先生
その晩、裕太は夢を見た。それは先生と出会った時のことだった。あれは一年生の時、詩織に掃除当番を押し付けられ、美術室に置かれていた絵を見た時だった。その絵は「影」というタイトルだった。美しい街並みに、いくつかの影が不自然に描かれている。
「その絵が気になるのかい?」
裕太は美術の授業は取っていなかったが、榊原先生は学校でも有名な人だったので、裕太も知っていた。色白で大人の色気があり優しい先生は、女子に大変人気だった。
「はい、俺もこの影に似たようなものをよく見るんです」
先生はそれを聞いた時、驚いたと同時に悲しそうな表情を浮かべた。
「本当かい?君にも見えるんだね。それは、生まれつき?」
「いいえ、中学の時からです」
「そうか。僕は、大学の時だったかな。多分だけど、中学生の時に人生において大きな分岐点があったんじゃないかな?それも悲しいことがね。別に聞きはしないけど」
確かに両親が別居し始めたころに、裕太は影が見え始めていた。先生の言っていることは、どうやら本当のようだ。普段は人に言わないことだが、裕太は思い切って話してみることにした。
「中学3年の時に、父さんが別居し始めたんです。両親は共働きだったので、お互い疲れてたんだと思います。俺はいつも二人の喧嘩を見ているだけでした。でも二人はまるで、俺のことなんて見えてないみたいで……」
裕太は不意に泣きそうになった。今まで平気だと強がってきたのは、母親に余計な心配を掛けさせたくなかったからというのもあったし、感情をぶつけられる相手がいないので、この気持ちをどうしていいか分からなかったからだった。しかし言葉にしてみると、その寂しさは誤魔化しきれなかった。
「話すのも辛いだろうに。でも、話してくれてありがとう。きっとその寂しさが原因で、影が見えるようになったんだろうね」
「先生も、何かあったんですか?」
「……僕はね、大切な人を亡くしたんだ」
迂闊に質問してしまったことを、裕太は後悔する。自分よりもよっぽど不幸なことが先生には起きていたのだ。言葉を探すけれど見つからず、黙っていることしかできなかった。
「ああごめん、君が暗くなる必要はないんだ。ところで君は、あの影の正体がなにか知ってる?」
「俺は幽霊みたいなもんだと思ってます」
「幽霊か……確かにそうだけどね。あれは正確に言えば、悪霊みたいなものなんだよ」
「悪霊?」
「そう、悪霊。死んでなおこの世に未練のある者たちが、成仏できずにこの世を彷徨ってる」
「やっぱり、見えちゃまずいものなんですかね」
「なあに、心配することはない。見えているからこそ警戒することができる。悪霊は心の弱っているものに取り憑き、その心を暴走させるんだ。自分をしっかり持っていればまず大丈夫だ。何かあったらここへ来て話してみるといい」
それから裕太は、月に何度か美術室へ行くようになった。今では相談に乗ってもらうだけじゃなく世間話をしたり、先生の手伝いをしている。たまに雑務を押し付けられたりしているが、本当に優しい人だ。だからきっと先生は犯人ではない。裕太は夢の中でそう思った。