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ぼくらは死んだ  作者: 水島素良
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第八章 3

「毎日、部屋を覗くんだよ」

「は?」

 あまりにも低い声だったので、聞き取れなかった。

「部屋を覗くんだよ、あのババアが」字室が心底憎々しい声で呟き始めた「学校終わって、家に帰って、机に向かって、本を読む。人の視線を感じる。ふと部屋のドアをみると、開いてるんだ。

ババアが覗き見してるんだよ。勉強してるかどうか監視してるんだ」

「部屋にカギは?」

「ねえよそんなもん」

にらまれた、かなり怖い。白眼がむき出しのつりあがった目つきだ。

「そんな理由で殺しちゃったわけ?」幸平が馬鹿にしたような声で言った「ああ、だから恨みが募ってあんなお化けになっちゃったわけだ……わっ!」

 字室が飛びあがって幸平につかみかかった。そう、字室は幸平をつかめるんだ。

「おまえにわかる話じゃねえんだよ!黙れクソガキ!」

「おい、やめろって!」

「誰にもわからない話でしょ?どうせ!」

 幸平がつかまれながらも負けずに食ってかかる。

「幸平も!やめろって!」

「何やってんのあんたたち」

 サミが入ってきた。三人の動きがピタッと止まった。

「人の船でケンカするのやめていただける?」

 低ーい声。目が平らになってる。これは怒ってるぞ。

「それとも、みんなで一緒に、船ごと湖の底へ沈みましょうか?」

 サミがニヤッと、楽しそうな、残忍な笑みを浮かべた。

 ……超怖い。

「いや、やめます!遠慮します!」幸平が叫んだ。

「右に同じく」

 字室はチッと舌打ちをしたが、幸平から手を離した。

「それでよろしい」サミが偉そうに言った。なんだか年上ぶった話し方だ「で、お話の続きは?」

 字室が弱り切った目つきでサミを見た。


 毎日覗くんだよ。つきまとってくるんだ。あのババアの視線が。部屋にいるといつも、勉強しているかどうか監視するために、覗きに来る。机に向かっているのを確認すると安心して離れる。とにかく息子を一流の高校へ、大学へ、それだけがうちの親の目的だったんだ。

 俺は小さいころから成績優秀だった。少なくとも高校まではな、ずっと一番だった。それが、俺にとっても、あのババアにとっても当たり前だったんだ。

 一流の進学校に受かった。でも、一流の学校っていうのは、全国から優秀なやつが集まってくるだろう?俺は初めて落ちこぼれた。今まで一番しか知らなかったのに、真ん中にすら届かない、普通のやつになった。

 その辺の普通の馬鹿ならな、一流校に受かっただけで自分はえらいと思うだろうが、俺は違う。自分が一番どころか、中の上にすら届かない。そんなのは耐え難い。勉強は変わらず必死でやったさ、なんせあのババアが毎日毎日監視してるからな、他のことなんで何もできやしない。塾にも通った。ん?岩本、何をおかしな顔をしているんだ?俺の時代にだって塾はあったんだ。1979年だぞ?俺の時代こそ塾の全盛期さ。受かるか死ぬかって感じだ。おまえらみたいに存在自体がお遊びな奴はいなかった。いや、いたかもな、下流のくだらない学校にな。……おい、幸平、今不満げな顔をしたな?まあいいさ。その下流の学校にすら行けないうちに死んじまったかわいそうな奴だからな。

 ある日、古本屋で面白い本を見つけた。何の本かは忘れたが、部屋で読んでいたら、ババアが飛んできて俺の手から本をひったくった。「勉強しろ!」だ。受験に関係ないことは一切させない方針なんだ。

 ババアだけじゃない、周りにいるのは馬鹿ばっかりだ。

 電車に乗って単語帳を見ていると、サラリーマンが覗いてくる。でも、すぐに目をそらすさ。俺が見ていたのはフランス語の単語なんだ。そいつ、きっと英語だと思ったんだろうな。「どれ、バカな学生が何か見ている、そんなの俺だってわかるぞ」ってな。それなのに見たこともない言語が目に入ったからあわてて退散だ。


「馬鹿なのはその人じゃなくて字室でしょ?」

 幸平が甲高い声で割って入った。

 僕もそう思ったけど、黙っていた。

「うるせえ、黙って聞いてろ」

 字室が低い声で唸った。


 とにかく、ババアがどこまでもつきまとってくるんだ。俺は気が変になりそうだった……いや、実際変になったんだ。ある日、塾の帰りに、思いついたんだ。『あのババアを殺してやる』ってな。

 まずノートを一冊買った。家に帰ってから、数学の勉強をするふりをして、計画を立てた。いや、正確に言うと、どういうふうにババアを殺すか空想した。包丁で刺すか?血が飛び散るから面倒だ。首を絞めるか?いや、完全に死に切らなかったら面倒なことになる。高いところから突き落とすか?いや、高いところまでババアを連れていくなんて容易じゃない。今と違って高層ビルも少なかったんでね。近所のビルから突き落としてもよかったんだが、勝手に入って怪しまれるのが目に見えているからな。とりあえず、後ろから鈍器で殴るのが一番やりやすいと思って、角材とレンガを拾ってきて部屋に隠しておいた。


「なんだか気味の悪い想像だわ」サミがよそ見をしながらつぶやいた「青酸ストリキニーネでも飲ませてあげればよかったんじゃないの」

「何それ?」

「毒」幸平が急に関心があるような声になった「アガサ・クリスティの小説でしょ?」

「読んだことないわ」

「じゃあなんでそんな単語知ってるの?」

「知ってちゃ悪いかしら?」

「サミ、頼むから黙っててくれ」

 字室が困り果てたような声を出した。字室はサミが相手だと怒鳴らない



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