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ぼくらは死んだ  作者: 水島素良
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第九章 1

 隣町との境目の、はるか上空。

 透明な壁の前、幸平が手をかざすようにして何かぶつぶつ言っている。

「そのぶつぶつ言ってるのは、何か必要なの?呪文?」

「気分」

「はあ?」

「いいじゃない、特別な日なんだから」

「どうでもいいから早く通せ!」

 幸平が子供っぽいふくれっ面を向けた。空間に白い亀裂が走る。

 いつか、札幌へ行った時みたいに、見えない壁は無数の白い破片になっておちていく。

 その、最後の一つが見えなくなるまで、僕はじっと下を見つめていた。

 前にこれを見たとき、札幌で幸平の墓を見た。

 自分の名前が墓に掘られているっていうのはどういう気分だろうと思った。

 今、同じことが僕に起ころうとしている。

 あるいは、生きているのかもしれないけど……僕自身がここにユーレイになっているっていうことは、肉体は、本体はどうなってるんだ?病院で仮死状態か?それとも……。

「岩本君」前を向くと、幸平がはるか向こうから叫んでいた「行くよ!釧路は札幌と同じくらい遠いよ!しかも方角が正しいかわかんないから早めに出ないとさ!」

「わかってるって!」

 叫んだ。でも内心まだ迷っていた。本当に行っていいんだろうか?

「いーわーもーとーくん!!!」

 幸平が怒っている。

 僕はため息をついて(ユーレイだから呼吸してないけど)動き出した。釧路へ。


『道がわからない』と言っていた通り、適当に進んだらしい。まずたどり着いたのはなんと、旭川だ。

「ぜんぜん違うだろうが道が!逆だろうが!」

「怒らないでよ、そっちだってだまってついて来たじゃない、文句も言わずにさ」

「それにしたって道が違いすぎるだろうが!」

「やっぱりさ、上空を飛ぶのはよくないんだよね」幸平が独り言のように言った「ちゃんと地上を、標識を見ながら飛んだほうがよさそうだね。それなら迷わない。どっかで地図を見ようよ」

 幸平が駅の中へ飛んでいく。ついていって大丈夫なんだろうか。

 町を見回す、大都市のはずなのに、どこか、寂れているような雰囲気がある。

 釧路もそうだ。

 あの湖の街だけじゃない。北海道はどこも元気がないのかもしれない。

「岩本君、わかった」幸平が嬉しそうな顔で出てきた「電車に乗ろう」

「は?」

「僕乗ったことないんだよ」

「はあ?」

「まず札幌行きに乗って2時間くらいでしょ、それから釧路行きが……4、5時間かな?それなら絶対迷わないよ。今日の夜には到着できるから」

「はあああ!?」

 こっちが大声で呆れているのを無視して、幸平ははしゃいだ様子で駅の中に戻って行ってしまった。

 電車に4、5時間って……絶対飛んでった方が早いだろ!?


 

 2時間後。スーパーおおぞらの中に僕らはいた。

「なんかさ、電車の窓から見ると町の景色が違うよね。フフフ」

 幸平が勝手に空いた席に座って、窓の外を見てはしゃいでいる。

 旭川からずっとこんな調子だ。やれ牛がいる、やれ建物が見えた、やれ煙突の煙がどうのこうの、もううるさくてしょうがない。

「頼むから黙っててくれない」

 僕は人生で一番、最高にいらいらしていた。

「何怒ってるのさ」

「こっちはこれから自分の生死を確かめに行くんだぞ!?」声が神経質にキーキーしているのは自覚していたが、どうしてもやめられなかった「はしゃぐ気になれるわけないだろうが!」

「気持ちはわかるけどさ」幸平が不満そうに言った「ここで心配したって結果が変わるわけじゃないし、わめいたって早く到着するわけじゃないんだから、楽しもうよ、列車の旅」

「っていうかさ」僕は突然思いついた「とっととここから脱出して、線路をたどって飛んでたほうが絶対早く到着するって!」

「早く到着してどうするのさ?」

「早いほうがいいに決まってるだろうが!」

「岩本君さ、さっきからずいぶん落ち着きがないけど」幸平がニヤニヤしはじめた「本当に覚悟、できてるの?できてないんじゃありませんかぁ?」

 明らかにからかい口調だ。

「できてなかったらここにいない」

 そう言ってはみたものの、実はまだ迷っていた。

 ほんとうに行っていいのか?

 行かないほうがいいんじゃないのか?

「だからさ、こうやってゆっくり列車の旅をしながら、決意を固めたほうがいいんだって」

「……単に自分がこれに乗りたかっただけだろうが」

「ま、それもあるよね」幸平が窓の外に目を向けた「おお、雪景色!すごいね」

「雪なんか見あきてるよ」

「でもさ、ここ林の中だよ。湖の雪景色とはちょっと違うじゃない、まだ内陸でしょ?」

「湖だって内陸なんだから同じだろ!?」

「あー言えばこう言う」

 幸平が笑った。僕は通路側に顔をそむけた。サラリーマン風の、スーツケースを持った男が何人か乗っていた。ビジネスだろうか。そういえば帯広行きにはビジネスマンが多いとか、誰かが前言ってたな?誰だったっけ?

 しばらく考えて思い出した。うちのヤブ医者、つまり父だ。


 仕事で札幌へ行った帰りに、父がこの列車に乗った。

 周りはサラリーマンだらけで、みんな帯広で降りて行った。釧路まで行ったのはほんの数人だけだった。

 そんな話をだいぶ前にしていたような気がする。


 そうだ、僕はこれから家族のところへ帰るんだ。

 今まで見事なほど、うちのアホ家族のことを思い出さなかった。

 他に思いだせることはないか、記憶を探ってみた。

 姉が祈祷……いや、これは思いださないほうがいいか。

 父と母は医療関係者だからほとんど家にいない。それから……。

 それから?


 僕は記憶の中で立ち止まってしまった。


 何も思い出せない。

 どうしてだろう?

 

「岩本君のご両親ってどういう人?」

「うわっ!」

 突然幸平が話しかけてきたので、椅子から落ちそうになった。

「うわって何さ」

「いきなり話かけるな!」

「いちいち怒らないでよ」

「親父はヤブ医者。母さんも似たようなもん」

「医者なんだ。便利だね。病気になったらすぐ診てもらえる」

「新薬の実験台にされるぞ」

「ほんと?」

 幸平の目が輝いた。

「んなわけないだろうが!」

「だからなんでいちいち怒るのさ?」

「頼むから黙っててくれぇ~」


 列車はどんどん東へ進んでいく……。



 ほとんどの客は帯広で降りて行って、残り少ない客もちらほらと別な街で降りていく。

 池田町を過ぎて残っているのは、白髪の老夫婦と、一人旅風の黒い帽子の女と、僕らだけ。

 正確に言うと、僕らはユーレイだから、ここに存在している人間は3人だけだ。


「もうすぐ着くね」幸平は目いっぱい何かを期待している様子だ「着いたらすぐに岩本君の家に行こう」

「すぐ?」

 迷った。5時間近く列車に乗ってたのに、まだ心の準備ができていなかった。

「すぐ!」幸平が叫んだ「せっかくついたから街を歩こうなんて思っちゃだめだよ。うろうろしているうちにどんどん迷って、やっぱりどこにも行かずに帰るってことになっちゃう」

「おまえは何で人の心を読むんだよ?」

「やっぱりそうしようと思ってだんだ?ん~?」

 幸平がからかうように生意気な声を出した。

「そうじゃないけど」目を合わせたくなかったので通路側に顔をそむけた「ちょっとくらい駅前をうろついたっていいだろ、久しぶりなんだから」

「だめ!だめ!絶対だめ!家に帰ってから!」

 幸平はかなり興奮した様子だ。そのうち飛び跳ねるんじゃないかと思うくらい。

 飛び跳ねる……いつかの霊能ババアと字室の戦いを思い出した。

「字室はどこに行ったんだろうな」

「知らない」幸平が急に冷めた口調になった「お母さんと一緒に地獄行きか、他の死人と同じように消え去ったか、どっちかじゃない?」

「幸平、冷たいな」

「何で?もともと僕と字室君は仲悪かったし」

「たしかに嫌な奴だったけどさ」

 僕が思いだしたのは、別れ際に胸ぐらを掴まれた時のことだ。


『おまえは生きてるんだよ』

『とっとと帰れって言ってるんだよ』


 あの性格の悪い字室が、いったいどういう気持ちでこんなことを言ったんだろう?



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