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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

雨の日

作者: ひっそり

お目汚し失礼いたします

そう、その日は忘れもしない、ある雨降りの朝だった。






僕はバスを待っていた。いつものバス停で、いつもの時間に。バス停までの道のりは、中学生の通学路とかぶっていて、あと少し遅く家を出ると人の波に飲み込まれる。それが煩わしくて僕はいつも早めにバス停について音楽を聴くことにしている。


そう、その日は本当に久しぶりの雨だったんだ。


彼はしとしと降る雨の中、傘をささずにゆっくりと歩いてきた。焦るでもなく、いつもと同じ足音のリズムで、いや、むしろ常よりいくらかゆっくりと。僕は音楽プレイヤーの電源を落とした。イヤホンは耳にささったままだ。


バス停の背後にはコンビニもある。雨をしのぐならコンビニであと5分、時間をつぶせばいいだけなのだ。傘も売っている。しかし彼は、バスの定刻までバス停に並んで待つことにしたらしい。


僕は傘をさしている。濃紺の大きめの傘を。ビニール傘じゃなくてよかった、そのおかげで隣に並んだ彼を盗み見ることができる。

いつもの黒のビジネスバッグと、見慣れぬ何か大きめの紙袋を持っている。傘がなくても靴はそっと観察できるから、彼の革靴がいつも丁寧に磨かれて手入れされているのは知っている。


あと3分、バスの定刻まであとわずかのところで、あることに気がついた。このバス停を常時利用するのは他に3人ほどいるはずなのに、まだ来ていないようだ。まあ、そう、2人きり、なのだ。


目の前に3車線の道路、背後にはコンビニのある風景にいて2人きりなんて、どうして思ったんだろう。ただ、そう、傘をたたく雨の音が聴覚を満たしているから、そう、雨が降っている。


「バスが来るまで、一緒に入りませんか」


自分の目線を隠すように傾けていた傘を上げて、音も流さず耳にささっていたイヤホンを抜いて、気がついたらそう彼に告げていた。


気がついたら?いや、僕はこの一瞬を待ってたんだ。彼を遠目で初めて見た時から、少しでも近くに、少しでも接点を持ちたくて、毎朝バス停では彼の隣に並びたかったし、もしかしたら彼の知り合いが現れて会話から彼の名前が聞けるかもしれないと思ったから、彼がいる時は僕のイヤホンは無音のことが多かった。


雨が降っているから、雨が降っているのに傘をさしていないから、僕にとっては完璧な口実を手に入れて―


「ありがとう、それじゃあ入れてもらってもいいかな。ああ、傘は俺に持たせて」


切れ長の目を細めて、にやりと笑いながら彼は手を伸ばしてきた。彼の方が背が高いから、言われたとおりに傘を差し出したら、少しだけ、持ち手に彼の指が触れる。大きめとはいえ、一つの傘におさまるのだから距離もすごく近くなって、低くて大人っぽい声も聞けて、会話もして、僕はキャパオーバーだった。


「最近ずっと晴れだったから、折りたたみもどこかいっちゃってね、鞄に入れといたはずなのに、助かったよ君は、学生?」

「そうです、大学生です」


気を使ってくれているのだろうか、話しかけてくれるけど、僕はドキドキしっぱなしで話が広がらない。バスの定刻まであと1分。


「俺ね、今日でバス使うの最後なんだ」


驚いて見上げる。その拍子に向こうの交差点を左折してくるバスが見えた。ああ、終わってしまう。


「今の職場今日で終わりで、次は車通勤するわけ」


彼はそう言ってどこかを指差した。そうか、今日で終わりなんだ。


バシャバシャと水たまりを蹴って走ってくる足音が聞こえる、このバス停の常連だ。今日はギリギリだったみたいだ。


彼は傘を閉じた、雨はもう小降りになっていて、バス停で待つ人数は3人になった。終わってしまったんだ。

彼はくるくると器用に傘の留め金を巻いてパチンととめて、僕に渡してきた。やっぱり、几帳面な人。


「ありがとう、助かったよ」

バスは結局定刻ぴったりに来た。

「いえ、こちらこそ。新しい職場でも頑張ってください」

うまく微笑むことができたと思う。


バスの中は吊革が埋まるくらいの人がいたし、彼は大きな紙袋を持っていたからか、後方の2人がけの席について、僕は真ん中あたりの吊革に落ち着いた。その後は、いつものように僕が先に降りる。僕は振り返らなかった。あの瞬間は、奇跡とか、そういった類のものだったんだ。






まぁ、あの時の事を思い出すと、本当に奇跡だったと思う。後で分かったのは、あの瞬間を奇跡だと思ったのは僕だけじゃなかったってこと。


後日談というか、あのバス停での出来事から1時間後のこと、学校に着いた僕はトートバッグを広げてテキストを出した。

「おい、裕也、なんか落ちた」

「んー?」

後ろのやつに言われて振り返ると下を指さされた。そこには長方形の白い紙。

個人的に貰うのは初めてかもしれない。貰ったんだよな...変な見知らぬおっさんのじゃないよな...これは、彼の名刺。時間前の奇跡に頭がふわふわしていた僕は、事態も飲み込めないまま我慢しきれず、昼休みに名刺に手書きで書かれた方の番号に電話をかけることになる。


最初に名刺を見た時、苗字は難しくて読めなかったのは内緒。名前は読めたけど。バカにすんなよ、あれはきっと街角正解率5%だ。


あの奇跡は、もう思い出になった。僕達は今、言い訳がなくても同じ傘に入れるだけの関係性ってやつを手に入れたんだ。








相合傘って言うなよ、恥ずかしいから



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