第九章 5
「やっぱり生きていたか」
梶村さんは平然と、眉一つ動かさずにそう言った。
「はい」
「しかも動いてたよね、ふつうに生活してたんだよね!」
疲れ果てた僕とは対照的に、幸平はやたらに興奮しているようだ。
「そういう例は聞いたことがないが、要するに岩本は死霊ではなくて、生霊だったということだな」
「いつかのスダ君みたいだよね」
おい幸平、僕をあんなのと一緒にするんじゃない!
「……僕はどうすればいいんですか」
「3月になれば何か起こるかもしれん」梶村さんが言った「事故に逢って、そのあと目覚めるか、あるいは……」
「そこで死ぬかもしれませんよね?」
「まあな」梶村さんがあごに手を当てた「でも、それはその時にならんとわからんことだ。今から心配してもどうしようもない」
湖の真ん中、幽霊船。
サミが船の先っちょでぼーっと座り込んでいるのが上空から見えた。
「幸平!岩本!」僕らを見つけると、立ちあがって叫んだ「何やってたのよ!?何日も一人でほっとくなんてひどいじゃないの!」
「僕ら釧路に言ってたんだよ!」幸平が叫んだ「岩本君は生きてたんだよ!」
サミの顔に動揺の色が浮かんだ。
「本当?」僕が近くまで降りると、サミがちかよってきて不安そうな目で僕を見た「本当に?」
「うん。普通に歩いてた」
「歩いてた?」
「岩本君が事故に逢ったのが、来年の3月なんだって」
幸平が、芸能人のスクープでもあったみたいに、はしゃいだ声を出した。
「何ですって?」
「今は2009年の12月で」僕は、理解してもらえるんだろうかと疑いながら、説明した「僕が車にはねられたのは、2010年の3月なんだ。つまり、まだ僕は事故に逢っていなくて、当然まだ生きていて、普通に学校に行ってる。梶村さんは、3月になれば何か起きるって言ってるけど、何が起こるかはわからないし、その時に僕がどうなるかもわからない。目が覚めるかもしれないし、あるいは本当に死ぬのかもしれない」
サミはしばらく、何の事だかわからないという顔で僕をじっと見ていた。
「でもさ、少なくとも今は生きてるんだよ!」幸平が叫んだ「今からなら、事故を止めることだってできるかもしれないし、もしかしたら、そんなにひどいけがしなかったのかもしれないじゃない?可能性があるんだよ、可能性が!」
嬉しそうな幸平と、茫然としているサミは、あまりにも対照的だ。
「じゃあ」サミが消え入るような声を出した「岩本も、いなくなっちゃうの?」
サミがまっすぐに僕の目を見て、さみしそうな顔をしたので、僕は何を言えばいいのかわからなくなった。生きている体のある僕だったら、女の子にそんな顔されただけで心臓が爆発するかもしれない。
「字室みたいに?」
母親の悪霊と一緒に消えていった字室を思い出した。怖くなる。
もし事故にあった日に、ほんとうに死んだら?
「やだ」サミがそばによってきて、抱きしめるみたいに両手を首にまわした「どこにも行かないで」
お互いに触れないけど、ほとんど抱きしめられたように見えただろうな。
「サミ……」
「みんなどこかに行ってしまうの?私はずっとここでひとりぼっちなのに?どこにも行けないのに?」
「サミ!落ち着いてよ」幸平がよってきた「僕と梶村さんがいるじゃない」
「でも、いつかいなくなっちゃうかもしれないじゃない!!」
サミが地面にくずおれた。泣いていた。声を押し殺そうとしているみたいだったけど、うまくいかないみたいだった。
僕はますますどうすればいいかわからなくなった。
「字室くんがいなくなったのが、相当ショックだったんだろうね」
梶村商店に帰る途中の上空で、幸平が言った。
「あの二人、仲良かったもんな」
「生まれた時代も近いしね~」幸平が嫌味な口調になった「60年代と70年代でしょ。そりゃ話も合いますって」
「お前だって80年代だろうが」
「僕は時代というものが何たるかがわからないうちに死んでるの!」幸平が空中で止まった「岩本君」
「何?」
「絶対岩本君は、生き返るよ」
幸平が妙に確信のこもった声で言った。文句を言おうと思って振り返ると、ものすごく怖い顔でこっちをじっと見つめていたので、声が出なくなってしまった。
「きっと、ばかみたいに、何事もなかったように目が覚めるんだ。家に帰って、高校に行って、しばらくすれば事故のこともこの町のことも忘れるよ。それで、大学に行って、就職して結婚して、子供ができて、年寄りになって年金で暮らしながらゲームで遊んでるときに、突然『そういえば、昔ユーレイだったような気がするのう』なんてつぶやくんだよ」
何の物語だそれは、と僕は思ったが、悪くない人生だと思った(年金暮らしでゲームという部分が特に)
「……なんでわかるんだよ?」
「いいじゃない。そのほうがおもしろいんだから」
幸平がまた飛び始めた。あわててあとを追った。商店の明かりが見えてきた。
「それにさー岩本君」
「何だよ」
「葛西アイカさんに逢いたくありません?」幸平が振り返ってニヤリと笑った「生きていれば、どこかで会えるかもよ?年もそんなに離れてないし?」
「……アホか!」
「何さ~、今ちょっとときめいたくせに」
「何がときめいただ!?」
文句を言いながらも、僕はアイカのきれいな足や、別れ際の様子を思い出していた。
生きていれば会える。
……確かに、悪くないかもしれない。