28 手がかり
夕方の図書室に赤い閃光が差し込んでいる。いつも以上に人気のないその空間で、ロズカがページをめくる音だけが響いた。
初めての魔法戦闘を経験した多くのロズカと同じ学年の学生たちは、疲れからそのまま家に帰ってしまったことだろう。
ロズカのように、戦闘訓練を楽々こなした学生は他にいなかった。
試合はすぐに終わった。全身を包んだ結界魔法が硬すぎてすぎて、ロズカの相手はすぐに戦意を喪失したのだった。
とはいえ、別の学年の生徒すらいないのは珍しいことだった。
手元にあるのは有名な犯罪事件の載っている資料。
ページをめくり、文字に目を通す。
多分これでもない。
何も分からない中から、情報をかき集める作業。徒労に終わるとしか考えられない。それなのに、ロズカは目の前の文字列に目を通す。国を脅かすほどの大罪人の資料。
この学校の図書室は半分は学者の仕事をしている教員達が利用できるように作られているため、幅広い分野で詳細な文献が揃えられている。
父ローディー・スピルツはホズのことを犯罪者と言った。国家騎士たちがこの街まで捜索にくるほど、大掛かりな犯罪を犯した犯人。だとしたら、記録として残っているはずだ。
ただ、問題なのは、ホズというのが本名でない可能性が高い以上、顔写真付きでない限り彼の関わった資料を見つけたとしても、ロズカがそれを認識できないということだ。
いや、一つだけ。ホズには額に模様があると騎士たちは言っていた。模様には何か特別な意味があるのかもしれない。ホズはロズカの前では頑なに額のバンダナを取らなかったので、模様自体を確認したことはない。けれど、それは模様の持つ意味がただの外見的特徴に収まらず、何かもっと重大な意味を持っていることを表しているのではないか?
夢中になって資料を読み漁っていたことで、背後から近づく足音に気が付かなかった。
「熱心に歴史学の勉強かね、スピルツ君」
振り返ると土魔法の教師であり、歴史学の第一人者でもあるモンドー先生だった。犯罪者の資料は歴史コーナーのすぐ隣だったので、勘違いしたようだった。
「私も学生の頃は歴史学にのめり込んでいた過去を持っていてね。土魔法を覚えたのも遺跡の発掘に必要な技術だったからだ」
揚々と話す先生。
誤解を訂正するために、手に持っている資料を閉じて表紙を見せた。
「先生違います。アタシが調べているのは、歴史じゃなくて犯罪者についてです」
「へぇ……」
先生の目がわずかに怪く動いた。
「スピルツ君……。今日の君の戦闘訓練で見せた結界魔法は驚くべき技術だった。それほどの結界魔法の技術を持つ教員はこの学校にいない」
モンドー先生はゆっくりと距離を詰めてくる。ロズカの胸には改めて自分が調べているものの危険性が思い出された。
モンドーの視線は明らかにこちらを探るような色をしていた。
「さて……君はその技術をどこで教わった?」
どう答えるのが正しい? どう対応するのがベストか?
ロズカが言いあぐねていると、土魔法の教員は続けた。今まで見てきた彼とは別人のように見えてきていた。
「なるほど。確か君のお父様はドンソン商会のお偉いさんだったね。そうした出世をする人物には、他にはない技術を持っている人も多い」
一旦言葉を区切って、再び話し始める。
「ただね。これはあくまで憶測なんだが、君の結界魔法の技術はお父様から教わったものではなく……そうだな、今手に持っているその犯罪の本と何か関係があるのではないか?」
「直感」でなく、「憶測」といった。
その言葉選びに大した意味はないかもしれない。けれど、モンドーはこちらの秘密に繋がる何かを握っているように思えた。
そして、男の発した次の言葉によって、予感は確信に変わった。
「例えば、 " 君の家に存在を知られてはいけない、謎の居候がいた " とか?」
やはりモンドーはホズのことを知っている……!
踏み込めば後戻りはできないかもしれない。だからといってロズカにはこのチャンスを見逃すという選択肢は初めからなかった。そう、これはチャンスに他ならないのだ。
ロズカは微笑んだ。
「額にはいつも布を巻いていて__
いつも思い出す。あの顔を。
「旅芸人のような陽気さと、うずまきのようなヒゲの人」
目の前の男が何者だとしても、必ず聞き出す。
「ねぇ、先生。いつもみたいに授業をしてよ。ホズについて知っていること、全部」
張り詰めた空気。人気の全くない空間。そして部屋中を真っ赤に染め上げる夕焼け。
この場における全ての事象がロズカという少女を美しく彩っているようだった。
「ホズ……と名乗っていたのか。私にはジェバンヌと名乗っていたよ」
遠い目をするモンドー。
敵か、味方か。
もし敵であれば、今すぐ襲いかかってくるかもと警戒していたが、どうやらその気配はない。
「スピルツ君。私も全てを知っているわけではない。そうだな、まず私のことを話しておこうか。10年ほど前だったかな。兄のレイネル・モンドーが家を訪ねてきたんだ__
ドネル・モンドー教師はゆっくりと語り出した。
彼の兄、レイネル・モンドーは首都ハリオで研究を重ねる学者だった。ずっと別居をしていて、連絡もとっていなかったので兄が何の研究をしていたのか、今となっては詳しくは分からない。兄は偏屈な人だから結婚はしないだろうし、自分が結婚したとしても「忙しい」と言って祝いに来てはくれないだろう。だから結婚式で会うこともない。このまま顔を合わせるのは下手したらどちらかの葬式なのではと思っていた。
ある日、唐突にレイネルは弟のドネルの家にやってきた。
兄は「今日からここで住ませてくれ」と言い出した。
ドネルは困惑した。
何もかもが唐突だったこともそうだが、一番の理由は別だった。
兄は連れだという「ジェバンヌ」という、怪しげな男も一緒に住ませてほしいというのだ。しかも、その男が他の誰かに見つからないよう匿ってほしいというのだ。
あれこれと言葉をかわし、面倒ごとは辞めてほしいといって抗議したが、結局兄レイネルの思い通りに家に「ジェバンヌ」を匿って暮らすこととなった。
約2年間謎の男との居候生活が続いた。兄は「ジェバンヌ」が何者なのか知っていたのだろう。しかし、何度聞いても決して教えてくれることはなかった。
始まりがそうであったように終わりも突然のことだった。
兄が国家騎士によって逮捕されたのだった。逮捕されたのはレイネル一人で、「ジェバンヌ」はすでに行方がわからなくなっていたとのことだった。何が何やらわからないまま、ドネルはまた、一人で暮らすこととなった。
「きっとそのすぐ後ですね。ホズが……ジェバンヌがうちに来たのは、大体8年前なので」
根拠はないが、話を聞いていてドネル・モンドーの元にいた「ジェバンヌ」と「ホズ」が同一なのだと疑わなくなっていった。
モンドー先生は時計に目をやった。
「ああ、もうこんな時間か。申し訳ないが、これから予定が入っているんだ。明日の放課後に、私の家に来てくれたら兄の持っていた物を見せながら、詳しく話をしよう。少しは何か君の役に立つことがあるかもしれない」




