【短篇】夜の王は此岸にありて 2
「久方ぶりですね、クローゼ」
「ご無沙汰しておりますわ、ニーナ陛下」
クロが瑠璃と会っている頃。
クロの母、クローゼ・ヴァニシング・ナイトレゾンは、王宮へと赴き、女王ニーナと謁見していた。
「随分と長い眠りだったようですね」
「ええ。起きたら息子が大きくなっていて驚きましたわ」
「相変わらずですね、貴方は」
クローゼが唐突に長い眠りにつくことは、今に始まったことではなく、ニーナはクローゼの変わらぬ様子に相好を崩した。
「ところでクローゼ。その貴方の息子ですが、今は少々厄介なことになっているようですよ? 存じていますか?」
一連の騒ぎを、ニーナも知っていた。
誰かによって煽られ、管理されたこの騒動が、にわかに大事になっていることも。
「ええ。存じ上げておりますわ」
「それを承知で、“黎園”へ登るつもりですか?」
「はい陛下。ですが、ご心配なく。あの子は全て、自分で解決しますわ」
「……私や貴方が手出しをする必要は無いと?」
「はい。」
ニーナはクローゼを見据える。
親の欲目とも取れるが、クローゼがそのように判断を見誤る人物ではないと知っている。
「あの子は今、“戦い”の最中です。その中でかけがえのないものを得ようとしています。それを見守り、そして愉しんで頂ければ、と。」
「……分かりました。貴方がそこまで言うのであれば、最後まで手出しはしません。私たち年寄りにとって、若い者たちの騒乱はとても良い退屈凌ぎになりますから」
「“黎園”におられる皆様にも、愉しんでおられるでしょう。それに……。」
「それに?」
「………あの子は、既に“血”に目覚めております。」
その言葉に、優し気な面持ちだったニーナの顔に、真剣な冷たさが帯びる。
「それは、初耳ですね」
「私が眠りにつく、直前のことでしたので」
「そう。して、“血”の力は……?」
クローゼは無言のまま、大きく頷いた。
肯定。
ニーナの思う所を、クローゼは肯定した。
「そう………。では、始まるのですね」
「恐らくは。仮に至らぬとしても、次代に引き継がれることは間違いないでしょう。あの子の“真術”が、我々の悲願となります」
「……されど、それを敢えて放っておけと言うのですね? 貴方は」
「今しばらくの辛抱ですわ、陛下。それに、ここからが面白いところですわ」
「相変わらずですね、クローゼ。」
そう言いつつもニーナは顔を綻ばせた。
§
瑠璃先輩の血を吸ってしまってから、数日後。
再び社交界の日が訪れた。
ヴァンパイアの中で笑いものとなっているとはいえ、社交界に参加もしなくなれば、それこそ命取りだ。
「ハァ……。気乗りしないなぁ……」
とはいえ気分が乗らない。
元々、社交性に乏しい俺だ。
社交界のような場所は得意ではない。
重い足を引きずりつつ、屋敷の中へ入り、多くの吸血鬼が集まる庭園の隅で、小さくなりつつ食事にありつくことにした。
好奇の目に晒されながらもそれに耐えていたが、嫌なものは嫌な時に頼んでもいないのに向こうからやって来るものだ。
「よう、クロ。元気そうじゃないか」
ディースだ。
俺から婚約者であるノルンを奪った張本人。
俺がこんな隅っこにいる大元の原因は自分自身にあるが、引導を渡してくれやがったのはこの男だ。
当然、いい感情は持っていない。
おまけに、元婚約者までそろい踏みともなれば。
「ふん。みすぼらしい姿ね、クロ。あなたにはお似合いだわ」
「ノルン……」
「ノルン、様。馴れ馴れしく話しかけないで」
「………。」
彼女の高飛車な性格に付き合わされて、その度に苦労してきた。
無茶な願いにも答えてきたつもりだ。
勉強が嫌いで授業も碌に受けない彼女に勉強を教えて。
高い服を強請られればなけなしの小遣いからそれを買い、足りなければバイトもした。
そうすると次はもっと高いものを要求され、買えないと言えば、罵詈雑言の嵐を受けた。
昔はここまで酷くは無かったが、俺が甘やかしすぎたツケなのだと思うことで耐えてきた。
その結果がこれなのだから、世の中は本当に上手くいかないものだ。
兎に角、早く去ってくれないかと考えていたその時。
「意外と体調は悪くなさそうだな。………あの女の血を飲んだのか?」
「っ!?」
ディースの言葉に心臓が跳ねた。
なぜ俺が人から血を飲んだことを知っているのか。
そしてあの女という言葉。
彼女を、瑠璃先輩を知っているのか。
胸が早鐘を打つ。
いやしかしブラフかもしれない、と思い直す。
「鎌をかけている訳じゃないぜ? この間、飲み屋街で偶然、お前たちの姿を見かけてな」
「………。」
どうやら本当に瑠璃先輩を知っているようだ。
言い逃れは出来なさそうだ。
「ディース、どういうこと? クロがどうかしたって言うの?」
「この間、女連れで歩いてたのさ」
「何ですってっっ!!? 私がいながら他の女と!? どういうことなのクロ!! あなた、婚約者がありながら他の女にうつつを抜かしていたの!? 最っ低ね!! 汚らわしい!!!」
もう君の婚約者じゃないじゃないか、と喉元まで出かかったが、口を挟む暇もなくノルンの口撃は続いた。
「しかもその女の血を飲んだの!? ヴァンパイアの掟に反していますわ! 死刑よっ!! 今すぐ!!」
「まぁ待ってくれ、ノルン」
止まらないノルンを宥めるディース。
だが、この男がただで俺の味方をする訳が無い。
「なんでよ! どうして止めるの、ディース!?」
「クロをよく見てみろ。最低グレードの血を飲んでいるはずなのに、力が弱っている気配が無い。つまり女の血は相当に質が高いものだ」
「ディース……。あなたまさか」
歩み寄ってくるディース。
173cmある俺よりも高い、180cmほどある彼が、俺の目の前までやってきてポンと肩に手を置いた。
そして。
「―――彼女を俺にくれないか?」
そう言った。
「ちょっとディース! その女を飼う気ですの!?」
「いいじゃないか。良い血を飲むことは、ヴァンパイアにとって力を高める絶好の機会だ。逃す手は無いだろう? 飼育して、血を沢山作らせよう」
「うーん、それはそうですけど……」
「ほら。いいアイデアだろ?」
何を言っているのか。
こいつは。
こいつらは。
「俺たちは良い血が飲める。ノルンはクロに罰を与えられる。俺たちが庇うことでクロも勝手に人間の血を飲んだお咎めが無しになる。……WinWinだ!」
「……それもそうですわね! クロ、反省しなさい!!」
解放される。
扉が開いていくような、鎖が引き千切られていくような、罅割れて中から何かが這い出てくるような。
何かが、熱いものが、抑えられないものが、解放される。
いや知っている。
知っているさ。
これは。
「そういう訳だ、クロ。あの女は俺が大切に飼ってやる。
―――隅から隅まで、味わい尽くしてなァ。」
これは、―――怒りだ。
肩に置かれたディースの手を払い除けた。
腕ごと弾かれた衝撃で、ディースはたたらを踏んで後退った。
そして、一拍置いて何が起きたか理解したディースのその眼に、怒りが宿った。
「貴様ぁ、これはどういう
「“決闘”だ」
「………………は?」
だが俺とディースの怒りには、決定的な差がある。
それを教えてやる。
「聞こえなかったか? ディース。
―――ディース・ノーブル・エイトゼット、お前に“決闘”を申し込む。」
いつの間にか、辺りからの話し声は止み、皆が俺たちに注目している。
「~~~ッッ!! いい度胸だ、クロぉ!!
身の程を解らせてやるっっ!!!!」
社交界は中止。
俺たちはコロッセウムに即座に移動した。
控室で俺は戦闘用の着替えた。
とは言っても、ヴァンパイア同士の戦いにゴテゴテの鎧など必要が無い。
俺たちの前には、鉄製の装備など意味を為さないからだ。
それでも一応着替えたのは、黒いサーコート。
父上の遺したものだ。
準備は万端。
コロッセオの真ん中へと向かう。
その途中。
「お坊ちゃまっ!!」
俺を呼び止める声がした。
振り向くと、俺の家を去った従者たちが勢ぞろいしていた。
「どうしたんだ、お前たち……。他の家に雇われたんじゃ
「誤解なんです、坊ちゃまっ!」
若いメイドが涙ながらにそう言った。
「我々は皆、家族を人質に取られ、ナイトレゾン家を辞めろと脅されたのです!!」
「……なんだと? 誰にだ」
「ディース、様です」
炎に更なる薪がくべられた。
どうやら本気で思い知らせてやる必要がある。
いや、端から手加減をするつもりは無い。
「ありがとう。アイツをぶち殺す理由が増えたよ」
「坊ちゃま……」
「安心してくれ。無事に戻ってくる。そして、お前たちには山積みになっている仕事をたっぷりやっても貰うぞ」
「……はっ。どうかご武運を」
いってらっしゃいませ、と皆が俺に深々と頭を下げる。
それを背に、俺は敵の待つ場所へと向かった。
「逃げずに来たことだけは褒めてやろう」
俺が入場すると、ディースは既に待ち構えていた。
「だがお前は過ちを犯した。取り返しのつかない過ちだ」
観客席からは沢山のヴァンパイア達が俺たちを見下ろしている。
その顔は、これから起こるディースの一方的なショーを期待する、好奇と嗜虐に満ちた顔だ。
否定はしない。俺にもきっとそんな一面があるだろう。
いつも間にか人を見下していたように。
誰かの失敗を悦ぶ、暗い感情が。
何故ならば。
「“落ちこぼれ”の分際で、この俺に戦いを挑むという、お前らしからぬ愚行! この観衆の前で、這い蹲って俺に情けを乞う未来が見えるぞぉ!!」
ウオォォォ、と客席から歓声が上がる。
「どうしたぁ? 今更怖気付こうともう遅
「悪いが俺は、お前と同じ気分にはなれない」
「………あ?」
何故ならば、俺の中にも今、コイツを殺したやりたいという気持ちが溢れているからだ。
「お前がどれだけ泣き叫んで、情けを乞おうと、俺は最後まで許すつもりは無い。そのつもりでいてくれ」
「~~~ッッッ!!!?! 貴様はぁ、何処までェ……、何処まで俺をイラつかせるんだァァァァァァアアッッッッ!!!!」
ディースから風が巻き起こる。
砂埃が立ち、俺の肌に叩きつけられる。
ヴァンパイアの持つ超常的な力は魔力によって生み出される。
魔力とは、ヴァンパイアの魂、その器から湧き上がるエネルギーであり、それを使用することによってヴァンパイアは常識を超えた力を行使する。
ディースは天才と目されている通り、魔力の量も質も、その操作の繊細さも、同年代のヴァンパイアを寄せ付けない。
そのディースが魔力を溢れさせて、怒り狂っている。
溢れだした魔力が暴風となって吹きすさぶが、この程度でディースの魔力は枯れたりはしない。
「審判ッッ!! さっさと試合開始の宣言をしろォー!!」
「で、ですが、勝者と敗者の報酬をまだ定めていないので…
「勝った方が全てを手に入れッッ!! 負けた方が全てを失うッッ!! それでいいだろッッ!!」
全て。
ディースに負けた際には、本当に俺は全て奪われるのだろう。
それでも。
ちらっとこちらを伺ってくる審判。
「ああ。構わない」
「チィィッッッ!!! クロォォォ!!! 貴様を殺すゥゥゥゥゥーーー!!!!」
「試合開始ィィーーー!!!」
審判が開始の宣言をするよりも前に、ディースが突っ込んでくる。
振りかぶる右手の先。
その爪が鋭利に伸び、鉄すらもバターのように裂く刃となる。
「シャァッッ!!」
見え透いた攻撃。
半身に躱して、空を切らせる。
だがこの程度で終わる“天才”ではない。
続けざまに、同じように尖らせた左爪を突き付けてくる。
それを躱すと右の爪が。
交互に、時折タイミングをずらし、絶妙な緩急をつけながら怒涛の連撃を仕掛けてくる。
「シャアァァァァァッ、ラァッッ!!!!」
躱し続けるも、終わりが見えない。
驚異的な心肺能力を持つヴァンパイアが、動き続けて息切れになるまでには相当な時間が必要であり、防御だけでは勝機は訪れない。
「どうしたァ!? 大口を叩いてその程度かぁ!?」
「っっ!!」
受け損なった一撃を、間一髪で躱す。
だが、掠めた頬からは血が流れだす。
魔力を使い、肉体を鋼のように高質化させているのだが、その防御を易々と超えてくる。
「はッッ!! 口ほどにも、……ッッッ!!?」
一瞬の隙。
絶え間なく続く連続攻撃の中に、針の糸を通すように。
防御の空いたボディに拳を突き出す。
高速の右腕に纏わりつく空気を引き千切り、渾身の“怪力”を繰り出した。
衝撃。
拳から生み出された衝撃が、ディースのいた地面を抉った。
そこには、潰れた蝙蝠が何匹かいるだけで、ディースの姿は無い。
当のディースは。
「ふふふははっ!! どうしたんだァ? クロぉぉォ……!!」
蝙蝠の大群が舞う。
少し離れたところに、その蝙蝠が集結し、人の形となり、そして再びディースとなった。
その体には左手の中指が無かったが、その付け根から瞬く間に肉が生え、指が再生した。
「まさかとは思うが、それで俺を倒すつもりだったのかぁ……? 本当に頭がおかしくなっちまったようだな? お前の“怪力”は確かにヴァンパイアの中でも桁外れに強いが、それではヴァンパイアを倒すことは出来ないぞぉ?」
「………。」
「ヴァンパイアの再生能力は底なし! だからこそ、不死身であるヴァンパイア同士の戦いは、どちらかが相手を行動不能にさせることで決着となる!! “鬼術”によってな! だが! “怪力”だけで相手の行動能力を奪うことは出来ない! つまりィ!!」
勝利を確信したように、ニタリと嗤う。
「―――“怪力”しか使えないお前には、最初から勝ち目などない………!! クロぉぉぉ、“落ちこぼれ”のお前はそんなことも忘れてしまったのかぁ~~~??」
吸血鬼の使う超常的能力、“鬼術”の中で基本となる“五大鬼術”。
ディースの言う通りヴァンパイア同士の戦いは、その“五大鬼術”の中でも、“変身”、“隷属”、“催眠”、“放出”によって相手の行動能力を一時的にでも奪い、相手が再生を待つことでしか状況が打開出来なくなった場合、決着となる。
“怪力”ではいくら相手を破壊しても、一瞬で再生されてしまうため、決着は付かない。
そして俺は、“五大鬼術”の内、まともに使えるのは“怪力”のみだ。
一応、“隷属”、“催眠”、“放出”も使えるが、ヴァンパイアに通用するほどのものではなく、“変身”に至っては一切使えない。
だからこそ、―――“落ちこぼれ”。
「今更になって後悔しても、もう遅いぞォ!? 血の涙が出るほど懺悔させてやるよ、この俺に歯向かったことをォォォォ!!! シャアァァァァァッッ!!!!」
ディースがこちらに向けた掌から雷撃を放つ。
“放出”の鬼術だ。
迸る青い閃光が、辺り一面ごと、俺の体を灼く。
「グッッ!!」
「フハハハハハ!!! くたばれ、塵が!!」
身体を貫通する衝撃に、意識が飛びそうになる。
俺は後悔し始めていた。
(俺はまた、間違えた。)
魔力による強化を物ともしない電撃。
流石はディース。
同年代のヴァンパイアどころか、既に全てのヴァンパイアの中でもその力は上位に位置していると云われる、天才。
(また、莫迦なことを………。)
俺は悔いた。
己の失態を。
(―――俺はまた、躊躇した……!!)
あの一瞬の隙。
針の穴が見えて、ディースに一撃を入れられたあの時。
俺はこの力をディースに向けることを躊躇った。
既に戦うと決めたのに。
もうこれしかないと分かった筈だったのに。
霞み始めた視界の向こうに、ディースがいる。
醜く笑い、俺を見下すディース。
コイツは、―――俺の敵だ。
俺の前に立ち塞がる者だ。
覚悟を決める。
『―――思うように生きなさい。そして、生きる事とは戦いだと知りなさい。』
母上の言葉だ。
今ならわかる。
俺は戦いたく無かった。
ノルンと向き合うことから、瑠璃先輩と向き合うことから、そしてディースからノルンを取り戻すことから。
俺は逃げたのだ。
戦いを避けることは良い。
それも戦いの一つだ。
でも俺は、避ける為の戦いをしたのではなく、そこから逃げ出しただけだった。
戦うにしても、それを避けるにしても、やるなら徹底的にしなければならない。
自分の思う勝利を掴まなければならない。
眼前に現れた敵や困難と、向き合わなければならない。
そこから逃げてはいけない。
逃げきれるものではないから。
母上が言いたかったことはそういう事なんだ、と今になって漸く解った。
雷撃を浴びながら、前へ進む。
「………なにィ?」
『約束して。また私と会ってくれるって。』
俺は約束したんだ。
瑠璃先輩ともう一度会うと。
会いに行くと。
俺を思ってくれる人の為に、ここで終わるわけにはいかない。
雷撃を浴びながら、前へ進む。
「何故だ……? 効いてないのかッッ!?」
『どうかご武運を』
従者たちとも約束したんだ。
再雇用してやると。
無事に帰って来ると。
雷撃を浴びながら、前へ進む。
「このォォォォ!!! “落ちこぼれ”がァァァァァ!!!!」
『何か困ったことがあったら必ず俺に言えよ! 約束だからな!?』
久しぶりに会った俺を、本気で心配してくれるお人好しがいるんだ。
これ以上、心配させたらいけないだろうが。
雷撃を浴びながら、前へ進む。
俺がこの短い期間に出会った人たちの声が、俺の背中を押す。
溢れ出てくる感謝と喜び、そしてそれを害する目の前の莫迦への怒りが、俺の足を前へと進めた。
生きる事とは戦う事なんだ。
自分を、そして自分の周りの人たちを守ることなんだ。
そのためには、敵は倒す必要がある。
最後まで足搔かなくてはならない。
(だからこそ、もう、躊躇は捨てる。)
そして、―――射程距離に入れた。
「糞虫がァァァァァ!!! さっさと女を、寄越せェェェェェッッッ!!!!」
「てめえだけは、許さねえェッ………!!!」
雷撃を真正面から全て受け止めながら、右の拳に力を入れる。
俺の唯一、人並み以上に使える“怪力”と。
そして、俺が封じ続けてきた力。
発現した時から決して、誰かに向けたことの無かった、この力を。
拳が、雷撃よりも激しく、それでいて且つ静かな蒼い輝きを纏う。
そして。
「何度も言わせるなァ!! “怪力”ではヴァンパイアを倒すことはァ!!」
「オオオオォォォォォオオオオオ!!!!!」
裂帛の気合と共に、拳を突き出す。
ディースの雷撃を打ち破りながら、拳は前へと突き進む。
「チィッ!!?」
ディースは自身の放出が押されていると分かると、再びその身体を無数の蝙蝠へと変身させた。
拳の一撃で仕留められる蝙蝠はものの数匹であり、それ自体も直ぐに再生できる。
意味の無い行動。
―――その筈だった。
「ぐぅぅああああああぁぁぁぁあああああァァアアアアアア!!?!!?」
絶叫が響き渡った。
ディースの勝利を疑わず、ヤジを飛ばしていた観衆も、突然の声に静まり返った。
蝙蝠がディースの形を成していく。
その姿には脇腹に大きな孔が開いていた。
だがそれだけ。
ヴァンパイアにとってそのようなものは、傷の内にも入らない。
絶叫はディースの芝居だと思い、弛緩した空気は、すぐにまた引き締まる。
孔は一瞬で塞がったが、その孔の塞がった腹を抑えながらディースがその場に膝をついたのだ。
口元からは痛みに耐えかねるのか、涎が糸を引いて零れ落ちる。
「がぁっっ、なにっ、なになにっ、なにを、したぁ~~………っっ!!?」
クロは、その答えをゆっくりと告げた。
「―――“真術”だ。」
「………………へェ?」
「―――俺の“真術”だよ。ディース」
“真術”とは“五大鬼術”とは異なる、その個人のみが扱うことが出来る特別な“鬼術”だ。
修練によって発現するもの、その家系のヴァンパイアに発現するもの、など習得の方法は様々であり、その効果も通常の“鬼術”とは一線を画する特殊な術であり、そして誰もが“真術”に目覚める訳でもない。
俺は“五大鬼術”は“怪力”しか扱えないが、小さいころから“真術”に目覚めていた。
「ば、バカな………!?」
「だがお前は現に、そうして這い蹲っている。俺の目の前で」
「インチキに、違いない……!!」
「インチキ、か。確かにインチキのような力ではあるな」
「な、にぃ……?」
「俺の“真術”、【円環破り】は俺の攻撃を喰らった者の、魂の器そのものにダメージを与える」
静寂。
俺の言葉の意味を理解するのに必死なのだろう、観衆すらも誰も一言も発しない時間が過ぎる。
そして、ダムが決壊したように辺りが一斉に騒めき立つ。
「ばかな、ありえない……!!」
「魂の器そのものにって……!?」
「そんな力、まさか!!」
「嘘をつくな!!」
「だって本当にそんなことが出来るとしたら………!?」
「そうだっ……!! ハッタリだ!!!」
「ハッタリかどうか。喰らったお前なら判るんじゃないか? それとも、その痛みが本当に嘘だと思うか?」
いくら身体を変身させて攻撃を躱そうとも、ダメージは直接、器に衝撃を与える。
それは時間を置けば自然に回復するものではあるが、それを連続で受け続ければいつかは器が破壊される。
それはつまり。
「……バカなっ、馬鹿なっ、莫迦なァッッ!! ならお前は、ヴァンパイアを殺せるって言うのかぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!!?」
「―――その通りだ。」
俺の能力は不老不死を、永遠を生きる者を殺すことが出来る、ヴァンパイアにとってこれ以上無い禁忌の能力なのだ。
「ふざけ
「問答は終わりだッッ、―――【円環破り】!!」
地を蹴り、距離を詰める。
まだ地面から起き上がっていないディースの腹を蹴り上げる。
「おっ、げぇぇェエエエ!!!?!」
蹴り上げた右の脚を地面を揺らすほどに深く踏み締めて、右の拳、次いで左の拳を顔面に叩きつけ、最後に全身を捻り、右のアッパーを再び腹に叩き込む。
「ブッ、ゴッ、ぐばぁぁあぁっぁァァァァァァアアア!!!!」
正真正銘、魂の悲鳴を上げながら、ディースは空高く舞い上がる。
俺自身も“怪力”を足に込め、夜空に上がったディースを追う。
「まだまだァッッ!!!」
【円環破り】を纏い、比類なき“怪力”の鬼術によって強化された俺の拳と脚が、激痛の余り痙攣している無防備な奴を更に追い詰める。
「ぐぎゃぁあっぁぁあ!! きさ、ゴッ!? こんあこ、とゴフッ!! ただで済むとバハァッ!!?」
「無駄口を叩けるってことは、まだまだ足りないってことだなぁ!? 安心しろよ、手加減はしないっっ!!」
「な、待っ、たぶぅぅぅぅぅうううっっっ!!!」
俺程度の“放出”でも、少しの間なら空中に浮き、動くことは出来るが、残念ながらそろそろ限界だ。
地面に叩き落してやろうと、拳を振りかぶると。
「こっっっのォ!! 調子に、乗るなァァァァ!!!」
ディースは突如、ありったけの雷撃を狙いも付けずに放つ。
電撃による攻撃、そして閃光によって一瞬の隙を作りだした。
機転の速さ。
腐ってもディースは天才だ。
だが。
「これで体勢を立て直
「させるかよ」
丁度身体を蝙蝠へと変身させ終えたディース。
群がっているその黒い塊の中に、上から拳を連続で叩き込む。
「ウオォォォォオオオオオオ!!!」
「ぐぅああああああああああ!!? 何故だァアァァアァア!!!」
両の腕を機関銃のように連射しながら、俺達は遥か下の地面へと落ちていった。
そして、受け身も取らずに激突する。
コロッセウム全体を揺るがすほどの衝撃。
夏の雲のように舞い上がった土埃。
その中から、傷こそあれどまだ余裕のある俺と、体中を大小の孔だらけにした満身創痍のディースが現れた。
「が、あぁ、あああ………。何故だ……、何故、俺の、全力の雷撃を至近距離で受けて……、直ぐに動ける……!? 一度目とは違い、モロに、喰らったはずだ……!!」
「ああ、確かに全力の攻撃を浴びたよ」
「だったら……!!」
「気が付かなかったか? お前の全力が、いつもより弱くなっていることに。」
「なん……だと……? ………まさか、器にダメージを与えるという事はっっ!!?」
「そうだ。器の中身、魔力が漏れ出す! お前の魔力は、俺の攻撃を受ける度に少なくなり、更に器のダメージが回復するまで、お前の魔力は最大まで回復しない!!」
魂の器。
超常的な力の源である魔力は、その杯から湧き、その中に貯める。
それは時間と共に湧き上がり杯を満たすが、その杯に罅が入っていたとしたらそこから魔力は漏れ出てしまう。
俺の【円環破り】は、存在自体にダメージを与えるだけでなく、戦闘能力をも奪う。
時間を置き、回復することを許さない。
現にディースの傷は回復がとても遅くなっている。
瞬時に身体を再生できるヴァンパイアであるのに。
魔力が少なくなっている為、回復が追いつかないのだ。
「そ、そんな……。そんな………!!」
膝から崩れ落ちるディース。
勝ち目がないと悟ったのだろう。
そうだ。
端から勝ち目などない。
コロッセウムは既に静まり返っている。
俺を見る目にはいつの間にか、怯えと恐怖だけになっていた。
俺は痛みと恐怖で動けなくなったディースの前まで歩く。
「ま、待ってくれ! 降参! 降参だ……! 俺が悪かった!」
ディースは手を挙げて、降参の意志表示をする。
「もうお前の女を狙ったりしない! 勘弁してくれ!!」
懇願するディースを見下ろす。
無様に、プライドをかなぐり捨てて、俺の慈悲に縋る。
だが。
「駄目だ」
「え、なっ、なんで……?」
許す気はない。
俺とディースの怒りには、決定的な差がある。
それは感情の発散が目的か、状況の打開が目的かということ。
ディースは俺を甚振れば満足しただろう。
勿論、俺はこいつに奴隷のように扱われ、やがて力を失い死ぬだろうが。
だが、俺の目的は、こいつを斃すことにある。
こいつをこの手で、殺すことが俺の目的なのだ。
「お前が俺の敵だからだ」
「なにを、なにを言って、いるんだ……?」
「お前は俺の大切なものを奪おうとした。俺の大切な人に危害を加えようとした。お前がこれからも、同じようなことをしないと、誰が保障してくれるんだ?」
ヴァンパイアにも掟があり、それを守らせる為の武力も存在する。
だが、人間の社会のように厳格なものでは無く、何時如何なる時も俺の味方をしてくれるとは限らない。
「ち、誓う! 誓約書を書いてもいい!! 陛下の前で宣誓しても
「それが何の効力になると言うんだ? お前が誓いを破り、俺が大切なものを失ったとしても、何の保証がされる? どう償われる? それがお前への抑止になると、誰が担保してくれるんだ?」
「そ、それは……」
「そんなことより、お前を今殺した方が確実だと思わないか?」
「ヒッ!!!」
死ねば諸共、とこいつが後の制裁を顧みず、誓いを破り、瑠璃先輩や俺の近くの人に危害を加えることを、宣誓や制約が必ずしも抑止してくれるとは限らない。
そんな不確実なものよりも、確実なこと。
それは、ディースをこの場で殺すことだ。
倒した敵が、再び敵となって現れるかも知れないという禍根を断つ。
これは戦いなのだ。
もうこれ以上、甘さは許されない。
俺自身がツケを払う時が来たのだ。
右腕に力を宿す。
青白い輝き。
不死者を終わらせる、抹殺の光。
「ディース、お前の永遠はここで終わりだ」
「やめろぉぉぉ!! やめてくれえええええええええ!!!!!」
振りかぶる。
勝利するために。
守る為に。
俺はこいつを、殺す。
そして。
「やめてえええええええええええええ!!!!!」
聞き馴染みのある声が聴こえた。
だがもう、彼女の声で、俺は止まらない。
俺は、真っ直ぐ拳を、振り下ろした―――。
あともう一話で完結いたします。
良ければお付き合いください。