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ぼくらは死んだ  作者: 水島素良
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第六章 5

 人生って残酷だ。いや、偶然って残酷、と言ったほうがいいのかな?ほとんどの人の人生は死んだら終わるのに、よりによって、終わらせたいはずの幸平の人生は終わらなかった。

「地面に落ちたところで意識がいったんなくなったんだけど、また、目が開いたんだ。そしたら、ビックリするよ。僕は空に浮かんでいて、血まみれの僕を見下ろしてるんだ。しかも、歩道から見ている人の群れの中に、由希がいた。はっきり見えた。顔が真っ青だった。動けないみたいだった。しばらくそこに凍りついたように立ち尽くしてたんだよ」

 今、僕と幸平は、その事故現場の車道の真ん中に立っている。車が僕らをすり抜けていく。次から次に、しかもほとんどがダンプカーやトラック、大型車だ。交通量も多い。速度はみんなスピード違反だ。たしかに人がここに侵入したらまず命はないだろう。

「ねえ、落ち着かないから歩道に出ない?」

「いいよ」幸平は無表情のまま歩道に向かって飛んでいった「そのあと、しばらく僕はこの札幌にいて、いろいろ眺めてたんだ。自分の葬式とか、遺体を焼くところとか」

「……自分が燃やされるところ見たの?」

「うん」

 どういう神経をしてるんだろう。幸平はまるで『別にどうってことないよ』という顔で返事をした。僕は遺体が燃えていく様を想像して吐き気がした。吐くものなんてもうないはずなのに。

「僕が死んだ後の人の反応とか、暮らしぶりを、ずっと見てた」

「辛くなかった?」

「ぜんぜん、むしろ楽だった」

「楽?」

 聞き間違いかと思ったが、幸平は今確かに『楽』と言った。死ぬのが楽?

「自分はもう死んでるから、何もしなくていいじゃない。ただ、どっかの神様みたいに、気に入った人や町の様子をぼんやりと眺めていればいいんだ。僕さ、生きている頃からそんなところがあったんだよ。自分の人生も他人事のようだった。だからよけいに生きてる心地がしなかったのかもしれないね」幸平が口元だけで笑った「もともと苦手なんだよ。自分で何かするっていうことが」

「でも役者は?演劇は?楽しかったんじゃなかったの?」

 僕は少々むきになってそう言い返した。だって、死んでるほうが楽しいなんて、僕はどうしても認めたくないんだ。理由はわからないけど、なんとなく。

「まあ、仲間がいたから。それに、演劇ってみんな他人の話でしょ?他人を演じてるからうまくいったんだと思うよ」

「……それからは?」

「親は予想どうり、顔色ひとつ変えずに生活していたし、悲しんでくれた友達もそのうち忘れたように自分の生活に戻っていった。でもね、二人、戻れない奴がいたんだよ」

「二宮由希」

「そう、それと、もう一人は新井君っていって、演劇部の部長兼脚本家。今でも脚本書いてるはずだよ、劇団を持ってるから」

「新井って、まさか新橋がいる劇団の『カントク』じゃないだろうな」

 新井は脚本家で、『カントク』というニックネームを持っていて、実際に映画監督や舞台監督もやっている。自分で劇団も持っている。新橋五月もそこに所属しているはずだ。

「その通り」

 幸平が誇らしげに笑った。僕はどう反応していいかわからない。

「この二人だけだったのかもしれないね、僕が死んだとき本当に悲しんでくれたのは。二人は同じ高校に行って、演劇部を立ち上げた。そして、すごい執念と言うか偶然と言うか、僕にそっくりな人を見つけて、無理やり演劇部に引きずり込んだ……」

 小説のあらすじでも朗読するような声が響く。

「それが新橋五月」

「そう。新橋君、顔は僕と全く同じ。背格好も一緒。僕も初めて見たとき、自分が生き返ったんじゃないかと思って震え上がったくらい、似てたんだ。ただ、演劇なんてやったことがないどころか、芸術全体を軽蔑してるようなところがあったんだよね。学生は勉強だけすればいい、芸術なんて時間と金のムダだってね。そう言ってるのを実際に聞いたことがある。なのに、急に演劇に興味を持った。その原因は僕なんだ」

 幸平の表情が苦しげに変わってきていた。何か悪いことがあったんだと僕は思った。

「由希と新井が、新橋に僕の話をしたんだよ。顔がそっくりな役者がいた、だから変わりに同じ役をやってくれないかってね。中学のときに僕が演じたのと同じ劇、同じ配役、それを新橋君が演じた。そしてそのまま、成功したんだよ。役者としてさ」

 幸平がこっちを向いて、僕の目をまっすぐに見た。僕は目をそらしてしまった。

 怖かったんだ。幸平の目つきが。恨みのこもった目をしていたから。

「だから、新橋君は僕が通るはずだった道にそのまま収まっただけなんだよ。僕が生きてたら、ただの平凡な優等生で終わってたはずの人間なんだ。たぶん由希は未だに、新橋君の中に僕を見てる。でも、由希のとなりにいるのは、本当は僕だったはずなんだ」

「幸平……」

「哀れでしょ?死んでから自分の可能性に気がついた。生きてたらこうなってたんだって、自分そっくりの人間が実践しているのを見ながらさまよっていなきゃいけないんだよ、僕は。こんな残酷なことってある?」

 あはははは、と乾いた笑い声が耳についた。声は涙でくぐもったようになっていた。

「由希たちが高校を卒業したときに、僕は札幌を離れたんだ。耐えられなかったんだよ。狂いそうだった。叫びたくなったけど、叫んだって誰にも聞こえないでしょ?だから、頭が混乱したまま、上空を闇雲に飛び回った。もう夢中で。お願いだからもう死なせて、いや、もう死んだはずなんだから、早く僕を消して、もう耐えられない、早く消えさせて……で」

 幸平の顔から怒りや悲しみが消えて、急にいつものおどけた顔に戻った。

「気がついたら、どこにいたと思う?」

「……町の湖?」

「そう!しかも夜中。幽霊船の上のサミとご対面ってわけ。アハハハ」

 中学生のままの声で笑う幸平。僕にはもう書ける言葉も見当たらない。つられて僕の口元も笑ってたかもしれないが、それはどうしたらいいのか、わからなかったからなんだ。


 すっかり暗くなった札幌の上空を飛んで僕らがたどり着いたのは、町の中心部の鉄骨の塔、テレビ塔だ。その上部についているデジタル時計の上に幸平が座った。僕も隣に座ったが、下を向くと高すぎてめまいがしそうだ。人も植木もなにもかも小さく見える。死んでても怖くてしょうがない。生きて落ちたら確実に即死だ。

「見てよこの夜景!人がたくさんいる証拠!」

 幸平が立ち上がって両腕を広げた。なにかの舞台の演技みたいだと思った。でもここは舞台じゃなくて、札幌の上空だ。目の前に公演が一直線に広がる。夜になっても人は多いし、明るさも半端じゃない。小さな町の暗い夜になれてしまったせいか、札幌の夜景がよけいにまぶしく見えた。

「僕が死んだときは、たしか百万都市札幌って言われてた。それが今じゃどう?人口は増えに増えて百九十万人を超えた。倍だよ。でも発展しただけじゃない。人が増えたって、昼間やることがなくてふらふらする人が増えただけかもしれない。活気があるようでないんだよ。人だけ増えたってしょうがないんだ。やることがないんだから」

 幸平が何を言いたいのかわからなかった。灯りを見下ろしている幸平はまだ生きているように見えた。まるでこれからこの塔から飛び降りて、命を絶とうとしているみたいにだ。もしかしたら幸平の演技なのかもしれない。

 いや、今までの僕が知ってる幸平も、もしかして全部演技なんじゃないか?

「生きてるときも、死んでからも、街の中に希望の影も形も見出せないんだよね、僕は」

 幸平がつぶやいた。きっとこの言葉は演技じゃないと思う。

「でもさ、何かをがんばろうとして一生懸命な人もいるだろ、あの小さい町にしたって、町おこししてる人だっているし、札幌にだって懸命な人はいる。希望を持ってる人はいるんだよ、きっと」

 僕は自分の当たり障りのない言葉が、むなしく冷たい(寒いんだ!札幌の上空は!)空気の中に消えていくのを感じて空々しい気分になった。本当は僕だって何の希望も持ってないんだ。だってもう死んでるんだから。もし生きていたとしたら……それでも、わからない。

「わかってるよ、わかってる……」幸平が独り言のような声で返答した「でも、僕はもうみんなの行きつく先を知っているからね」

「行き着く先?」

「どうせみんな死ぬってこと」

 幸平は時計から降りてゆっくりと下降し始めた。僕は何も言い返せなかった。


 札幌から、来たときとはうってかわってゆっくりと上空を飛び、見慣れた湖の上空にたどり着いたのは、もう真夜中だった。サミの船が湖面に黒い影を作っている。

「あら幸平。十月病は治ったの?」

 サミが妙に明るい声で叫びながら、こっちに手を振った。

「六割くらいはねー」

 幸平もそこそこの元気さで叫び返した。そしてこっちを向いた。顔は笑ってなかった。真面目だった。

「岩本君、たぶんまだ生きてるんだから、人生放棄しちゃ駄目だよ」

「は?」

 僕に聞き返す間を与えず、幸平は船に向かって飛んでいって、サミとおしゃべりを始めた。

「今日の幸平、初めてここに来た時と同じ顔してるわよ。どこか物悲しそうな雰囲気ね。何かあったんならお話なさいな。囲ってあげるから」

 サミがお姉さんぶった口調で笑った。幸平は、なんでもない、とつぶやいて、熱心に見ているドラマ(もちろん二宮由希主演だ)の話を始めた。

『囲ってあげる』ってどういう意味?って僕が聞いたら、サミは、

「内緒」

 と言って、微笑みながら唇に人差し指を当てた。


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