書籍化御礼:カインの前夜
ついに書籍が本日発売でございます。
これも、ひとえになろうで応援してくださった皆さんのおかげです。
本当にありがとうございます。
上半分がすりガラスになっているドアを、そっと開ける。
勢いよく開け閉めするとガラスが外れてしまうからであって、騒音とかマナーとかを気にしてのことではない。
「おはようございまーす」
特定の誰ということなく、室内全体に向かって朝の挨拶をすれば「おはよー」「おはようございますー」と挨拶がバラバラと返ってくる。
自分の席へと向かう間にも腰やら肩やらを叩かれながら、
「新人ちゃーん。みたよ、昨日新作動画上がってたねぇ」
「新人くん、ついに乙女げーに手を出したんだねぇ。ウェルカムこっちの世界!」
とパートタイマーのおばちゃんたちが声を掛けてくれる。
「早速のご視聴あざーっす! 山田さん、チャンネル登録してくれました?」
「だが、断る!」
「またぁ!? どうせ毎度見てくれるんだからチャンネル登録してくださいよぉ」
「私はチャンネル登録してあるよぉ」
「さっすが鈴木さん! 俺の第二の母!」
「動画の新作は良いけど、ちゃんとご飯食べてるの? ちょっとやせたんじゃない?」
「第二の母パートツー齊藤さん! 昨日もらった土佐煮めっちゃ旨かったです。容器洗って持って来ました」
「お、ちゃんと食べたね、えらいえらい。新人くんはほっとくとゲームばっかりしてご飯食べないから心配よ」
「新人君は、第二の母が何人いるのさ」
「安心してください、佐藤さんもちゃんと俺の第二の母ですから!」
「何が安心なのかわかんないな!?」
掛けてくれた言葉に返事をすれば、また別の誰かが話しかけてくれる。朝から元気な職場のお母さんたちから元気を分けてもらうようで自分のテンションも上がっていくのがわかる。
今日も一日、がんばろう!
自席について、カバンから昨日一昨日と泊りがけで行ってきた出張に関する領収書を取り出して三つ向こうの島へ向かう。目的の机まで行って、そのイスに座っているべき人が居ないことに気がついた。
「あれ?田辺さんは?」
「お子さんが熱だしたから様子見て午後から。下がらなければ休み」
田辺さんの隣の席から、課長の久保田さんが答えてくれる。
「そうなんですね。お子さんたいしたこと無いといいですね。今インフルとかはやってますし」
「それな。新人はどうした、旅費か?」
「はい。でも田辺さん午後からなら、清算書の作成まで自分でやっときます」
「おう、そうしてくれ。たすかるわ」
「ところで課長、俺はいつまで『新人』って呼ばれるんですか。もう入社して五年目なんですけど」
「そらぁ、お前・・・・・・。次に新卒採用が入ったらだろうなぁ」
そんなの、俺はこの先十年ぐらい『新人ちゃん』って呼ばれるんじゃないか。あきらめの大きいため息をわざとらしく吐き出して、自分の席にもどって書類仕事を片付けてしまう。
旅費の清算書を作って領収書を貼り付け、出張の報告書を作り、メールの確認をして必要があれば返信をする。
そうやって午前中は事務仕事で過ぎていった。
ここは、幼児向け知育玩具メーカーの関東支部事務所。
俺は、関東支部立ち上げ時に現地採用枠の新卒採用枠で入社した五年目の『新人』である。
この事務所にいる正社員は俺と課長の久保田さんだけで、ほかはみんなパートタイマーの女性ばかりだ。
山田さんはみんなから山田さんと呼ばれているけど本当は山田さんじゃない。DV旦那から逃げて来た人なので、誰にも本名を明かしていない。周りのみんなもムリに聞きだそうとはしない。
鈴木さんは2年前に下の子が生まれたが、逆子だったんですごい時間がかかってつらかった、生まれた瞬間は息をしていなかったと言っていた。
その時のことをドラマチックに語って聞かされていたので、先日「にちゃいです!」って指を三本立てながら言う元気な鈴木さんのお子さんに会った時には思わず涙ぐんでしまった。俺のことを「しんじーちゃ!」って言うのは絶対に鈴木さんが家でも俺のことを「新人ちゃん」って呼んでるせいだよ。
齋藤さんはよく俺にご飯をくれる。
柔道部と空手部とサッカー部という逞しい三人の息子がいるらしく、その息子たちと比べて俺が細いから心配になるんだそうだ。
上の二人はもう社会人で、末っ子のサッカー部ももう大学生だとかで「せっかく作ったのに、連絡無く外泊したり飲んで帰って来たりしてご飯があまっちゃうのよ」と言って俺にあまったおかずを分けてくれるのだ。
五回に一回くらいは、あまったんじゃなくてわざわざ作ってくれてるんじゃないかなって思ってる。だって、給料日前になるとおすそ分けの頻度があがるからね。まさに、俺の第二の母なのだ。すごい感謝してる。
佐藤さんは、夏になると野菜をくれる。
家庭菜園が趣味で色々な野菜作りにチャレンジしては、もてあました分をくれるのだ。
これは、特に俺だけじゃなくって事務所のみんなで分けているんだけどね。
田辺さんは、ゲーム仲間だ。
ゲーム好きという、俺と趣味が同じ人なんだけどプレイするゲームのジャンルがぜんぜん被らないんだよな。
お互いに面白いと思うゲームを勧めあうんだけど、どうしても「やりたい!」ってならないんだよね。お互いに。
ちなみに、田辺さんの得意なゲームジャンルは「恋愛シミュレーション」だ。
女の子が主人公の恋愛ゲームも、男の子が主人公の恋愛ゲームもどちらも大好物だそうだ。ちなみに、攻略対象が異性のやつも同性のやつもやりこんでいる。
先日、俺がどうしてもプレイして欲しかった海外産のオープンワールドお侍PRGをやってもらう代わりに、田辺さんのお勧めゲームを俺がプレイするということになったんだよね。
それが、『アンリミテッド魔法学園〜恋に限界はありません!〜』という乙女ゲームなわけ。
「新人〜。午後から外だろ? アステリオ社のにリコール品情報でてるから、メール確認してから行くようにして。ウチと関係ないけど、出先で見かけたら教えてやって」
「了解でーす」
自席で齋藤さんからもらったパンをかじりながら昼食を取っているところに、課長が首を伸ばしながら声をかけてきたので、手を上げてふりながら返事を返しておく。
たまごとツナのサンドイッチをもぐもぐしながら、ちょうどそのメールを見ているところだった。
ライバル会社の、とあるおもちゃの付けたりはずしたりできる部品に欠陥があったというメールだ。万が一誤飲してしまっても呼吸ができるように穴が開けられているのだが、成型時にその穴が抜けきっていない物があったというのだ。
検品精度どーなってんだって話だよな。ライバル会社の商品とはいえ、子どもたちの命にかかわることなので、訪問先でこの製品を見かけたら声をかけることにしよう。
製品情報の載ったメールをプリントアウトして、カバンに詰め込んだ。
「外行ってきまーす。今日は直帰でーす」
午後の始まりのチャイムを聞きながら、ホワイトボードに行き先を書いて自分の名前の書いてあるマグネットをひっくり返す。
みんなが「新人」と呼ぶせいで誰も呼んでくれない俺の名前が書いてある。まぁいいけどね。
「いってらっしゃーい」
「知らない人についていっちゃダメよー」
「なんだ、直帰か? 今日はなんかゲーム発売日か?」
行ってきますといえば、みんなが行ってらっしゃいと言ってくれる。いい職場だよね。
今日の予定は、近所で試作品を使ってくれている幼稚園と保育園に行ってアンケートの回収。
その後、繁華街まで行って大型のおもちゃ屋へ新商品の売り込みだ。バイヤーさんが今日なら空いてるって言うので張り切って売り込むために、沢山のサンプルとカタログをカバンにつめてきた。
「新人くーん」
忘れ物が無いかを確認しながら歩いていたら、今日はお休みの田辺さんが向こうから歩いてきた。
ベビーカーを押しながら手を振ってこちらに向かってきていた。
「田辺さん。おつかれさまです。お子さんの熱どうでした?」
「病院いってお薬貰ってきたわぁ。微熱で本人はめっちゃ元気なんだけど、保育園に預けられないからお休みにしちゃったぁ」
「いんじゃないっすか? 出張費清算書机の上に置いといたんで、明日処理お願いします」
「おっけぇ。そうだ、昨日の更新みたよー。ド魔学だいぶ進んでるじゃーん。『男なんだから男心メッチャわかるし楽勝だわ!』とか言っといて最初はめちゃくちゃバッド踏んでたくせになぁ〜」
「実は、もう全ルートクリアしてるんスよ。編集が追いついて無くてアップできてないんスけどね」
「お、マジか。どうだった?良かったでしょ?」
しゃがみこんで、お子さんの顔を見せてもらいながらゲームの話をする。
ゲームがやりたくて、薄給だけど残業なし休日出勤無しの会社を選んで入社した俺。こうやってゲーム話できる人が身近にいるのもめっちゃありがたいわけよ。
「いやぁ。ラストシーンの王宮をバックにした結婚式のスチルはめっちゃきれいだったんすけどね。後日譚として差し込まれたディアーナの最後に全部持ってかれましたね。エグくて、幸せ感ふっとんじゃいましたよ」
「あっはっは。それがいいんだよ、あのゲームは。きれいに恋愛させようって気がないからね。複数から愛される魔性のヒロインを手に入れようってんだから、男はあらゆる手を使ってヒロインの敵を排除するわけさ」
「もうちょっと、恋愛に夢を持たせてくださいよ・・・」
ゲーム上での恋愛くらい、きれいであって欲しいじゃんねぇ。いや、汚い恋愛もしたことないけどさ、俺は。
抗議のために顔をあげたところで、ベビーカーの中からぐずった声が上がってきた。
「おっと。ご機嫌が悪くなってきたかな。新人くんもどっか行く途中だったろ? 足止めてわるかったね」
「いえ、お子さんの様子みられてよかったですよ。あ、田辺さんはアステリオのおもちゃもってました?」
「いやぁ? 会社が試供品色々くれるし、わざわざ他社のを買ったりしてないな」
「それならいいんです。じゃあ、また明日。……しょうくんばいばーい」
田辺さんに一礼して、ベビーカーの中に小さく手を振って歩きだす。昨日も新作動画を上げたばかりだけど、クリア済のゲームの動画は早めに上げてしまいたい。
あの、恋愛シミュレーションのクセにところどころエグいゲームについてみんなと感想を共有したい。田辺さんとちょっと話しただけで、その思いが強くなったんだよな。
やっぱり、ゲームっておんなじタイトルをプレイした人と、感想を言い合ったり攻略情報教え合ったりするのが楽しいと俺は思うんだよね。
小学生ぐらいの時の、友達んちにファミコンやりに通ってた楽しさっていうかさ。
今日は直帰にしたし、帰ったら最後に残しておいた王太子ルートの動画を編集してしまおう。昨日も一昨日もゲームプレイと動画編集で徹夜してるけどまぁ、大丈夫だろう。
アラサーといえど、俺まだ二十代だし。『新人くん』だし。行き帰りの電車で睡眠取れてるしね。
編集でどのシーン入れてどのシーンカットしようかな、そんなことを考えながらアンケートをお願いしている保育園へと向かってあるき出した。