16 ドンソン商会 コール街支部
ローディーは陶器のカップのえを持って、湯気を顔に浴びながら、カップの紅茶から立ち込める花の香りを堪能する。それからゆっくりと紅茶を口へと運び、その繊細な味わいを感じる。
「これは上等なものですね。どこの茶葉ですか?」
サングラスをつけた、怪しい相手の男はニヤリとして答える。
「ヒルゲンハイツ地方産の……確か名前はなんだったかな……。ビル、ビム……
「ビヒルローズの葉、ですかね」
「そう、それそれ。さすが副支店長はお詳しい」
サングラスの男は大袈裟に手を叩いてローディーを称賛した。薄い紫と黄色の波のような壁紙、前衛的なツボ、スタイリッシュな椅子などがある独特な部屋は、派手な色のシャツにサングラスというラフな格好をした部屋の主人を、異質な存在でなくしていた。
まるで、仲の良い客人に尋ねるかのように、男はローディーに問うた。
「娘さんは元気ですか?」
「元気ですが、愛嬌がなくていけないです。成績だけはいいみたいですが、あれでは嫁のもらい手がが見つからないんじゃないかと、今から頭を痛めています」
「はは、そうですか! あまり優秀だと、男としては恋愛感情より対抗意識みたいなものが先に出てしまいますものね〜〜」
ローディーは男の周りくどい話し方に焦れていた。しかし、平静を装って、有能でいつでも冷静な副支店長のお面を被り続ける。ペースを崩されてはいけない。相手はバルザック支店長だ。
サングラスの男はバルザック・ウォルス。ドンソン商会のコール街支店の総責任者であり、実質的にこの街の領主のような立場の人物でもあった。
ドンソン商会、ドンソン財団とも呼ばれる組織は、一言で言い表すなら「最大規模の商業団体」である。国家運営を行う三つの名家、「御三家」のギルファス家、アウスサーダ家、とともに名を連ねるドンソン家は、商業方向に多大な影響力を持つ。
創立者のマルセス・ドンソンがその敏腕でたったの1世代にして国家有数の商業団体にまで財団を拡大させることができたのは、一つとしては彼の徹底的な実力至上主義に起因している。たとえ身内でも、仲の良い友人であっても、実力を示せなければ起用しない。反対に、過去の経歴や人間性などに問題を抱えていたとしても、力があるものは積極的に立場ある地位に取り立てた。その当時、マルセス・ドンソンの無駄を排した論理的合理性を追求した経営方針は、非常に珍しいものであった。血脈主義、身分、出身に凝り固まっていた時代の風潮によって、陽の目を浴びていなかった実力者たちがこぞって彼の元に集まった。
ドンソン家などとは言われているが、マルセスの血を受け継いでいたとしても一定以上の能力を示さなければ発言権は与えられず、肩身の狭い思いをすることになる。3世代目のドミニク・ドンソンが経営者となってる今でも、実力主義の方針は受け継がれている。
このコール街はドンソン家が目をつけ、その土地の権利書を街ごと買い取った場所である。つまり、コール街の支店長を任されたバルザックはドンソン商会からこの土地の運営を任されたということになる。
家柄に関係なく能力のみで出世できる、それはつまり脛に傷のある者や、何を企んでるのかわからないような人間にとっても簡単に力を手にすることができる環境だということだ。
「にしても、ここのところ物騒ですな〜〜。ほら、失踪とか、盗難とかあったでしょ?」
バルザックがサングラスの後ろ側から試すような目でローディーのことを見据えているのをあえて受け流す。
「ええ。失踪したのは、うちのコヴォーズ・テンニメス。ここ数日間、目撃されていません」
「彼は実に有能な使い手でした。今年の【魔戦競技】も彼には期待していたのですがねぇ〜〜」
コヴォーズ・テンニメスはドンソン財団所属の魔導士で、【魔戦競技】という国内最大の魔法を競い合う大会に出場する予定の選手だった。
バルザックはまるでもう戻ってこないような口ぶりをしていた。本当はバルザックには、彼がどういう状態なのか分かっているのではないか、とローディーは思った。
「彼は戻ってこないとお思いですか? 失踪ということは、案外数日後に何事もなかったかのように戻ってくることだって考えられますよ」
「コヴォーズ君のような、期待もされて、責任感もある青年が、我々に何も告げずに姿を消したとなると、彼の身に何かあったと想定するべきだと思いますがねぇ」
揺さぶりは効かない。バルザック支店長は優雅に紅茶の香りを楽しんでいる。
「このまま放置していては、このコール街支部、ひいてはドンソン財団全体の威信にも響きかねません」
「その通り。治安維持方面は副支店長に任せてるわけだけど、大丈夫そう? ほら、盗難の方も追わなくちゃでしょ?」
バルザックはとぼけた顔をして口周りの短い髭をかいている。こっちが本題だろう、とローディーは目を細めた。
「特産品リンゴスボリスの盗難事件ですね」
バルザック支店長はさも親切そうな声を出して提案した。
「そう。私の方でも使えそうな人員、回しておきますよ」
「いえ、バルザック支店長のお手を煩わせるまでもないかと」
「まあまあ、まあまあ。遠慮しなくて大丈夫ですよ」
大抵、バルザックは治安維持方面に口出ししないし、内容を関知しない。しかし、今回は動きが恐ろしく早い。これで、バルザックの息のかかった人員が捜査に参加することになった。面倒なことになる前に済ませてしまいたかったのに、とローディーは心の中で舌打ちをした。
「それにしても、犯人はまだ街の中にいる可能性が高いとか聞いたけど。リンゴスボリスを取って、そのまま素知らぬ顔で街に残り続けるなんて随分のんびりした犯人だねぇ〜〜」
こちらに対する牽制だ。バルザックは、こちらが冷静な仮面の裏側で顔を歪めているのを読み取って楽しもうとしているのだ、とローディーは感じ取っていた。
「それでは私は業務がありますので、これで」
「紅茶おかわりしていけばいいのに。お忙しいですね、スピルツ副支店長は」
嫌味とも取れるその言葉を背中に受けつつ、ローディー・スピルツはその場を後にした。




