『転移魔法』を誰でも使えるようにしてるのね!」
アウスサーダ家、やはり凄い!
前に俺は『転移魔法』を使っているだけですごいと言われたが、アウスサーダ家は家が転移魔法を備えているということだ。さすがは御三家と呼ばれるだけのことはある。
「『転移魔法』はあまり広まっていないのですが、技術自体はそれほどすごいものではないのですよ」
と、謙虚なメイさん。
「一般に仕組みや技術が分からなくても使えるので、皆さん誤解されているのですが、実は『転移魔法』とほぼ同じことをされている方は多いのですよ」
「そんなまさかぁ〜」
俺の知る限り『転移魔法』を使ってる人間は、アウスサーダ家以外には俺だけだし、使うとあちこちで驚かれた。それが一般的に使われているとは、どうやっても考えにくい。
と、そこでとんでもない一言。
「本当ですよ。一般的に使われる『水魔法』は『転移魔法』の一種なのです」
これはあまりにも革新的な意見だ。
信じられないという思いとともに、なるほど腑に落ちる部分があった。
『水魔法』はかなり一般的な魔法の一つだ。何せ、5大属性と呼ばれて学校で選びさえすれば誰でも習得できるものなのだから。
だが、よくよく考えると『水魔法』だけは原理が謎だった。
魔法だから、とよく考えずにいたが、突然水が現れるのは確かに不可解な現状だ。
この世界の空気中にはマナと呼ばれる魔法のもとになるエネルギーが存在する。
正確にはマナはエネルギー量の大きく化学変化しやすい物質、といった感じだろう。
空気中のマナを酸素と結びつけて、激しく燃焼させる『炎魔法』
マナのエネルギーにより、空気の移動を引き起こす『風魔法』
エネルギーによって物質同士のつながり方を変える『土魔法』
マナの持つエネルギーを別の電気のエネルギーに変換して使う『雷魔法』
しかし、空気中にある酸素と水素を結びつけても、どう頑張ってもできる水の量というのはたかが知れてる。
マナが原子ごと水に変化しているとも考えられるが、原子が作り変わる時には、現代科学の知識では核分裂または核融合が起こって、ものすごいエネルギーが放出されるので、それも考えにくい。
では、『水魔法』はどうやって水を用意しているのか?
それは、別のところから水を持ってきている、と言うのが正解だったのだ。
『水魔法』の専攻となると、まず必ずイド教の聖地であるアグラ大神殿の近くを流れるアグラ対流の流れる洞窟へと入り、身を清めるという、いかにも宗教的な行事を行うそうだ。
メイさんによると、その行事のなかでアグラ対流の川底にそれぞれの個人の永久魔法陣(故意に消さなければその場に残り続ける魔法陣)を刻むのだそうだ。
つまり、『水魔法』とは、アグラ対流の水を転移させ、その水を使っているということに、ほかならないのだそうだ。
だから、『水魔法』の呪文には、「アグラ」の文字がどこかに入っているらしい。
まさか、そんな理屈があったとは……。
「アグラ対流の水は【流魔鉱】の成分や魔力を含んだ、実に理想的な水なのです」
【流魔鉱】の成分、というと金属が水に入っているということだろうか?
けど、すぐにそれがミネラルのことではないかと思い至った。
金属が水に溶けるというのはあまりイメージが付きづらいが、ミネラルウォーターに含まれているナトリウム、マグネシウム、カリウム、などは全て金属である。
「さあ、取っ手を触ってそこから魔力を流し込んでください」
しかし、転移魔法の【魔法器具】か。
これまでの経験上、あまりこの【魔法器具】とは相性がよくない。
俺が使うと発動するのに時間がかかったり、そもそも発動しなかったりするのだ。
やはり考えられるのは一つ。俺の魔力出力が低いことが問題なのだろう。
まあ、取手に魔力を流し込むなんて、こっちの世界でしばらく暮らしてきた俺には容易いことさ。
カーソルを自分の右手に刺して、
『仕事量』→《魔力》→「一点集中」
で、体内にある魔力を右手に集めてからの、
『仕事量』→《魔力》→「放出」
放出角はあまり広がりすぎないように20°っと。
右手から魔力を金属の取手に流し込む。
少しずつ魔法陣が光始める。
だが、一向に転移にはいたらない。
くっ、こいつ、なかなかジャジャ馬か……!
そうしていると、メイさんが身を乗り出して取手に触れる。
俺は、あのメイさんと、満員電車の中並に密着した状態となり、俺の頭のてっぺんから湯気が噴出した。
ち、近すぎぃ……!
床の魔法陣が光出し、俺たちの体は一瞬にして別の場所に移動した。
平原のような場所。アウスサーダ邸の中庭だった。
知ってか知らずしてかメイさんは「ルナット様どうされたのですか?」と純朴な視線を投げつけてくる。何という殺傷能力!!!!
俺は照れを振り払うように質問した。
「そ、それで、ここで何するの?」
「もちろん訓練ですよ! ルナット様にはさらに戦闘慣れしていただかないとですから」
タイノンさんの説明で、アウスサーダ邸に連れてこられた目的は分かったものの、ギルファスの選抜までは1ヶ月近くあるのだそうだ。それまで、俺は戦闘訓練を積んで選抜で選ばれるように力をつけなくてはならない。最終的に勝ち残るのが目的でないにせよ、あまりにも弱かったら門前払いと言うこともあるかもしれない。
しかし、【魔戦競技】って魔法のオリンピックだもんな……。いくらなんでも、こんな素人が参加していいものなのだろうか?さすがの【歩く「なんくるないさ」】と呼ばれる俺でも、今回ばかりはおよび腰だ。
いや、自分で言ってていよいよ意味がわからないな、【歩く「なんくるないさ」】って。
自信がなさそうしていると、シルクのような髪のお嬢様が、上品な動きで控えめにガッツポーズをとって励ましてくれた。
「大丈夫です! 私、ルナット様にはとても素晴らしい才能が眠っていると確信しています! 1ヶ月間鍛えれば、他の人に遅れを取らない選手になれますよ!」
「え〜〜そうかなぁ?」
ポリポリと頭をかいた。
この子には、バルザックの件で助けてもらった恩がある。なんとか恩返しがしたいものだ。
「私、こう見えて人を見る目には結構自信があるんですよ」
「そっか。メイさんの太鼓判付きじゃあ、頑張るしかないか!」
タイノンさんを真似して「ワハハハ」と豪快に笑ってみる。
すると、俺は何が起こったかわからないまま____
________急激な痛みと共に、真横へ吹き飛んだ。
風をきり、地面にぶつかってもまだ衝撃が抑えきれず、何度か叩きつけられるように転がる。
「いてて……何が……」
顔を上げると、そこには今までメイさんしかいなかったのに、いつの間にか2mくらいの白い化け物がいた。
反射的に体が起きて、その存在に身構える。
姿は俺の世話をしてくれると言うエリキに似ている。けれど、エリキが言い表すならば二速歩行のバッタのような生物なのに対し、こちらはクモの体から人間のような上半身が突き出している。元の世界でゲームに登場したアラクネというクモの化け物がこんな感じだった気がする。
クモ人間は8つある眼でこちらを見下ろしている。屋敷の男性の使用人が着ている制服と同じものを着用していることから、エリキと違い、こっちの性別は雄のようだ。
どうやら俺はこいつの長い足で蹴られたらしい。
「何をしてるのですか、キシム。ルナット様に謝りなさい」
メイさんはいきなり現れた無粋な来客に動揺した様子もなく、淡々とクモの化け物を非難する。
「こいつが避けられない間抜けなのが悪いんスヨ。本当にこんな程度のやつにお嬢様のこと任せるんデスカ?」
とりあえず、メイさんの命を狙う敵とかではないらしい。アウスサーダ家の雇われの一員だろう。
だとすると、さっきの蹴りは俺に対する個人的ななにかか?
あーはいはい。
つまりあれですか。このクモは俺ばっかりメイさんに構ってもらって拗ねてるんですか。
「いいよ、別に。どうやらそちらさんは個人的に俺に何か言いたいみたいなんで。アンタでしょ? 昨日屋敷に入ってきたとき、ずっと俺のこと睨んでたの」
昨晩から感じていた敵意のこもった視線。どこから、誰が見ているかまではわからなかったけど、これで確定した。
さっきも感じてはいた、この不愉快な視線を。まさか、いきなり蹴りをかましてくるとは思わなかったけど。
「へえ、気づいてたのカ。多少の勘はあるみたいダナ。オマエがどれくらい使えるか、見定めてヤルヨ。オレに勝てないようナラ、潜入の仕事は任せられナイ」
「つまり、俺がおたくと戦うってのが訓練ってことでいいわけ?」
「物分かりがイイナ。コイヨ、遊んでヤル」
へへ、メイさんにいいとこ見せてやるぜ!
見てろよ化け物め!
張り切っていた直後……やつの姿は突然服を脱ぎ捨てた。全身真っ白な体が顕になる。胴体の部分には、この屋敷で何度も見た黒いイバラのようなアザが浮かんでいた。
相手もやる気満々だ。
と思っていたら、突然クモ男のキシムの体は色を失っていき、ついには風景と同化した。
なんだそれ! そんなのありかよ!
見えない。どこにいるのか、まるでわからない。
適当にキックやらパンチやらしてみるが、当然当たらない。
だと言うのに、やつの機械的な声だけがどこからともなく響く。
「バカめ、吠え面かかせてヤルヨ」
……結論を述べると、俺は惨敗した。




