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ぼくらは死んだ  作者: 水島素良
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第七章 1

 僕は死んでいる。ユーレイというものである。何も感じない。物に触れない、風も雨も僕をすり抜けていく。

 なのにだ、寒い。

 ここは北海道の小さい町だ。しかも季節は冬だ。寒いのは当然だ。問題なのは、僕がユーレイなのに温度を感じ取るということと、生きている人間と違って、コートを着ることもマフラーを巻くこともできないということだ!ものはみんなすり抜けていくんだから。

 だから僕は最近、梶村商店の古ぼけた石油ストーブの前から離れることができない。

 時々スダの部屋のガスストーブの前にも行くが、あまりあたたかくない上に、じっとしている僕を見てスダが文句を言うのであまり行かないことにしている。

「気持ち悪いよ岩本。座ったまま動かないで黙ってんだもん。自縛霊じゃん」

 寒い。とにかく最近の僕はこれしか頭に浮かばない。寒い。

「冬か…」

 梶村さんが金庫に座ったまま外を眺めて、なにやら感慨深げにつぶやいた。たぶん昔を思い出してるんだろう。

「梶村さんは寒くないですよね、何も感じないですもんね」僕は半ばヤケクソに喋った「どうして僕だけ気温を感じなきゃいけないんですかね?ものに触れるほうがよっぽど役に立つ能力だってのに。だいいち僕ってまだ生きてんでしょ?なんでこんな中途半端な感覚を持ったまま凍えてなきゃいけないんですかね!?」

「そう言われても私にはわからん。それに」梶村さんはちらっとこちらを見たが、すぐに窓に視線を戻した「お前、シベリアに行ったことはあるか?」

「ありませんよ!あるわきゃないでしょうが!」

「まあ、そうだろうな」梶村さんがこちらを見ずにつぶやくような声で言った「あの寒さよりはマシだろう。我慢しろ」

「えええええええー!?」

 僕は石油ストーブの前に突っ伏した。頭がストーブの前面のガラスをすり抜けた。生きていたら頭を打ったか、頭に火がついていただろう。でも今の僕にはただ熱いだけだ!

「アチチチチチ!」

「ハハハハハ」

「笑い事じゃないでしょうが!」

 心底愉快そうに、地鳴りのような笑い声を上げた元日本軍に、僕は思い切り怒鳴りつけた。

 その夜のことだ。消えてしまったストーブの代わりに、夜冷えないように設置されているパネルヒーターにへばりついてうとうとしていると、なにやら人の行列のような影が無数に見えてきた。

 ああ、夢なんだ、眠いなあ、と最初は思っていたが、そのうち、ぼんやりしていた人影が、カメラのピントを合わすみたいに徐々にはっきりと見え始めた。並んで歩く暗い人影、あたりは一面に真っ白で、木々も暗い色合いをしている。そして身を切るように冷たい風。

 僕も行列の中にまじって歩いている。手足はもう寒さで感覚がない、指を動かそうとする。動かない。錆びた金属の部品のつなぎ目みたいに、かすかにぎしぎしと震えるだけだ。

 立ち止まる。誰かが近づいてくる。そいつは手に何か持っていて、しきりに何か怒鳴っている。僕にはわからない言葉だ。どうやら外国人らしい。

 僕は疲れきっている。もう何時間歩いたのか。どうしてこんなに寒いのか。しかし、そんな考えごとをすることは許されていないようだ。

 さっき近づいてきた人間(どうやら男のようだ)が持っていたのは、小型の銃だった。彼は僕に銃を突きつけ、さっきと同じ調子でひたすら怒鳴っている。

 彼が何を言っているのか、僕はそれが突然理解できた。

『早く歩け』

 僕はそこで跳ね起きた。目の前には代わり映えしない梶村フデ宅の寝室の壁。横には僕がへばりついていたパネルヒーターがあり、かすかに温かみが感じられた。でも、そんな微かなぬくもりなんて粉砕するほど、僕は冷え切っていた。ただ寒いからじゃない。凍りかけの指の感覚や、銃をつきつけてきた男の声が、直に聞いたもののように耳について離れなかった。

 さっきのは本当に夢だったのか?本当に僕は雪の中を行列に混じって歩いていたんじゃないか?本当に誰かに銃を突きつけられたんじゃないか?

 そんな気がしてならなかった。誰かに話したくて居間に向かってみたが、梶村さんは金庫に座ったまま眠っているから、起こすのも悪い気がしたし、字室と幸平は最近別なところで眠っているらしい。あいつらは何も感じないから雪の中でも熟睡できるだろうな。

 寒いので寝室のパネルヒーターの横に戻った。となりには布団がひいてあって、僕の存在なんて露ほども知らないフデさんが、すやすやと寝息をたてていた。



 次の日、裏山の雪山にもぐって、頭だけ出したまま熟睡している幸平を見つけた。いいよな、寒さを感じないんだから、きっと雪の中でも気分は良好なんだろうな(死んでるけど)

「あ、岩本君、おはよう」

「商店に入ろう、寒い」

 僕はそれだけ言って、雪山に背を向けて、全速力で梶村商店まで飛んでいった。フデさんが店先に出ているので、居間には梶村さんしかいないが、ストーブは弱めにつけられている。

 幸平が遅れて部屋に入ってきた。

「やっぱり寒いの?外」

「当たり前だろ!天気予報見なかったのか?マイナスだぞ!大雪降ってるだろ!?」

「いいなあ、寒さを感じられるって」

「良くねえよ!!!」

 のんきな声の幸平に向かって怒鳴りつける。

「落ち着け、岩本」

 相変わらず金庫の上に座っている梶村さんが、無表情のまま、低い声で言った。ぼくはその声を無視して、ストーブの前に座る。幸平が一瞬ニヤリと愉快そうな、馬鹿にしたような笑いを浮かべる。腹が立つ!

「そういえば、きのう変な夢を見たんですよ」幸平も無視してやる!「雪の中をたくさんの人が行列してて、一面真っ白な雪で、死ぬほど寒かったんですよ」

 梶村さんが怪訝そうな、それでいて興味があるような目つきでこちらを見た。

「それで、誰かが僕に向かって怒鳴ってるんです。聞いたことのない言葉だったから最初はわからなかったんですけど、どうも、早く歩けって言ってるみたいなんですよ。しかも銃を持っていて」

「マンドリンか?」

「は?」

「それはマンドリンだ」

 梶村さんが低い声でつぶやくように言った。

「違いますよ。どうして雪の中で楽器をつきつけられなきゃいけないんですか?銃ですよ」

「ロシアの小型小銃だ。マンドリンは。楽器じゃない」無表情の梶村さんが言った「突きつけられたんだな」

「そうです」

「私も同じ夢をきのう見た」

「えっ?」

 僕ではなくて、幸平が驚いて声をあげた。

「それはシベリアだ。毎年同じ夢を見る。この時期になるとな」

 部屋に数秒の沈黙が訪れた。ストーブの前に座り込んでいるはずなのに、寒気がする。

「つまり、梶村さんと同じ夢を僕が見たんですか?」

「そういうことになるな」

「なんで?」

「わからん」

「不思議だねえ」

 真面目な顔の梶村さんと、のんきな声の幸平はとても対照的だった。

「何でも『不思議だねえ』で片付けられちゃ困るんだよ」僕はいらいらしていた「どういうことなんでしょうね?」

「わからん。そもそも、私がどうして毎年シベリアの夢を見なければいけないのかがわからないのだから」

「僕が毎年十月病にかかるのと同じなんじゃない」幸平がなぜか天井を見上げながらつぶやいた「つらい思い出とか、生きているときに起きた衝撃的なこととか、そういうのが、出てくるんじゃない」

「そうかもしれん」

「でも、なんで僕が人の夢をいっしょに見なきゃいけないんだよ」

「不思議だねえ」

「だから不思議で片付けるなよ!」

 幸平は他人事を面白がっているだけなのかもしれない。絶えず目線を天井や壁や、とにかく、梶村さんでも僕でもない方向に向けて、にやにやしているだけだ。一体何を考えているんだろう。

 と、店先からすっとんきょうな声が聞こえてきた。

「まあああああ!よく来たねえええ」

 フデさんらしくない、甲高い声だった。誰か来たようだ。耳を澄ますと、老年の男の声がぼそぼそと聞こえてくるが、何と言っているのかはわからない。

「見に行ってくる」

 と幸平が言って足を浮かせたが、その必要はなかった。

 にこにこ顔のフデさんが部屋に入ってきたからだ、その声の主と一緒に。



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