第九章 3
自宅。フツーの一軒家。
自分の家のはずなのに何の感慨もわかない。
生まれてからずっと同じ、ここで暮らしてたはずなのに。
僕がぼんやりしているうちに、生きているもう一人と幸平は、とっとと中に入っていく。
「岩本君!」幸平がイライラしている、珍しい「さっきから何をぼけーっとしてるのさ!」
しかたなく、嫌々ながら、自分の家に入る。玄関に造花のバラがある(ほんとはブリザーブドなんとかって言う本物のバラらしいが、よく知らない。うちの母がどこかから持ってきた)玄関の横にすぐ階段があるから、上に上がると、右が僕の部屋、左が姉の部屋。
もう一人の僕はもちろん右の部屋に入り、入るなり……ベッドに倒れこんで寝てしまった。
幸平がそんな「もう一人」を見てボー然としていた。
「ふつう、帰ってきた途端寝ないよね」
「夜中にオンラインゲームするからだ」僕は机のMACに向かった「6人でチームを組んでる。ゲーム内3位の強力なパーティーだ」
「不健康だよそれ」
「うるさい」僕はMACを触ろうとしたが……手がすりぬけた。
「幸平」
「わかってますって。どこを押すの?」
「押すって……」昭和50年代に死んだ人にどうやってMACを説明すればいいんだろう?「とりあえずFirefoxをクリックしてよ」
「クリックって何?」
椅子から落ちそうになった(いや、ユーレイだから落ちない、そもそも椅子に座れないんだけど、ビックリしたって意味だ!)
「お前!毎日テレビ見てるくせにそんなことも知らないのか!?スダ以下だな!」
「怒らないでどこをどうすればいいか教えてよ!」
「クリック以上に簡単な説明があるか!」
二人でしばらくこんなばかげた口論をしていると、突然隣の部屋から、
『キエェェェェェェェェェ~ッ』
という奇声が聞こえ始めた。
頭が痛くなってきた。あれはうちの馬鹿サチコ(姉)だ!
幸平が部屋を飛び出していった。僕も嫌々後を追う。
隣の部屋、妙に女の子っぽいレースだらけの装飾を施した部屋で、安っぽい、段ボール箱に布をかけただけの祭壇に枯れ葉を飾って、バカ女が祈祷という名の奇声をあげている。
『キョォォォォォッォォォォッ』
手に持った変な木(神社でみかけるやつ)を振り回しながら叫んでいる馬鹿サチコ!
「岩本君」幸平が茫然と馬鹿を見ている「これ何?」
『誰』と聞かないあたりが、事態の異様さを語っているな……。
「うちの馬鹿サチコ、残念ながら姉」
「何してんのこの人?」
「知らねえよ!」
うちの姉は去年、宗教がかった変な男と付き合い始めた。それ以来、何を思ったか毎晩のようにこんな祈祷(と称した馬鹿騒ぎ)をする。
そんな説明をしようとした時、
「うるせーよ!馬鹿サチコ!」
隣の生きている岩本祐一が壁をガンガン蹴りながら怒鳴った。
「お黙り!」
バカも怒鳴り返す。そしてまた元通り奇声を上げ始める。
「岩本君、やっぱり性格きついね」
「毎晩となりで騒がれてみろ!誰だって怒鳴るだろ!」
「そんなことより」幸平が両手で頭を抱えてうずくまった「この声、頭に刺さる」
「は?」
「僕もう駄目だ!ごめん」
そう言うやいなや、幸平は窓から外へ飛び出して行ってしまった。
「お、おい、待てって!」
僕も窓から飛び出そうとして、ふと、後ろの姉を見る。
久しぶりの再会だっていうのに、どうしてこうも何も感じないんだ?
遠くへ逃げたのかと思ったら、幸平の奴、一階の居間でテレビを見ていた。
「何やってんだよ!?」
「いいじゃない、ここなら声聞こえないし。それにしてもさ」幸平が天井を見上げた「お姉さんって、霊感強いのかな?ほんとに悪魔払いみたいだった。頭ががんがんして」
「僕らは悪魔じゃないだろ」
「岩本家ってみんな霊感強いんじゃない、だから岩本君もユーレイにさ」
「そんなことはない」僕は強く否定した「それより、これってどういうことなんだろう?」
「岩本君はユーレイになってるのに、本体は何事もなかったかのように動いてる」
「そう、そんなことありうるか?」
「さあ」幸平がテレビに目を向けた「理由なんてないんじゃない。僕らが死んだあとどうしてさまよい続けているのか、字室君のお母さんは何であんな姿で出てきたのか、サミはどうして遊覧船といっしょに知らない町の湖にいるのか……何もかも理由なく起きてるよ」
「でも僕は現にここにいるんだぞ!?なのに上にはもう一人」
「落ち着きなよ!」幸平があきれたように言った「テレビでも見て」
「ニュースなんか見てる場合か!」
「少し休憩するだけだって!ほら、もうすぐオリンピックだって!」
「そんなことはどうでもいい」
「いやだなあ、僕スポーツに興味ないんだよね。競技が始まったらほかの番組がつぶれちゃうじゃない」
画面には、バンクーバーオリンピックの特集(というかテレビ局が自分の放送の宣伝をしているだけのような気がする)をしている。
『とうとうあと2カ月ですね!』
タレントのはしゃぎ方がわざとらしい……あれ?
何かが変だ。でも何だ?
「バンクーバーオリンピックなんて、とっくに終わっただろ」
幸平がこちらを向いた、かなり不思議そうな顔だ」
「何言ってるのさ、来年の2月だよ、来年の」
画面に浅田真央とキム・ヨナが映っている。どちらが勝つか。
「キム・ヨナが金メダル。浅田は思いっきりミスったのに銀だよ。あの審査おかしいよ。他に失敗しなかったもっと上手い奴がいくらでもいるのに」
「アハハ、珍しいね、岩本君がそういうの予想するの」幸平がケタケタと笑った「字室君と梶村さんはよくやってたけどね、意味のない予想」
「予想じゃなくて、実際に見たんだよ!」
何か話がかみ合ってない。
頭がまたぐらぐらし始めた。
「幸平……」
「何?」
「今は、何年の何月だ?」
「2009年の12月」幸平がなんでもないことのように言った。
2009年。
……2009年?
「そうか……そうか!」
とつぜん霧が晴れて前が見えたような気がした。
全部の謎が一瞬で解けた。
「どうしたの、変な顔して」幸平がまたテレビを見始めた「そういえば、もうすぐクリスマスなんだよね。僕らにはあまり関係ないけどさ。そういえばサンタって本当はユーレイだって知っ……」
「僕が車にはねられたのは、2010年の3月だ!」
僕の声は半分、いや、ほとんど、悲鳴だったと思う。
幸平が振り返った。目を見開いて。
「今はまだ2009年なんだろ?僕がはねられたのは2010年の3月の終わりだ!だから!まだ、僕は死んでない!」
しばらく沈黙があたりを支配した。幸平は表情を変えず、何を言えばいいか考えているようだった。
やがて、あきれたような困ったような笑いを浮かべて、
「……梶村さんの言ったとおりだったね」
静かな声でささやいた。