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ぼくらは死んだ  作者: 水島素良
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第八章 5

 僕がどうしようかと考えているうちに、幸平が窓の外に飛んで行った。

 戻ってくるまで待ってようと思ったけど、梶村さんが怖い目でこちらをにらんだので……おそるおそる窓の外に出て、湖へ向かった。

 はるか向こうに幸平の姿が見える。


 幸平にやっと追い付いた。でも、何もない。幸平も水面を見下ろして、手を顎に当てて何か考えているようなポーズをしていた。

「何もない。見つからない」

 僕が近づくと、幸平が独り言を言った。

「湖の底は?」

 僕は湖にもぐってみた。冷たい!今は真冬だった!忘れてた。

 刺すような寒さに耐えながら湖のヘドロやごみだめを見まわしてみる。特にそれらしきものは見えない。正直言ってあまり見つけたくもない。

 しばらく湖底をうろついていたが、あまりの寒さに耐えきれずに飛び出した。

「冷てえええええええ!!!」

 ありったけの声で叫んだ。そして気付いた。幸平がいない。

 周りを見回しても、薄暗い湖面が揺れているだけだ。

「幸平!!おーい!」

 叫んでみたが、返事がない。

 もしかして幸平も湖の中に潜ったのか?

 そう思って水面に近付いて中を覗こうとした時、突然伸びてきた手がぼくの胸ぐらをつかんだ!


「うわああああああ!」

「馬鹿、叫ぶな」聞き覚えのある声がした「俺だ」

 それは、字室だった。半目で薄笑いを浮かべた字室が、顔と腕を湖面から出していた。

「脅かすなって!何やってんだよ!」僕は手を振り払おうとしたが、字室の力が強すぎて無理だった。「離せって!とっとと出てこい!」

「無理だ」

 字室が妙に優しい、今までに見たことがないような穏やかな顔で言った。

 僕の背中に戦慄が走った。嫌な予感がした。

「なんで……」

「ババアに足をつかまれてる」字室が言った「湖の底に引きずり下ろす気だ。今これでも必死で抵抗してるんだぜ」

「何……?」

「俺がちょっとでも気を抜いたら」字室の顔がゆがんだ「おまえも道連れだぞ」

 僕は何も言えなかった。ただ怖かった。体が震える。もう死んでるのに。

 どうすればいい?

「幸平……」

 周りを見回したけど、やっぱり幸平はいない。

「あんなやつ何の役にも立たねえって」

 字室が優しく笑った。怖すぎる。

「悪ィけど、終わりだよ」

「は?何が?」

 しゃべろうとしても、ほとんど声が出なかった。怖くてたまらなかった。こんな恐怖を感じたことは、今まで一度もない。

「俺は失敗したんだよ。親の言うとおりに進学したのも失敗、ババアを殺したのも失敗、しかも自分まで殺して、死んだあとまでババアにつきまとわれてる」

「だから?」

 字室が何を言いたいのか、さっぱりわからなかった。

「おまえにゃわかんねえよ。幸平と伍長が勝手にいろいろ解釈するんだろうな。考えただけで胸クソ悪ィや。サミだけだ、まともに悲しむのは……そうだ、サミに会えたのだけは失敗じゃなかった。でもな、生きて会ってたらババアと大して変んねえ口だけのバアサンだったかもな」

「サミに言ったら殺されるよ」

「だろうな。でももう俺たちは死んでるんだ」

 胸をつかんでいる手の力が強まった、首を絞められているような気がする。もう呼吸をしていないのに苦しい。

「お前は生きてんだろ?」

「は?」

「おまえは生きてるんだよ」

「だから何?」

「とっとと帰れって言ってるんだよ」字室が急に凶悪な顔になった「ここはお前のいる場所じゃない。幸平みたいな頭でっかちのノイローゼバカになったらおしまいだ。隊長は戦争だ、サミは事故だ。俺はババアだ。でもお前にそんな障害があるか?何をばかみたいにこんな下らねえ町をさまよってんだよ」

「でも僕は交通事故」

「うるせえよ!」

 目の前で怒鳴られたので耳が痛くなった。どうしてだろう、死んでるのに。いや、生きてるのか。でも体ないし、いや、そんなことを考えている場合じゃない。


「岩本君!」

 後ろから幸平の叫ぶ声がした。そして、その瞬間、

 字室の手が、僕の胸から離れた。

 がはははははという声がした。

 字室は、笑っていた。狂ったように笑っていた。

「大丈夫?今の字室君でしょ?あの怪物は……!」

 僕は湖に飛び込んだ。湖底まで潜った。

 寒さなんてどうでもよかった。字室がそこにいるかすらどうでもよかった。

 探さずにいられなかった。

 でも何も見つからなかった。

 幸平に説得されて梶村商店に戻った時には、もうあたりは真っ暗で、日付が変わっていた。


サミが船の上をくるくる回りながら、何か古い歌謡曲を歌っている。

 聞いたことがあるような気がするけど、誰の歌か思い出せない。

「字室君、ほんとにいなくなったのかな」幸平が船の先端に座った「そのうちひょっこり出てきたりして。あのババアさんみたいな姿になってさ。それで僕たちを食らいに来るんだ」

「怖い想像するなって」

「でもさあ、結局字室君は字室君だったね」

 幸平が軽い口調で言った。空中に向かって叫んでいるみたいに。

「どういう意味?」

「生きているころと変わらないってこと」幸平がやっぱり独り言のように言った「ま、字室君だけじゃないよね。僕らってさ、主観の中を堂々めぐりしてるような存在じゃない、人と相談できるわけでもない、生きてないから、社会とかかわって何かやるとか、役に立つというわけでもない……一人でああだこうだ、ああだったこうだった、それだけ。そういう考えだけが延々と続くだけ」

 沈黙。サミが歌うのをやめてこちらを見ている。湖面は不気味なほど静まり返っている。

「字室君さ、何年も考える時間があったはずなのに、結局何も変わらなかったんだ、逃げるだけ。やっかいなババアさんから逃げるだけ。生きていたころとやることは同じ。でも結局最後にはつかまっちゃった……」

「字室、どうなったのかしらね」

 サミがまじめな声で言った。顔を見たが、表情がなく青ざめていて、いかにもユーレイって感じだ。

「同じ考えを堂々巡り……」幸平にはサミの声が聞こえてないみたいだ「そんなことやってる限り、人は成長できないんだよ。そういえばぼくも同じだな、生きてる頃もノイローゼで考え事ばっかりしてたし、今も考えてばかりいる、人間死んだくらいじゃなーんにも変わんない……」

 またしても沈黙。僕もサミもなにも言わなかった、いや、言えなかった。

 字室はどうなったんだ?

 ほんとうに成仏したのか?それとも、怪物になった母親に地獄に引きずり込まれたのか?

 そもそも成仏だの地獄だのって言葉の意味は?何だ?

 なにより、僕たちはなんでここにいるんだ?


「岩本君」

 幸平が急に口を開いたので、ビックリして1メートルくらい飛び上がってしまった。

「な、何?」

「岩本君は違うでしょ」

「何が?」

「僕らは堂々巡りの観念から、一生抜けさせない、永遠に。でも岩本君は、違うよ」

「何で?」

「生きてるから」幸平がものすごく深刻な顔で言った「元の生活に戻って、人生を続けられる。ほんとうの人生を」

 僕は何も言い返せなかった。

 字室も同じことを言ってなかったか?

『ここはお前のいるところじゃねえよ』

 そんなことを言っていたような気がする。でも、ほんとうにそうだろうか?全部夢だったんじゃないか?字室も、怪物も、生きていた僕も、今までのことも全部。

 急に、周りのすべてが幻想のような気がしていた。もともと地に足が付いていないし(浮かんでるから)自分自身までまるで幻で、今にも消えてしまいそうな気がした。

「無理に戻ることないじゃない、ここにいたっていいのよ」

 サミが慰めるように言った。

「もちろん本人が決めることだけどさ」幸平がサミにそう言って、それからこちらをむいてこう言った「本当にいいの?このまんまで」

 

 僕は何も言わず、その場を離れて、明かりの少ない町のほうへ飛んで行った。


 商店の電気は消えていて、フデさんはとっくに眠っていた。

 金庫の上の梶村さんも目を閉じていた。眠っているだろう。

 眠っている時ですら、背筋がぴんと伸びている。

 たぶん、生きているころからこうだったんだろう。

 何気ない行動に、その人の人生が現れる……。



 僕の人生は、じゃあ、何に表れてるんだ?



 少し迷ったが、今話すことにした。


「梶村さん……」

 梶村さんがゆっくりと眼を開けた。

「何だ?」

「僕、明日、釧路に行こうと思うんです」

 眠たげだった目が急にカッと開いた。そして、僕の目を射るようなまなざしでじっと見た。まるで、本気かどうか、覚悟ができているのか、念入りに確かめているみたいに。

「……それがいい」

 梶村さんはかすかに笑うと、また眼を閉じた。


 僕も眠ることにした。 


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