表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

{ショートショートを一杯}「白鯨の日」

作者: 圭

 「お客様・・・?」という店員の声に、ハッと我に返る。あぁ、またか。いつもの事だと受け止めると同時に、僕はコーヒーカップを割ってしまった事に気づいた。店員に謝罪し、店を出ることにした。やっぱり、止められてでも弁償したほうがよかっただろうか。まぁ、今後も通う様にしようと思い、渋谷の通りを歩いていく。

 大通りから一つ曲がって、人々の喧騒から逃げるように人気ない裏道に入っていく。あそこのコーヒーが一番美味しいのだが、しばらくは仕方ない。自販機で缶コーヒーを購入すると、近くにあった小さな公園のベンチに腰掛ける。やっぱり、この甘ったるい味はあまり好きじゃあない。一息つくと、ふと空を飛んでいるあいつに目を向ける。


 鯨だ。さっきから真っ白な鯨が空を飛んでいるのだ。というよりは、泳いでいるのだ。その巨体を悠々と動かし、空を泳いでいる。かと思うと、大きく口を開け目の前の雲に突っ込んだ。成る程、雲を食べるのか、オキアミみたいなもんなのかな、と一人で勝手に納得する。

 

 四歳の頃から見えているこういうモノは、ちょくちょく僕の生活に影響を及ぼしてくる。最初は、確か友達だったやー君と映画館に出かけた時だっただろうか。当時人気だったアニメ映画を見に行ったのだが、記憶に残っているのは、映画館の隅にいた、首が2mはあろうという女であった。その女の事を後日彼に話してみたが、それがよくなかった。僕に「嘘つき」というレッテルが貼られ、彼が僕と距離を取るようになったのも、アレが原因だろう。

 最初は、世にいう霊的な何か、もしくは僕の幻覚かと思っていたが、後に自分の間違いに気づいた。あれらは、言うなれば「常識」だったのだ。例えば、ある日帰ってきたら姉が居た事があった。断っておくが、僕は一人っ子だ。だというのに、家族は当たり前のようにその女と食卓を囲み、僕の部屋は二分割され、半分が姉の領分となっていた。更には、以前撮った家族写真のどれにも、その女が映っているというのだから驚きだ。次の日には家庭からも写真からもその姿は消えていたのだが。その他様々な事を体験してきたが、周りに聞いてもいつも「それが常識」と言われるだけだった。このように僕の身の回りでは、現実を取り囲む「常識」そのものが変化するという事が、度々あった。


 勿論、これまでの経験から何も学ばなかったわけではない。どうやらこういったモノ達は、僕らが何もしない限り、こちらに直接干渉してくることはない。手を出したらどうなるのかは・・・知らない。単純に、もうこっち側に戻れなくなりそうで、怖いからだ。次に、自分自身、例えば僕の性格や体格には影響してこないという事。そしてこの現象が続くのは、長くて三日間。と、これらの情報を手にしてはいるが、それでも相変わらず奴らは僕の生活に入り込んでくる。いくら干渉はしてこないといっても、目につくものは仕方ない。やつらが僕の視界から消えてくれたらどれだけいいだろうかと、そう思わない日はなかった。


 コーヒーをもう一杯口に含むと、雪のようなものが降っていることに気づく。上を見上げると、鯨が潮を吹いている。あたり一面に、桜と一緒に雪が舞っているような不思議な光景になる。食べた雲はああやって噴出しているのかな、なんて考えているうちに、メールが届いてきた。スマホを開くと、「今ひま~?カラオケ行かね?」という文章と、顔文字が送られてきていた。僕は微笑むと、「おけ、ハチ公前な」と返事を送信する。

 スマホをポケットに押し込むと、僕は残った甘ったるい液体を喉の中に流し込んだ。ここからハチ公なら、十分とかからない。のんびり行くとしよう。そう思いベンチを立った時

「うわあっっ!!?」

という声が聞こえた。何事かと目を向けると、小学生高学年くらいの少年が空を見上げて震えている。

「くっ、くじら!?」

 

 ハッとした。そして同時に、自分の中に、冬の朝の様なしんとした冷たい心がある事に気づいた。そう。あの少年が正しいんだ。だというのに、僕はいつの間にか、僕自身の中にソレを享受してしまっているじゃあないか。僕が必死に、あいつらをひたすら無視してでも守ってきた物というのは、たかだかそんな事一つで変わってしまう、いや、変えられる物だったのだ。


 それなら、もういっそ・・・。僕は近づくと、少年に声をかけた。

 「大丈夫かい?」

 「あ、あれ・・・。くじら・・・?」

 少年の怯えた顔を見て、一瞬呼吸が止まる。でも、仕方ない。これは僕が悪い訳じゃない。諦めて、にこやかに縛られて生き続けようじゃないか。それが・・・。

 一呼吸おいて、僕はにこやかにこう告げた。




 「何言ってるんだ、それが常識だろう?」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ