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ぼくらは死んだ  作者: 水島素良
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最終章 6

 次の日の早朝。

 幸か不幸か、ミカちゃんは寝坊せずに札幌駅にやってきた。さすがに眠いのか言葉少なだったけど。

 切符を二人分買い(あとで請求してやる!)一緒にあの町へ向かう電車に乗り込む。

 窓の外をじっと見つめる。徐々に住宅がなくなっていって、古びた工場や牧場が見えるようになる。 でもそんなことはどうでもいい、あの町が本当にあれば、それでいい。

「イワモトぉ!駅弁買おうよ」

 ミカちゃんが座席前についている駅弁のカタログを見て騒ぎ始めた。すっかり観光気分だな(自分は費用出してないくせに……)

「高校生は金ないの!往復の料金で手いっぱいなの!帰れなくなるぞ!」

「なんだよーケチ」

 ぷくーとほっぺたを膨らませるその怒り方が小学生だ。まあ、中学生だからまだ小学生と大してかわんないよな。そういえばうちのサチコもほっぺた膨らましてたような……。

 途中でローカル線に乗り換える。だんだん建物が少なく、低くなっていく。

「あ、湖が見えるよ!ホラ!」

 ミカちゃんが反対側の席のほうを指差した。見ると、木陰から暗い色彩の湖面が、少しづつ大きくなって近づいてくる。見覚えのある街並みに、学校、あれはスダが通ってる中学だ!

 ほんとうにあの町に来たんだ。すべては本当だったんだ!

 湖の岸が少しずつ見えてきた。忘れもしない、あの商店の屋根が見える!

「おばあちゃん家見えてるよ」

 ミカちゃんが言った。

 間違いない。僕らがいたあの、梶村商店だ、湖には遊覧船は見えないけど、岸の形、対岸の陸の色。

 間違いない。

 幸平は、サミは?まだあそこにいるのか?字室がいなくなって、梶村さんまでいなくなって、サミはぜったいに寂しがっているはずだ。幸平は?またあの気持ち悪いアクロバット飛行か?

 僕は湖の周りを懸命に見た。人影を探した。飛んでいる人がいないかじっと見た。

 人影はない。

 生きている僕に、幸平やサミが見えるだろうか?


 町の駅に足を踏み入れた瞬間、言いようのない感覚に襲われて、僕は立ちつくしてしまった。

 前、ミカちゃんを見送りにここに来た時、僕は宙に浮かんでいたんだ。空中から、この駅の、古びた路線や、いいかげん作り直せと言いたくなるような古いベンチとか、見ていたんだ。駅の出口から見える街並みの向こうにはあの湖がかすかに見える。あの上を僕は飛んでいたんだ。

 足が地面から離れない。まるで誰かに縫い付けられているみたいに。

 僕は動けなかった。

「どーしたのイワモト?はやくぅ!」

 ミカちゃんが駅の外で叫んでいる。

 僕は考えていた、これは本当に現実なのか?それとも僕はまだ夢を見ているんじゃないか?本当はまだ意識不明で、病院で寝てるんじゃないか?ぜんぶ幻なんじゃないのか?列車から降りた瞬間、別な世界に迷い込んだんじゃないか?

「イーワーモートぉ!!」

 ミカちゃんが戻ってきて、僕の腕をがっしり掴んで、引きずるように駅の外に引っ張って行った。

 おかげで僕は町に入ることができた。

 じゃなきゃ、一生あそこで立ちつくしていたかもしれない。

「今おじさんが来ててねえ、荷物の整理してるよ」ミカちゃんがニヤリと笑った「店のお菓子はぜんぶもらっていいって」

「おじさん?」

「長男。ショウシンショーメイおじいちゃんの息子。顔そっくりだからオドロクぞ~」

 僕はまだ夢にでも紛れ込んだ気分で、楽しそうなミカちゃんについていった。


 かつて朝八時から開店していた梶村商店は、今や完全に閉店していた。シャッターが下りている。

「おじさ~ん!入るよぉ~」

 ミカちゃんが叫びながらドアを乱暴に開けた。奥から足音が聞こえる。ああ、この家に玄関からちゃんと入ったのは今日が初めてだ。いつも窓から出入りしてたんだよな。

 家の奥から、中年と老年の境目くらいの年の、色の黒い健康そうな男性が現れた。

「梶村さん!?」

 僕はその人の顔を見た瞬間に叫んでしまった。全く同じ顔だった。あの目の細い、筋の通った顔立ちだ。あの顔を一回りかふたまわり老けて見せたらこうなるだろうな、という顔をしている。それがミカちゃんの『おじさん』だった。

「そうだけど……ミカちゃん、この人は?」

 おじさんは僕を怪訝そうな顔で見た。梶村さんが僕を最初に見た時も似たような顔をしていたような気がする。

「トモダチ。イワモトっていうの。ほらほら、入った入った!」

 ミカちゃんが、たぶんあの居間であろうと思われる場所からこちらを見て手招きした。中に入る。こんなに緊張するとは思わなかった。心臓がつぶれそうだ。

 家具がほとんどなくなっていて、ダンボール箱が部屋中に積まれていた。でも、あの、梶村さんが座っていた金庫だけが、元の場所に置いてあった。

「この家、ケッキョクどうなったの?」

「おじさんが住むことにした」梶村『おじさん』がミカちゃんに優しい声で言った「お母さんから何も聞いてないのか?」

「聞いたけどよくわかんなかったしぃ~。写真もらいに来たんだよ」

「あぁ~そうだ、写真なあ~」

 おじさんがダンボール箱の中をごそごそと探って取り出したのは、この前の夏に二階で梶村さんとミカちゃんが見ていたアルバムだ。

「こんなもん持ってってどうするんだ?戦前の写真しか入ってないぞ。おじさんもお母さんも映ってないよ」

「おじさんなんか映ってなくてもいいもん」

「はは、ひどいなあ」

 二人が楽しそうに笑っている。僕はミカちゃんの手に渡ったアルバムを見た。その視線に気がついたのか、ミカちゃんが僕のほうに寄ってきて、アルバムを開いて写真を指差した。

 いつか見た、梶村さんとフデさんの、結婚写真だ。

「思い出した?」

 ニコニコしながら尋ねるミカちゃんに、僕は無言で頷いた。というより、声が出なかったんだ。写真の青年を見る。僕はこの人と会話して、一緒に過ごして、夢まで一緒に見たんだ。あの恐ろしいシベリアの夢。

 二人が消えたってことは、梶村さんがあの悪夢を見ることももうないんだろう。それはきっと喜んでいいことのはずだ。よくわからないけど。

 きっと、梶村さんたちだけじゃなく、いろんな人の人生や死の上に、僕らは立っている。

 そのあと、サミや字室や幸平の世代があって、そして今があるんだ。

 そんなことに、今初めて気がついた。そしてそれはすごく重たい事実だった。

 奥の部屋を覗いてみる。仏壇と金庫が前のまま、僕がいたころのまま置いてあった。化粧台がなくなっていて、かわりに段ボールが積んである。

「ここから湖がよく見えるんだよね」

 ミカちゃんが窓を開けた。一緒に外を覗く。湖が見渡せる。天気が良くて、湖面は静かだ。遊覧船が岸に停泊しているのが見える。近くの砂浜も見える。このあたりのことは僕は誰よりもよく知っているつもりなのに、実際に生きた体から眺めてみると、それも不確かな気がする。

「幸平が見たらない。湖の近くに行ってみよう。イワモト」

 ミカちゃんがそう言うなり外に飛び出して行った。


 湖岸の一部が砂浜になっている。僕は砂の上に立った。足もとが砂にうずもれるのを感じる。ここで葛西アイカが湖に入っていこうとしたんだっけ。あの子は今どうしているだろう?

 いや、それより、幸平はどこへ行ったんだ?

 ミカちゃんは砂浜に座って湖を見つめていた。さっきからずっと黙っている。僕も黙って湖面を眺めた。夜になればこの湖面には幽霊船が浮かんで、サミが月を見上げているんだ。

「あー!!!ああああああああああ!!!!!!」

 背後から男の絶叫が聞こえた。振り向くと、そこには、ブツブツだらけの顔の、どう考えてもかっこよくない、僕のよく知ってる奴が、目を丸くして立っていた。休日なのに制服を着ているのが気になるが。

「スダ!」

「岩本?マジ?本物?」スダは叫びながら駆け寄ってきた「生き返ったの?最近見かけないからとうとう地獄に落ちたかと……」

「誰が落ちるか!」

 再会を喜んでいると、ミカちゃんが胡散臭い顔でこちらを睨んでいるのに気がついた。

「あ、ごめん、紹介する。死んでた時にも僕が見えてた友人で、スダ」

「ど、どうも」

 急に態度が硬くなるスダ。ミカちゃんは興味がないという顔で、よろしくぅとか何とかつぶやいて、そっぽを向いてしまった。

「岩本、家に来いよ!!とうとう買っちゃったからね!パソコン!!」

「マジ?」

「マジ!」

 さっそくスダの家に直行……と思ったが、ミカちゃんがとんでもなく冷たい視線をこちらに送っていることに気がついた。『そんなことしてる場合か!!』って。

「悪い、用事あるんだ。あとで行くから」

「なんだよー……ははーん」スダがミカちゃんを見てニヤケ笑いを浮かべた「がんばってね、岩本」

「は?」

「じゃ、家で待ってるよ!場所はわかるだろ?」

「わかってるよ!」

 何か誤解されたような気がするが、まあいい。

「幸平がいない」ミカちゃんが不機嫌そうな顔でつぶやいた「ソウシキの時はこの辺にいたのに」

「そうなの?」

「変なかっこうで空をトんでた」

 アクロバット飛行だ。僕もやったことがある。僕はあの、幸平の空中首つり状態を思い出した。不気味で吐き気がする。ああ、体があると本当に吐きそうだ!自分でやってる最中は気がつかなかったけど、とんでもないことをしていたんだなあと思った。きっと、一番しっかりしている梶村さんがいなくなったから、空中飛行でもしないとやってられない精神状態だったのかもしれない。

「この前来たとき、サミにも会えなかった」

 ミカちゃんが立ち上がった。僕はサミの船がいつも浮かんでいたあたりを見た。すると、白い遊覧船とは別に、何か黒い影が湖面の上に、小さく浮かび上がっているのが見えた。

 ちょうど、何か、船のような形の、黒い何か。

「ミカちゃん……」

「見えてる!」

 ミカちゃんが飛び上がって、湖の真ん中に近い、コンクリートの岸の水辺すれすれのところまで走って行った。


 影を目でとらえたまま追いかける。影はどんどん大きくなって、完全に、一つの遊覧船の形を作り上げた。晴れた日の湖面の上に、幻のような黒い船が浮かび上がる。

 息が止まるかと思った。

「何だ?」

 声がした。振り返ると、町民が何人か集まっていた。

 彼らにもあの船が見えるのか?

 あれはサミの幽霊船だ。見えないけどあの上にはサミがいる。いや、あの船がきっとサミそのものなんだ。きっと幸平も一緒にいる。でも、夜しか出て来れなかったのに、なぜ?

 と、誰かに肩をつかまれた。振り返ったら、ミカちゃんが僕の方を手できつくつかんで震えていた。

「どうしたの?」

「行っちゃう」ミカちゃんの目から涙があふれだした「幸平も、サミも、消えちゃう。あの船と一緒に」

 何を言ってるんだ?

 そう言おうとしたが、ミカちゃんの顔が真っ青で、今にも倒れてしまうんじゃないかと思うくらい震えていたから、驚いて声が出せなくなった。

「わかるんだもん。説明できないけど、わかる。消えちゃう。どうしよう」

 消えてしまう。

 それは、本当に、死ぬってことだろうか?あの二人の存在がとうとう消えるということだろうか?

 ミカちゃんを片手で抱きかかえながら湖を、あの船を見ているうち、僕はこの湖で起こったことを次々と思い出していた。気がついたら湖に浮かんでいたこと。幸平に連れられて旧日本軍の兵士に会ったら「生きている」と言われたこと。スダに取りついてひどい目にあったこと。テレビ局の幽霊番組をぶち壊したこと。美佳ちゃんが遊びに来た夏。葛西アイカのこと。幸平の自殺のこと。シベリアの夢。字室が消えた日のこと。釧路で生きている自分を見てぞっとしたこと……。

 僕だって、あの船の上にいたんだ。死んだ人間として、ついこの間までは。

 そこまで考えて、僕ははっとした。

 いや、だめだ、こんな思い出し方。死に際の走馬灯じゃないんだから。

 生きているんだから。僕と、ここで震えているミカちゃんは。

 湖の上の黒い船は、町じゅうがざわつくのも気にせず、次第に大きくなっていく。最初横向きだった船体がこちらに近づくにつれて向きを変え、正面を向いて近づいてきたとき、船の先端に人が二人いるのがはっきりと見えた。

「人が乗ってる!」

 うしろで誰かが叫んだ。集まった人たちがさらに騒ぎだした。

 船の上の人影は全身が黒っぽく見えて顔がわからない。でも、あの小柄な影が誰か、僕にはすぐわかった。

 幸平だ!

 名前を呼んでやりたいが、まわりの住民が気になる。集まった人数はもう数えきれないほどだ。まるで町じゅうの人が集まったみたいに。

「幸平、イヤだよ、行っちゃヤダ」ミカちゃんが聞こえるか聞こえないかすれすれの声で言った「イヤだよぉ……」

「ミカちゃん……」

「コウヘーーーーイ!!!!!!」

 ミカちゃんがいきなり船に向かって、いや、人影に向かって絶叫した。

「幸平!聞こえるか!」

 僕も叫んだ。もう人目を気にしてる場合じゃない!

「幸平!サミ!聞こえるか!!岩本だ!!!」

「コウヘーイ!!」

 人影は動かない。顔の表情も見えない。聞こえているのか?

 と、黒い船の影が動いた。少しずつ小さくなって……遠ざかっている!!

「やだ!イヤだってば!」

 ミカちゃんが湖に落ちそうになった。腕をつかんで引っ張ると、今度は僕の胸にしがみついて泣きだした。嗚咽が直接胸に響いてくる。とても痛い感触だ。こんなときなのに、ああ、生きてるなあ、なんて思ってしまう自分が嫌だ。

 人影をじっと見つめる。聞こえたのか?なあ、幸平。本当に消えてしまうのか?長い間さまよってたんだぞ?そのうちのたった一年だけど、一緒に過ごした僕は心配なんだ。今度こそ『ちゃんと死ねる』のか?前に死んだときに望んでいたように?でもそれってどういうことなんだ?

 それでいいのか?お前は、サミも、いいのか?

 と、消えかけていた人影が動いた。手をあげて……振っているように見える。

「ミカちゃん!見て!」

 ミカちゃんがおそるおそる顔をあげて船を見た。涙でぐしゃぐしゃの目がカッと開いた。

「幸平」

 僕は思った。きっと、幸平は手を振りながら笑っている。あの平和な、子供っぽい永遠の十四歳の役者の顔で、最期の時を演出しようとしているんだ。見えないけど、サミも一緒にいるに決まってる。きっと一緒に笑っている。あるいは歌っているかもしれない。

とにかく二人はあそこにいるんだ。

 そして今、やっと、本当の意味で人生を終わろうとしている。

 人影は、手を振りながら、少しずつ小さくなって、ある地点、ちょうど、夜になるとサミが船とともに現れたり消えたりした地点……のあたりで、ふっと、何かのスイッチを切ったかのように、消えた。町民のどよめきに包まれた気がしたけど、そんなことはどうでもよかったんだ。僕は船が消えた湖面からしばらく目が離せなかったし、ミカちゃんもずっと、泣きながら湖面を見つめていた。何人か、町民が話しかけてきたけど、しばらくは何も聞く耳が持てなかった。

 あっさりしすぎていた。あっけなさすぎた。ユーレイ達の終わりは。唖然とするしかないくらい、あさりと、消えてしまった、たぶん『何の理由もなく』


 きっと、あの二人はあのボロくさい船に乗って、死人がいるべき場所へちゃんと行けたんだ。天国でもあの世でもなんでもいい。何もないのかもしれない。とにかく、長い間苦しんだけど、ようやく、死んだ人間のあるべきところへようやくたどり着いたんだ。


 僕は、そう思っている。


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