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今日は人間にとって特別な日

家の中に魔物がいる。


それなのに、私は息を詰めて固まっているだけだ。

冒険者だった頃の自分だったらトロルなんて一撃で殺せたのに、この体では無理だ。


でも、何もできないわけじゃない。

ただ殺されるのを待っているなんて、嫌だ。

戦わなくちゃ!


そう思って魔法の本を探そうと手を伸ばす。

確か、トロルはひたすら筋力で押してくる相手だった。

魔法は、そこそこ効いたはず。

家の中での魔法はいろんな意味で危険だけど、やってみる価値はある。


その間にトロルはずんずん近づいてきた。

意外な速さ。

トロルってこんなに速かったっけ??


焦ってバタバタしているうちに、トロルの大きな手が私を捕まえる。


ああ、もうだめだ……。


私は目を閉じた。


いろんなことが頭を通り過ぎた。

これが走馬灯というのだろう。


両親のこと。

冒険に出た日のこと。

ギルドで出会った冒険者たち。

今までに旅した場所。

足を食べられた時のこと。

足がない自分を見る人々の目。

寂しかった日々。

巻物を買ってくれる客たち。

そして。

いつも花をくれる誰か。


大した人生じゃなかったと思っていたけれど、結構いろいろあったんだなあと、なんだかしみじみした。

もうじき来るだろう痛みは、最近よく来る足の激痛と比べたらどんなだろう。

そんなことをふと思う。


そのとき。


ふわりと花の香りがした。


同時に大きな腕に抱きかかえられ、持ち上げられる。

驚いて固まっている私をトロルはベッドに運んでくれた。

そしてゆっくりと優しくベッドに入れ、布団の上からなくなった足の付け根を撫でる。


「もう痛くない?」


トロルの口から流ちょうな人の言葉がでてきた。

私はこくんと頷いた。


「よかった」

トロルは牙を剥きだす。

すごい顔だけど、どうやら笑っているらしい。


「ごめんね。驚かすつもりはなかったんだ。寝てると思ったから……」

そう言うと、トロルは私に黄色い花を差し出した。


「今日は人間にとって特別な日なんだってね。おめでとう」

続けて巻物も出す。

私はそれを広げて読んだ。


どぅすこい


……。

いつもながら言葉の破壊力がすごい。

ツボにはまって肩を震わせている私にトロルが言った。


「まだ書く方は苦手なんだ……」


そして恥ずかしそうに顔を黒く染めるので、私はうっかり声を立てて笑ってしまった。



-----



その後ほぼ毎日、トロルは花を持ってやってきた。


正直なところ、最初の頃はトロルが来るたびに複雑な気持ちになった。

だって、冒険者のときは毎日のように殺していた魔物なのだ。

しかも剣士としてそこそこ活動していた時は「トロルなんて雑魚よ」と言い切っていた相手。

まあ、今では私のほうが格段に弱いんだけどもね。


だから始めはあの大きな手が窓の外から花を投げ入れるたびに身を縮めていたのだけれど、年が明けて、寒さが一番厳しくなる頃にはすっかり馴れて、むしろ来るのを待つようになった。


トロルは意外にも紳士的で、家の中に押し入ってくることはなかった。

まあ家の周りに魔物除けの結界を張っているので入れないのは仕様なのだけど。

先日、私をベッドに運んでくれたときは必死だったからわからなかったようだが、家から出た直後に雪の中に倒れたのでよほど我慢していたのだろう。あのときは慌ててヒールポーションを飲ませたんだっけ。


家周りの結界は魔物使いの友達のためが魔物を連れてくることができるように、登録した魔物は入れるようにしているため、トロルにも提案したのだけど、トロルは固辞して入らなかった。

そんなに嫌がらなくてもいいのに。

そう言うと、トロルはこう言った。


「したじきなかにもぎれいあり」


多分「親しき仲にも礼儀あり」と言いたかったのだろう。

だけど私の足が冷えるとよくないことを説明し、倒れたら運んでくれる人がいないと話したら、しぶしぶ登録だけはさせてくれた。


冬の寒さの中、トロルがどこから花を摘んでくるのか私にはわからない。

どこかに咲いているのかもしれないが、この足では厳しい寒さの中を進むこともままならないからだ。

ヒーラーは足がなくなったことを心が受け入れるのに時間がかかっているだけなので、年月が経つにつれて体がなじむと言っていたが、むしろ年を重ねるごとになくなった足が痛むような気がする。


暖炉に火を入れた暖かい部屋にいるのに、2月に入ってからはベッドから出られない日々が続いていた。

朝、身を起こした時に引きつるような痛みに声も出せず、低レベルの巻物すら書けないことが多い。

そんなときは脂汗を流してひたすら耐えるしかなく、独りでいるのがとても辛かった。


そんな私の様子を見て、商人は巻物の発注を減らしてくれた。

加えて、時折様子を見に来てくれたり、食料を差し入れてくれたりと大変面倒を見てくれる。

礼を言うと、商人は後ろ頭を掻きながら『うちのカミサンが』と笑った。

家族思いのいいお父さんだ、と思う。

私にもそんな家族がいたはずなのだけど、昔のこと過ぎて忘れてしまった。


心が優しく和む。


商人は私の家を訪れるたびに、素晴らしくいい香りがするなと言った。

そして芳しい香りを放つ花をどうやって手に入れているのかと(うちの周りには花なんか咲いていない)聞くのだけれど、私はいつも答えられなかった。

わからないんだから仕方ない。

それでもしつこく聞いてくる時は、たまに来る鳥がくれるのよ、と答える。

実際にそういう鳥がいるそうで、商人は「今度その鳥が来たら教えてくれ」と言って去っていった。


薄く笑う。

相手がトロルだと知ったら、商人はどんな顔をするかな。


でも私は言わない。

あの心優しいトロルに危害を加えたくない。



-----



そんなことを思っていると、大きな手が花を持って現れる。

ほとんどが夜中。

今日は月が明るいので、鬼のような顔に陰影が濃く刻まれているのまで見える。

なかなか凄まじい顔なのだけど、つま先立ちでこそこそとこちらに向かってくる姿はとても微笑ましい。


久しぶりに痛みがなかったので、花と巻物を置いていそいそと去ろうとするトロルに声をかけた。


「こんばんは、トロル」


トロルはぴたりと止まった。

おそるおそる、と言った感じで、ゆっくりと振り返る。

背筋がぞっとなるような顔には、悪戯をしていて見つかった子どものような表情が浮かんでいた。

むき出しになった牙が月の光で光っている。


かわいい。


心からそう思い、にこりと笑うと、トロルはほっと力を抜き、笑った。


「こんばんわ、お嬢さん」


醜い顔がさらに歪んで壮絶な顔になったが、それがまた愛しいと私は思った。


愛しい?

このすごい凶悪そうな笑顔の魔物が愛しいって?


自分の心にびっくりする。


その時窓から冷たい風が吹き込んできた。

風に身を震わせると同時に、ない右足がぞわりと痺れた。

しまった。油断して少し冷やしてしまった。

このままだと寝入った頃にまた痛みそうだ。


「どうかした?」

トロルが心配そうに言う。


「ううん、なんでもない」


私は手を伸ばして窓枠にかかっていた大きな手に触れた。

急いで引っ込めようとしている手を握る。

固くて厚い皮膚を通して、命が波打っているのがわかった。


大きくて暖かい。

両手を重ねると、手がびくりと竦んだ。

赤い目が挙動不審な私をおろおろと見つめる。

美しい深紅の中に月の明かりと私の姿が写っていた。


ああ。


こんな暖かい命を私はたくさん奪ってきたんだな。

冒険者だから何をしてもいいんだと、私は勝手に思いこんでいたんだ。

自分の楽しみのために奪った命だってあった。

名誉のためにとドラゴンに挑んだけど、本当にそれだけだったのだろうか?


私はまだ痛みを「痛い」と取れる命を持っている。

だけど、私が魔法で奪ったたくさんの生き物はもうそんなことも考えられない。


そう思ったら体の芯が凍えた。


だけどあのときはそれが正しいと思っていたんだ。

心の奥で自分が反論する。

そうしなくちゃ殺されていたのは私だ。

こんなことを悠長に考えている時間なんかなかったはずだ。

魔物だって私の一部を奪った。足の一本ですんだのは単に幸運だっただけだ。

たくさんのゴブリンになぶり殺しにされた冒険者の話も知っている。

生きていくのは戦い。

町にいたって生きるために肉や野菜を食べている。

命を奪っている。


たしかに。

たしかにそうなんだ。


でも。


今まで奪った命のことを考えて自分は酷い奴だと自分を哀れむことほど楽なことはない。

可愛そうな自分を甘やかしていたら何もできなくなってしまう。


これから自分がどう生きていけばいいのか。

それを考えるのが大事なんだ。

今はこの優しいトロルのために自分が何をできるか、それを知りたい。

償いとかそういうのではなく、このトロルの優しさに対して、私には何ができるのだろう。


そう思っていると、なにかが私の手を触った。


大きくて固い指。


「足が痛むの?」

無言になった私を、トロルは心配そうに見つめていた。


「ううん」

痛むのは心のほう。

そう言おうとしたけれど、やめた。


「貴方の手は温かいね、トロル」


代わりにこう言うと、トロルは頬をちょっとだけ黒く染めた。



-----



昔から、私の予感は嫌なところだけよく当たる。


あの夜からなくなった右足がひどく痛み出し、しばらくは起き上がることすらできなかった。

ほぼ毎晩、トロルは花と巻物を置いていってくれるのだけど、それを回収する元気もない。


しおれた花と巻物を見たトロルががっかりして引き上げていく気配を私は申し訳ない気持ちで感じていたが、顔を合わせたくはなかった。

自分勝手だがこんな情けない姿を(足がない時点でもう充分情けないんだけど)見られたくなかったのだ。

運が悪いことに商人が来る予定もなかったので、私は終日ベッドに横たわり、痛みと戦っていた。


痛みは心を萎えさせる。

特に1人だと虚しさばかりが押し寄せる。

こんな辛いのなら早く死んでしまいたいと私は何度も祈った。

その短剣で胸を突けば楽になるとか、この痛みと首をくくるのとどっちが辛いのかとか、そんなことばかり考えて1日が終わる。


そんな日が7日も続いた。


しずしずと降っていた雪が止んでも凍えた風が吹き荒れている夕暮れ、やっと起きあがることができた私は、久しぶりに窓の横に座り、トロルからの贈り物を見ていた。


すっかり枯れてしまった花が三本。

巻物が二本。


巻物が一本足りないな、と思った時、花の陰に小さな瓶と本を見つけた。


「巻物から本になったのね」


たくさん書きたいことでもあったのだろうか?

赤い表紙の小さな本を開くと、中にはこんなことが書かれていた。


のむ のむとき のめば のむ

いやなら やめよし


うん、文章長くなってる。

少し笑った。


「書くのも上手になったね、トロル」


瓶を取って見ると、キラキラと光る液体が入っていた。

ランタンに透かすと中身が虹色に輝いている。そのまま飾ってもいいくらいきれいだ。

錬金術師の友達からポーションを全種類憶えさせられたけれど、こんなのは見たことがない。最近出始めたエルフの村伝来の品でもなさそうだ。


蓋を開けると花のいい香りがした。足の痛みだけでなく気持ちまで軽くなるような香り。


これを飲んだらどうなるんだろう?

トロルが私に害を加えることはないと信じたいが……。

飲んだら死んでしまうかもしれないよ、と何かが囁く。


「まあ、そのときはそのときか」


私は肩を竦めた。

死んだところで悲しむ人がいるかもわからない。仕事が途中だから、お世話になってる商人は困るかもしれないけど。


そして大きく深呼吸。

覚悟を決めて瓶に口を付けると、甘みが舌に広がった。

なかなかいける、と一気に飲み干す。

ぷはぁと息をついたとき、急に眠気が襲ってきた。


ほら、やっぱり毒だったんだよ!


と、先程の何かがほくそ笑んで言う。


「うるさいなあ」


そう呟いたはずなのだけど、舌が回ったかわからない。

そのままずるりと崩れ落ちながら、私は『こんなことならポーションがもっとまずかったらよかったのに!』とか見当違いのことを思っていたのだった。

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