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ぼくらは死んだ  作者: 水島素良
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第一章 3

 外はすっかり暗くなった。梶村商店の奥の居間。フデさんがテレビをつけてお茶をすすっている。梶村さんはこんどは居間の金庫(金庫が二つもあるんだよ、この家には)に座っている。いつも背筋がぴんと張っている。昔の軍人はみんなこうだったんだろうか。

 梶村さんとフデさんは夫婦だった。梶村さんは死んで、フデさんは生き延びた。だから、奥さんであるフデさんが白髪のおばあさんになっても、梶村さんは青年のままなのだ。

 フデさんがテレビをつけているときは、幸平も梶村さんも、当然僕もこの居間に集まる。テレビがついているのがこんなにありがたかったことはない。ゲームも本もないし、あったとしても僕はものに触ることができなかった。触ろうとしたものはことごとくすり抜けてしまう。時間をつぶす方法がない。なぜか床や地面だけは平気だけど。

「湖の中には入れるけど、地面にはもぐれないんだよね。不思議」

 と幸平が言っていた。確かに不思議だ。できたらマントルを抜けて地球の核をこの目で見てみたいもんだ、なんてくだらないことを考える。

 うちの家族はどうしているだろう。やっぱり同じようにテレビを見たり、仕事してるんだろうか?それとも今頃葬式とか四十九日の真っ只中か?町から出られないので見に行くことができない。同じ北海道だが、僕が住んでいたのは釧路だ。

 それにしても、どうして一度も行ったことのない町に飛ばされてしまったんだろう?

「幸平は、この町に来たことある?生きていたころに」

「ないよ。不思議だよね」

「どうしてこの町なのかな」

「さあ、不思議だなあ」

 幸平は何でも不思議で済ませてしまうようだ。深く考えているようには見えない。もしかしたら『深く考えない』っていうのがここでのユーレイのすごし方なのかもしれない。でないと、一度考え事にはまったら延々と抜けられなくなるからだ。

 幸平はテレビを無表情で見ているが、時々にやっと口元をゆがませて笑う。梶村さんは眉ひとつ動かさない。見張りでもしてるみたいな硬い表情だ。そしてこの建物とテレビの主であるフデさんは、こんな物騒な居候の存在に気がつかずに、羊羹をうまそうにぱくついている。たしか昨日は三色団子だった。

 食べ物を見るのが嫌いになった。ユーレイはものを食べる必要はないらしい。死んでるから。死ぬと食欲からは開放されるらしいが、それでも他人がうまそうに何か食べてるのを見ると不愉快だ。失ったものは意外と大きいのかもしれない。

 手を目の前に広げてじっと見つめる。最近の癖だ。生きているのと変わらない手が見える。死んだのに、意識はあるし、自分の体は見えている。

「岩本、しっかりしろよ」梶村さんが突然話しかけてきたので思わずのけぞった「あまりくよくよ考え込むと狂ってしまうぞ。生きている人間は狂っても死ねば終わりだが、我々が狂ったら、永遠に狂ったままさまようことになるかもしれんぞ」

 そんな怖いことを突然言われても。僕はまったく声が出なくて、うなずくのが精一杯だった。急に不安になる。

 僕らには生きている人たちが見えるが、生きている人たちには僕らが見えない。ものが見えるのに触ることができない。

 こんな状態がいつまで続くんだろう。一生?一生っていっても、本当に僕が死んだなら、一生はとっくに終わってることになる。

 永遠にこの状態が続くとしたら?

 底なしに暗い何かが胸の奥から見え隠れした。はっきりとそれを見てしまったらきっと狂ってしまうに違いない。僕は考えるのをやめた。


 夜中と呼んでいい時刻になった。フデさんがテレビを消してふとんをひきはじめるころ、僕と幸平はもう一人の仲間に会うために湖へ向かう。

 町には電灯がほとんどついていない。だから、湖の真ん中あたりまで飛ぶと、周りがおそろしいほど真っ暗で怖い。

「そろそろ出てくると思うんだけどな」

 幸平が水面近くまで降りていって、湖を覗いている。

「どうして昼間は出て来れないのかな?」

「不思議だね」

 また不思議か!僕が言い返そうとしたとき、水面に波が立った。幸平があわてて上空へ昇る。

 波はどんどん大きくなっていって、その中心から船の先端部分がつき上がってきた。一瞬にして、静かな湖の上に遊覧船の黒い陰が浮かぶ。こんなに大きなものが出てきたのに物音はまったくしない。ミュートがかかったように無音。

 幽霊船の登場だ。

 僕らはゆっくりと、上空から船の甲板に降りた。船にはへんな丸い貝や、なんだかよくわからない帯状のものが付着していた。全体に変色していて、昼間就航している遊覧船と同じ種類の船だとは思えないほどだ。ずいぶん長い間沈んでいたんだろう。

 初めて見たときは不気味で近寄りがたい感じがしたけど、今では秘密基地に入る子供のような気分になる、人間はなんでも慣れると言ったのは誰だったかな?あれは本当らしい。幽霊船にもユーレイにも慣れてしまった。

「今日は何かあった?」

 高い声とともに現れたのは、サミだ。古風なおかっぱ頭の少女。高校生に見える。白いブラウスにチェックのスカートだが、どんな色なのか暗くてよくわからない。顔は……普通。

「何もないけど、遊覧船の掃除係が浮気してるみたい。ダンナが出稼ぎ中だから」

 幸平の言葉にサミが顔をしかめた。

「そういう話題しかないの?」

「学校でボヤ騒ぎがあった。犯人は校長」

「何それ?」

 僕も初めて聞く話だった。

「タバコの火を消すのを忘れたんだよ。書類に燃え移った、机が焼けただけ」

 幸平がクククと笑う。僕とサミは同じようにあきれた顔をした。

「あなた、ずっと校長室を見張っていたの?」

「だって、最近顔色悪いんだもん、あの校長。ぜったい何かやらかしてくれそうじゃない?」

 幸平はいつもこうだ。町民の生活を見張っていて、何かおもしろいことがあるとサミに報告しに来る。そしていつも愉快そうだ。町民はいい迷惑だ。気づいてないだろうけど。

「それよりサミ、字室君見なかった?」

「最近見ない。梶村隊長のところじゃないの?」

「隊長なんだ」

「気分で変わるわよ。階級は私が決めるの」

 サミが僕に向かってえらそうに笑った。こういう顔はけっこうかわいい。


 サミは乗っていた遊覧船が沈んで、亡くなったらしい。ただし、この町の湖ではなく、本州のもっと大きな湖だったそうだ。やはりこの町にいる理由はわからないそうだ。

「全国的に有名な事件なんだよ。僕聞いたことあるな。ただ、四十年は前の事件だね」

「……てことは、サミって生きてたら今いくつ?」

「失礼ね!」

 初めて会ったときはこれで会話が終わった。ふてくされて船ごと湖に沈んでしまって、その日はもう出てこなかった。

 湖で死んだから、船で死んだから、そこから離れることができない。サミの場合は僕や幸平より、ここにいる理由が理解しやすい気がする。漫画的によくありそうな話だろ?(現実的にはどうか知らないが)


「字室君ってどんな人?」

 僕はまだ彼に会ったことがなかった。五人目のユーレイに。

「なんていうかなあ」幸平がめずらしく不愉快そうな顔をした「エリートになりそこなってひねくれた人」

「はあ?」

「殺人犯よ!殺人犯!」サミが興奮したような声で叫んだ「お母さんを殺したの、そのあと自分も自殺したのよ。

「マジ?」

「ま、そうだね」幸平がどうでもよさそうな間の抜けた声で言った「東京の高校生だったんだけど、かなりレベルの高い学校にいたらしいよ。すごく態度がでかい」

「あんまり会いたくないなあ。でも、東京の人までこの町に来てるわけ?」

「サミは金沢だもんね」

 幸平がそう言ってサミに笑いかけた、サミは少しさびしそうな顔でうなずいた。

「岩本君どこの人?」

「釧路」

「釧路。北海道だ。僕と一緒だ。梶村さんは長野県の人だけど、妻のフデさんが北海道の人だから、ここにいることは別におかしくないよね。長野、東京、金沢、札幌、釧路……」

 何かを考え始めたらしい。幸平が甲板にすわりこんでぶつぶつ言い始めた。

「ああ、また始まったわ」サミがいやそうな顔で上を向いた「出身地なんて何度考えたって、私たちがここにいる理由なんかわからないわよ」

「何か心当たりあるの、サミには」

「あるわけないでしょっ!岩本はあるの?心当たり」

「ありません」

 素直に認めざるを得ない。僕はこの町とは何の関係もない。そして目の前のサミは怖い。

「そうよ。理由なんてきっとないんだわ。あるとしたらこの湖よ。変じゃない。昼間出られないなんて。きっと何かあるのよ」

「あ、そう」

 僕は何て答えて言いかわからないので、てきとうに相槌を打った。

 サミが僕らに背を向けて、甲板を歩きながら何かメロディをくちずさみはじめた。昔の歌謡曲みたいな、ダサい……いや、古風なメロディだ。

「あれ何の曲かな」

「『虹色の湖』」幸平が急に顔を上げてにやにや笑い出した「歌詞まちがって覚えてるけど、教えちゃだめだよ。ふてくされてまたもぐっちゃうから」

「そんな歌知らないから教えられないよ」

「でもさ、間違ってるって聞くと教えたくならない?」

「いや……」

「教えたいでしょ?そうでしょ?」

 幸平が妙にはしゃいだ声を出した。顔はニヤニヤしたままだ。なるほど。僕が我慢できなくなってサミに『歌詞間違ってるらしいよ』と言ってしまうことを期待しているんだな?悪いけどその手には乗らない。

 と、歌が聞こえなくなった。サミのほうを見ると、船の先端に立って月を見上げている。丸いのをちょっとだけ削ったような形の白い物体が、はるか上空で白い光を放っていた。

「月を見るくらいしか楽しみがないのよね。夜の湖なんて」サミがつぶやいた「四十年、四十年もこうやってここにひとりぼっちでいたのよ……我ながらよく狂わないでいられたなって思うわ」

「幸平が来たのはいつ?」

 僕はあわてて質問した、なぜあわてたかって?四十年もこんな暗い湖の中にいるってことがどういうことか、想像したくなかったからだ。

「つい最近のような気がする。幸平、あんた来てから何年たってるの?」

「もう忘れちゃったよ」

「うそをおっしゃい。町に住んでるのだから日付の感覚はあるのでしょう?」

「僕は永遠に十四歳」

「そういうことを聞いてるんじゃありません!」

「まあ、いいよ、幸平のことは」

 怒りだしたサミをなだめる。僕も空を見上げて月を見る。ほかには星は見えない。



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