30 作戦
ドーマを家の物置小屋に隠し、俺は家に入った。
「ただいま……」
あたりを伺いながら、廊下を進んでいく。
「お帰りなさい」
母がキッチンで今晩の夕ご飯の支度をしている後ろ姿が見えた。
父はまだこの時間は家にはいないはず。
……よし、今なら大丈夫そうだ。
忍足でキッチンの入り口を通過し、両親の寝室へと向かう。
扉が音を立てないように、ゆっくりと開き、体を中に滑り込ませる。
侵入成功!!
急いで必要なものをかき集めなくては。
ひげ剃りに、タンスから服を適当に引っ張り出してきて……あと化粧台の引き出しからいくつか使えそうな物を片っ端から袋に入れる。
よし! あとは扉から出て、何食わぬ顔で家の外に出さえすれば……
カチャリ……。
俺は凍りついた。扉のドアノブが回転したからだ。今見つかったら、言い訳が思いつかない。
隠れるところは、見当たらない。ベッドと壁に隙間はあるが、どうやっても体がはみ出てしまう。
仕方なしに、俺は少しでも見える面積が小さくなるようにベッドと壁の隙間で小さく丸まった。
扉から入ってきたのは、妹のミアだった。
ずんずんと歩いてきて、そして化粧台の引き出しを開く。
一歩、一歩こちらに近づいてくる足音。
見つかりませんように……! 祈る俺。
「ママーー! 紅色のリップが見当たらないんだけどーー!」
ミアはそう叫んでから部屋を出て行った。
……と、とりあえず見つからなかった……。
実はドーマの持っていた残り少ないシノビダケの粉末を使ったことで俺の体は一時的に認識をしづらくなっているのだ。とはいえ、どのくらい効果があるのかは正直わからなかったので、かなり肝を冷やした。
ミアが部屋に戻ってくる前に、早く出てしまいたい。しかし、扉を開ける音がすると気が付かれる可能性がある。シノビダケの粉末は透明人間になるようなものではなく、極端に影が薄くなるような効果のようで、例えば扉が空いたことを認識すると、連動して俺のことも認知できるようになってしまうとのことだ。
窓はなく、扉は一つしかない。一か八か開けて出るしかない。『転移魔法』は魔法陣を部屋の中と外にそれぞれ魔法陣を設置することができれば可能だが、扉が閉まったままでは部屋の外に魔法陣を設置することができない。
残念なことにカーソルは扉を貫通させようとしても、扉に刺さったところで止まってしまうのだ。
とにかく、最低限扉の開く音だけでもどうにかしよう。
『仕事量』→《音》→「一点集中」
原理は理解できないが、これでカーソルの刺さっている扉から出る音はほぼ無音となる。ただし、解除した瞬間今までするはずだった音が一気に放出されるので、なるべく離れてから解除しなくてはならない。
扉を開けると、誰もいないことを確認し、一安心。
部屋を出た俺は急いで扉を閉めて、玄関から飛び出した。
「ミッション成功!」
少し離れたところにある物置小屋に向かい、ドーマがいることを確認する。
さあ、ショータイムだ。
______________
________
「ダ、ダンナ……本当にこれで大丈夫ですかぇ?」
「大丈夫! 我ながら完璧な変装だ!」
父の髭剃りを使い、髭をツルツルにした。不清潔な服装は全て家のタンスにあった適当な服と交換。そして、母の化粧で真っ白な顔面と分厚い口紅。我ながら惚れ惚れするような仮装。全くの別人だ。
……どこからどう見ても、完璧なおばさんでしかない!!
「一つ聞いていいでっか……? どうして女装なんですかねぇ? アッシは正真正銘の男ですよ」
「だからだよ。衛兵たちも探している相手が男だと思ってるでしょ? そこで女性の格好をしている人を怪しみづらくなる心理効果が生まれるって作戦! どう? 意表をついた素晴らしい作戦だと思わない!?」
「はぁ……そういうもんですかねぇ」
いまいち納得していなさそうなドーマ。まあやってみればこの作戦がどれほど有効かはわかるってもんさ!
その効果のほどは、すぐに結果として現れることとなった。
「ちょっと、そこの女性…………女性? 怪しいな。少し話を聞かせてもらおうか」
なんとも鋭い衛兵が職務質問をしようとしてきた。
なんてこった! 全くの別人に仮装することには成功していたが、別方向で怪しすぎたようだ。
俺とドーマは互いを見合った。
「ダンナ……この場合の作戦ってあるんですかぇ?」
俺は額に汗を滲ませながら不敵に笑って一言。
「逃げよう」
俺はドーマの腕をつかんで、人混みの中を全速力でかけた。
こういう時は、自分をカーソルで選択して『移動』→《自由移動》で模擬魔法戦で見せた「身体機動」を見せてやるぜ!!
しかし、そうは問屋が卸さない。
魔法が発動しないのだ。
なぜなぜなぜなぜぇ!!
焦ってもう一度発動しようと試みる。
……だめだ! うまくいかない!
そこで、俺は魔法のルールを思い出した。
『魔法は基本的に、生物や生物の触れている物体に対しては発動することができない』
そうだ、自分はともかくとして、俺はドーマに触れてしまっているじゃないか!
つまり、俺がグレイオスとの模擬戦闘訓練の時のように自分の体を加速させたり、空を飛ぶためには、生物に触れていないことが必要なのだ。魔法で俺一人で逃走することはできるが、その場合ドーマを見捨てることになってしまう。
見知らぬ怪しいおじさんとはいえ、追われている件は俺やエビィーやイェーモの濡れ衣である。そのうえ、何やら諸々の事情を知っていそうなこの男は、捕まった後に俺のことを話すかもしれない。
どうしよう! どうすれば!!
角を曲がったところで俺は手を引かれた。
「うわお……!」
バランスを崩しそうになりながら、ひっばられる方へとよろめく。
狭い通路だ。
俺の手を無理やり引っ張った人物が誰かを確認しようと顔を上げたところで声がした。
「結界魔法 第二の型『蜘蛛の巣』」
本当に一瞬で、通路の入り口を塞ぐように結界が生成された。
結界は、以前図書室で見たものと同種の、壁にはめ込むように平面の結界を作り出す魔法だったが、今回の結界は周りの建物に溶け込むようにレンガ模様が描かれていた。
結界を隔ってた向こうからでは、元々ここに通路があったとは思わないだろう。
衛兵の走り去っていく音が聞こえる。
「また助けられたね、ありがとう」
ロズカはいつもよりも興味深そうに、俺と怪しげな男ドーマを見比べていた。




