第十章 4
湖の町に戻った。
毎日、夜になると湖の上空に飛んで行った。でも幽霊船は出ていない。
おもいっきり叫んでサミを呼んでみたけど、反応がない。
湖の中にももぐってみたけど、真っ暗で何も見えない。
「こないだのが、ショックだったのかな?殻にこもっちゃったのかも」
昼間、晴天の空の下で湖の浜辺に座って、幸平がつぶやくように言った。
「そういえば、怒ったり困ったりすると船ごともぐってたよな、突然」
今までのサミの言動を思い出す。そして気付く。船の上で歌ったり踊ったり、無邪気に古風なお嬢様のような言葉でしゃべったり……あれは全部、さみしさとか苦しさを紛らわすのに必死だったからじゃないだろうかと。
僕は今まで何も考えずにぼんやりサミを見ていたことを後悔し始めていた。
ただの弱気な、困ってる、人間だったんだ。
そしてそれはサミだけじゃなくて、僕も、字室も、幸平も、梶村さんも、同じだ。
今まで、あまりにも、人と真剣に向かい合おうとしなかったから、わからなかっただけだ。
「どうして、過ぎてから間違いに気づくんだろうなあ」
「は?」幸平が目を丸くしてこっちを向いた「何を急に」
「いつも過ぎてから気づくんだよ」僕は突然思い出したことをそのまましゃべった「テストの間違いも、答案書いてるときは気付かない。あとで帰ってきたら『どうしてこんな当たり前のことを間違ってるんだ!?』って思う。友達としゃべって、家に帰って一人になってから『なんかまずいことをしゃべったような気がする』と気付くけど、しゃべってる間は自分が暴言吐いてることに気付けない」
「岩本君、きついからねえ~」
「それも、自分じゃ気付かない……って、僕のどこがきついんだよ!?」
「そうやって急にいきり立つところ?」
幸平がおもしろそうに笑った。くやしいが黙り込むしかない。
「とにかくさ」気を取り直して続けることにする「すべて終わって、手遅れになってから気づくんだよ。どうしてだろうな。どうして肝心な時に気付けないんだろう?」
「それを言ったら、まさに僕の人生だよ」
幸平が湖の向こうを遠い目で見つめている。
『僕がもし生きていたら、新橋くんになっていた……』
そういえば、十月病のときにそんなことを聞いた。
死んでから可能性に気がついた。でも手遅れだった。
僕は何も言えなかった。だって幸平はもう死んでる。『これからできることもあるよ』なんて気休めにもならないだろ?
そして急に気がついた。
幸平は、こののんきな顔をした永遠の十四歳は、
辛くないのか?
「幸平……」
「さてと、僕は図書館に行くから」軽く空中に浮いて笑った幸平はまるでなにもかも見透かしたみたいにこう言った「それ以上は、僕に聞かないで」
空の向こうに飛んでいく幸平をぼんやり見つめながら、僕は、生きている人間として、ここのユーレイ達をなんとかしてあげなければいけないんじゃないかと、大それたことを考えていた。
岩保にまた会いに行こう。MAC好きに悪い奴はいないはずだ。きっと何か助言してくれるだろう。
それより今夜もサミを探しに行かなくては。
それまでスダの家にでも行こう。他に話し相手がいない。僕も十分寂しい人間だ。
「女の子のユーレイが暴れてるの?それって興味深いって言うか、見てみたいなあ」
スダがのんきにそんなことを言った。
その顔で『女の子』とか言われると気持ち悪いが、あえて指摘しないほうがいいんだろうな。
「そんなのんきな話じゃない」
「でもさあ、俺も大して変わんないよね」
「は?」
「友達少ないし」スダがちょっとさみしそうに笑った「岩本のおかげでパソコン仲間みたいなのはできたけどさ、学校じゃほとんど浮いてるし」
なんだ、自覚してたのか。
「若いし生きてるんだから、これから自分を変えろよ」
「岩本さ、言うことがジジくさい」
「何ィ!?」
何かサミを助ける方法が思いつかないかと思ったが、スダと一緒では無理そうだ。
夜。
湖の上をおそるおそる飛んでみる。真っ暗で何も見えない。
幽霊船が出ていれば、うっすらと船体の影が見えるはずなんだけど。
「今日も出て来ないみたいだね」どこからか幸平の声がしたが、姿が見えない「やっぱりいじけちゃったのかな?」
「どこにいる?」
「こっち」
下のほうを見る。湖面すれすれのところからぼんやりと僕を見つめていた。
「岩本君、もしかしたら」幸平が僕の高さまで上がってきた「生き返るまで、サミには会わないほうがいいかもしれないよ」
「は?何で?」
「襲われるかもしれないし。ほんとに死んじゃうかもしれないし」
「だからって挨拶もせずにさよならか?それがまともな人間か?」
「岩本君、妙に『まとも』にこだわるよね」
「悪いか!」
「人に気を使うなんて岩本君らしくないし」
「何だと!?……あっ!」
湖面から何かとがったものが突き出してきて、僕らがいる高さまで水しぶきが飛んできた。
幽霊船だ!
「岩本くん!危ないよ!」
幸平の叫びが聞こえたが、僕はかまわず船に向かって飛んで行った。
サミ。
こんなところで、真っ暗な闇の中で、40年以上一人でいたんだろ?
おかしくなったって当然だよ。
でも、一人じゃないだろ?
まだ幸平も、梶村さんも、僕だっているだろ?
みんな心配してるんだよ。
それに、生きていたころサミを知っていた人だって、ぜったいサミを忘れるわけがない。どこかで思っているはずだ。幸平のことを忘れていない二宮由希とか新井みたいに。梶村さんを忘れないフデさんや谷川みたいに。
だから、そんなあばれかたしないでくれよ。
悲しすぎるだろ。さみしいからってあんなばけものみたいになったらさ。
「サミ!」
幽霊船の入り口から中に入る。船内が異様に揺れている。あちこちにからだをぶつけたが痛くもなんともない。
どうせユーレイだからな!!
「サミ!」
大声で呼んでみたが、返答はない。
あの部屋か?
昔ミカちゃんが来たときに発見した『先生』の骸骨を思い出した。
行ってみる。ドアはミカちゃんが破壊済みだから入れるはずだ。
「サミ!!」
骸骨は揺れのせいか、ばらばらになって部屋中に散乱していた。気持ち悪い。サミの姿もない。
すぐ廊下に出た。相変わらずすごい揺れ方だ。
「岩本君!!」
通路の向こうから声が。幸平だ。
「この船!沈んでるよ!!」
「は?」
言われた意味が一瞬分からなかった。沈んでる?
「湖の底に向かって沈んでる!!」幸平がかなりあわてた声で叫んだ「ほら、サミって夜しか出て来ないじゃない?その間どこにいるんだろうって」
確かに、昼間どこにいるんだろうとはずーっと思ってたが。
「つまり?」
「昼間湖底を調べても、何もなかったじゃない?」
「だから?」
「別な世界に向かってるのかも」
「は?」幸平が何を言おうとしているのかさっぱり分からない「どういう意味」
「死後の世界とか、なんか、現世とはべつなところにいるのかも」
……寒気がした。いや、僕は温度を感じられるユーレイだけど、そういうのじゃない。
悪寒だ。
船はあいかわらずひどく揺れている。ギシギシとなにかがきしむ音がする。まるで嵐に巻き込まれた難破船みたいだ。
でも嵐って、何だ?ここは湖だろ?
しばらく幸平と僕は、揺れる船内で茫然としていた。
何が起こってるか全く理解できない。
湖面にこの船が現れたってことは、少なくともサミは外に出たかったってことだろ?
僕らが入ってきた途端、沈むってどういうことだ?
「道連れにする気とか?」
思いつきで口にしてみたら、怖くなってきた。
「ありうるけどさ。でも僕もう死んでるんだけどな!」
幸平の口調にいつもののんきさがない。
「どこかに連れていかれてるにしても、つれてってどうする気なんだろう?」
「そもそも、かんたんに死ぬ……っていうか、他の普通に死んだ人みたいに消えることができるんなら、とっくの昔にそうしてたはずなんだよね。僕もサミも」
幸平が船内を見回している。
「じゃ、今のこの状態は何?」
「その質問さ、ぼくらが自分に向かって何十年も、何万回もしてる質問だよ」
「そんなことを聞いてるんじゃない!」
僕は焦りでいらいらしていた。
「怒らないでよ。なんなら入口から船の外に出てみる?闇にのまれて一生戻れないかもよ?」
口調が嫌味だ。しかも幸平のくせにのんきでもないし笑ってもいない。
「黙って座っててもしょうがないから、もう一回船内を回るぞ」
入ったことのない部屋がまだたくさんあるはずだ。ドアが開くかはわからないけど。
そういえば、どうしてこの船だけ、壁をすり抜けることができないんだ?
何もかもわからないことだらけだ。
「僕ここの下のほうに行ってみるよ」幸平が亀裂の入った床を指さした「たぶん、何層にもなってるんでしょ?船って。よく知らないけどね」
僕は別方向へ行った。廊下の一番奥に、屋根裏につながっているらしいはしごがあった。かなりさびていて、生きている人間が足をかけたら崩れ落ちそうだ。
でも僕は飛べるから問題ない。
ああ、何度できても嬉しくない技能だな!!『飛べるから問題ない』って何だ?問題だらけだぞ?
上の層。屋根が低い。さびた何かの塊と、箱。奥のほうで何かが光っている。
おそるおそる、屋根にくっつくようにして近づいてみる。
「……サミ?」
見ると、箱にうずもれるようにして、サミが眠っていた。
仰向けに、手を胸の上で組んで。目を閉じていた。
眠っているのか?
その顔がとても安らかだったので、そっとしておきたい気がした。起きたところでいいことはないだろうし。
光は、サミの体全体からほのかに発していた。
なんのゲームイベントだこれは。
いや、ゲームじゃない。現実だ。
『どうしてここに岩本がいるのかしら』
気取ったえらそうな声が聞こえた。部屋中に反響したので驚いたが、サミの顔を見ても目を閉じたまま、全く動く気配がない。
「サミ?」
『もしかして幸平も一緒?』
「幸平は下のほうを探してるよ」一応本人に向かって話しかけてみる「サミを探しに来たんだ。何日も現れなかっただろ?何してたんだよ?っていうかここは一体何だよ?」
『船の中に決まってるでしょ』
「そういう問題じゃなくて……」
『私はこの船から出られない』声からえらそうな響きが消えて、声が低くなった『夜になったら外に出て、月を見て、また沈んで、ここで眠る。それでもう何十年経ったのかしら』
何て返答していいかわからない。
「幸平が言うには」何かしゃべらないといけない、と強烈に感じた「船ごと湖の底に沈んでるって。別な世界に引き込まれるんじゃないかって心配してたけど」
『どうして幸平が心配するのよ。もう死んでるじゃないの』
そんなこと言われても。
「あのさ」
『何?』
「サミは生きてたら大人だからさ、僕がこれから言うことは若い奴の戯言?とでも思ってほしいんだけど」
『何よ?私をおばあさん扱いする気!?』
船体が大きく揺れた!
なるほど、この揺れは本人の気分なのか!
「違うって!とりあえず聞いてって!」大声で叫んだら揺れは収まった「ねえ、サミが怒ったとたんこの船は揺れたろ?いままでも怒ったとたん湖に潜ったりしてただろ?これって、本当は乗っていた遊覧船なんかじゃないんじゃない?これって、サミが作り出した何かなんじゃない?だからサミの気分しだいで動くんじゃないの?人に会いたくなったら出てきて、意識があるのがつらくなったら潜ってく」
返答がない。僕は話し続けることにする。
「サミ、幸平も梶村さんも、僕だって、本当にサミが心配なんだよ。生きてるかどうかなんて関係ない。僕は今まで人と真剣に向かい合ったことがなかった。自分のことばかりで周りの人間のことなんて考えたことはなかった。そもそも周りにいるのが人間だとも思ってなかったよ」
やぱり返事がない。サミの顔を見ても全く動きがない。眠ってるようにしか見えない。
「だけど……だけど、一回死んで、いや、死にかけてか?とにかく、ここに来て、初めて昨日、考えたんだよ。どうサミと向かい合ったらわかってもらえるんだろうかって。
僕は確かにまだ生きてる、確実じゃないけど、ここからいなくなって、釧路で目を覚ます可能性がある。でも、そうなったとしてもサミのことは忘れない。ずっと前にサミが生きていたころ、サミを知っていた人たちだって、きっとサミを忘れてなんかいない。ただ、ここにサミの魂がいるってことを知らないから来られないだけ」
返事はない。もうどうでもいい。続ける。
「僕は絶対に戻ってくる。ここにサミや幸平や梶村さんや……こんな形でこの世にとどめられてる人がいるってわかってる以上、ほっとけないだろう?一度出会ったんだから。そうしたっていいだろう?理由なんてそれで充分だろ?なあ、聞こえてる?」
何も起こらない。サミは眠ってるようにしか見えない。
揺れていた船内が静かになっていた。まるで時間が止まっているみたいに。音もしない。
静かすぎて不気味だ。
「サミ?」
サミの顔を覗き込んでみた。目がカッと開いたと思うと、また船内が大きく揺れて、箱が宙に飛んだ。
僕も驚いて一緒に後ろに飛んだ。
『やっぱり行ってしまう!いなくなってしまう……』
サミが空中に浮かんていた。両手で顔を覆って、顔を伏せて。
泣いてるんだ。
「サミ?」
『どうして私なの?どうしてこんな目に会うの?どうして近づいてきた人はみんな行ってしまうの?字室だって、先生だって、みんな』
「サミ!」僕は箱をよけながらサミに近づいた「僕はどこにも行かない!」
船がきしむ音がする。部屋中の物が飛んでる。
これも全部、サミだ。サミ自身の嘆きだ。
そんな気がした。
「今僕はここにいる。事故に遭った時間まではたぶんここにいられる。そのあとだって、釧路に戻るだけだ。いなくなるわけじゃない!またここに来る!絶対に戻ってくる!」
しゃべってる自分が空々しく思えてくる。
恋人同士じゃあるまいし。
以前の僕ならそう思っただろう。今でもちょっと思う。
でもそうじゃない。
一回関わってしまった人間には、相手をかまう義務があるんだ。
そんな気がする。ここに来て初めてわかった。
『近寄らないで!』
サミが叫んで後すざりした。
『私、だめよ、殺してしまう。今までだって、そうだった、幸平以外、そうだった……』
うわごとのような声が部屋中に反響する。
今までだってそうだった?
どういうことだ?
「サミ」できるだけ優しい口調で(僕にとってはとても難しいことだ!)言った「そんな必要ない。だって僕ら仲間だろう?いっしょにここで、何て言うのかな?ユーレイになってひどい目に会った?……とにかく、襲って殺すとか、そんな必要、ない。また戻ってくる。幸平だって今頃サミが心配で船の下層を探しまわってるよ。無駄足だけど」
『幸平のやることはいつだって無駄よ』
泣き笑いのような声がした。サミは笑っていた。でも涙が落ちていた。ユーレイでも泣くんだなと思った。
『ほんとうに戻ってくるのね?』
「戻ってくるよ」
船が大きく揺れた!
まるで垂直になったみたいに、サミがいる壁際が上に見えた。
「サミ?!」
『私じゃないわ!』
神経質な叫び声がした。私じゃない?
部屋中の箱が、物が、僕に向かって一斉に落ちてくる!
その後ろからサミがこちらに手を伸ばして飛んでくるのが見えた。
でも木材のほうが早かった。頭にものすごい衝撃を感じた。
待てよ?ユーレイだからそういう感覚ないはずなのに。
「岩本君!?」
どこかから幸平の叫びが聞こえるのと、目の前が真っ暗になったのがほぼ同時だ。
そのあとどうなったのかなんて、知りたくてもわからない。
もう誰にも聞きようがないから。