可愛いから仕方がない
「カイン様は、時々聞いたことがないお話をされることがございますね」
サッシャがカインに、そう話しかけてきた。
カインが家庭教師による授業の合間のわずかな時間にディアーナと過ごす至福の時間。カインが一つお話を聞かせ終わったとたんに「お兄様とサッシャはここで待ってて!」とディアーナが部屋を出て行ってしまってサッシャと二人で部屋に取り残されていた。
「聞いたことがないお話? 何の事だろう」
「絵本を持ち合わせていない時に、ディアーナ様におねだりされてお話をする時などです。先ほどの少女と狼の話もそうですが、私はそのお話を読んだことがございません」
「ああ、赤ずきんちゃんね。まぁ、でもほら。世の中にはたくさんの本があるんだし、たまたまサッシャが読んだことの無い童話だっただけだよ」
カインも、グリムだのイソップだのの本格的な童話の話に詳しいわけではない。前世での大判絵本やテレビ絵本と言ったいわゆる子ども向けの絵本を、自社の取扱品として説明できるように目を通していたから覚えていただけに過ぎない。
会社で隣の席だったおばちゃんから「本当はシンデレラの姉は足の指をちょんぎってまで靴を履こうとしていたりする恐ろしい話なのだ」とか聞かされたことがあり、それがあんまりにも恐ろしすぎたので各絵本の原典を当たるのはやめておいたのだった。
そんなこんなで、カインがディアーナに話して聞かせる前世産の童話はみな平和なお話ばかりだ
「いいえ。私はこれでも読書家を自負しております。観劇が趣味というのもございまして、観劇後には劇の原作を読み、原作作者の他作品を読み、原作作者が影響を受けたという本を読みます。また、出演した役者が役を演じるために参考にした書を読み、役者を目指すきっかけとなった本を読み、劇とは関係ないけど好きだという愛読書を読みます。そして、観劇仲間である友人があの劇が好きならこれもきっと好きよと進めてくれる本も読み、その作者の他作品も読み……とにかく、私は他の貴族令嬢よりは読書をたしなむ方だと思っております。もちろん、婚活時には子ども好きアピールをするために児童向けの本もたくさん読みました」
「う、うん」
サッシャの突然の読書好きアピールにカインが若干戸惑いを覚えている。
「さすがに、世に出ている物語をすべて把握しているとは言いません。しかし、カイン様がディアーナ様に語って聞かせているお話は、私もおそばで聞いているだけでも両手の指では足りないほどです。それらのほとんどが知らないお話というのは、たまたま知らなかっただけというのはさすがにおかしいと思いませんか」
「ううーん」
カインがディアーナに本を読むのではなく、何もなくてお話を聞かせてやるのはカインの勉強の隙間時間での話である。
夕飯後の自由時間や、家庭教師の先生の都合で授業時間がまるまる空いた時などは図書室から本を借りてきてディアーナに読んで聞かせたりしている。
しかし、カインは授業と授業の隙間時間にもディアーナの部屋へと顔を出し、そこでねだられれば手元に本がなくても物語を語って聞かせたりしていた。
隙間時間で長い話はできないので「異世界アレンジ桃太郎」や「異世界アレンジシンデレラ」、「異世界アレンジ醜いアヒルの子」などといった前世ではポピュラーな話を小芝居っぽく語って聞かせていたのだが、それらがサッシャには新しいお話に聞こえたようだった。
「もしかして、カイン様は……」
サッシャに「前世の記憶があるのでは?」とか言われたらどうしよう。カインはあり得ないとは思いつつ、そういった心配が頭をよぎった。
「ストーリーテラーの才能がおありなのでは?」
「あはははは」
サッシャがまっとうな人で良かった。
カインはほっとして笑いながら横に立つサッシャの顔を見上げた。
「読書家のサッシャからお墨付きがもらえたならよかった。万が一、公爵家から追い出されるような事があれば、作家になることにするよ」
「カイン様ほど要領の良い方でしたら、公爵家当主として活躍しつつ作家活動もできると信じております」
「えぇー」
ディアーナをかわいがり過ぎる部分でサッシャから警戒されているカインであるが、サッシャはカインの頑張っている所はきちんと素直に褒めてもくれる。
サッシャが来る前は母の侍女が順番にディアーナの面倒を見ていたのだが、ひとり厳しすぎるタイプの侍女がいた。その侍女は、ディアーナのお転婆の場面に遭遇すると相変わらず厳しく接してくる事があるのだが、サッシャはその侍女からディアーナを庇ってくれたりもしている。
サッシャの中の『理想のお嬢様像』がだいぶ気高いようで、ディアーナへの侍女としての指導も厳しい面はあるのだが、それでも理不尽からはちゃんと守ってくれる大人の女性なのだ。
カインは、自分を変態兄として警戒しているサッシャの事を嫌ってはいなかった。生前のカインの没年齢よりはだいぶ若いので、温かい目で見守っている感すらある。
「先ほどの、少女と狼の話ですが、なぜ少女は赤いずきんを被って森を抜けるようなことをしたのでしょうか?」
「へ? なんでって? なんで?」
「貴族ではなく、平民の娘であれば護衛などない状態で森を抜けねばならぬこともあるかもしれません。そこは、理解できるのですが、なぜわざわざ目立つ色のずきんなどを被ったのでしょうか? もともと、狼の住む森であることは知っていたわけですから」
「うーん。迷子になった時に、見つけやすいようにかなぁ?」
勉強の隙間時間、読み聞かせる本を持ち合わせていない時にディアーナから「何かお話してくださいませ」とおねだりをされて、カインは「赤ずきんちゃん」を語って聞かせた。貴族としてはなかなかなじまない話ではあるが、平民の少女として語ればこの異世界でもあまり違和感のない話である。
ディアーナは「ふんふん」「おばあさんじゃない!」「赤ずきんちゃんにげて!」と興奮しつつも楽しく聞いてくれていた。
後ろに立って控えていたサッシャも、お話を聞いていたようなのだが、なぜか今カインに疑問点を問いただしていた。
「少女は迷子になるような年ごろだったのでしょうか……? あ、でも確かに途中で花畑に寄り道していましたね。ですが、一人でお使いをさせることができるような少女であれば、目立って森の獣に見つかる危険の方が大きいとわかりそうなものですが……」
サッシャは、物語でも筋を通したい派のようだった。カインは前世では「まぁ、お話っていうのはそういうモノだから」と深く考えたりしたことはなかった。ミステリ小説を読むとき以外は。
そもそも、赤ずきんちゃんはカインの前世でも有名な童話であり、カインが考えたお話ではない。いろいろと突っ込まれても、カインとしても困るのである。
「うーん。小さい女の子が赤い頭巾をかぶってエプロンドレスを着ていたらかわいいからじゃないかなぁ」
「かわいいから……。あまり合理的な理由ではないですね」
赤い頭巾とワンピースの赤ずきんちゃんもかわいいし、水色のワンピースに白いエプロンのアリスもかわいい。絵本にした時に見た目がかわいいからじゃないか? ぐらいしかもうカインには答えが思いつかなかった。
その意見に、サッシャは不満だったようなのだが……
「お待たせいたしました!」
バンッと勢いよくドアが開いてディアーナが返ってきた。
どこで調達してきたのか、赤いワンピースに白いエプロンドレス、赤い頭巾をかぶっていた。
赤ずきんちゃんの格好である。
よくよく見れば、ピアノの鍵盤カバーにしている赤い布をスカートの上にくるくると乗せていたり、ティールーム専属メイドのサロンエプロンを三回折ってエプロンドレスの代わりにしていたり、赤い頭巾は母エリゼのお気に入りのボンネットを頭にのせるのではなく、首にひもをかけて背に背負っていた。
「赤ずきんちゃんですよ?」
そういって、スカートをつまんで片足のつま先をトンと鳴らしながら首をかしげて見せた。
「……かわいいからですわね」
「かわいいからで間違いないね」
赤ずきんちゃんが獣の住む森を派手な赤い服で歩くのは……かわいいから。
可愛すぎるディアーナの姿を見て、カインとサッシャの中ではそう決着がついたのだった。
ファンレターをいただいたのです。
赤ずきんちゃん姿のディアーナのファンアート(キーホルダー)をいただいたのですが、かわいくてかわいくて。
赤ずきんちゃん姿のディアーナをネタに短編を書いてみました。
カインとディアーナはこの後で母エリゼからゲンコツを貰います。
お気に入りのボンネットだったので。