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12 ロズカ・スピルツ

挿絵(By みてみん)



 8年前の凍えるような寒い日のことだった。

 幼い頃のロズカ・スピルツは、いつものように玄関から「ただいま」を言って家に入った。その日が自分の運命を変える日になることを知らずに、無邪気にリビングへと続く扉を開けた。



「おじさん……誰?」



 幼いロズカが、男に対して少しの不安感と共に疑問を口にしたことはごく自然のことだった。


 目の前でくつろいでいたのはロズカにとって全く知らない男だった。渦巻き状に巻かれた巻きひげ、額には布を巻きつけていて、ハッキリとした顔立ちから、以前街に来ていた劇団の人のようだとロズカは思った。


 ここは自分が住んでいる、いつもの家のはずだ。なのに、知らない男がそこにいる。しかも、客というにはあまりにも自然にくつろいでいた。



「おじさんはね、ホズ。魔法使いさ」


 フワッとした声質には、おとぎ話から現れたのではないか思えるような不思議さがあった。


 一体この人はなんなのだろう。警戒心も判断力も十分に備わっていなかったロズカ。自分が今まで経験したことのない状況におかれて、どうしたら良いのかわからずにいた。ただ、目の前の男のことを眺めるのみであった。


「ほら、見ててごらん」


 男が片手を上に向けると、手からは次々と不思議な光の反射をする透明の小さな球体が出現し、浮かび上がっていった。


「わぁ……。きれい……」


 ロズカは不可思議な出来事に目を奪われていた。

 不思議な模様を浮かべるように光を反射する球体。それは本当に綺麗だった。


「外は寒かったろう? こっちにきて暖炉の火にあたるといい」


「……ねえ、おじさん。それ、どうやってやってるの?」


 ロズカは目の前の男が行っているシャボン玉のような球体を生み出す魔法に強い興味を持っていた。


「これは結界魔法の一種だよ。きっと、お嬢さんにもできるよ」


 


 父と母とロズカ、そして見知らぬおじさんホズ。その日からスピルツ家に生活する人間は4人となった。



◆◆◆


 ロズカは丸みがかったショートヘアの細身の少女である。ボーイッシュな外見に丹精な顔立ちは、中性的な美しさを備えていた。そんな少女に二人きりで呼び出されたルナットは、ときめきに胸を踊らせる…………のではなく、ものすごくどうでも良いことにテンションを上げていた。


「へ〜〜学校の裏って、こんななってんだ!」


 ルナットはゴミ処理場として使われている廃墟のような空間を愉快そうに眺めていた。


 このチンピラは何を言っているのだろう?


 ロズカは考えていた。この男は自分をおちょくっているだけなのだろうか。それとも意図してこちらのペースを崩そうとしているのか。何を考えているのかわからない、と。


 ロズカが苛立っていたのは、ルナットがロズカの意図を理解しているはずだと考えていたからだ。それは決して甘酸っぱい告白でも、お友達同士の秘密の相談でもない。もっと殺伐としていて、しかし、ロズカにとって重要な話だった。


 以前、この学校裏の場所にロズカを呼び出したのはルナットだった。そこで、彼が口にした内容は、真実であればロズカにとって喉から手が出るほど欲しい情報だった。


 しかし、なぜそのことを、こんななんの力もなさそうなチンピラまがいの男が知っているのか。9割はどうせ出任せだろうと思いつつも、1割の期待を消すことはできなかった。


「つまらない冗談を聞くためにここに来たわけじゃないの。わかるでしょ?」


 ルナットは全く分かっていなかった。

 ロズカの疑念も、苛立ちも。自分の置かれている状況も。


「話に乗ってあげるって言ってるの。だから案内して。詳しく話せる人っていうのはどこにいるの?」


 ロズカは以前までルナットのことを、ただいきがっているだけの凡庸な使い手としか思っていなかった。


 例え、ルナットが数人集まって束になっても、魔法での戦闘であればどうにかできる。そんな程度の相手のはずだ。


 だから、背後にロズカにとって不利益な企みがあったとしても構わなかった。


 "ダメでもともと、確かめてみよう。"


 そう思っていた。


 なので、先ほどの授業中で見せた、いくつもの粘土を【球体】に変形した技術力には驚いた。また、まがりなりにも同族の不良から、他の生徒を助けようとしていたことは、ロズカの中のルナット像からは絶対に考えられない行動だった。


 この男の人間性については、正直誤認しているところがあるのかもしれない。


 得体の知れない何かがある。ロズカはルナット・バルニコルという男に不気味な影があると直感していた。



 けれど、それでも魔法戦において、揺るがない優位がロズカにあるとも思っている。


 ロズカの自信には根拠があった。ロズカには師から認められた魔法の才能が、そして特別な師の教えがあるからだ。



 魔法は才能も重要だが、基本的にはある程度のレベルまでは、適切な訓練さえ積めば誰でも様々な種類の魔法が使えるようになる。


 野球選手になれるのはごく一部だが、野球は誰でもできる。画家になるのは至難の業だが、絵は幼稚園児ですら描いている。要は練度や技術は違えど、魔法自体の習得は練習によるところがまず第一である。魔法学校は、これらの魔法を教え、使いこなせるようにする機関といえる。


 この世界には『炎』『水』『風』『雷』『土』の5大属性に分類されない魔法も多く存在するが、そうした魔法は魔法学校ではあまり勉強することができず、会得するためには特殊な環境や師に恵まれる必要がある。


 ルナットの会得している『鑑定魔法』が珍しいのは、会得するのにそれを教えられる特殊な師や環境が必要であることにあわせて、感覚系の魔法は生まれ持った資質にも左右されやすいからである。


 そして、5大属性に含まれない魔法として他にも、ロズカが本領とする『結界魔法』が存在する。

 結界魔法はロズカという少女にとって、魔法の師匠から教えてもらった大切な記憶であり、贈り物だった。


「ホズの行方の手がかりについて、知っている人っていうのは誰?」


 結界魔法の師匠ホズ。ある日、突然家に居着いて、そしてある日、突然煙のように消えてしまったホズ。


 本当に謎だらけの人。


 ロズカは彼のことを何も知らなかった。ホズという名前も偽名に違いなかった。ロズカは自分のことを何も語らなかった師匠のことを探していた。そして、ルナット本人の自己申告によるところでは、その手がかりを持っている人物を知っているとのことなのだ。

 


「いや、まあそれは、あれだよ、えーと」


 ルナットは最初、今日一日そうしてきたように、適当なことを言ってその場を取り繕おうと思った。

 しかし、ロズカの思いの外真剣な顔つきに、正直に話すことにした。


 そもそも、バレたところで何も問題はない。単に説明が面倒だっただけで、隠していたわけではないのだから。


「ごめん! 俺、何もわかんないんだよね!」

「は?」


 ロズカは眉をひそめる。

 ルナットはロズカが真剣であることを痛いほど感じていた。記憶をなくす前の俺なら彼女の力になれたのかもしれない。けれど、今の自分にできるのは、今置かれている状況を誠意を持って説明することだけだ。



「俺は、前までの記憶がないんだ」



 ルナットはロズカに向き直り、自分の分かる範囲ことを詳細に語り出した。




______________

________



「でさぁ、森の中で現れたカプワームっていう赤くてデカい毛虫をその部族の兄弟の兄の方がが投げた巨大な岩石を妹がパンチで砕いて、それがさ、全部カプワームに突き刺さってったんだよ! チュドドドドドンって! いや、マジかっこよかったなぁ……! 見せたかったくらい! でもそのあとがヤバくって、兄のほうがね、カプワームは毛抜きしたら美味いから食うとか言い出して、さすがにって感じでさぁ、そのまま日が沈むまで山を降りられなかったらアレ食べることになってたっていうマジヤバい展開に__


「ストップ……」


 ロズカは頭をかかえていた。これは何の時間だ、と思った。


 ルナットは山で一人でいたところから、体験してきたことを、事細かに感情をこめながら説明した。

 それはもう、身振り手振りを交えながら、時に声を弾ませ、時に声を潜め、時に擬音語を駆使しながら。ちなみにエビィーとイェーモのことを兄、妹という言い方をして、実名を伏せたのは最低限の彼らとの約束を守るためである。


 あまりに一生懸命に語るので、ロズカはしばらく聞いていたが、途中から我に返った。結局必要な情報は初めに語った、「記憶喪失である」というたった一点ではないだろうか……。


「え、ここからが盛り上がるところなのに」

「いい。もう十分。アタシは何を聞かされてるの?」

「俺が知っていることを教えようと思って」

「うん。いや……そう。うん……」


 きっと、山で頭を打って記憶を失ったときにアホにになってしまったのだろう。可哀想に。


 わずかではあったが手がかりになったかもしれないという期待が消え、時間を浪費してしまったという徒労感だけが残った。

 ロズカは「はぁあ……」と、ため息をついた。


 ルナットはあからさまに落ち込んでいるロズカに対して申し訳なくなって、話題を変えた。


「それにしても、さっきのやつかっこよかったね!」

「さっきの……?」

「あの結界魔法ってやつ? ロズカって土属性の教室にいるのに、結界魔法も使えるんだね!」

「土属性の練習をしてるのは、結界魔法の練習に一番役に立つから。今日の授業で粘土を【球】にしたでしょ? あれは結界魔法の一番大事な形なの」

「それでロズカはすごく上手かったんだ!」


 ロズカはそう言われて悪い気はしなかった。だが、「君こそすごかったよ」とお返しに言ってあげられるような性格ではなかった。照れ隠しで、口の中の風船ガムを膨らませる。


「これも【球】をつくるイメージを持ち続けるための練習。君の頭のそれも、何かの修行?」

「頭のそれ……?あ、これかー」

「違うの……?」

「まーある意味で修行なのかもしれない」

「そう……」

「それより、結界魔法、俺にも教えてよ!」


 ルナットの発言にロズカは少しムッとした。才能と努力が合わさって初めてできる特殊な技術。思い立って一朝一夕でできると思わないでほしい。


「いいよ。今から一番カンタンな初心者向けの結界魔法見せるからマネして」


 ロズカの指が宙を描く。「結界魔法 第一の型(ファーストモルド)塗装(とそう)』」、唱えるとともにさっきの魚の鱗のような光りを放つ透明な膜が目の前の壁の表面を覆った。

 塗装という表現は魔法の様相を適切に表していて、ボロく色のはげ落ちた壁の表面の上から透明なペンキを塗り固めたようになっていた。


「これができないと、他のはムリ。才能がなかったと諦めた方がいい」


 ロズカが手を振ると、一瞬で魔法が解除され、壁はもとのボロい面がむき出しになった。


 ルナットは「うーんうーん」と唸り始めた。

 考えたってダメだ。魔法はいかに体内のマナをイメージにそって放出するかだ。いわば感覚によるものなのだ。

 いくら頭を悩ませたって意味はない。


 ロズカがそう思っていた矢先、ルナットは呟いた。


「こうかな……『生地(テクスチャー)』→《面の貼り付け》……ん? 「引数(パラメーター)」の配分? よく分かんないけど、これでいっか」


 ロズカにとって信じられないことに、ルナットがそう言った途端、同じように壁が透明な膜で覆われたのだった。


 こんな簡単に模倣されてしまうとは……。


 ロズカは魔法の膜のかかった壁におもいきり蹴りを入れた。突然ロズカが暴れ始めたのかと思ってルナットは「わぁ!」と驚きの声をあげた。

 

 ルナットが壁に施した魔法の膜は、シャボン玉がはじてるように消えてしまった。


「いきなりできたのはまぁまぁだけど、強度が全然ダメ。これくらいの衝撃で割れるんじゃ、実戦で使えないから」


 少し八つ当たり気味にそう言った。実際、ルナットがこんな容易く出来るようになったことに、それなりに思うところがあった。

『読者の皆様』

第11話まで読み進めていただきありがとうございます!


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