第八章 1
このところ幸平は、毎日のように同じ質問をしてくる。
「今日はいい」
「今日はいいって、いつ行くの」
「まだ行くって決めたわけじゃない」
「でも、一回行って確かめたほうがいいよ。自分のお墓があるかもしれないし」
「だから今日はいいんだって!」
怒鳴りながら空中を飛んで逃げる。自分の墓?そういえば幸平の墓が札幌にあったっけ。
釧路に行って、「岩本祐一」って書いてある墓を発見して、『あ、やっぱり死んでたね』ということになるんだろうか?それとも、病院かどこかで生きている自分を発見したりするのか?生命維持装置につながれて植物状態だったりして。
毎日そんな想像をする。そして、怖くなる。
そうだ、怖いんだ。現実を見るのが、確かめるのが。
今のこんな状態だってたまらないのに、これ以上不安になるようなことをしたくないんだ。
湖のはるか上空に浮かんで、あたりを眺める。
町の建物が小さく見える。湖に浮かぶ遊覧船も。
そういえば、最近サミの姿を見ていない。今夜会いに行ってみよう。きっとさみしがっているだろう。
いや、もしかしたら猛烈に怒っているかも。前もたしか「私が心配じゃないの!?」って怒りだして、そのまま船ごと湖の下に潜ってしまったし。
そういえば、サミは昼間、湖の底で何をしているんだっけ?
「岩本」
「うわあああ!」
うしろで突然声がしたのですごく驚いた。字室だった。
「そんなにビビってんじゃねえよ」
「驚くに決まってるだろが!こんなところで突然声がしたら!」
「あそこの山な」僕の言葉は無視して、字室が湖の反対側にある山を指差した「最近、変な音がする。地面から」
「変な音?」
「ぐるぐるっていう、変な声みたいな。動物でも埋まってんじゃないかなと思って」
お前が埋めたんじゃないだろうなと言いたくなったが、やめた。こいつなら本当にやりかねない。
「冬眠してるんじゃない、カエルとか」
「冬眠してる動物が鳴くか?しかも雪が積もってんだぜ、けっこう厚く」
「まあ、そうだよね」
「ちょっと来い」
字室が手招きするようなしぐさをしながら、山の方向に飛んで行った。
無視して別方向に行こうかとも思ったけど、ついていくことにした。ほかにやることはないし、一人でいるとろくなことが浮かばないし、幸平に会ったら『釧路に行こう』って言い始めるし。
ぐるぐるぐるぐるぐるぐる……。
舗装されていない道(といっても雪に埋まってるからよくわからないけど)の横にある急斜面の、ちょうど道の真ん中、僕らの背丈のあたりから、確かに聞こえる。
「やっぱりカエルとか、小動物じゃない?」
「そうだよなあ。取り出してみるか」
「やめとけって、せっかく安らかに寝てるのに」
「安らかに寝てたらこんな声出すか?」
「そういう習性の動物かもしれないじゃないか。だいいち、字室って動物にも触れんの?」
「あ、そうだった。試してみるか」
おい、試すなよ。
僕が言う前に、字室は雪の中に手を入れた。もちろんすり抜ける。
「何にもねえなあ」
何もつかめないらしい。
字室が不満そうに中を探っている最中も、ぐるぐるぐるぐるぐるという奇妙な声が聞こえていた。なんだか不気味だ。
「ねえ、やっぱりやめて帰ったほうが」
「やべえ」
字室の顔が青ざめてきた。もう死んでるのに血の気が引いているみたいだ。
「何が?」
「人の手だ、これ」
「はあ!?」
「人が埋まってる」
「は。はやく引っ張れよ!救助しろよ!」
土の中に人の手。
もしかして……死体か?殺人事件か?
「つかまれた」
「は?いいからはやく引っ張れよ」
「そうじゃなくて!向こうがこっちを引っ張ってんだよ!」
「はあ?」
「はあとか言ってないで何とかしろ!」
「何とかしろって言われても」
僕は字室を引っ張ろうとしたが、僕はあいにく何にも触れない能力の持ち主だ。役に立たない。
「こ、幸平!呼んでくる!」
「あいつ呼んだって無駄だろが!ものしかつかめない」
「いや、地面ごと吹っ飛ばしてもらうとか」
「できるか!」
雪の中に引き込まれそうになりながら字室が叫んでいる。僕はとにかく助けを呼ぼうと思って飛び去ろうとした、すると、突然字室が後ろ向きに吹っ飛んだ。そして、それを追いかけるように、雪の中からしわくちゃの手が伸びているのが見えた……しわくちゃの、半ば腐敗したような、人間の手。
そして、雪の中から顔を出したそれは、老婆のような顔をした人間だった。
両目は、目玉が半分飛び出したように大きく開き、眼はギラギラと光を放っている。腕と同じく、体全体がしわだらけで、腐敗しているように見える。何か布の塊のような服を着ているが、やはりぼろぼろ。まるでホラー映画のお化けのようだ。
「逃げろ!」
字室の声を聞くまでもなく、僕は逃げ出していた。いままで出したことのないようなスピードで飛んだ。
梶村商店の近くまで来たとき、ここまでは来ないだろうと思って後ろを振り向いた。
目の前に老女がいた。ニヤリと笑みさえ浮かべ、こちらに手を差し伸べてきた。
「うわああああ!」
商店の窓に飛び込む。中には梶村さんと幸平がいた。
「梶村さん!あれ!」
僕が窓を指差すと梶村さんがそちらを向いた。すぐに顔色を変えて銃をかまえた。
バン!
外にいた人影が、もんどりうって後ろに倒れ、そのまま空中に溶けるように消えていくのが見えた。
「今の、何」
幸平が呆然とした顔で窓を見つめてながら言った。
「銃がまだ使えてよかった」梶村さんが銃を下ろした「何があった?」