満月が明るくて、それなのに雨が降っていた
そんなある晩のことだった。
満月が明るくて、それなのに雨が降っていた。
夜の天気雨は綺麗だ。
晴れた真冬の日の雪より騒がしいけど、ずっと静かな気がする。
さわさわさわ、と静かに雨が落ちる。
満月が小さな雨粒を虹色に染める。
普段は夜でも旅人がゲートを抜けて街に行く姿が見られるけど、今夜はそれもない。
日中に熱をもってこもっていた空気が雨に溶けている。
私はランプを消して、椅子を窓辺に持って行く。
ひやりとした空気に触れ、じわり、と右足が痛む。
右足なんてないはずなのに、しくしくと哀しく痛む。
現実を思い出して哀しくなる。
こんなときは音楽でも習っておけばよかったなとしみじみする。
音楽スキルを鍛えておけば、いろいろ役に立つこともあるのかもしれない。
今からでも遅くないんだろうから楽器を買ってこようと毎回思うんだけど、果たしたことがない。
現実なんてそんなものなんだろう。
思っていること全てを実行できたら、そしてそれがすべて叶うならなあと切実に思うけど、できたらできたで人生がつまらないのかな。
なんてコトをとりとめもなん思っていたら、遠くで音がした。
音、としか言えない。
絶対に歌じゃないと思う音の羅列。
文字で書いたらたぶん「ぼえ~~」だ。
しかも音はだんだん大きくなってきて、見渡せば家がガタガタと震えるくらいになっている。
テーブルに置いていたポーションの瓶が倒れて落ちた。
「まったく」
どこのバカだよ。
せっかくの天気雨をぶちこわす騒音に腹が立った。
「うるさい!」
窓を開けて怒鳴る。
ぴたりと音が止んだ。
私は満足し、窓を閉めた。
騒音のおかげで足がじわじわ痛むので、ポーションを出してきて飲んだのち、再び物思いにふける。
どのくらいだっただろう?
気が付けば眠っていたらしい。
なにかがかたんと窓に触れた音で目が覚めた。
虫か何かかなと思いながら目をやると、窓が開いている。
さらに、私の顔くらい大きな手がにゅっと突き出ているじゃないか!
「ぎゃああああ!」
私は悲鳴を上げ、身構えた。
こいつ、まさか窓を破って入ってくる気?
家の周りには魔物避けのシールドが張ってあったはずなのに!
とっさに身構えようとして、なくなっている右足に体を傾けてしまい椅子から落ちた。
痛い……。
それでも顔を上げて窓に目を向けると。
それはいなくなっていた。
私は魔法の書を握り締め、そろりそろりと窓に向かった。
そしてそっと様子をうかがう。
そこには何もいなかった。
「気の、せいだったのかな?」
私はへたり込んだ。
考え過ぎだった自分がバカバカしく、笑う気にもなれない。
ふと窓に目をやると、枠に何かが乗っていた。
枯れかけたピンクの花と、空の巻物が1本。
びっくりしつつも巻物を開くと、中には読みにくい大きな字でこう書いてあった。
ごっつぅ
……。
ごっつぅってなんだ?
いつの間にか雨は止んでいた。
私は巻物と花を手に、しばし呆然としたのだった。
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それからしばらくした小雨の日、また同じことがあった。
小さな黄色い花と巻物が1本。
巻物にはなぜか「どんます」と書かれていた。
きっと「どんまい」と書きたかったのだろう、そんなことを思ったら頬が緩んだ。
二度あることは三度ある。
次に届いたのは水色の花と黄色いポーション。
ポーションは町で売られている一番安い価格のもので、初期に風邪には効きそうだ。
ちょうど風邪気味だったのでありがたくいただいた。
三度続くと偶然ではない。
赤い花とくすんだ巻物がそう言っている。
巻物は呪文を使って空になったものだった。再利用できないので呪文を書くには使えないが、メモには使える。
そこに書かれていたのはいつもより読みにくい文字。
大揺れに揺れた文字で「ガッツだぜ」とあった。
ツボにはまった。
誰からかわからないプレゼント。
初めは気味が悪いと思っていたが、気がつくと贈り物が届くのを心待ちにするようになった。
誰かが自分に何かしてくれることがこんなに嬉しいなんて、今まで思いもしなかったことだ。
春が過ぎ、夏が終わって秋が深くなることには、私の手元には55本の巻物と届けられた花で作ったポプリがあった。
花の優しい匂いに包まれてスクロールを書くと、心が和む。
誰かが自分を大事にしてくれているという、そのことだけで幸せになるなんて、冒険者だった時にはあり
得なかった。
気持ちが穏やかになってから、客が増えた。
ゲート方向に向けて作ってもらったウッドデッキに商品を並べておくと、以前は素通りするだけだった人々が覗いて行ったりする。
連絡用においた掲示板にも「別の巻物は売らないのか」と問い合わせが来ていたり、帰還の巻物を頼む商人が「他の巻物も作って欲しい」と言ってきたりして、それに合わせて商品を増やしていったら、安定した収入が入るようになった。
へたをすると冒険にでていた時よりお金持ちかも、と苦笑するほどだ。
「あんたは結婚しないのかい?」
そんなことまで聞かれるほど親しい客もできた。
「足のない女をもらいたい男なんていないよ」
私はいつもそう答えて笑うけど、しまったという顔をして逃げていく客を見るたびに心が痛んだ。
自分はただの厄介者なんだろう。
何もしない私は誰にも相手にされず、日々を無為に生きていたのだろうか?
ただ息をしているだけの日々は正直しんどい。
死んでしまった方がいいと思ったこともあった。
でも、こうして生きている。
冒険をしているときは考えもしなかったけど、魔法や書写やポーション作りなど、いろいろと憶えておいてよかった。
人生無駄なことはないのだなと思う。
いろいろなことに文句ばかり言って立ち止まっているより、今の方がずっといい。
自分を抱きしめながら、私はそう思って深呼吸する。
鼻をくすぐる花の香りはそういう時の私を癒してくれる。
そういう日々を重ねていたら、いつか巻物の主に会いたいと思うようになった。
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秋が終わって、冬が来た。
今住んでいるトリンシクの国は、冒険をしているときに拠点としていた首都テインと比べたら暖かいのだけども、冬になればやはり寒い。
雪がちらちらと降ってくると見えない右足が痛む。
古傷は冷気や湿気に弱いのだと、先日来てくれたヒーラーに言われた。
嘆いても仕方ない、若かった自分が悪いのだから。
暖炉に入れ、膝掛けをして巻物を書いていたが、足の痛みは治まらず、食いしばった歯の根がかちかちと音を立てた。
困った。明日納品の巻物が半分も片づいていないと言うのに。
足のことでいつも心配してくれる商人には「緊急のときは納品できなくても気にするな」と言われているけれど、それに甘えたくない負けず嫌いな自分が好きなのだ。
それに今回は秘薬も空の巻物もたくさん用意してもらっている。環境が整っているのだ、やらないわけにはいくまい。
気合いを入れ、がんばってやっと巻物が全て揃った時には、大きな満月が西にかなり傾いていた。
東の空はほんのりと明るくなっている。
ほっとしたら、気が抜けた。
同時にものすごい激痛に襲われた。
息をするのもままならない。
脳天が真っ白になり、あえぐしかできなかった。
そういえば痛み止めのポーションを切らしている。
グレーターヒールの巻物、たくさん作ったのにすべて納品の箱に入れてしまった。
バカだった、と後悔したところで何の解決にもならない。
このまま死んでしまうのかな?
弱気な私はそう思ったけれど、足の痛みくらいで死なないよと醒めた目で自分を見ている私もいた。
だけどどっちも「今は気絶した方が楽なんじゃない?」と妥協したらしい。
ふうっ、と意識が遠くなったとき、窓の向こうに大きな影が見えた。
影だけだったのに、なぜかそれが花の贈り主だとわかった。
あ、今日も来てくれたんだ。
それだけでほっとして、私は気を失った。
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目が覚めると、ベッドで寝ていた。
夢だったのかなと思い、そっと身を起こす。
途端に激しい痛みが来て、息が詰まった。
「だめだよ、寝てなくちゃ」
足下から声がする。
見るとそこには巻物を買い取ってくれる商人がいて、品物を数えていた。
「ひ、ふ、み。おお、ちゃんと揃ってる。数が多くて大変だったな、ご苦労さん」
「私は……?」
この人がここまで運んでくれたのだろうか?
尋ねると、商人は首を振った。
「いや、アンタはここで寝てたよ。しかもスゴイ脂汗をかいて唸ってた」
「そう……」
「だから、枕元にあったヒーリングポーションを飲ませたんだがな。アンタ、薬があるんならちゃんと飲まなきゃイカンだろ。これからは気をつけるこったな」
ポーション?
そんなものを買ってた記憶はないんだけど。
「しっかし、今時ただのヒールなんてなあ。魔物くらいしか持ってないだろうに。ちゃんとグレーターを買えよ。なんなら次回来る時に持ってきてやろうか?」
そんな大金持ってない。生活していくだけでカツカツだ。
首を振ると、商人は軽く笑い、品物を荷ラマにつめると、お金をおいて去っていった。
それを見送り、一息ついた後、枕元を見た。
小さな雪割草と空の瓶。そしていつもの巻物がある。
いのちでぃじー
いつもの汚い字で書かれている言葉を見て、なぜか涙が溢れた。
「せめて夢の中で会えればいいのにね」
呟いたら辛くなって、枕に顔を埋めて泣いた。
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それからしばらく、花と巻物は来なかった。
雪が深くなって、客足も少なくなった。町から出る者が少ないんだろう。
そういえば冒険者だった時は南のサーンツとかロームで暖かくなるまで過ごしていたように思う。
南の島に渡る鳥のようだ、と知り合いにからかわれたっけ。
冷えないように足元を毛布でぐるぐる巻きにして窓辺に座り、外を見る。
時折獲物を探すキツネが通るくらいで、世界は静かだった。
多分、いやきっと、今日も誰も来ないだろう。
毎日毎日待つだけの生活は辛い。
今なら瓶に閉じこめられた魔物の気持ちがわかる気がする。瓶を開けてくれる相手を待って待って、待ち疲れて最後には開けてくれた人を恨んでしまう魔物の気持ち。
今の私みたいだと思う。
いつの間にかこんなに自分が弱くなっていたことに驚いた。
そしてなんだかおかしくなって少し笑った。
そうやって過ごすうちに、クリスマスイブになった。
クリスマスまでの一ヶ月はやたらと帰還の巻物が売れた。
普段は会えない家族に会うために巻物がたくさんいるのだろう。羨ましい話だ。
そんな家族がいたら少しは状況が変わったのだろうか?
虚しい自問に首を振るだけだ。
クリスマスイブの夜は1人で窓辺に座り、外を見ていた。
商人が持ってきてくれたケーキとチキンは半分も食べられなかった。
こんなにたくさん1人で食べろというのは酷な話だと苦笑するが、その好意が何よりのプレゼントだ。
私はジンジャークッキーくらいしか返せなかったけれど、家族のツリーに飾ってくれると言ってたから、それだけでも少し幸せな気持ちになる。
何もしないけど、ダンジョンでたくさんの冒険者たちと共闘した時の気持ちと同じだ。
外はしずしずと雪が降っている。
ホワイトクリスマスを演出するなんて、ここら辺の天気はしゃれている。
とかいえ少し降りすぎかもしれない。積もった雪は先ほど帰った客の足跡をすっかり消してしまった。
誰もいない世界に独りで取り残されたような気持になる。
とても寒い夜だったけど、幸いにも、今日は足の痛みはない。これもまたクリスマスプレゼントなのかもしれないと思う。
灯りをろうそくだけにして、窓越しに空からの贈り物を眺めていると、花の香りが鼻に届いた。
ついに先日100本を超えた小さな花々。
ポプリにして瓶に入れているけれど、そろそろいっぱいになってきた。
年が明けたら新しい瓶を出そうかな、そう思うとなんだかワクワクする。
こんな静かな夜に、花置き人は何をしているんだろう?
いつか会えるといいなあ、と思う。
しかし、会ってどうしたらいいんだろう?
なんで花をくれるのか、巻物に言葉をくれるのか、そんなことを聞く前に聞きたいことはたくさんある。
聞ければ、だけど。
一人きりのクリスマスイブはなんだか寂しかった。
クリスマスだからといって他の日とまったく変わらないはずなのに、その日に名前が付いているだけで特別になって、だからこそ特別でない自分が哀しくなる。
「雪降る夜は側にいて」
以前読んだ本の一部を口に出した。
ぎゅうっと、胸が痛んだ。
だけどそれだけだ。
何か起こるわけではないし、自分が変わることもない。
ふっと溜め息を吐いて、ゆっくりと椅子から離れた。
そのとき。
かたん、と小さな音がした。
そしてふわりと雪が舞い込む。
びっくりして振り返ると、窓が開いていて、そこから手が伸びていた。
大きな大きな手。
人間の物とは思えない、真っ黒い手。
それが小さな花と巻物を持っている。
「待って!」
私は反射的に叫び、大きな手を掴もうと腕を伸ばした。
しかし体は言うことを聞かない。足をなくしてからこんなに素早く動かしたことがなかったので、手は宙を掴み、そのままの勢いで床に倒れる。
痛い。
それでもがんばって身を起こすと、すごい勢いで大きな大きな影が窓から入ってきたのが見えた。
真っ黒い巨体。
尖った牙。
赤く光る眼。
獣のような臭い。
冒険者だったとき、よく屠った魔物。
トロルだ。
私は悲鳴を飲み込み、後ずさった。