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せめて夢の中だけでも……

ふわふわとした白い霧に包まれている。

普通に歩いているようだけど上下感覚が薄い。

痛みもないし、何よりも心が多幸感でいっぱいだ。


でもこれは夢。

だって今の私には右足がちゃんとあるのだから。


残念、と呟いて身を起こすと、霧が晴れた。


「うわ」

歓声をあげた。


そこは一面の花畑。

色とりどりの花々があふれるくらいに地面を覆っている。

たくさんありすぎて種類はわからなかったけれど、いくつかは見覚えがある。

トロルが持ってくる花だ。

むせかえるような花の香りは不快ではなく心地よい。


くるくると回りながら倒れ込むと、花びらが舞った。

なんて綺麗。

こんなところにいられるのならば夢も悪くないなと思う。


そのとき。

耳を覆いたくなるような騒音が響いた。


びっくりして起きあがると、遠くに黒い人影が見えた。

音はそこから聞こえてくる。

私は腹立たしい気持ちで舌打ちし、そちらに向かって歩き出した。


近づくと騒音は大きくなった。


私は叫んだ。

「うるさい!」


とたんに音は止んだ。


黒い人影がゆっくりと振り向く。

その姿に私は息を飲んだ。


チョコレート色の肌。

夜の闇のような髪。

すらりとした逞しい体。

長い足。

綺麗な指。

あらゆる人間が羨むような顔立ち。

吸い込まれそうな赤い瞳。

見ただけで魂が抜けるような完璧な美しさだ。


「ごめん」

その人は優雅に頭を下げた。


声もいいじゃない、などと思いつつ、なぜか違和感を憶えた。

これはこんな声じゃないよ、と何かが囁く。

そうだよねと思いながらも身動き取れないでいると、その人はゆっくりと立ち上がり、私の手を取って傍らに座らせた。

そして両手で私の両手を握り、頭を垂れる。


「あの日、ボクは人間を殺した」

震えながら、その人は呟いた。

「もちろん、間違っているとは思ってない。ボクはその人間に殺されると思った。だから殺したけれど、とても心が辛かった。生き物を食べる以外で殺したことがなかったんだ。だから食べたよ。おいしくはなかったけどね」

おいしかったよと言われてもきっと困る。


「大きく息を吸って叫んだとき、キミが言ったんだ。うるさいって」

「そんなひどいこと言ったっけ?」

「うん」

少し笑う。


「ボクも始めはなんてヒドイ人間だと思った。だから殺してやるくらいの気持ちで声のするほうに行ったんだ。そして、キミを見つけ、愕然とした。足が片方で生きている人間なんて初めて見たから。ボクはがんばってるキミを応援したかったから、落ちていた巻物に憶えたての人間の言葉を書いたんだ」

「ごっつぅって?」

「そうそう。それって人の言葉でガンバレって意味だって聞いたよ。違うの?」

その人がまじめに言うので私は訂正しないでそうだよと答えた。

よかった、とその人は微笑んだ。


「それから何度か、花を添えた巻物に言葉を書いて届けたね」

「そうだね」

「気味悪がって捨てられたらどうしようと思ってたけど、キミが喜んでくれたのを見てボクはとても嬉しかった。それだけでいいと思ってたんだけど」

「だけど?」

「つい手が出ちゃったね。あのとき、キミが椅子から落ちのを見てボクの平静さはどっかに行っちゃった」

溜め息。

「それでやめておけばよかった。ボクはキミとは違うんだから」


その後、その人は私から手を放した。

しばし無言。


私はその人の右手を取り、両手で自分の頬に当てた。


暖かい。

でも。

この手は私が知っているあの手ほど大きくない。

私は目を閉じ、手のひらを通して伝わってくる穏やかで大きな波を感じた。

静かな静かな、優しい思いで満たされる。


「ありがとうね」

私は呟いた。


美しい花に美しい人。

私はこんな穏やかな世界を知らない。


これほど私を満たしてくれる愛しい存在がこの姿のままだったら、と想像する。

もしそうだったら私は幸せなのだろうか?


幸せだよ、と心の一カ所が叫んだ声は、んなわけないじゃんと騒ぐ多数の声に掻き消された。


そうだよね。

そうなんだ。


私が望んでいるのはこの手ではない。

もっと大きくて固くて、でも優しいあの手だ。


「楽しい夢だった。でも夢はやっぱり夢」

頬に当てた大きな手を両手で包み、そっとキスをする。


「貴方は見た通りの貴方でいいんだよ、トロル」

言った瞬間、花畑は眩しい光に包まれ、破裂した。



そして、目が覚めた。



-----



気がつくとベッドにいた。

一番最初に目に入ったのは、大きな体を小さく縮めてベッドの隣に座っている大きな魔物。

その目はおどおどと私を見ていたが、目が合うとぺこりと頭を下げた。


「ごめん」

小さな声で謝る。


「でも、いい夢を見て元気になってもらおうと思っただけなんだ。本当だよ。ちょっと自分をよく見せ過ぎちゃったけど」

「ちょっと?」

「いや、ちょっとじゃない、か。だけどそれだって悪気があったワケじゃ……」


声がどんどんか細くなる。

私は少し笑うと、うんと手を伸ばしてトロルの体に触れた。


指が届くと、大きな体がびくんと竦む。


「怒ってない?」

「怒ってないよ」


恐る恐るといった体で顔を上げたトロルに笑いかけると、トロルは泣き笑いの顔をした。


「よかった」


そう言って、私の顔をじっと見つめる。


「せめて夢の中だけでも……」


ここで口ごもる。

やがてトロルはどす顔を黒く染めて呟いた。


「キミに好きだと言ってもらいたかった」


トロルは目を伏せた。


私はうなだれた大きな魔物を見つめた。


突き出た額。

尖った角。

黒く大きな体。

私など軽く握りつぶせる腕。

私の体と同じ太さの足。

大きな唇。

赤い目。

そして、なにより、見ただけで人が震え上がる存在。

嫌悪と畏怖の対象、相容れない魔物。


だけど……。

私にとっては違うのだ。


「そんなことで私を諦めるつもり?」


私は身を起こし、トロルの首に手を回した。

といっても全部回りきらないから、そのままぐっと引き寄せる。

普段ならびくともしない体が、ぐらりと傾げ、倒れた。

私を押し倒すみたいになっちゃったけど、とっさに腕を伸ばして、私を潰されないように気を遣ってくれてる。

驚きで歪んだ顔は正直不細工で見るに耐えないけど、夢の中にいた美しい男より好きだと私は思った。

だから、大きな鼻をぺろりとなめた。


「夢の中だけでいいなんて、とっても謙虚なのね」


それからニッコリと笑い、大きな耳元で囁く。


「もし食べられることになっても、私は貴方が好きよ、トロル」


トロルは目を大きく開き、口を開けっぱなしにしたまま私を見つめた。

よだれが落ちるってのに、と思った。


そうしてオイオイ泣き出した魔物の頭を抱きながら、この澄んだ優しい心の持ち主が必要としてくれるくらいなんだから、私の人生にもまだ価値があるのかなと思ったのだった。



-----



その後。

私はトリシックを離れ、辺境の森でトロルと二人、楽しく暮らしている。


冒険者だった自分を悪人だと思うくらい、近隣の魔物たちは親切だった。

毎日どっかから食べ物をもってくるタイタンや、秘薬を分けてくれるリッチたち。粉をひくのを手伝ってくれるサイクロプスや、話し相手になってくれるユニコーンもいる。

この足が合うんじゃないかと、どこからか死体を持ってくる魔物達の好意もありがたい(もちろん合わないから辞退するんだけど)。


トロルと一緒にトリシックを離れた時はどうなるかと心配したけど、結構何とかなるものねと最近思えるようになった。

たまにやってくる冒険者と駆け引きして魔物たちを守るのも性に合ってるみたい。

まあ、たまに事情を知らない魔物に食べられそうにもなるのだけが困るんだけどね。


今でもトロルはどこからか花を持ってきて私にプレゼントしてくれる。

こんな穏やかな世界があるなんて、知らなかった。

夢の中の王子様じゃないけれど、このトロルがこの世界にいてくれてよかったと、そのたびに私は見えない神様に感謝する。

そして右足を失ったことで多くのものを知ることができたことにも感謝できるようになったと感じる。

人生に無駄なものなんか何一つないんだ。

それがわかっただけでも、私は幸せな生き方をしてるんだろうね。

読んでいただいてありがとうございます。


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