詩:我こそが最後と思うなら
『ラインブレイカー』は今までのゲームとは違い、全国にいる同ランクのプレイヤーが1~10名×2集まり、即席チームを作り、敵コアを破壊するというチーム戦だ。
そのシステムによって協調性の高い、防衛意識の高いチームとなったり、兵装が偏ったチームとなったり、全員が開幕強襲で電撃的にコア凸したりとゲーム展開が無数にある。
それでいてチャットコマンドは指示するにちょっと足りない。が、その足りない部分を埋めようと屈伸挨拶や開幕での「弾薬ほしい」などの意味がない挨拶コマンドの使い方が生まれた。今は2.0となりチャットのスタイルも変わったが、このような意味が無い挨拶は続いている。
そしてポイントの制度が変わり気軽にAランクに上がれるようになったが、ランクが上がれずにもがいていても、その内にいつも出会うプレイヤーがちらほらと顔を出し、名前やプレイスタイルも覚えていく。だから飽きない。だから面白い。
敵だった相手が次の戦闘では味方になり、ポイントにはならなくても、支援しようとする動きが生まれる。例えば同行チャットで2人以上でコア凸した時の、自分はやられても味方は手榴弾を投げ仕事してくれた所をキルカメラで見るのは気分が良い。きっとそういうもの、そういうものだろう。面白い場面が目の前で繰り広げられたなら、プレイせずにはいられなくなる。
おそらく、今後のゲームセンター、またはアーケードゲームは「録画」がキーワードになるだろう。それは『ラインブレイカー』で証明された。つまり、アーケードゲームをプレイしている人はネットに近く、そして低くない割合でニコ動を見ている。これはニコ動以前ではあり得なかった。
2011年1月、ニコ動での動画数は17000を越えた。3月までには20000を越えるだろう。『ラインブレイカー』はそれまでのアーケー ドゲームを変えた。ネット接続の10vs10ロボット対戦という部分ではなく、「録画」というファクターを広めた。ここで少し振り返ると、「録画」したい と思わせるアーケードゲームがこれまであっただろうか。ニコ動での『ラインブレイカー』の動画を見ると何もかもが「丁度良く」作られている。 1戦は10分。色んな人の動画を見て疲れない長さの戦闘。『ラインブレイカー』はニコ動向きのアーケードゲームだった。だからこんなにも動画数が増えている。
君こそが最後の『ラインブレイカー』。最後の一撃を決める存在だ。
今はまだAIM技術や戦略などで迷ってはいるが、きっといつか、互いのコアが削られ、そのギリギリの戦場に出会うだろう。
迷ったなら、死ぬ。敗北になる。そのような戦場。そこで奇跡が起こる。
『ラインブレイカー』は防衛が無ければ2分ほどで勝ち負けが決まるゲームだ。『ラインブレイカー』で良く使われるモチーフに、ペイント弾のような「液体が降りかかる」というものがある。これは何を意味しているかというと「侵食」である。
ロボット戦闘、という形態のウィルス戦のような。
10対10の思考がぶつかり合う。
君こそが最後の『ラインブレイカー』。最後の一撃を決める存在だ。コアに向かって突撃するか、その逆、コアに攻めてくる奴を止めるか。どちらも同じだ。コアゲージで勝っていればいい。
ウィルスのような、戦場。それは侵食のように。
我こそが最後と思うなら。
『ラインブレイカー』は組織戦の面白さを教えてくれる。自ベースが複数の敵に急襲されて防衛に追われている間に誰かが敵ベース前プラントを取り、ゲージ差をひっくり返すゲームを見たことがあるだろう。これは防衛のため一人ではできず、また攻撃に転じるために誰か一人がやらなくてはならない。マップを見て、誰も前に出て行く人がいなければ、全体のために貴方が行かなくてはならない。全体を考える事。チーム全体としての勝ちを常に考える事。
『ラインブレイカー』はそれを教えてくれる。『ラインブレイカー』プレイヤーになったのなら、いずれ出撃店舗にて友達や貴方が出撃する時間によく見かけるプレイヤーも出来ることだろう。その友達と「ここがどうで、ああで」と話し合うのは楽しく、また静かに晒しモニタでプレイを見るという事も楽しい。そして録画プレイも面白い。一人で録画してプレイするのも面白いし、皆でわいわいと録画するのも面白い。
私たちは組織でいよう。ゆるい繋がりで。
何度も500円強要されても、鬼畜な勲章数や素材数を求められても、そこには、顔の知らない、でも、知っているプレイヤー達がいる。動画サイトの有名人とマッチしたのなら、きっと、「ありがとう」というチャットを送るだろう。または嫌いだから「NG」コマンドも。それでいい。どちらでもいい。そこには誰かが、見た事は無いが確かに居る。
だから、記録したいのだ。一戦一戦が刹那であるならば。何かに記録しよう。楽しさを、思い出を記録するのだ。『ラインブレイカー』プレイヤーとして、ゲーマーとして、生きていた証として。
1000円を『ラインブレイカー』のために両替した時、あーあと思いながら、少しだけ嬉しかったりする。
それは『ラインブレイカー』の向こうに誰かがいるからだ。
どこの誰だかわからないけど、待っている、という予感が確かにするからだ。
私たちは組織でいよう。ゆるい繋がりで。
それがどんなゲーム展開でも、きっと、楽しい。




