17 パニシエとロズカ
____すっかり遅くなってしまった。
ロズカ・スピルツは日の沈みかけた薄暗い空を見てそう思った。今日も収穫なしだ。図書室には近年起こった事件の概要などがまとまっている書籍がおいてあり、ロズカの目的を果たすには、その書籍に頼るしかない。
消えたホズ。彼は一体何をしてしまったのだろう…………?
ロズカはホズという特別な力を持つ魔術の師匠について、何でもいいから知りたかった。彼は何も自分のことを話したがらなかった。ホズは何も教えてくれない。どこから来たのか、なぜロズカの家に住んでいたのか、そしてどこへ行ってしまったのか……。
記憶が失われる前のルナットが言っていた唯一の手がかり、ホズのことを知っているかもしれない「知人」というのが嘘なのか本当なのか。今となっては真相は闇の中である。
ルナットの記憶が戻れば聞き出すこともできるのだろうが、それもいつになるのか分からない。
パン屋の近くを通った時、見慣れたおさげ髪の少女が扉の前のプレートを「開店」から「閉店」に変えようとしているのが目に映る。
「パニシエ。お店のお手伝いご苦労様」
「あっ、ロズカ! 今日も図書室に行ってたの? 熱心ね」
学友のパニシエはロズカが図書室に通っている理由を知らない。ロズカが成績がいいので、勝手に勉強をしに通っていると考えているのだ。ロズカはあえてそれを訂正しない。本当の理由は友達であっても話すことができないからだ。
「今日はもうお店しめるの?」
「お母さんとお父さんが喧嘩始めちゃって。商売どころじゃないのよ。まあ、ほとんどお母さんが一方的にお父さんをいじめてるんだけど」
「そう。それは大変」
パニシエの家はパン屋で、看板娘のパニシエもよく店の手伝いをしている。すでに社会経験を持っている、パニシエはロズカから見てもしっかりしていた。この友達に対してある種の敬意を持っていた。
「ねぇ、そんなことより聞いてよロズカ! 私、変なやつに目をつけられちゃったみたい……」
パニシエは深刻そうな面持ちで、助けて欲しそうに顔を近づけてきた。
「変なやつ?」
「そう! ロズカも知ってるでしょ? あのルナット・バルニコルとかいう不良。あいつヤバいって」
「何かされたの?」
「頭にパン乗せながら、話しかけてくるのよ!」
「それだけ?」
「ロズカは話しかけられたことないから言えるのよ〜〜。だってあんな不良が、訳わからない格好で、訳わからないこと言ってくるのよ!? 周りのみんなは注目されて恥ずかしいわ、怖いわって」
「ルナットなら昨日話したよ。確かに変なやつだけど、悪人ではないと思う。……アホだけど」
それにあのふわっとした雰囲気が、少しだけホズに似ていると感じた。
「ねぇ、ロズカ。私があの不良に襲われたら守ってくれる?」
「大丈夫。ルナットはそんなことはしない」
「……あなたの彼に対する謎の信頼感はどこからくるの?」
訝しむパニシエ。
そんなに変なことを言っただろうかと思っていると、ロズカは「もしかして…………そういうこと!?」と急に破顔した。
そしてパニシエは今度は「キャー」と嬉しそうに自分の顔を両頬を手で挟んだ。何がそういうことなのだ、とロズカは思った。
「そういうことなら仕方ないわよね! へぇーロズカがあーゆーのが趣味だったなんてね。私気づいちゃったなーー」
「あなたは何を言ってるの?」
「何ってーー。好きなんでしょ? ルナット君のこと」
「なんでそうなるの」
「もうーー。照れなくていいんだからぁ〜〜。あーでも、友達としてのアドバイスだけど、やめといた方がいいかも。時にちょっとワルそうな方がカッコよくて見えることもあるかもしれないけど、あーゆーのと恋愛するとあとで苦労するわよ〜〜? でもでも、そういうの分かっててもぉ、やめられないのが恋のパワーなのよねぇーー!」
パニシエの悪い癖だ。一度暴走が始まるとしばらく収まらない。ロズカは知っていた。こういう時は否定しても、肯定してもいけないのだ。
否定しても、パニシエの中ではそれは真実として揺るがないので「照れている」「恥ずかしがっている」と決めつけられるだけだ。
肯定してしまえば、それこそ後々まで嘘の事実が彼女の中に定着してしまう。そして、噂好きの彼女が他の友達に話すことを止める術など存在しない。
「ねぇ、そうしたら今度いっしょに教会行きましょう? 優しい神父様だから、ロズカの恋の相談にもきっと乗ってくれるわ」
「……アタシはいいよ」
「ね、行きましょう? 普段から神様にお祈りしておくことだって、とても大切なことなのよ?」
絶対神イドを信仰するイド教はこの国で最も広く人々に根付いている宗教だ。信仰の深さを問わなければ、実に国民の半分以上が信仰しているほどだ。パニシエの家は一家でイド教に対して深い信仰があり、毎週町外れの教会に祈りに行くほどだ。
ロズカも以前から何度かパニシエに教会に誘われて、断っている。信仰心のないロズカは当然、今回も行く気はない。教会は病気や怪我をしたときには回復魔術で癒してくれるので、なくてはならない場所だ。しかし、健康な時に、葬式や結婚式以外で教会にわざわざ行こうとは思わない。
「遠慮しとく。ごめんね」
「えーー、そう?」
決してイド教に対して悪い感情を抱いているわけではない。教会が街にあるというのはありがたいことだと思っていたし、お祈りがそれほど嫌というわけではない。この国の歴史を知っている人間なら、イド教に対して悪感情を持とうという人間は非常に珍しい人種だろう。もっとも、その珍しい人種に含まれると思われる人物を、ロズカは身近に知っていたのだが。
イド教が嫌なわけじゃない。けれど、パニシエ達ほどの信仰心を持ち合わせているというわけでもないのだ。ただし、パニシエが教会に行きたがる一番の理由は他にあった。
「子供たちによろしく」
教会は身寄りのない子供たちのための孤児院の役割も果たしていた。そして、パニシエは子供が好きで好きでたまらなかった。それはもう、誘拐犯にでもなりそうなほどに……。
「キュートでラブリーな子供たちとも会えるのにもったいない!」
パニシエのよくないところは、「全ての人間が自分と同じ価値観を持つはずだ」という強い思い込みをしているところだった。しかし、一緒に居て退屈しないという理由から、そうした欠点も含めてロズカはパニシエのことを友達として気に入っていた。彼女たちは良き友人関係にあった。
「だいぶ暗くなってきたわね。ほら見て、星がきれい」
言われてロズカも見上げる。淡く瞬く星々。青、赤、紫、緑、白……様々な色に光るそれらの星は、黒い夜空に散りばめられた小さな宝石のようだった。
不規則に並んだそれらを指差しながら、パニシエは「あれがカグラス座、あれがオオドリ座」と説明をしてくれた。イド教の教えを受けているパニシエは、星座とその由来や神話についてロズカよりも詳しく知っている。
そして一際目立つ二つの大きな、青白い円と、薄いピンク色の円。二つの月がロズカには、それぞれが希望と不吉の象徴のように感じられたのだった。




