二月十四日の恨言唄
「だいたい、友チョコの存在自体意味わからん。バレンタイン本当はチョコ関係ないし、男が女に贈り物する日だし、そもそもどっかのお偉いさんの命日だし、不謹慎の塊じゃねぇかよ」
よくネットで見る、日本のバレンタインにチョコを贈る風習へのディスり。負け惜しみ臭いこの台詞を、私が言いながら作業してるなんて皆思ってないだろうな。それも毎年こんな感じだなんてさ。知られてたら困るけど。
「友だちなんて思ってない人にさ、あげてるんだから」
指定の時間、生地を寝かせたと知らせるタイマーの音。五月蝿いからタイマーだけ止めて、私は冷蔵庫の前で立ち尽くした。動く気になれない。今、自分が作っていた生地を見たくなかった。
「誰にあげても同じじゃん…………本命なんて、渡せないのに」
子供は気楽でいいよねなんて、よく聞くけどね。子供には子供なりに大変だったんだよ。周りが目まぐるしく変わっていくのに、私は気がつけなかった。仕方ないよね、私には分からなかったから爪弾きにされるのは。でも、それでも、あんな想いしなくちゃいけなかったなんて、そんな事信じたくないんだ。
「ねえねえ、バレンタイン私友チョコ作るから交換しようよ」
みんなで始めた“友だちごっこ”に、何故私も頭数に入れられてたのか、今となっては分からない。覚えているのは、その時交換しようと言ってきた女子に苦手意識を持っていたこと。彼女の言葉には、いつも強制の文字が隠されてるみたいで、逃げ場が無いような落ち着かない気持ちが苦手だったのかもしれない。
「…………分かった」
小学生の、なけなしのお小遣いはたいて買った板チョコと百円均一の型。湯煎も下手くそで、沸騰したお湯でやってしまって父親に散々馬鹿にされた。型にちゃんと入れたはずなのに、はじっこが欠けてたり、出来も悪かった。この時点でもう「誰かに渡す」ことに嫌気がさしていた。
二月十四日の日の、あの浮ついた感じが好きじゃない。私が同級生とかに、本命チョコを渡せるような女の子だったらこうは思ってなかったんだろうね。残念ながら、昔も今も本命はずっと年上の、遠くにいる人。そもそも本命を渡す、告白するなんてイベントが私には訪れない。だから、私は。
不格好な、もう誰宛のものでもなかった余り物でも、男子に渡すべきじゃなかった。それも、足が早くてやんちゃでお調子者だけど人気者だった男子に。
“友だちごっこ”中の人垣が、いつの間にか私を取り囲んでたように思えた。逃げ場なんか無い。誰かの本命だったんだって。そんなの、私が知ってる筈無いのに。そんな言葉は、結局は全部言い訳だと思われておしまい。私に貼られたレッテルは、「男好き」と「薄情者」。
二話完結出来ませんでした。